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2018年1月19日金曜日

ニームのフラメンコ祭 ダビ・カルピオ

ヘレスの歌い手ダビ・カルピオ「ソロス」はオデオン劇場で。
メイン会場よりぐっと小さい会場で、椅子もプラスチックだけど、満員御礼。
そしてその期待に応えるような素晴らしい公演だった。

ダビ・カルピオ、ギターのマヌエル・バレンシア、コントラバスのパブロ・マルティン、そして踊りのマヌエル・リニャンが特別協力で出演。

© Jean-Louis Duzert


ダビのリーダー公演だけど、主役は彼一人であとは脇、というわけではなく、全員が主役。4人のそれぞれのソロあり、様々な組み合わせがあり、最初から最後まで一時として飽きさせることがない。

ダビが歌い始めたソレアを伴奏するのはパブロ。

© Jean-Louis Duzert

そこに加わるマヌエル。そしてリニャンも。
このソレアが、痛みを感じるソレアなのだ。表面的ではないソレア。

ダビが歌うマラゲーニャはコントラバスの伴奏で始まり、ギター伴奏に引き継がれる。
© Jean-Louis Duzert

リニャンが踊るタンゴも、最初は歌が伴奏なしで始まり、そこに踊りが、ギターが加わっていくという形。

マヌエルのギターソロは繊細で、人柄そのままに優しく、強く。

© Jean-Louis Duzert

シギリージャの伴奏は素晴らしかった。モラオの伴奏を思い出させる。モラオ亡き今、もっとも素晴らしいシギリージャの伴奏を聴かせる存在だろう。

サパテアードのソロがあったり、
© Jean-Louis Duzert


トナーを歌うダビとリニャンの絡みがあったり。ここでは歌が踊りを伴奏するのではなく、踊りが歌を伴奏しているかのようだ。
コントラバスのソロにギターが加わり、ブレリアへ。カンテも加わり、最後は再びソレアに戻る。
© Jean-Louis Duzert


普通のカンテリサイタルとは一味も二味も違う、カンテの公演。
初演は2015年3月のヘレスのフェスティバル。最後、リニャンはバタを身につけなかったものの、構成は同じ。
初演を見たときに私はこう書いた。念願叶って嬉しい限りだ。
いい歌といいギターといいコントラバスといい踊り。
上質な音楽と舞踊。シンプルな4人だけの舞台は今年のフェスティバルの作品の中でも出色の出来。もう一度ぜひ観たい。 
うん、これは何回でも見たい作品だぞ。

2018年1月18日木曜日

ニームのフラメンコ祭 講演「カマロン」

ニームのフェスティバルは公演だけでなく、講演も充実。


© Jean-Louis Duzert
18日の12時30分からは劇場のバーで、アンダルシアの放送局カナルスールのフラメンコ担当者として、長年、ラジオとテレビでフラメンコの番組をやっているマヌエル・クラオによるカマロンについての講演。
もともと彼のラジオ番組で、昨年、カマロン没後25周年を記念して述べ10時間にわたって放送された番組を1時間に凝縮したもので、写真、ビデオ、そしてカマロンを直接知る人々の証言などがはさまれた充実した内容。

Kyoko Shikaze




子供時代に始まり、歌い手としての始まり、パコとの出会い、録音、奥さんとの出会い、友達、ファミリー、アルバム「レジェンダ・デル・ティエンポ」について、フェスティバルについて、などと進み、最後はカマロンの最後から二番目の公演がこのニームで行われたことに触れ、実際にカマロンを空港に迎えに行き、ホテルで着替えを手伝ったぺぺ・リナーレスの証言と共に、その公演の模様の短いビデオも披露された。

Kyoko

その他にも、北スペインのフェスティバルで、公演中に発砲騒ぎが起きた時のカマロンの様子のビデオや、カマロンに著作権料を払ってないと非難されたパコの悲しみに満ちた言葉、またカマロンの婚外子の存在など、今まであまり知られていない面も紹介された。

彼の死から25年。
今もフラメンコたちの中には息づいている、大きな存在。
それを以前より少し身近に感じることができるようになったのではないだろうか。


ニームのフラメンコ祭ルイス・モネオ、アントニオ・レジェス

南フランス、ニームのフラメンコ祭に今年もやってまいりました。
先週の木曜にアンドレス・マリンの「ドン・キホーテ」で始まったこのフェスティバルも終盤でございます。

マルセイユ空港から劇場に直行して聴いたのは二人の歌い手によるカンテ・リサイタル。
第1部はルイス・モネオ。日本にもここ数年何度かやってきているヘレスの歌い手。
昨年末亡くなったマヌエル・モネオやトルタの弟で、もともとはギタリストだった。
トナーに始まり、アレグリアス/カンティーニャス、ソレア、シギリージャ、そしてブレリア。

© Jean-Louis Duzert


声質のせいか兄たちよりもフェルナンド・デ・ラ・モレーナを思い起こさせる歌いっぷり。アレグリアスの軽快なコンパス感が楽しい。シギリージャもいい。でも兄たちの暗い深みのようなものはあまり見えないようにも思う。
ギターは息子のフアン・マヌエル。まだ若いが、確実に上達しているし、ヘレスらしいひねりもあるので将来が楽しみだ。


第2部はアントニオ・レジェス。チクラナ出身のカマロンとマイレーナの影響を強く受けた歌い手で、ここ最近頭角を現してきた。
こちらはカラコール風サンブラに始まり、アレグリアス、タンゴス、ソレア、シギリージャ、ブレリア、そしてアンコールのファンダンゴ。

構成がそっくりというのは偶然だろうけど、うーん、なんとかできないのかなあ。
で、アントニオは声もいいし、音程もいいのだけど、後ろ髪を引っ張られるような歌い方とでも言うのだろうか、とにかく、後ろに引っ張ってゆっくりゆっくり歌うのだ。
ソレアやシギリージャならともかく、アレグリアスやタンゴにも軽快さのかけらもない。
ゆっくり歌う方が難しい、とも言うし、いい歌い手であることに間違いはないけれど、これじゃ全部同じに聞こえてしまう。タンゴやアレグリアス、ブレリアはもう少しスピードを上げて、変化をつけた方がいいのでは? うまい人だけに残念。
あれじゃ踊りなら倒れちゃうよ。

© Jean-Louis Duzert

ギターはディエゴ・アマジャ。トマティートのそっくりさんだが、演奏は遠く及ばない。

2017年11月5日日曜日

日本のフラメンコ 石井智子「ちはやふる 大地の歌」

素晴らしかった。いやあ、本当に素晴らしかった。
これが二日間、2回の公演だけなんてもったいなさすぎる。
美しく、楽しい。非常に完成度の高い作品。
フラメンコが好きな人だけでなく、広く一般に楽しむことができる、そんな作品。

石井智子スペイン舞踊40周年記念公演は11月4日、5日に 北千住シアター1010で。
その4日の公演を見た。第一部は百人一首をテーマとした、和とフラメンコとの競演、第二部はフラメンコだけでなく、民族舞踊であるホタやエスクエラ・ボレーラも取り入れて、広くスペイン舞踊の世界をみせると言う二部構成。その構成も見事なら、それぞれの演目もしっかりと作られていて破綻がない。
独りよがりになることも、観客におもねることもなく、観て美しく、楽しい。

かるたが、花が舞い、水が流れ、モチーフとなった歌の書(桃果)がプロジェクションマッピングで描かれる中、和歌の世界がフラメンコと和の楽器で展開されていく。
太鼓の上でのサパテアード。和のテイストのフラメンコ衣装。
小野小町に扮した石井の美しさ。
和太鼓と尺八に絡む在原業平となったフンコのサパテアード。「Pasión 情熱」
「Melancolía  憂い」での、小町の黒い長い髪はフラメンコ的でもあり、遠くて近い、スペインと日本、フラメンコと私たちを象徴しているようでもある。
客席から登場した太鼓隊とカスタネット鳴らす群舞が競演する「Brisaそよ風」の場面の楽しさは特筆ものだ。太鼓の音にカスタネットも負けていない。フォーメーションでみせる美しさは群舞の醍醐味だろう。モチーフとなった持統天皇の時代、万葉集的なおおらかさが感じられる。
「Lamento 嘆き」ギターと琴の競演は初めて見たが、美しい。お互いを引き立てあうのは、演者の互いへのレスペト、敬意ゆえのことだろう。
「Destino宿命」はチェロと尺八による、スペインを代表する作曲家の一人、アルベニスの「アストゥリアス」で、ふた組のパレハが踊るという趣向。スペインのクラシック音楽と和楽器の出会いは新鮮。また振り付けも美しい。客演の松田知也、土方憲人も好演。
「Firmamento天空」は圧巻の一言。太鼓や琴の音で、華やかに踊る群舞は風であり雲、その中に、天照大神のように降臨する天女、石井智子。その存在感。タイプは違うが、マヌエラ・カラスコのような、女神感が確かにある。よく揃った群舞も華やかで楽しい。


第二部のオープニングはホタ。
跳躍が特徴的なこの舞踊を、子供の時から毎週習っている、地元の人やスペインの公立舞踊学校スペイン舞踊科出身者以外で、これだけ踊るのは珍しい。かつてはスペイン舞踊団の演目としてよく取り上げられ、若き日のファルーコらもピラール・ロペス舞踊団などで踊っていたという。小松原舞踊団時代に、ホタ中興の祖とでもいうべき、ペドロ・アソリンの直接指導を受けた石井が男装で、舞踊団の後輩、中島朋子とパレハで踊る。
足を高く上げるその角度! そして跳躍。男性顔負け。ダイナミックで楽しい。
エル・フンコは椅子に座ってはじめるソレア。シンプルだが、フラメンコのエッセンスが強く感じられるソレア。椅子1脚だけで、ドラマチックに見えてくる。
エスクエラ・ボレーラのセビジャーナスも日本で踊られるのは珍しい。バレエの素養のない人がここまで踊るまでにはどれだけの苦労があったろう。いや、素養があっても、ボレーラ独特の、首のラインとか、軽く曲げた腕のラインとか、非常に難しいはずだ。
真紅のバタ・デ・コーラの石井によるシギリージャ。カスタネットとマントンを使っての伝統を感じさせるシギリージャ。カスタネットの音色に至るまでひたすらに、これもまた美しい。ミゲル・ペレスのギターの素晴らしさ。フアン・ホセ・アマドールの声の深い響き。バックを飾る、堀越千秋の幕が、モライートのシギリージャの調べを思い起こさせる。二人とも今はいない。オマージュを感じる。
同じく堀越の幕が舞台を額のように彩り、洞窟を作り、モスカ、カチューチャ、タンゴなどグラナダのフラメンコをみせる。洞窟のフラメンコの店で踊られているものよりも、より洗練された、舞台のための、舞踊団のための、という感じ、だけど、それは決して悪いことではない。群舞のフォーメーションや子供を使ってのちょっとした芝居風の動きなど、“みせる”工夫が随所に施されている。モスカやカチューチャのコーラスも良かった。
ファルーカはモダンな男装だったが、個人的には、彼女の雰囲気から、クラシカルなアマソナ風の、巻きスカートに丈の短いジャケットといった乗馬服風のものなどもよかったのではないかと思う。
フンコと石井の息子、岩崎蒼生が二人でみせるブレリアも、ちょっと芝居が入った二人の掛け合いが楽しい。それにしても上手くなった。フラメンコを踊る子供、ではなく、踊り手として評価される時が来た。ちょっとした間合いや回転に味があり、スペインで多くの師に学んでいるだけのことはある。
最後はアレグリアス。バタ・デ・コーラでの群舞、最初、練習の時と歌が変わったのか、きっかけが上手くわからなかったような出足の不揃いなどはあったものの、すぐに取り戻す。石井とフンコのパレハも、長年の共演の成果もあるのだろう、息が合っていて、安定感がある。
最後はフンコが歌うタンギージョ。第一部に出演していた太鼓隊なども加わり、楽しいフィエスタ。色とりどりの衣装も、それぞれがある程度自由に踊っているのだろう部分もあって、とにかく楽しく、気分が上がって閉幕を迎える。
ブラボー!

石井の存在感、それをサポートするスペイン人アルティスタたちも一流。
和を意識した衣装や和楽器とのコラボレーションも楽しく、それを彩る、プロジェクションマッピングなど、美術も素晴らしい。照明は、時に、ここはスペインですか?というくらいに暗めだったのがちょっと残念だったけれど。(やっぱ私は踊り手の顔が見たい)
フラメンコを知らない人でも楽しめる内容、構成。作品としての完成度はピカイチ。
衣装も華やかで素晴らしい。
小松原舞踊団での経験、大学の芸術学部での学び、スペイン人たちとの共演、そして自らが主となって作ってきた数々の舞台。そんな経験がぎゅっと凝縮されての舞台だ。
特に良かったのが振り付け。群舞も、全員が同じ振りを客席に向かってするだけではなく、フォーメーションを考えて、工夫されている。また、一人だけがいつも前のセンターというわけではなく、それぞれに見所をちゃんとつくっている、という感じ。また、群舞でも違う振りをするところもあり、タンギージョなどでは個性も垣間見える。
40年のキャリアはだてじゃない。

さて、次は何を見せてくれるのか? 楽しみなことである。

でもその前に、これ、文化庁かどこかお金出してもらって、ぜひ、スペインでもやってもらいたい。日本とスペインの文化の融合、このレベルまで、ってあまりないですよ。








 

2017年11月3日金曜日

日本のフラメンコ アルハムブラ、ソラジャ・クラビホ、ホセリート・フェルナンデス

西日暮里の老舗スペイン料理店&タブラオ、アルハムブラで、来日したばかりのソラジャ・クラビホとホセリート・フェルナンデスを迎えての西日フラメンコ交流とでもいうべきライブ。

1部のトップバッターは田中菜穂子。男装でのファルーカ。男装がよく似合う。
ファルーカというと、男性的な直線的な動きで、ギターがサパテアードと絡んでいく、というのが定番。が、ここではパリージョ、カスタネットを使うのだ。初めて見た。
彼女が師、ロシオ・アルカイデに学んだものだという。
通常は歌は最初に少し入るくらいなのだが、ここでは歌もたっぷり、というのも珍しい。
カスタネットを手につけているので、ファルーカの特徴である直接的な腕の動きが少なくなってしまうのはちょっと残念。また、せっかくカスタネットを使うなら、サパテアードとギターの掛け合いで見せるような、音の競演が見たかったかも。
通常、それを使わない曲目で使うならば、ああ、これだから使うんだ、と納得させることが必要なように思う。それだけ難しいことにトライしたわけで今後が期待。

二人目の野上裕美はアレグリアス。ここで出演者全員が舞台に上がってクアドロ風に。
上がっていたのだろうか。曲の間中、ずーっと怖い顔。真剣さの表れかもしれないが、アレグリアスには似合わない。ニコニコ笑わなくとも、せめて口角上げて、アレグリアスのアイレ、空気を表情でも表現するべきだと思う。踊りは体の動きだけでなく、顔の表情や衣装なども含めて表現するものだ。

1部の最後を締めたのは、お久しぶりなホセリート・フェルナンデス。
フェステーロ風にブレリアを歌い、そこからソレアへ。
サパテアードで押していく、きっちり構成された今風のソレアではなく、マルカールとサパテアードでの、昔風の、アイローサな、雰囲気のあるソレアで、かえって新鮮。とにかくナチュラルなのだ。気負ったところの全くない、普通の、自然なフラメンコ。ああ、こういうのって、日本にはないよなあ。

2部はクアドロ風に全員舞台に座って。
瀬戸口琴葉はシギリージャ。動きはいい。が、シギリージャらしい重みが感じられない。フラメンコのペソは年齢によって得られるところも多いので仕方ないのかな。フレッシュなシギリージャも決して悪くはないのだが、やはり重みが欲しい。振り付けのメリハリ、歌との関係、まだまだ学ぶことは多いだろう。他の曲を見てみたい。

正路あすかはソレア。以前見たものとは全く違う、ドラマチックなもの。といっても芝居仕立てなのではない。表現がドラマチックなのだ。グラナダ風の小さなブラソが彼女らしさになっている。ただ少々長い感じがあるので、あともう少し整理できればもっと良くなるのではないか。

閉幕を飾ったのはソラジャ。バタ・デ・コーラでのアレグリアス。シンプルなバタはセビージャ風の豪華なバタではない。が、元気はつらつなソラジャには似つかわしい、かも。
歌と掛け合いしたり、鉄火肌フラメンコの面目躍如。
慣れない共演者でも、ミュージシャンをリードしてしっかり仕事をしているソラジャはやっぱりすごい。キャリアはダテじゃない。

最後は全員でフィン・デ・フィエスタ。
フラメンコはいいなあ。日本とスペイン、距離が一挙に縮まる。

追記
舞台で、日本人のカンテでスペイン人が踊るのを見たのは今回が初めてだったので感慨ひとしお。私がスペインに行った三十年前は、日本人のライブはギター伴奏のみが定番で、歌が入るのは特別な公演の時くらい、という時代でありました。それが今や、プロではない生徒さんクラスのイベントなどでも歌が入る。すごいなあ。もちろん、スペインのレベルからしたらまだまだです。
今回の歌い手さんも、口跡がいいというのか、レトラが聞き取りやすいな、いろいろなレトラをよく知って歌ってらっしゃるな、すごいな、とは思いましたが、正直、あれ、ここでそのレトラはないんじゃないか、とか思ったり、タイミングにうーん、と思ったりもしました。
ここでそのレトラ、という感覚、これはどこかに決まりが書いてある、とかいうわけではないので、あくまで例えばですが、リズムを上げた後とかにはシリアスすぎるレトラは来ないよなあ、とか、そういう感じのことなのですが。スペイン人の歌い手を見ていてこんな風に思うことはほぼないので、なんか不思議な感じでした。ちなみにこれは彼女にだけでなく、他の日本人の歌い手さんでも感じたことはありますよ。念のため。
ま、踊りが歌を引っ張るわけではあるのですが、歌が始まってしまえば、踊りもそちらに合わせねばならないところもあり、なので、難しいですね。
いい歌があると自然に体が動く、というようなことは実際あると思いますし、ソロとしてのカンテは上手でも舞踊伴唱の経験がない場合、うまくいかないこともあるでしょう。
ソラジャは日本人の歌い手の歌を、引っ張って、自分の踊りの中に入れていきました。すごいなあ。今へレスに住んで、若手の歌い手やギタリストたちも、彼女との共演で学ぶことが多いと感謝されているそうですが、さもありなん。彼女からは踊り以外にも学ぶことがたくさんあるはず。共演の機会がある日本人はラッキーです。

追記の追記
今日、あるアルティスタと話していて気づいたのですが、レトラの選び方が、という批評ということは、それだけレベルが高いアルティスタだから、ということでもあるのですよね。発音、コンパス、音程、レトラの知識、踊りの知識、と一通りのことができているからこそ、歌詞の選び方などで不満が出てくるわけで。
30年前、歌のないフラメンコが普通だったことを思えば、本当、時代は変わりました。
すごいな。頑張れ、日本人カンタオーレス!









2017年10月29日日曜日

日本のフラメンコ 高橋英子「Vente a mi Cueva私のクエバ(洞窟)で待ってます!」

ガロルチでの高橋英子のライブは「ベンテ・ア・ミ・クエバ」、直訳だと私の洞窟においで、だが、タイトルとしては私のクエバで待っています、とか。

フラメンコで、クエバ、洞窟といえば、グラナダのヒターノたちが暮らしたサクロモンテの洞窟のことで、家であり、フラメンコを見せる店であり…グラナダで長く暮らした高橋ならではのタイトルだろう。実際、クエバを持っていたのだと聞いたことがある。

第一部は、グラナイーナからファンダンゴ・デ・グラナダ、タンゴと進む、グラナダ・アンソロジー的曲で開幕。私が彼女の踊りを見るのは何年振りだろう。以前の印象、とにかくプーロな感じのフラメンコとはだいぶ違う。正直、ちょっとひやっとするところもないではなかったが、小さめのブラソがグラナダ風で、雰囲気がある。個性的だ。
鈴木尚伴奏での石塚隆充のカンテソロはソレア。歌とギターはあまり相性がよくないようにみえたのは気のせい? 
大塚友美のバンベーラ。舞台に出てきた時、肩にかけた長方形のシージョで、カルメン・レデスマみたいと思ったのが当たりだったようだ。カルメン風ではあるのだが、カルメンやコンチャ・バルガスのような、シンプルな振りは本当に難しい。
プログラムだとこれで終わりのはずで、場内放送もあったのだが、舞台からもう一曲、と声がかかり、高橋のソロ。タンバリンを使ってのサンブラ。ギターの古い響き。雰囲気がある。
高橋の踊りは、クエバ風というか、劇場の大舞台でのような大きな踊りではなく、クエバのような限られた空間でのような、小さな、親密な感じのものだ。

第二部はクアドロとなっており、実際、舞台に出演者全員がいて、一緒に歌い、踊ると言う形。タイトルにあるように、高橋のクエバにやってきてフィエスタをしているという趣向。ちょっと芝居掛かった喋りがあったり、昔のタブラオのクアドロ風のハレオを歌ってパルマで遊んだり。高橋は歌い、語り、踊る。
グラナダのフラメンコの名物おじさん的存在、クーロ・アルバイシンのように、芝居っぽく語り始めたかと思うと、エネルギッシュなクエバのおばちゃんのように、歌い踊る。
自由に、フラメンコを遊ぶ。歌がうまいわけではない。でも大好きで歌っているのが伝わってくる。フラメンコの楽しさを伝えようと頑張っていることが。

細かいことを言ったらきりがない。
ハレオ(ニーニャ・デ・ラ・ベンタとかサペサペトか、これ、昔エンリケ坂井さんのパルマ教室でやってたのと同じで懐かしい)は全員で一緒に歌っていた方がそれっぽいし、スペイン語の語りはもっとオーバーに芝居掛かって、それこそクーロのようにやっていいと思う。台本はないんだろうと思うのだけど、あるのかな?もっと工夫できるかも。
カルメン・ポルセルが化粧しないのはアレルギーかなんかなのだろうか? 美人さんなんだから口紅とかつけた方がもっと綺麗だと思うし、彼女のルンベーラももっと芝居がかるというか、オーバーなくらいに入り込んでやって欲しいところだ。
そう、こういうのってその気になってやった方が勝ちなのである。

それでも、フラメンコの伝統も、空気も、生活も、何もないけれど、少しずつフラメンコへの愛が育ってきた日本に、フラメンコってこんなに楽しいのよ、フラメンコにはこんな楽しみ方もあるのよ、と全身で語りかけてくる。

そうなんだよね。
スペインにはいろんなフラメンコがある。
決して舞台の上だけのものではないし、シリアスなものだけでなく、コミカルなものもある。やったもん勝ち、楽しんだもん勝ち、なところもある。もちろん、一人でやるものではないから、周りや自分を見極めることも、空気を読むことも必要だ。でもまずは楽しもう。眉間にしわよせて踊るだけじゃもったいないよ。観て楽しみ、歌い踊って楽しむ。
うん、みんなでもっと楽しもう、フラメンコを。





















2017年10月14日土曜日

日本のフラメンコ 南風野香「パドトロワ 白鳥の湖」

芸術の秋。日本人によるフラメンコの劇場公演も目白押し。
その中で目立つのが小松原庸子舞踊団出身者だ。平富恵、谷淑江、石井智子ら毎年のように劇場公演を行っているし、今年からスペイン長期留学する田村陽子も去年までは常連だった。そんな中、今年は南風野香と青木愛子も劇場公演を行う。青木の公演は私のスペイン帰国後で残念ながら観ることが叶わないが、南風野の初めての(だと思う)公演を13日、光が丘IMAホールで観ることができた。

これまでの誰の公園でも見たことのないような、独特な作品である。

名作バレエとして知られる「白鳥の湖」をモチーフにしつつも、そこで展開される物語は、白鳥の湖そのものをフラメンコ化したものなどではない、全くのオリジナルのもの。

簡略化して言うと、バレリーナとして成功し、娘を得た昔のバレエ仲間を羨み、すでに転向していたフラメンコに誘い込み、屈折した復讐を試み、それを果たす、という話。

その女とその昔のバレエ仲間と娘の三人の関係をパドトロワに見立てているというわけなのだろう。
だが、そこに、フラメンコとの神秘的で運命的な出会い、母による娘の支配、娘のスマホへの逃避と依存などのテーマも加わり、また、劇中劇のような発表会はちょっとした息抜きともなる。

そんな複雑な物語を、正確に観客に伝えることの難しさを感じてのことだろう、あらすじが文字で映し出される。一部の最初には場面を表すビデオも挿入されるし、舞台上の実際の人物が映像へと変化するような、プロジェクションマッピング的な試みもあったり。
カルロス・サウラの映画「カルメン」の「カルメン」の制作過程と物語が絡み合う重層構造にもちょっと似ているかもしれない。

音楽は録音と、エミリオ・マジャのフラメンコギターとナタリア・マリンの歌、三枝雄輔のパルマとカホン、2台のトランペット、チェロ、バイオリンによる生演奏。全員が舞台のすぐ下の客席に、オーケストラボックスの感じでいて、観客と同じように舞台を見て、演奏している。チャイコフスキーの白鳥の湖のモチーフがフラメンコギターやトランペットで演奏されたりするのも面白い。

また白鳥の湖の四羽の白鳥をホタで踊った場面と、発表会のシーンで、喧嘩しながら踊るユーモラスなガロティンは出色の出来。真正面から取り組んだフラメンコだけでなく、肩の力を抜いた、こういった応用ができるのは余裕がある証拠だろう。長年の経験はだてじゃない。

小松原舞踊団時代は華奢で繊細な、天使のような透明感、という印象がある南風野なのだが、ここでは百一匹わんちゃんのクルエラのような悪役を嬉々として演じ、好演。
ソロはソレアとタラントの2曲だけだが、構え、というか、立ち姿やちょっとした動きに、彼女の師である小松原の影が見える。一見、似ていない二人だが、ふとした動きやポーズが驚くほど似て見えるのだ。面白い。
その小松原もフラメンコへの道へと導く赤い月の化身として特別出演。圧倒的な存在感だった。
娘役の内城紗良も、母役で友情出演のダンサー、佐々木想美もいい。群舞もしっかりしている。

フラメンコを見慣れた目には、幕開けで見せたバレエ的なマイムの表現力に改めて感心したり、佐々木のコンテンポラリーのソロも新鮮だし、演出でも、客席も舞台になったり、と様々な工夫が凝らされ、小松原舞踊団好演の美術も務める南風野の夫、彼末詩郎の舞台の上の人たちをより美しく見せるような、決して出すぎることない美術もいい。美しい2時間の舞台も飽きることなく観ることができた。

説明の言葉を映写したり、は意見の別れることだろう。舞踊は舞踊だけで、言葉にはできないものを伝える力がある、と私も思う。
初めての舞台で、伝えたいことがありすぎたのかもしれない。
でも今の彼女はこれがやりたかったんだからそれでいい、と思う。
作品の中心の三人はもちろん、舞台上のすべての人が、ものが彼女の化身だったのかもしれない。



2017年10月13日金曜日

日本のフラメンコ 平富恵「Hokusai Flamenco Fantasy葛飾北斎の浮世絵世界」

10月11、12日の両日、日本橋公会堂で3公演が行われた平富恵スペイン舞踊団公演「フラメンコで綴るジャポニズムHokusai Flamenco Fantasy葛飾北斎の浮世絵世界」。
休憩を挟んで2時間超、最近、各地で展覧会が開催されるなどまたブームになっている?北斎の絵をモチーフに、日本語のオリジナル詩で綴っていくという力作、大作。
一見すると、立ち姿の美しい、たおやかな女性だが、その中身は勇気溢れる、男前なフラメンカだ。

最初にビデオで簡単な北斎の紹介があり、今日の作品のモチーフになった絵を見せる。

最初の場面は富獄三十六景。富士山をバックにグラナドスでクラシコエスパニョール。フラメンコだけでなく、常にクラシコへのレスペト、リスペクトを舞台で表現する彼女ならでは。

ゲストはかつてラ・ウニオンのコンクールでも優勝した、エドゥアルド・ゲレーロ。彼のソロは獅子図のイメージで。ジェルバブエナやアイーダ・ゴメス、ロシオ・モリーナ舞踊団で活躍した身体能力抜群のエドァウルドと津軽三味線の浅野祥との絡みが面白い。

続くギターソロはアントニオ・レイ。ミネーラ。技術はあるのだが、曲の構成とか、作曲としてみた場合は今ひとつか。洞窟の中で弾いているようなリバーブには辟易。

鳳凰図をイメージして、黄色のバタ・デ・コーラに青緑?と赤のマントンで平のカンティーニャ。黄色の衣装の胸から腰に付けられた飾りのせいかちょっとインド風にも見える。バタさばき、マントンさばきはさすがの安定感。本当に姿がきれいな人だ。

屏風七小町は、小野小町をモチーフにした7枚の絵、それぞれを踊り手たちのソロで表現していくというもの。グアヒーラ、ファンダンゴ・デ・ウエルバなどそれぞれに曲を変え、工夫を凝らした場面だ。
ここで初めて日本語の歌詞の内容が聞き取れた。それまでも歌われていたのだが、歌詞を聞き取ろうと集中しても聞き取れなかった。書かれて意味がわかる詩でも、歌われて自然に聞き取れるようにするのは難しい。フラメンコはスペイン語のものでも聞き取りはそう簡単ではないのだから普通? いや、でもそれではあえて日本語の歌詞にした意味がない。古風な言葉遣いということもあるだろうが、メロディに乗せて聞き取れる歌詞というところをもう少し考えても良かったのではなかろうか。。グアヒーラで聞き取れたのは、もともと普通の歌に近いメロディと、女性歌手、奥本めぐみの唱歌を歌っているような口跡の良さによるところだろう。あまりフラメンコ的ではないがかえってそれがここでは生きた。一方、この舞台の音楽監督をつとめた石塚は3公演の最終回ということもあって喉の調子が悪いのか、芯がなく音程も乱れがちで非常に残念。

休憩をはさんで百物語の小平二、番町皿屋敷、はんにゃをイメージした場面。ここでもそれぞれの絵を永田健、河野睦、久保田晴菜が踊るというもので、一部の最後の場面に重なる。絵のイメージの衣装やポーズなど工夫しているが、一部の最後と重なるところもあり、どっちかだけでもよかったかも。

春画として有名な「海女と蛸」は平のソロ。エロチックな原作の蛸はマントンに化け、ライトにして、コケティッシュに、ユーモラスに。こういうフラメンコが踊れるのは財産だ。

男浪女浪はフラメンコギターと津軽三味線の競演。浅野はここでもフラメンコに近づこうという姿勢を見せるのだが、アントニオは俺についてこい的姿勢を崩さず非常に残念。フラメンコギターと三味線の共演はこれまでにも行われており、25年以上前にカナーレスやカニサーレスもやっており、仕事で関わったが、どちらも彼らの方からも歩み寄っていた。アルティスタのキャパの問題?

雷神図はブレリアで。アンダルシア舞踊団的マリオ・マジャ的椅子に座って。畳み掛けるサパテアードはなるほど雷鳴のようでもある。

エドゥアルドと平の二人で踊るタラントは、パレハ的な絡みはほぼ皆無。ひたすら二人で同じ振りを踊り続ける。相手すら見ないエドゥアルド。これじゃ二人で踊る意味がない。パレハの振り付けができないわけでもなかろうに。これはおそらくエドゥアルド側の問題。いい踊り手だけど考えてみればがっつりのパレハってあまり踊ってないかも?

最後は青い衣装と白いマントンで波を現した華やかで非常に美しい場面で幕を閉じた。

スペイン人いなくてもよかったんじゃない?っていうのが正直な感想。二人ともいいアルティスタなのだけど、この作品ではミスマッチ?というか、どうしても彼らがいなくてはならない必然性が感じられない。
日本人だけで、日本的なテーマでも十分フラメンコで、スペイン人があえている必要はなかったように思うのだ。

また、日本語でフラメンコを歌うのが無しとは思わない。ジャズだってシャンソンだって日本語で歌うことで世に広まったと云う点もあるし、うまくそうやって広まってくれればむしろうれしい。
けれど、やるからにはきちんと歌詞が聴こえて理解できるように、なおかつフラメンコ曲から抜け出ないようにしてほしい。その二つをしっかり実現することが難しいのはもちろんわかるけど、そうしてこそ、日本語で歌う意味があるのではないだろうか。
スペインの、スペイン語のフラメンコでも歌詞とメロディが合わず聞き取りにくいこともある。発声や歌い方のせいでききとれないこともある。
でもだからと言って、日本語で聞き取れなくてもいい、というわけではないはずだ。
トライする気持ちは素晴らしい。だがだからこそより完璧を目指してほしい。

また群舞ではほぼほぼ全員が正面向いて同じ振りというのが多かったのも残念。自分のおどりだけに集中するだけでなく、群舞の振り付け指導も、というのはハードだろう。だけどやるからには、であろう。そして踊り手としてだけでなく、振付家としてのレベルアップへとつながることだろう。

とにかく美しい大作。制作はさぞや大変だったろう。お疲れ様でした。










2017年10月9日月曜日

ギジェルモ・マックギルen Yokohama Jazz Promnade

横浜のみなとみらい地区で開催されたジャズ祭Yokohama Jazz Promnade。
10月7日8日の二日間、地区のホールや街角で有料無料さまざまなコンサートが開催されるこのフェスティバルに、はるばるスペインからやってきたのがギジェルモ・マックギル。ウルグアイ出身のドラマーであります。
彼の名を聞いたことがあるという人もいるかもしれない。チャノ・ドミンゲスのグループで活躍、私もそこで知り合った。もう20年も前のこと。その後、彼は歌い手で踊り手のアナ・サラサールと結婚。なんてこともあり、フラメンコとも縁が深いジャズマンなのであります。


ランドマークホールのトリとして1時間の演奏。おジャズでございます。それも昨年発売のCD収録の曲中心。聴いていると自然に身体が動いてしまうような感じ。
今回のグループにも、ピアノやサックス、ウッドベースのほか、ヘレスのフラメンコギタリスト、フアン・ディエゴが加わり、フラメンコやラテンなテイストも盛り込んだ、でもよくあるラテンジャズとはちょっと違うギジェルモの世界に酔った一夜でありました。

追加
後日、プログラムを読んでいたら、なんと!亡き堀越千秋画伯へのオマージュのコンサートでフラメンコが加わった公演もあったそうな。

2017年10月8日日曜日

日本のフラメンコ「デ・デリリオス 始まりはいつも妄想」

宮川静代、黒木珠美、井上圭子、塚原利香子。4人の踊り手による舞台「デ・リリオス 始まりはいつも妄想」は10月8日ガルロチで。

黒いお揃いの短めのスカートでのマルティネーテによるオープニング、ミュージシャンたちによるブレリア、踊り手たちそれぞれのソロ、そしてアンダハレオでのフィナーレ、というシンプルな構成。

宮川静代のガロティンは帽子を太鼓のように叩いたりと工夫があって面白い。茶系のチェックのツイードみたいな、キュロット風の幅広パンツは、乗馬にも使う帽子からの連想で乗馬風にしてみたのかな?んー、なら上は白いブラウスとかの方がよいのではないだろうか? 赤とかの黒とかレースとか超ミスマッチな気が。トップスにあわせるなら下は黒のパンタロンかスカートじゃないかなあ。最初の場面が黒いスカートだからかぶりを避けたのだろうか。謎。衣装が気になって踊りどころじゃない。

黒木珠美はソレア。そつなくこなす。丈の短いジャケットを合わせた衣装は、私的にはマヌエラ・カラスコ。一通りこなしてるし、よく動けるけど、なんだろう、もうひとつなにか力強いものが欲しい気もする。さらっとしている感じ。


短い休憩をはさんで、井上圭子はマントンにバタ・デ・コーラでアレグリアス。まだ照明が暗いうちからしっかりバタをさばく。アレグリアスはカディスの曲だが、彼女のアレグリアスはミラグロス・メンヒバル直伝というこよで、いかにもセビージャ!な、優雅で、女性らしく、華やかなアレグリアス。ミラグロスのような表情だけでなく、マティルデみたいな感じも出て来たり。またミラグロスの伴奏でラファエル・ロドリゲスがよくやる、ポピュラーソングを入れるところも、ギターの鈴木淳弘がちゃんとやってくれたので、ミラグロス好きは思わずにやり?これぞフラメンコ!な一曲でありました。最後引っ込むところは半年まえに亡くなったバレエの恩師に踊っているのが伝わってきて涙。いやあいいアレグリアスでした。思いっきりマントン使える、大きな舞台で観たいなあ。

最後は塚原利香子が宝塚の王子様のような白いミリタリー風トップスに黒のパンツ、ブーツでのファルーカ。男装のファルーカは定番だけど、こういうのは初めて。パンタロンについてた飾りが最初の宮川さんの衣装の飾りに似てたので同じ人が衣装担当なのかなあ。歌もカンパニジェーロの歌詞だったり、そして最後はブレリアになるし、ちょっと変わった感じ。いつものファルーカのワンパターンをきらったのかな? 目線が下に落ちがちなのもちょっと気になってしまう。あ、衣装はタイトルの“妄想”なのかな。わかんない。

いろんな人がいていろんなフラメンコがあるんだね。でも一曲だけではまだ見えないものもたくさん。またぜひ舞台やって、みせてください。












2017年9月29日金曜日

日本のフラメンコ「レエンクエントロ・フラメンコ・ライブ」

小島章司フラメンコ舞踊団出身の踊り手たち5人によるレエンクエントロ・フラメンコ・ライブは9月28日南青山マンダラで。


前田可奈子の企画で集まったのは、現在名古屋の萩原朋子、仙台の藤井かおる、鍵田真由美/佐藤浩希や石井智子らの公演にも出演するなど活躍中の松井知也、この中では一番のベテラン時枝典子。90年代後半から2000年ごろに同じ舞台に立っていた仲間たちによる舞台だ。

阿部真のカンテ、松村哲志のギターをバックに、セビジャーナスのオープニングのあと、萩原がティエント/タンゴ、藤井がソレア、松田はグアヒーラ、ブレリアのギターソロを挟んで、時枝のシギリージャ、前田のアレグリアス、最後は全員でタンゴ。
なめらかな動きの萩原、藤井も流麗な動きだがソレアらしい重みもある。松田のグアヒーラは中折れ帽を使って。ソロを見るのは初めてだが、以前より体幹が強くなった感じ。曲も演出で色々できそうで大切にしたい曲だろう。時枝は曲の中に自身がグッと入ってくる感じ。前田のアレグリアスもやはり動きがなめらかで軽やかに。この優美で流麗な動きが小島門下の特徴かもしれない。品がいいんだね。
皆、髪も衣装もきちんと整え、真摯にフラメンコと取り組んでいる、気持ちのいい公演だった。

だが、色々考えさせられたこともないではない。
フラメンコ曲を踊る、ということは、そのフラメンコ曲が持つキャラクターを演じることでもある、と思う。だからその曲が持つ気分、雰囲気、ソレアならシリアスに、シギリージャはソレアよりもっとシリアスで深刻でドラマチックで、アレグリアスなら楽しく明るく、といったものを、その曲を踊る者が、観ている人たちに感じさせねばならない、のではないか。
また小さい会場での目線や表情。客に全部見られるだけに、客を見るのか、その先のずっと遠くを見るのか。客とコミュニケートするべきなのか、異世界に行ってしまうべきか。日本人は全体的に無表情、ポーカーフェイスで何を考えているかわからない、とよく言われるが、踊るときの無表情はどうなんだろう。無機質なフラメンコを表現?うーん。ちょっとした細かい表情も振り付けのうち、なのかもしれない。その曲の気持ちになっていれば自然に出るものなのかな? そこらへんも色々難しそうだ。
他にも、一つの振りの最後をきちんと終えて、句読点を打つようにきちんと止まった方が、見ている方には気持ちが良いと思うのだが、次の振りを考えてか急ぎ足で行ってしまうと、ちょっと残念。構成でも起承転結というか、考えた構成が必要かも。
そういったことも含めて、演出を工夫すると、振り付けとして仕上がっていても、曲としての仕上がりは、もっと良くなるはず。上手な人たちだからこそ、さらに上を目指してほし。うん。フラメンコは難しい。そしてだから面白い。







2017年1月24日火曜日

ニーム・フラメンコ祭ビセンテ・アミーゴ

ニームのフラメンコ祭、閉幕を飾ったのはビセンテ・アミーゴ。

Festival Flamecno de Nimes Jean Louis Duzert

内容的にはビエナルとほぼ同じ感じ。
レバンテからのソレア、タンゴ。ルンバ、ブレリア、速いリズムのシギリージャ。
Festival Flamecno de Nimes Jean Louis Duzert

ブレリアではチョロが踊り大喝采。

Festival Flamecno de Nimes Jean Louis Duzert
なんだけど、セビージャで見たときのような、偉大さ、というか、すごさはあまり感じなかったのだよね、正直なところ。なんかキャッチーなメロディのルンバばっかりみたいな感じで。なんでだろう。
シギリージャはやっぱ面白いけれど。

そのシギリージャも収録した新譜もうすぐ発売だそうです。

2017年1月22日日曜日

ニーム・フラメンコ祭ダビ・カルピオ

17時からの高校講堂でのリサイタルは、ダビ・カルピオ。
飛行機に乗り遅れたというマリア・テレモートの代わりに急遽舞台に立つこととなった。
というのも前日の、マヌエル・リニャンの舞台で伴唱していたから。
ニーム出身のギタリスト、アントニオ・モジャの伴奏で、ぶっつけ本番でリサイタルに挑む。


最初はトナー。しっかりと歌い上げる。

「本当は、もっと別の形でここの舞台に立ちたかったけど、これも入るべき時に入るべきところにいたということで」
と話し、続いてはマラゲーニャ。
講堂とは言っても、広めの教室のようなところで、マイクなしの舞台。
なので、微妙な節回しやニュアンスもしっかり伝わる。いいね。
アレグリアス/カンティーニャ、ジャーナリストたちに捧げたソレア、シギリージャ、そしてブレリア。

ヘレスの伝統をしっかりリスペクトしながらも彼流に噛み砕いて歌っている。いいね。
 1975年ヘレス生まれ、というから、え、もう41歳?
 若くしてヘレスから出て、舞踊団伴唱を長く務めていたという。
ヘレスに帰ってきてから、ヘレスの踊り手たちの伴唱を務めるようになり、それが今では他の、第一線の踊り手たちの伴唱も務め、またソロでもあちこちで歌っているし、CDも出している実力派。

いやいや、また是非聴きたい歌い手だ。

ニーム・フラメンコ祭講演ペドロ・ペーニャ

今年のニームのフラメンコ祭は昨年亡くなったレブリハーノに捧げられている。
そんなこともあって、今日の講演はペドロ・ペーニャ。聞き手には伝説のフラメンコ番組「リト・イ・ヘオグラフィア・デ・カンテ」の司会を務め、現在もラジオでフラメンコ番組を持つ、ホセ・マリア・ベラスケス。


最初にペドロの紹介があり、かつてのビデオを挟みながら、ペドロが書いた「ヒターノス・フラメンコス」という本に触れながら、フラメンコの思い出を、ヒターノを語る。
母ペラータを、なんとも言えない神秘的な痛みを持つ声、と評しつつ、ぐっと、言葉に詰まる場面も。

本で、「僕はフラメンコになったのではない、フラメンコとして生まれたのだ」と語るペドロ。ヒターノは、ビベンシア、その生活体験こそが重要なのだ、とも語っていた。さもありなん。

最後は、息子ペドロ・マリア・ペーニャのソレアをペドロが伴奏し、

 ペドロの歌うシギリージャをペドロ・マリアが伴奏
心のこもった、真実あふれる歌に、演奏に、観客は盛んな拍手をおくっていた。

さて、これから飛行機に乗り遅れたマリア・テレモートの代わりに歌う、ダビ・カルピオを見に行ってきます。
夜はビセンテ・アミーゴ!

2017年1月21日土曜日

ニーム・フラメンコ祭マヌエル・リニャン「レベルシブレ」

昨年のヘレスのフェスティバルで初演したマヌエル・リニャン「レベルシブレ」
オランダのビエナルに引き続き、ニームにも登場。この後、ロンドンのフラメンコ・フェスティバルにも行くというから、昨年のヘレスで初演された作品一のヒットといえるかもしれない。
Festival Flamecno de Nimes Jean Louis Duzert


黒いバタ・デ・コーラに黒いマントンのリニャンが踊るブレリアに始ま流。ロマンセ、パンデレータすなわちタンバリンのリズムで、紐を使ってのホセ・マルドナードとのデュオも絶品! 

Festival Flamecno de Nimes Jean Louis Duzert
最初無伴奏で歌われるティエントもいいし、続くタンゴは現代的な超絶テクニックの中にグラナダの婆様たちのイメージが挟まれているのが面白い。
紐でリンクを作って、バタのピニョーナとリニャンが踊るアレグリアスはトロンボのレフェリーでの戦いのように。

Festival Flamecno de Nimes Jean Louis Duzert
勝利したと思ったらトロンボのパソを挟んでの2回戦ではピニョーナが男装、リニャンがバタで同じ振り。
Festival Flamecno de Nimes Jean Louis Duzert


女性がパンタロンで踊るなら男性がスカートはいたっていいじゃない?
男らしさ、女らしさ。それはそれぞれ魅力的な要素でもあるけれど、それに縛られ過ぎるのはどうなのかな、という問題提起か。

最後、再び、バタでのリニャンのソレアは、コロカシオンは男性的だけど、バタ。
その形が気持ちいい。
最後バタで舞台にまかれた赤い花を拾っていきスカートをあげるとこぼれるように花があふれる、という演出も面白い。

最後は観客が総立ちで拍手。よかったね。



2017年1月20日金曜日

ニーム・フラメンコ祭ミゲル・アンヘル・コルテス





Jean-Louis Duzert
ミゲル・アンヘル・コルテスはビエナルで初演したリサイタル「ソナンタス・エン・トレス・モビミエントス」。

3台のギターが飾られた舞台に登場したミゲル・アンヘルはまずは真ん中のギターを手にとり、弾き始める。
前半はクラシックな感じ。実際、一緒に公演を行ったクラシックのギタリスト、ホセ・マリア・ガジャルドの作品だったり。 聖週間のマーチだったり。


続くサビーカスのファルーカは下手のギターで。アバニコを手にしたアナ・モラーレスが絡む。
Festival Flamenco de Nimes撮影Jean-Louis Duzert

ああ、2015年秋セプティエンブレ・フラメンコで初演したアナの作品の中にあった曲だ。
アナは完璧な技術と優雅さで見せる。
同じ作品でも演奏していた17世紀のハカラも登場した。
こういう風に、アルティスタたちの間で曲が育まれ、育っていくのだなあ。

後半は上手のギターを手に、よりフラメンコな感じに。

Festival Flamenco de Nimes撮影Jean-Louis Duzert

サンブラ、アレグリア、グラナダのタンゴ、ブレリア。
グラナダのタンゴで再びアナ登場。曲はミゲル・アンヘルの故郷グラナダバリバリなんだけど、踊りはそれほどグラナダを強調してはいない。というのも面白い。

ミゲル・アンヘルは、エスペランサ・フェルナンデスやアルカンヘルなど、主に伴奏で活躍しているけれど、ソロもいいし、いろんなことにトライしていく姿勢も素晴らしい。
スペインではどうもギターが前にあまり出てこないのだけど、外国では、カンテよりも受け入れやすいのかもしれないし、どんどん、あちこちのフェスティバルに出て行って欲しいと思う。 クラシックを聴き慣れている人にもなじみやすいと思うし。違うかな。

歌、というか、コーラスで、マカリネスとダビ・ボニージャが参加している。マカリネスの美しい声は気持ちが良いのだが、うーん、なんというか、こう言ったコーラス風のとか、以前はモデルノ、と言っていたような感じの構成が、今はちょっと古びた印象になってしまうような。正統派のカンテを持ってくると、そちらにどうしても主役がいってしまうから、こういう構成にしたのではないかと思い、それはもちろんありだし、正解なのだろうけど。色々難しいです。




2017年1月19日木曜日

ニーム・フラメンコ祭ヘスース・メンデス

10年ぶりでやってきました、ニーム。
デニムの由来になった、繊維産業街が盛んなこの街は、 フランスで最も古いローマ都市で、現在も闘牛やコンサートが行われるローマ時代の円形劇場や、神殿が残っている古都だが、今年で27回というフラメンコ祭もこの街の名物の一つ。
フランス観光局のホームページでもイベントの第1番に上げているほどだ。

今年のフェスティバルは12日、ロシオ・モリーナの新作「カイダ・デル・シエロ」で開幕。その後、ロシオやハビエル・バロンやミラグロス・メンヒバルをゲストに迎えたラファエル・ロドリゲスのコンサート、エストレマドゥーラの女性たちによる公演、そしてドランテス、アンドレス・ペーニャ&ピラール・オガージャと続いてきた。

セビージャからマルセイユ経由で劇場へ直行してみたのがヘスース・メンデス。
Festival Flamenco de Nimes撮影Jean-Louis Duzert

朗々と歌い上げるそれは見事なトナーに始まり、アレグリアス、グラナイーナ、バンベーラ、ティエント/タンゴ、ソレア、そしてシギリージャ、ブレリア。

Festival Flamenco de Nimes撮影Jean-Louis Duzert
プログラム自体は、ファンダンゴ・デ・ウエルバがなかっただけで、昨年のビエナルでのリサイタルと同じなのだが、ギターが、いつもの相棒、マヌエル・バレンシアだけだからか、かえってより落ち着いた、骨太の、見事なカンテ公演になった気がする。
Festival Flamenco de Nimes撮影Jean-Louis Duzert
マヌエルのギターにはモラオやパリージャ、パコ・セペーロ(ティエントの始まりとか)まで、ヘレスのギターの伝統が息づいていて、それが全部合わさって彼自身のものになっているのがいい。伝統を受け継いだ、真摯で美しい伴奏あってこそ、ヘスースの熱唱も生きると言えるだろう。

最後のブレリアではマイクなしで歌うのだが、パケーラ譲りのこの声量。全公演、マイクなしでもいけたかも、と思わせるほどだ。フラメンコなエコーがいつまでもこだましている、感じ。
Festival Flamenco de Nimes撮影Jean-Louis Duzert

観客も熱心な拍手を送っていた。

マノロ・バレンシアの伴奏も素晴らしく、ビエナルでの公演よりも全体的な印象が良かったのでありました。



Festival Flamenco de Nimes撮影Jean-Louis Duzert











2015年10月26日月曜日

松彩果リサイタル Arachi Flamenca

今をときめく歌い手ホセ・バレンシアとギタリスト、フアン・レケーナ。
エバ・ジェルバブエナやホアキン・グリロ、アンドレス・マリンへの伴唱で知られるホセ。
グリロやファルキートなどへの伴奏でおなじみのフアン。
どちらもソロアルバムを発表している実力派。
その二人が揃って来日して出演したのが松彩果リサイタル。
彼らに加え、セビージャの踊り手オルーコとその妻カロリナ“ラ・ネグラ”(パルメーラでの出演だったが最後ちょっと踊ったブレリアはムイ・フラメンカ)、日本でもおなじみのフェステーロ、ルイス・ペーニャ、とスペイン人アルティスタたちとともに松がつくりあげた舞台はシンプル。

椅子に座った松にホセが歌いかけるマルティネーテに始まり、ギターソロ、ルイスのソロ、バタ・デ・コーラでのアレグリアス。オルーコの爆弾サパテアードが炸裂するソレア・ポル・ブレリア.ルイスが歌い踊るブレリア。オルーコとリレーで踊るタラント、そしてソレア。物語もなければ装置といえるのはミュージシャンたちの座る椅子とその後ろに飾られたマントン、ルイスの最初のソロでコンパスを刻む大きく古いワイン樽、鏡台だけ。

その樽を叩いてコンパスを刻んでいたルイスが暗転できえると再びうかびあがったときはホセとオルーコがコンパスを叩いていたり、タラントが終わった松が鏡台にむかってスカーフを外し、靴を脱ぐ、など、ちょっと“作品”ぽいデテールはあるのだけど、それはそこにぽんと放り出されて、つながってはいかない。それもまた今後の彼女を占う予告編のようでもあり、面白い。
彼女が好きなものがちりばめられた舞台。彼女がみている方向がみえる。
それはすごく遠い道のようにも、近くのようにも思える。

タラント。衣裳についた金色の飾りは、ちゃらんちゃらんと音をたて、ソブリオ、地味で真面目なこの曲にはそぐわない気がするが、タンゴなどでは、インド風?ベリーダンス風?それとも東欧ヒターノ風? という感じもするので使い方によっては面白いかもしれない。踊り自体は、その昔、初めて彼女をみたときのうれしい驚きを思い出させる、ちょっとした動きなどもあった。
マラゲーニャからはじまるソレア。ホセの完璧な歌声をただ聞き入るかのように、少ない動きではじまる踊り。

自分一人、いやもちろん仲間や家族、生徒さんたちの助けはあったろうけれど、企画からなにから自分一人でやり遂げ、感極まったのだろう、アンコールで涙があふれた彼女をつつむあたたかい拍手。
自分が好きなフラメンコはこれなんです。フラメンコを心から愛しています。彼女の思いが
会場をつつむ。これはゴールではない。彼女のあらたな出発点なのだろう。
だいじょうぶ。愛があれば扉は開く。







2015年10月25日日曜日

石井智子スペイン舞踊団公演「ラ・ペテネーラ」

石井智子スペイン舞踊団はシアター1010で「ラ・ペテネーラ」
2011年に初演した作品というが私は初見。

全てを捨て愛に走った女が、恋人に捨てられ失意の中で死んで行くという悲劇だが、
出会いの場は村の広場で、恋人の新恋人(ややこしいけど)との関係を知るのがセビージャのフェリアという設定で、舞踊団員やこどもたち、役者さんとおぼしき壮年男性らも出演する、はなやかな場面と、ペテネーラとよばれる女の苦悩や哀しみ、失意のソロの対比など、よく考えられた構成だ。これを企画にはじまり、資料収集、取材。オリジナルのストーリーを考え、脚本をかき、振付、演出、主演。すべてを石井がやり遂げた、というのには素直に脱帽。
とくに舞踊団への振付、また衣装や髪型、アクセサリーにいたるまで、細部にこだわってよくできている。美術もシンプルにかつスペインの雰囲気を伝えている。とくにフェリアのカセータはセビージャからそのままもってきたみたいだ。大人数を舞台で動かすのは難しいのだが、動きがきちんと整理されており、またカンパニーのレベルも高い。長年のスタジオでの努力の成果なのだろう。フェリアの場面での伝統的な歌詞でのセビジャーナスではこどもたちも踊っていたのが楽しいし、その後、タンゴでの、金持ちグループと庶民グループのさやあてなども面白い。
またスペイン語の台詞やレトラを、スクリーンに日本語訳とともに映し出すことは、スペイン語がわからない観客にもスペイン語の詩をも楽しんでもらえる、親切でいい趣向だと思う。 はやるかも?

恋人を踊るエル・フンコは髪をオールバックにし、髭をはやし、ちょっと闘牛士ハビエル・コンデ (歌い手エストレージャ・モレンテの夫)のようだ。ソロでカンティーニャス、石井と二人で踊るファルーカ。新恋人を踊る青木愛子と踊るグアヒーラ。出番は少ないが、しっかりとした存在感はさすが。
石井は二部のフェリアの場面でのアレグリアスのかろやかさが、彼女本来の魅力をよくだしていたし、最後の渾身のソレアもよかった。

ギターのフアニ・デ・イスラのメランコリックなメロディも映画音楽のようだ。
ちょっと気になったのはパーカッション。シンバルなど、ならしすぎのような感じ。とくに最後の「レジェンダ・デル・ティエンポ」はギターがきこえないほど。

歌い手たちも一丸となってつくりあげた作品。舞踊団の定番として、これからも公演を続けていくことだろう。


2015年10月24日土曜日

田村陽子「ミラーダ/ピアノ・コン・ドゥエンデ」

ペルフィル、横顔が美しい。
ブラソとのコーディネーションでみせる横をむいた姿の美しさ。
こんなにきれいな横からの姿をみせる人はちょっといない。

10月23日、渋谷の大和田さくらホールで田村陽子フラメンコ生活20周年記念公演。
さくらホール、初めてでしたが駅から近く、舞台と客席の近さも舞台の幅の広さもちょうどいいかんじ。
公演は二部構成。一部は5人の踊り手によるファンダンゴにはじまり、田村とヘスース・オルテガとのパレハでのソロンゴ、カンテソロでのソレア、そして田村のタラント。 
二部はフラメンコピアノのソロではじまり、ヘスース・オルテガのファルーカ、ピアノでのシギリージャ、パーカッションのソロがあって、タンゴ、そしてバタ・デ・コーラでのアレグリアス。

物語があるわけではなく、フラメンコ曲をつづっていくコンサート。
踊り手が懐中電灯を手にリズムにあわせて動かすオープニング。踊り手がライトをもって、というのはアンダルシア・フラメンコ舞踊団「イマへネス」にもあったし、ことさら新しい試みというわけではないけれど、伝統のフラメンコだけではない、というイメージを観客に伝えているのだろう。
田村と、彼女と長年パレハを踊っているヘスースのほか、田村と小松原スペイン舞踊団時代のコンパニェーラ、友人である丹羽暁子と屋良有子、宝の3人がいわば群舞だが、いずれもソロで活躍している実力者だけにいわゆる群舞の、そろってみんなが同じことをやっているという感じよりも、同じ方向をむいて違う風に踊っているような感じがある。たとえ振りは同じでも、とくに屋良はその個性/くせが際立って群舞的にはみえない。3人の中で最も形がきれいなのは丹羽。彼女はバタ・デ・コーラのあつかいも巨匠級。田村と二人で踊ったところは今回の公演の白眉だったと思う。もっとみていたかったほどだ。

ソロンゴはソロンゴだけでなくほかの曲なども混ぜて構成。最初のドラマ仕立ての感じなど面白い。田村は表情がいい踊り手で、曲の中にはいっていくことができる人だし、ぜひドラマのある作品もみてみたい。せっかくのパレハの振付なので、伝統的な、男性による女性のサポートなどももっとみてみたい気がした。
カンテソロは長谷川暖伴奏のエル・プラテアオからラモン・アマドール伴奏のダビ・パロマールへ。ダビの古い伝統的なカンテをラモンが完璧にサポートしている感じがなかったのは残念。舞踊伴奏が主で、カンテ伴奏はなれていない?というわけではないとは思うけど。
タラントは今年のラ・ウニオンのコンクールで踊ったものだと思うが、歌い手がかわり、会場がかわり、観客もかわれば踊りも変わる。ラ・ウニオンのような刹那感はなかったけど、風格はさすが。いいタラントであることに変わりはない。

休憩をはさんでの二部。 ピアノ・フラメンコのソロはパーカッションとブレリア。チャノ・ドミンゲスはジャズ、ドランテスはニューエイジ風などそれぞれスタイルが違うが、ペドロ・リカルドはアルトゥーロ・パボンの流れをひく、純粋正統派。セビージャらしさを満喫。
闘牛士のベストと上着をつけてのへスース・オルテガのファルーカは通常、イントロで入る歌を真ん中に入れて変化をつけた構成。めりはりついて面白い。続くシギリージャはピアノで。カスタネットもつかいクラシコ風に。これも面白い試み。女性三人のタンゴに続いてアレグリアス。純白のバタに赤いマントン。難しいことも優しく見えるほど踊り込んでいる。そこに三人が赤いバタでからむ、美しくはれやかな場面。お見事。

あっという間の舞台。出演者のいいハーモニーで楽しく美しい舞台となりました。
田村はへスース、ダビ、ラモンとともに函館、京都などで公演するという。お近くのみなさんぜひ足を運んでくだだい。決して損はありません。