2025年3月8日土曜日

ヘレスのフェスティバル15日目エステラ・アロンソ『ア・ミ・マネラ2.0』、カディス・フラメンコ舞踊団『アクアレラ・コン・サル』

 いやあ、驚いた。こんなフラメンコがあったんだね。スペイン国立バレエ団のエステラ・アロンソの『ア・ミ・マネラ2.0』。私風に、という意味のタイトル通り、国立バレエでもエスクエラ・ボレーラでソリストの役を踊るボレーラの名手が、ボレーラの技術を目一杯使ってフラメンコを踊った作品でございました。

エスクエラ・ボレーラはフラメンコ舞踊の源流とも言える、スペインの古典舞踊。基本、クラシック曲で踊られるものなのですが、それをフラメンコで。フラメンコの草創期の空気を感じさせるような、薄ぼんやりした灯り。ビクトル・エル・トマテのギターにヘスス・コルバチョの歌、パコ・ベガのパーカッション。ダビ・モニスのバイオリンはちょっと私の好みじゃなかったけど、フラメンコの源流の一つであるアラブ風の響きを加えてくれます。といっても、何もフラメンコの源流を表現というわけではありません。バレエシューズで、カスタネットを、クラシックバレエのような跳躍や回転の、ボレーラの技術で、シギリージャやブレリア、アレグリアスといったフラメンコ曲を踊るのです。

© Festival de Jerez/Esteban Abión

バタ・デ・コーラのスカートの役を果たすマントのような巻きスカート?を脱ぎ捨て稽古着のような上下で跳躍や回転を見せて踊るシギリージャ。

© Festival de Jerez/Esteban Abión

カスタネットで踊るブレリア。

© Festival de Jerez/Esteban Abión

何がすごい、って、コンパス感がしっかりしてること。だから、オレ!が出る。超テクニックなのはもちろんで、その姿の美しさだけでもオレ!なのに、コンパスの呼吸がいいから最高に楽しめる。

サパト、フラメンコ靴に履き替えて紅のマントンでの曲はグラナドスのスペイン舞曲アンダルーサだというのがまたつぼ。今年のヘレスでは薄手のマントンをバッサバサ回す人ばかりだったので、ちゃんと重みのあるマントンを、アルテで舞わせてくれたので堪能できました。彼女はブランカ・デル・レイのタブラオ、コラル・デ・ラ・モレリアにも出演しているから、彼女や、国立バレエの監督ルベン・オルモの影響もあるのかもしれません。

© Festival de Jerez/Esteban Abión

そしてまたバレエシューズに履き替えて踊った最後のアレグリアスもこれまた絶品で、全く違うアレグリアスなのだけど、大昔、ヘレスでローラ・グレコが裸足で踊ったアレグリアスを思い出しました。いやあ、これはもっとたくさんの人に見てもらいたい作品です。

20時30分からのビジャマルタ劇場はカディス・フラメンコ舞踊団の公演。これはカディス出身の踊り手ピラール・オガージャ、ヘレスのアンドレス・ペーニャ夫妻のカンパニー。ピラールは健康上の理由で、舞台には出なかったけど、アンドレスと二人のカディス出身の踊り手ピラールの兄フアン、エル・フンコがゲスト出演。その3人と群舞のメンバーとではあまりにキャリアもクオリティも違いがありすぎだけど、5人の女性によるバタ・デ・コーラとマントンのアレグリアスに始まる舞台は、振り付け構成の工夫で最後の曲をのぞいてかろうじて発表会になるのを逃れていたという感じ。

© Festival de Jerez/Tamara Pastora

フアン・オガージャのファルーカ、

© Festival de Jerez/Tamara Pastora

アンドレスのソレア、

© Festival de Jerez/Tamara Pastora

など、ベテラン勢のソロは、ド直球、ストレートなフラメンコで、あらすじやメッセージ性のある作品が続く中、普通のフラメンコの魅力を改めて感じさせてくれた。うん、こういうのがいいんだよ。歌とギター、コンパスで踊る、フラメンコ。アンドレスの長めのブレリアにも酔わされる。

エル・フンコはシギリージャ。

© Festival de Jerez/Tamara Pastora

コンセプトとかあらすじとか、メッセージとか忘れて、いいフラメンコを並べただけのガラ公演みたいな作品もあっていい。その踊り手がより魅力的に見える構成演出だけの作品。

女性群舞の羽根扇でのグアヒーラも一風変わった感じで面白く見られて良かったのだけど、


© Festival de Jerez/Tamara Pastora

そのあとがいけない。群舞によるスペイン語でポプリという、様々な曲のメドレーみたいなのが続くのだけど、全員が客席向いて同じ振りを踊る姿は鏡の前でのクラスレッスンそのもので、これまで背伸びして“舞踊団公演”を演じていた群舞メンバーが発表会に臨む生徒へ戻ってしまった。残念至極。

© Festival de Jerez/Tamara Pastora

© Festival de Jerez/Tamara Pastora

魔法は解け、元の粗末な姿に戻ったシンデレラみたいなもの。グアヒーラで終わっていればめでたしめでたしだった気がする。

あとギター。今回全員カディス県内出身ということだけれどカディス県内にはもっと色々、プロのいいギタリストがたくさんいると思うんですけど。



2025年3月7日金曜日

ヘレスのフェスティバル14日目イスラエル・ガルバン『ラ・エダ・デ・オロ20周年』

 

© Festival de Jerez/Esteban Abión


昨年秋のセビージャのビエナルの後ということもあって、今年のヘレスはすでにビエナルで観ていた作品も多く、そんな中、楽しみにしていたのがイスラエルの『ラ・エダ・デ・オロ20周年』。20年前のヘレスのフェスティバル、2005年2月26日19時、サラ・コンパニアで初演されたあと、世界各国で300回以上上演され続けたロングセラー作品。イスラエルの他は歌い手フェルナンド・テレモート、ギタリスト、アルフレド・ラゴスだけというのも、カホンやフルートなども入ったグループでの伴奏が普通、といった当時、帰ってとても新鮮だったし、この後、この構成で公演する他の踊り手も出た記憶。当時すでにセビージャのマエストランサ劇場で公演するなど、注目の新進気鋭の踊り手だったのに、メイン会場のビジャマルタではなく、小さな会場ということで当然満員。余分の切符を持っている人がいないかと、会場に入る人に声をかける人も入り口にたくさんいたのを覚えています。新しい試みとかをする人の会場はコンパニア、という説明が主催者側からあったということで、それに反発して、ではないけれど、じゃ、フラメンコ・フラメンコな作品を、ということでフェルナンド・テレモートに声をかけたということだったと思います。ここら辺、当時のインタビューで聞いた話なのですが、その記事が今、手元にないのでちょっとうろ覚えなところもあるのですが。フェスティバル側から聞いたのは集客の問題もあり、舞踊団公演と地元出身のアルティスタはビジャマルタ、モデルノはコンパニア、という意識だったのだと思います。ちなみにイスラエルの公演の日のビジャマルタはマリア・デル・マル・モレーノだったし、同年ベレン・マジャとラファエラ・カラスコのコンパニア公演の日はメルセデス・ルイスでした。この地元出身舞踊家優先の掟?は今も健在で、ある意味、このフェスティバルの特色かもしれません。もちろん、イスラエルの公演は大変素晴らしいもので、いろんな曲種がシームレスに演奏され踊られていくというのにびっくりしつつもめっちゃフラメンコな正統派フェルナンドの声にイスラエルの、前衛的とも評される動きやポーズが、心地よくはまって、何度もオレが出たのでありました。フェルナンドが病気になり、亡くなってからはダビ・ラゴスが歌うようになり、これも何度か観ました。

その名作が、出演者を変えて公演というのが今回の公演。すでにニームのフラメンコ祭などでも上演されています。昔、彼のクラスでソレアの歌振りを振り付けた後、違う歌い手のcdをかけて、それで踊りがどう変わるか、というのをやったという話があって、当然、歌い手やギタリストが変われば踊りも変わるはず、と思って楽しみにしていたのです。

イスラエルは髪に花をつけ、丈が長めのシャツに半ズボン。以前のスリムなズボンでの装いとは違います。よりモデルノ?アナーキー?

曲の構成、作品の流れは元のものとそんなに変わっていないのではないかと思います。2018年に妹パストーラが踊ったこともありまして、その時の評に私はこう書いています。

ソレアやカーニャ、マラゲーニャにベルディアーレス、ファンダンゴ、マルティネーテにシギリージャ、タンゴ、ファルーカ、アレグリアス、ブレリアなどなどいろんな曲が続いていく。

今回もそんな感じ。ポピュラーソングをフラメンコに取り入れるのが上手いラファエルということもあってか、パコ・デ・ルシアの曲やパソドブレ、ススピロ・デ・エスパニャなどが挟まれたり。

© Festival de Jerez/Esteban Abión


でも歌が。マリアはウトレーラ出身。フラメンコも演奏するクラシックのギタリストで歌い手でもあり、オランダの大学のカンテ教授。これまでもイスラエルの作品などで何度か観てはいたのですが、いや、こういう、真正面からのカンテ、なんの飾りもないばに引き出されると、色々不足が甚だしいというのが見えてきてしまうのです。いや、そのカンテはそうじゃないって、と突っ込みたくなるところがたくさん。彼女には荷が重すぎたのではないかと。フラメンコのメッカ、ヘレス。シギリージャやソレアをこの街の大舞台で歌うには実力不足だったと思います。全方面に失礼な言い方をするとスペイン以外の国出身のカンテを勉強している人、みたいな歌い方だったのであります。なんというか、楽譜見て歌っているというか、音符通りというか、カクカクしてる。コンパスの中の自由さがないというか。ドからミにいくのに途中をすっ飛ばす感じ、というか。説明するのは難しい。でも彼女を選んだのはイスラエルだし、とは思うのですが、なぜ? なぜ彼女? 本流のフラメンコを壊した先を見据えている?

© Festival de Jerez/Esteban Abión


歌に引きずられた、ということはないとは思うのですが、イスラエルもなんかいつもの私の好きなイスラエルじゃない。フラメンコ曲でも曲がなくとも、コンパスが回っているのを感じられ、微妙な間合い、呼吸にオレを連発せざるを得なくなってしまう、あのイスラエルじゃなくて、別人のよう、とまでは言いたくないけど、なんか肩透かしを食らったような。みんなに賞賛されるのに飽きて、わざとそうしてるのかな、と思ったり。これがこの日だけのことなのか、それとも何かが変わったのか。それを知るためにも今後も見続けたいのは確かだけど。

踊り自体は昔ながらのイスラエル的なポーズや動きもあるけれど、よりボーダーレスになっているという感じ。床に座って、靴音だけでなく手で床を叩く音を組み合わせるなんていうのも面白い。それは進化なのだろうけどそうすることで、彼の中のフラメンコを熱愛する私のように、置いてきぼり感を味わう人もいるのだな、と。で、それはかつてイスラエルのストレートなフラメンコを愛した人が、独自の世界についていけなくて酷評したのと同じなのかもしれないな、などとも思ったり。

うーん。で、今、昨日のビデオとかつての公演のプロモーションビデオなど見比べてみました。やっぱ、全然違うように見えるんですが、どうですか? なんか、昨日のはわざとずらしているような気までしてきた。うーむ、謎だ。やっぱなんらかの意図があるのかな?






いや昨日も上手で見せた回転の最後のとことか、タンゴのちょこっとしたとこ、細かい足とかにおおっとは来ましたが。(ビデオにはありません)

ちなみにカーテンコールでの役割変更も健在で、ラファエルがイスラエルの振りを真似したところが最高でありました。下の写真の後、最後の手をヒラヒラさせるとこが良いのです。


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2025年3月6日木曜日

ヘレスのフェスティバル13日目マルコ・フローレス『ティエラ・ビルヘン』

 ヘレスからも程近い、美しい景観で知られる坂の街アルコス・デ・ラ・フロンテーラ出身、マルコ・フローレスは、フラメンコの起源を民謡やポピュラーソング、また南米に求め、それをテーマにし、スペインや南米の民謡や歌謡曲などをたくさん盛り込んで踊るという作品。マルコはアントニオ・エル・ピパにも似た、ヘレスのおばあさまたちのブレリアを思い起こさせるような女性的なブラソ(ミゲル・アンヘル・エレディアもその系統)が印象的な踊り手。マヌエル・リニャンのバタ・デ・コーラじゃないけれど、フラメンコにおける男性舞踊、女性舞踊のボーダーレス化は進んでいるから、今はそれを自然に受け止めてきている人も多いだろうけど。私は古い世代なのか、気になっちゃう方。また上体をちょっと前倒しにしてお尻が出るような姿勢も好きじゃない。最近結構見ますが、あれ、なんでなんでしょう。


さて作品。踊り手は彼一人。歌い手にヘレスの若手、マヌエル・デ・ラ・ニナ、エンリケ・レマチェとチェロ・パントーハ、ギターにホセ・トマス。ヘレスの面々が出ていることもあってか、地元ヘレスのフラメンコな人たちもいつもより多く客席にいたようだ。

トリージャ的な、畑で牛や馬と仕事をしていた世界を、チェロが牛や馬、鶏を呼ぶ声を出すことなどにより描くところから始まって、

© Festival de Jerez/Tamara Pastora

場面はカーニバルへ

© Festival de Jerez/Tamara Pastora 



その後もマルコは鳥になって

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グアヒーラを踊ったり、

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黄金郷、南米に渡って、


キラキラ光るジャケットでソレアを踊ったり

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メキシコ風?ポンチョを纏ったり

© Festival de Jerez/Tamara Pastora

フラメンコの起源、といっても、イメージを並べたという感じ。袖からの灯りを上手に使った照明の美しさ、特にソレアでバックが黒、衣装も黒なのに、埋もれず綺麗に見せたシーンが印象に残ります。


ヘレスのフェスティバル12日目アントニオ・ガデス舞踊団『カルメン』

 ガデス没後発足した財団による舞踊団での公演が始まって20年。今年はオペラ『カルメン』初演150周年ということで、ガデス舞踊団『カルメン』が1998年に第2回フェスティバルで上演されて以来、2回目の上演。前回とはメンバーもだいぶ変わっているものの名作をこうしてライブで見ることができるのには感謝。映画やビデオもいいけれど、生じゃないとわからないこと、感じられないことがあるのであります。ガデス『カルメン』を観るのは何回目だろうか。86年の来日公演を観たことでフラメンコの深い井戸に真っ逆さまに落ちてしまったということもあるのでありましょう。今回も、あ、ここってこうなってたのか、などという新しい発見があったり、歴代のカルメンやドン・ホセを頭の中で比較して勝手にダメ出ししたり、と舞台を見ながら頭の中はフル回転。最初に見た時のような作品そのものへののめり込みとは違う見方ではありますが、堪能いたしました。結論。名作は何度観てもいい。常に勉強させてくれる。

© Festival de Jerez/Esteban Abión

ここで何度となく、作品は主役 を活かし、より良く見えるように作るべき、とお話ししていますが、この作品の主役はカルメンやドン・ホセではなく、カルメンの物語の中にガデスがみた主題、自由への希求なのだと思います。普通に言えばカルメンやホセが主役なのでしょうが、この作品は彼ら二人だけでなく、舞台にいるすべての人、一人一人を疎かにしておりません。一人一人が生き生きとしています。

© Festival de Jerez/Esteban Abión

そして若いスタイルのいい人だけでなく年配の人や太めの人などもいて、これもガデスの哲学「誰もが踊る権利がある。舞踊団は全員で一つの身体となる」の実践にほかありません。没後20年以上経っても、ガデスのスピリットが生き続けているのだなあ、とそこにも感動。

最初のゆっくり歌われる悲しげなベルデのところですでにうるうる。ビゼーのオペラの曲とフラメンコ がこれほど完璧に融合してる作品はありませんが、何度も登場するベルデの曲も場面によって違う雰囲気で歌われています。

今回ホセを踊ったアルバロ・マドリーは胸を大きく開いた感じが本家本元アントニオを彷彿とさせます。アントニオの美しいポーズの数々を思い出し重ねて見ていましたが、ガデスを真似する、ガデスになろうとするのではなく、ガデスにならってガデスのスタイルで踊っていると思います。
また、ガデス存命時代からいる3人のベテラン男性舞踊手たちの腰の位置、安定感も素晴らしかったです。歌もアルフレド・テハダ、ピクラベ、イスラエル・パスと違う味わいの歌声で楽しませてくれました。

© Festival de Jerez/Esteban Abión


1983年の作品ということもあり、今の作品からすると振り付けはシンプルに見えるかもしれません。でも必要十分で、ムイ・フラメンコに物語を語っていきます。鏡と椅子と机だけで居酒屋や牢獄など、それぞれの場面を作り出していくのも、舞台上のコンポジションも、今見ても見事というしかないです。

© Festival de Jerez/Esteban Abión
こういう名作は何度でも見て、皆で学んでいくべきです。

カーテンコールでのバリエーションも素晴らしく、高揚した気分でバルへとなだれこんだのでありました。








2025年3月4日火曜日

ヘレスのフェスティバル11日目ルイサ・パリシオ『ペンウルティモ・クプレ』

 作品作りは本当に難しい、と再び、思わされたことでありました。

まずはビデオを見て貰えばわかることだけど、限りなく芝居に近い舞台。というか芝居の中にフラメンコが入っていて、演者は歌い踊りセリフを言う。そのセリフが説明的でしかも大量。

セリフの多いミュージカルって感じ。


舞台は20世紀初期のチェリートと言う芸名のスペイン歌謡のアーティストがオーナーの楽屋。お金がなくてろくに食べられなかったとか、儲かったお金は全部自分に使ってしまったとか、などの会話から、いまある女性の権利獲得までには彼女たちの苦労もあった、100年後にはフェミニズム、女性主義なんて言葉がないといいのに、と言う、まあ、なんと言うかちょっとプロパガンダ的なところもある作品。
© Festival de Jerez/Tamara Pastora

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ルイサはマラガ出身で、へーレン財団フラメンコ芸術学校に学び、今は同校教授。ミラグロス・メンヒバルの愛弟子で、バタ・デ・コーラやマントンの技術に定評のある、女性らしい優美な舞踊を得意とする踊り手。昔はミラグロをそのままなぞったミニ・ミラグロという感じだったのが、最近はミラグロに学んだ技術を咀嚼して、しっかり自分のスタイルが出てきている感じで、だから楽しみにしていたのではありますが。
© Festival de Jerez/Tamara Pastora
© Festival de Jerez/Tamara Pastora



この作品でもバタやマントンもしっかり見せてくれるし、流石の美しさなので、それはいいのだけど、お芝居部分がどうしても余計に感じてしまう。
言語の壁を超えて伝えることができるのが舞踊なのに、説明的なセリフを踊り手がいうことで、踊りが主役にならない。ガデスの『血の婚礼』や国立の『メデア』のような名作は、解説を読まなくてもあらすじが理解でき物語の世界に引き込まれてしまう。
また、リニャンが成功したからか、踊り手が歌う、歌い手が踊るのも流行りなのかもだけど、歌い手が歌だけに、踊り手が踊りだけに集中した方がいい舞台になるということもあるようにも思う。ま、これは人によるのかもだけどね。

装置や照明なども工夫して頑張っていたとは思うけど、私は踊りが生きる、踊り手がよりよく見える、そんな作品を見たいのであります。



2025年3月3日月曜日

ヘレスのフェスティバル10日目エドゥアルド・ゲレーロ『ベスティヒオス・デ・ルス』

 踊り手エドゥアルド・ゲレーロの実力に異論はない。今回の新作でも、得意のタンゴなど、ああすごいなあ、と思う瞬間があった。でも作品としては、新作初演ということもあって思うようにいかないところや観客の反応でこの後、変更していくところもあるのかもしれないけれど、なんというか、読後感ならず鑑賞後感はすっきりしない。夢オチ、じゃないけれど、夢だから、何をやってもいい的な構成演出で、統一感がない。ギリシャ演劇のコロスのような、6人の女性歌手たちに囲まれて、エドゥアルドはいっぱい踊るけど、ラ・ウニオンで見た時のような満足感がないのであります。演出が主役より前に出ている、というか。作品はその人の良いところを活かすように作った方がいいと信じているのでちょっと残念。

ヨガの行者のような格好でヨガのポーズみたいに逆立ちしたりするオープニングはエバ・ジェルバブエナの影響が良くない形で出ているような。

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かと思うと黒衣の女たちに囲まれキリスト像のように

© Festival de Jerez/Tamara Pastora

かと思うと黒衣の女たちが衣装の中から取り出すスマホでセルフィー撮ったり。カオス。ま、夢ですからね。

モルテーロという、スパイスなどをすりつぶす金属製の道具でリズムをとってのビジャンシーコ風の曲を女たちが歌ったり、ピストルを向ける女がタンゴなどを歌って、ギターでのソレアで小さい椅子の上で踊ったり。


© Festival de Jerez/Tamara Pastora


女が独白のようにしたり。タンギージョで椅子取りゲームしたり。幕が一度降りたのでこれで終わりかと思うと、幕前に出てきて「ありがとう。誰か歌ってくれたら踊るよ」と客席に降りてきて踊ったり。

© Festival de Jerez/Tamara Pastora


再び幕が開くと白い長い包帯のような布を巻いたり、といたり、まあカオス。

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最後の最後の方で踊ったファルーカでのピノ・ロサーダのギターがめちゃくちゃ良かった。


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2025年3月2日日曜日

ヘレスのフェスティバル9日目アナ・クリスマン『アルパオラ』

人気のリニャンはビエナルでみたので先日の公演が良かったマカニータがゲスト出演するという、ハープのアナ・クリスマンの公演に。 

曲の合間に語ったことによると、ハープに専念したいと公務員を辞めたそうな。ヘレス出身ながら、元々フラメンコともハープとも縁はなく、確か、町で見かけたハープに惚れこみ練習を重ね、フラメンコを演奏するようになったということだったと思う。

短期間で楽器が演奏できるようになるための努力は大変だったろう。そこはすごいと思う。でも、彼女のフラメンコ演奏がどうかというのはまた別の話。

タンゴ、ソレア。ビセンテ・ソトとのシギリージャ、ホセ・バレンシアとのグラナイーナにティエント/タンゴ、マカニータとアレグリアス。

前回やはりヘレスで見た時にも思ったのだけど今回も特に前半、コンパスが穴だらけで回っていない。ファルセータごとに休憩入れる感じ。いやいや、それじゃフラメンコぽくは聞こえてもフラメンコじゃなくなっちゃうから。メロディも基本、いろんなギタリストのファルセータをなぞっている感じで、どこかで聞いた感満載。今回、自作の詩を歌ってもらっているのだけどそのレトラ自体も彼女の素直な心のままに、なのかもしれませんが、上出来とは言い難い。せっかくの豪華なゲスト陣なのに、フラメンコは難しいなあ、と改めて思わされたことでした。

ハープだからダメとか、ハープがフラメンコに合わないということではなく、その特性をどうフラメンコにいかしていくかということをもう少し深掘りしていくとかを考えて、すでにある曲を演奏するにしても、メロディをなぞりました、だけでなく、ハープにしかできないこんな形で表現、みたいなふうに展開してほしいと思ったことでありました。


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2025年3月1日土曜日

ヘレスのフェスティバル8日目マリア・ホセ・フランコ『タララミア』ヘスス・メンデス『キエロ・カンタルテ』

ビジャマルタ劇場はルイス・モネオの息子でギタリストのフアン・マヌエルの妻でカディス出身のマリア・ホセ・フランコ。娘アナも出演。
© Festival de Jerez/Tamara Pastora

バタ・デ・コーラにマントンのアレグリアス、
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ジャケットでのカーニャ、黒いスパンコールで彩られた衣装でのソレアはルイスが歌い、

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最後は娘のタンゴからのタラント。タラントからのタンゴじゃないところが新しい、のか?
演出に元スペイン国立バレエ団監督のホセ・アントニオが協力。でも振り付けは彼女自身。前屈みでのサパテアードをはじめ、バタやマントンづかいにしても、名手とは言い難い。長身なんだし、もっと布地や刺繍も厚い重みのあるマントンの方が絶対綺麗に見える。アンダルシア舞踊団、エバ、ラファエラ、メルセデスというラインアップに並ぶような存在では断じてないけれど、地元出身ということでの登場なのでありましょう。

モヤモヤした気分を一掃してくれたのがヘスス・メンデスのボデガでの公演。いやあ、最高でした。持ち前の華やかさやフレッシュなエネルギーに加え、歌い手としての円熟味、存在感がぐっと増しました。
マノロ・サンルーカルの甥、ボルハ・エボラによるピアノ伴奏ではじまり、アレグリアス、ソレア、シギリージャ…フラメンコのスタンダードを丁寧に歌っていく。それを支えるペペ・デ・モラオのギターも、カルロス・グリロ、ディエゴ・モントージャ、ミゲル・サラドのパルマ、パキートのパーカッションも、全てか完璧。何度も何度もオレ!がやってくる。本人も地元でリラックスしているのか、いつになくおしゃべりで、島村香、小林亮夫妻とラファエル・ロドリゲス夫妻が来ていると言って、彼らに曲を捧げたり、この夜は体調の関係で来れなかった妻に捧げたり。

© Festival de Jerez/Esteban Abión



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2025年2月28日金曜日

ヘレスのフェスティバル7日目アンヘレス・トレダノ『サングレ・スシア』

 フェスティバルもそろそろ折り返し点。疲れもたまってき始めました。なのでビエナルで観たビジャマルタはパスして夜はゆっくり23時からのボデガでの公演へ。

アンヘレス・トレダーノは1995年ハエン県ビジャヌエバ・デル・リオ生まれ。昨年のアルフォンソ・ロサ作品『アルテルエゴ』でオリジナルキャストのサンドラ・カラスコの代役で歌って去年のフェスティバルでの伴唱賞を受賞するなど活躍中。

去年のセビージャのセントラル劇場での公演 でもいつも観ているようなカンテリサイタルとは一味も二味も違う趣向でびっくりさせられました。今回は9月に出たアルバムの曲を、ということだったので構成などは多少変わっていたものの、前回聴いた曲もあり、彼女は自分のスタイルでフラメンコを歌う人なんだな、と確認。

エフェクター/サンプラーをいじりつつ歌うアラオラという曲に始まり、ブレリア、ソレア、ハエン時代の女友達と歌ったアレグリアスがやはり最高。これは新譜のプロモーションビデオとは違って、3人がポリフォニーのような感じで、歌っていくもの。

© Festival de Jerez/Tamara Pastora

© Festival de Jerez/Tamara Pastora

若いながらに色々と知識もあり、実力、底力のある歌い手だと思うけど、伝統的なものとは違うみせ方で、点滅する照明や、犬の声や雷鳴などの効果音でのお化け屋敷感とかは、私には違和感というか、余計なものに見えるけど、彼女の世代の観客にとってはそれがとっつきにくい、古臭く見えるフラメンコをより親しみやすいものとしているようだ。

世代は変わっていくのだなあ。

2025年2月27日木曜日

ヘレスのフェスティバル6日目その2ラファエラ・カラスコ『クレアビバ』

 ビジャマルタはラファエラ・カラスコ。去年の秋ビエナルでも上演した『クレアビバ』

その時のブログにも最高の公演だったという感動を書いているので、繰り返しになってしまうけど、今回も本当に素晴らしかった。動きの一つ一つ、作品構成、場面ひとつひとつが、丁寧で美しい。ブエングスト、趣味がいい、というか、上品で、かといってお高くとまっているとか気取っているのではなく、生き生きとした優美さというか、もうとにかく最高なのであります。

一応、作品としてのドラマツルギーもあって、場面場面にミューズたちの名前がついているのだけれど、そんなこととは関係なく、ただひたすら美しいフラメンコに身を委ねていればいい。

最後のカンティーニャスの見事なこと。バタがもう完璧以上。どんな動きをしても正しい、あるべき位置にピタッと止まるのだ。彼女の師匠たち、マリオ・マジャやマティルデ・コラルに目配せをしているような動きもあったりするのだけど、全てが今、ここにいるラフィ、その人の踊りとなっている。

© Festival de Jerez/Tamara Pastora

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その前のヘマ・カバジェーロの完璧な音程でのロマンセの暗さから一瞬で舞台が真っ白に染まる、その転換もドラマチック。


© Festival de Jerez/Tamara Pastora

また、この作品でも、踊り手であるラファエラが、天井から吊るされたマイクに向かって歌い踊るのだが、このうたがうまい。リズムはもちろん音程もバッチリ。初日に子守唄歌ったパトリシア・ゲレーロと言い、今、踊り手が歌うのが流行りなのかしらん。そういえば、この日客席にいたイサベル・バジョンも歌ったことあったなあ。オヨスも、だよね。



© Festival de Jerez/Tamara Pastora

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© Festival de Jerez/Tamara Pastora 

民謡で踊ったこのシーンで早くも落涙してしまった。
© Festival de Jerez/Tamara Pastora 

幕開きのソレアは、衣装こそモダンだけど、構成も歌もクラシック。ムイ・フラメンコ。
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© Festival de Jerez/Tamara Pastora 


© Festival de Jerez/Tamara Pastora 

どんなフラメンコが好きかは人によって違うけど、この作品は多くの人の心を虜にしたに違いない。私にとっては最高の、何度でも見たいフラメンコ作品の一つであります。