2022年2月28日月曜日

ヘレスのフェスティバル11日目ラファエル・カンパージョ『プーロ』

これぞフラメンコ! これぞソレア!

ラファエル・カンパージョがサラ・コンパニアで見せてくれたのはそう叫びたくなるほどの、素晴らしい、素晴らしい公演でした。

©Javier Fergo Festival de Jerez


舞台中央の椅子に座ったギタリストのソロで始まり、同じくギターで終わるという、シンプルながら、作品としての構成をきちんと心得た感じ。

マルティネーテ/シギリージャ、フアン・ホセ・アマドールが弾き語るグラナイーナ、そしてタラント。緑色のシャツに同色のぴったりとしたパンタロンで休まず踊り続ける。その形の美しさ! エスコビージャもすごいけど、ブラソが美しい。エレガントで男らしく、リズミカル。これぞセビージャ!

三人の歌い手によるファンダンゴに続いてのソレアが圧巻だった。白いスーツに着替えたラファは歌詞のところでは決して足を入れない。マルカールしてレマーテを入れる。そういう昔ながらの正統派ソレア。ブレリアではリズムと遊ぶように足を入れていく。

伝統に敬意を払い、みずからのフラメンコを表現し、楽しむ。

プーロ、純粋とは、フラメンコへの敬意と愛であることを改めて確信させてくれました。オフィシャルの写真にもビデオにも、このソレアがないのが残念ですが、あそこにいた観客は皆、この日のラファエルを忘れないことでしょう。



ぺぺ・トーレス、アルフォンソ・ロサ、ラファエル・カンパージョ。今年のヘレスのフェスティバルでは、男性舞踊の精髄を見せてもらっている気がします。




Rafael Campallo from Festival de Jerez Televisión on Vimeo.

2022年2月27日日曜日

ヘレスのフェスティバル10日目ファルキート『ファルキート』

 プレス用資料やプログラムに新作とありしかも先日のマヌエラ・カルピオの公演で最高だったぺぺ・トーレスが出演とあったので期待したファルキート公演。

祖父ファルーコのシンボルとも言える帽子をかぶって登場して舞台の下手、上手、中央でと位置を変えてちょっと踊って、中央では息子と踊るオープニングからのブレリア

©Javier Fergo Festival de Jerez


そしてぺぺのシギリージャ!
©Javier Fergo Festival de Jerez

前回同様、シンプルでムイ・フラメンコで、オレが止まらない。

ぺぺとファルキートの杖を使って絡みや、ファルキートが踊り継いだシギリージャまでは良かった。ファルーコとラファエル・エル・ネグロ、マティルデ・コラルのロス・ボレーコスへのオマージュという感じで、カリメ・アマジャがバタ・デ・コーラで登場して、それを確信したところで、雰囲気が一変。

ファルキートが作ったのかな、という感じのカンシオン風フラメンコ中心で、昔ホアキン・コルテスの音楽監督だったフアン・パリージャのフルートやエレキベースも入っての、いかにもコマーシャルなフラメンコショーという感じに変わってしまったのだ。

本人的には、伝統的なフラメンコとより新しいフラメンコを組み合わせたのかもしれないが、後半は個人的にはほとんど楽しめなかった。息子モレーノのソロやら、以前の作品で見せたようなテーブルの上での踊りとかもあったのだけど、その時、ぺぺがパルメーロになっているのも正直抵抗があった。昔、ホアキン・コルテスがやってたような、客席に手拍子を要求したり、拍手を待つようなところもあり、そうか、コルテスも彼の道標の一つ、というか影響を与えているのだな、と思ったことでした。

個人的には前半部分をもう少し充実させて、一つの作品にしてもらいたいと思うけど、かなわ無い夢なのでしょうか。

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ちなみに爆音で、耳にティッシュの耳栓で防御したのですが、終演後しばらく耳がおかしかったです。アンヘル・ロハスの公演でもしっとり歌ってたマリア・メスクレも、マリ・ビサラガに負けじとがなってたので別人のよう。もう一人の歌い手はエセキエル・モントージャ、ギターはヘレスのマヌエル・バレンシアでした。





ヘレスのフェスティバル10日目アンヘル・ロハス『セール・バイレ』

アンヘル・ロハスは1974年マドリード生まれの踊り手で、カルロス・ロドリゲスとのヌエボ・バレエ・エスパニョールで活躍し愛知万博の時に来日。また、近年はマドリードのフラメンコ・フェスティバルの監督、アントニオ・カナーレスやルピ、メルセデス・ルイスらの作品の演出などでも知られます。 ここ数年は舞台で踊っていなかったという彼が久しぶりの舞台ということでサラ・コンパニアへ。

©Javier Fergo Festival de Jerez

これがなかなか良い作品でありました。

ギタリスト、ジョニ・ヒメネスとパーカッションのバンドレーロによる音楽がいい。歌詞を自作というマリア・メスクレの歌も、しっとりと、歌詞もよく聞き取れるのもいい。四人だけのシンプルな舞台ながら素晴らしい照明で、小さな劇場の良さをも生かしているという感じ。

アンヘルのソロでの舞台を観たのは初めてだと思うけれど、その昔(92年だから30年前だ!)、カナーレス舞踊団で、『トレロ』の牛役が本当にすごかったのを覚えている。そのせいか、オープニングの息する音が、『トレロ』の場面と重なってしまう。実際、彼の踊りの中にはカナーレスが詰まっていて、それも90年台前半の全盛期のカナーレスを思い出させる。

カナーレスの振りをそのまま踊っているわけではもちろんないのだが、振りの部分とか、振り自体は違っても構成とか、アクセントのつけ方とか、首や腕の使い方とか、あちこちにカナーレスが現れてくる。今のアントニオよりもカナーレスかも?と思えるほど。最後に踊ったシギリージャにしても、後ろの中央から現れて、パンと手を打って始まるところとか、カナーレスのソレアじゃん、って感じ。タンゴも然り。

もちろん、ギタリストの横で、ギタリストの動きを真似るかのような振りをしたり、パーカッションのソロからバンドレーロが踊り手の肩を叩いてパーカッションにする、みたいな、個性的なところもあります。

衣装だけはなぜ?って感じで理解不能だったけど、上質な作品でございます。

舞踊三部作の一作目ということなので今後も楽しい。

ビデオはこちら。でもビデオだと照明の美しさ、あまり見えないんだよな〜




2022年2月26日土曜日

ヘレスのフェスティバル9日目ロシオ・モリーナ『ブエルタ・ア・ウノ』

©Javier Fergo Festival de Jerez

一昨年のビエナルで初演したギター三部作の三作目。ラファエル・リケーニとの繊細な『イニシオ』、エドゥアルド・トラシエラとジェライ・コルテスとの黒が基調の『アル・フォンド・リエラ』そして今回の『ブエルタ・ア・ウノ』となるわけだが、今回は爆発、活気、開花などのキーワード通り、ユーモアに満ちた楽しい作品でありました。

袖幕やバックのホリゾントなどを全部取り去った裸の舞台に照明が客席向きに配され、赤い低い台が並ぶ。赤い照明。舞台の真ん中で正面向いて座っているギタリスト、ジェライ・コルテスのところに来てロシオは「これはなんでもいいものじゃないの」と繰り返し、サパテアードを打ち舞台奥に行き、またやってきて同じ言葉を繰り返し、サパテアード。それを何度か繰り返したり、「右足だけでやる、タコンなしで…」などと話しながら一人で踊ったり。パチパチを口に含み、その音を吊るされたマイクで聞かせたり、砂糖か粉かをこぼして歩いたり、ガムを噛んだり、飴をなめたり。むちゃくちゃなんだけど憎めない感じ。これって子どもじゃん? 4年前のビエナルで大きなお腹で舞台に登場したロシオの娘ももう3歳。子どものめちゃくちゃをフラメンコに組み合わせてるのだな、これはきっと。

タンゴもタランタも、ソレア、シギリージャも既にあるものを一度壊して再構築していくということをしているような感じで、先日のアナの舞台にも通じる感覚が、この世代の共通感覚なのかも、と思ったり。でもロシオは積み木を壊してまた積んでと遊ぶ子どものような感覚で演じているのだと思ったり。扇2本持ちで音を聞かせて踊るのはリケーニとの時もやってたけれど、今回は扇を投げ捨てたり、口にくわえたりして、はじけまくるフィナーレまで、天才ロシオと、音も感覚もいいジェライの二人の会話が止まらない感じ。

ロシオが息を切らしながらファンダンゴを歌った後で「せっかく歌があるのに」とか実際に喋って色々文句を言うところとかも、なんだろう、芝居なんだろうけど、二人の間のすごくいい空気が感じられて楽しいのであります。

おもちゃ箱をひっくり返したような、でももちろんんただのおふざけではなく、色々感じ、考えさせられるこの作品、ビエナルでも見ることができるといいなあ。







Rocío Molina from Festival de Jerez Televisión on Vimeo.

2022年2月25日金曜日

ヘレスのフェスティバル8日目アルフォンソ・ロサ『フラメンコ。エスパシオ・クレアティボ』

©Javier Fergo Festival de Jerez

暗い、椅子以外何もない舞台に一人 現れ、踊り始める。ソレア、タンゴ、ロマンセ、シギリージャ、ブレリア、アレグリアス、ファンダンゴ、アバンドラオ、そして最後のソレアまで途切れることなく滑らかに流れるように続く。

マドリードの踊り手アルフォンソ・ロサというとパワフルな熱血高速サパテアードを思い出す人が多いと思うのだが、今回は、ラファエル・エステベスとバレリアーノ・パーニョの知識と経験を借りて、非常にメリハリのついた、彼の持つ実力と魅力を十二分に発揮できる素晴らしい作品を作り上げた。

その形の、動きの美しさ。回転の素晴らしさ。バランスの良さ。たくさんのオレ!を引く出す細部、例えば回転の時の首の処理とか、目線の使い方とか、もう本当に素晴らしすぎるのだ。アントニオ・ガデスやエル・グイト、マノレーテと言った上の世代の要素が詰まっている上に、熱い思いをぶつけるような高速パワフルサパテアードも繰り出したり、いやあ、もう文句のつけようがない。古くて新しいフラメンコでいっぱいだ。

低音から高音まで正確な音程と美しい声で歌い上げるゲストの歌い手サンドラ・カラスコと、イスマエル・デ・ロサ“ボラ”の歌やフランシスコ・ビヌエサのギターも素晴らしく、ゲストの踊り手コンチャ・ハレーニョと5人だけで、純粋に踊りを楽しめる最高の作品を作り上げたのだ。

赤いプリーツのバタ・デ・コーラのコンチャとアルフォンソのパレハで踊るシギリージャ、黒い衣装でのリズミカルなやはりパレハでのファンダンゴ。このバランスも素晴らしく掛け合いあり、ソロでの見せ場もあり、ともちろん主役はアルフォンソなのだが、全員が主役のような印象。

コンチャはシギリージャでは情感にあふれ、ファンダンゴではリズミカルかつキリッとした面も見せるなど最高。踊るということは身体を動かすだけでなくinterpretar演じる/解釈するという面もありそれを体現している。

とにかくフラメンコ舞踊の粋をたっぷり堪能できるのでひとりでも多くの人にみてもらいたい。そして私もまたすぐにでももう一度観たい。

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2022年2月24日木曜日

ヘレスのフェスティバル7日目マヌエラ・カルピオ『ラ・フエンテ・デ・ミ・インスピラシオン』

 地元ヘレスのアルティスタが豪華ゲストと、いうことで満員。 

場内が暗くなるとタイトルや出演者を詩のようにして語るアナウンスが流れる。

舞台には三つの額ががあり下手にはヘマ・モネオとぺぺ・トーレス、上手にはファルーカとアントニオ・カナーレス、一段上がった真ん中の額にはマヌエラとホアキン・グリロがポーズしているというオープニング。額を使うのはビエナルのベテラン公演でもあったけど悪くないアイデア。

最初はヘマとぺぺのブレリア。このぺぺが素晴らしかった!文句なくこの夜の最高峰!

©Javier Fergo Festival de Jerez

余計な動きが一切ない、シンプルで上質なフラメンコ。超複雑な足をこれまでかと入れてくるような若手と違い、余裕を持って最高の間合いで決めてくれる。余白が多い、とでも言えばわかってもらえるだろうか。優雅で男性的で、唯一無比。ラファエル・ネグロにも通じるエレガンス。彼に歌うフアン・ホセ・アマドールがこれまた素晴らしく、歌と踊りの相乗効果で、どんどんこちらも気持ちよくなる。

ヘマは鉄火系フラメンカだと思っているのだけど、数年前に見た時に感じた火花のようなものがなくなってしまったようにも思える。

続く、ファルーカはソレア、カナーレスはタンゴ。ファルーカに父ファルーコの面影や味わいを感じ、カナーレスの間合いの良さにもオレ。エンリケ・エストレメーニョやっぱいいなあ。

©Javier Fergo Festival de Jerez

そしてまヌエラは赤いバタ・デ・コーラでグリロと前に出てくるのだが、早々にバタはグリロが剥ぎ取り、マントンのように回して後ろにぶん投げるという、マティルデ先生が見たら卒倒しそうな構成で始まるアレグリアス。グリロがくるくる回り、彼女は最後だけ決める感じ。踊りもいろいろだなあ。


©Javier Fergo Festival de Jerez

ゲストを最初に登場させると、彼女のいとこ、亡くなったフアニジョロへのオマージュ。彼がマヌエラに歌った録音が流れ、ソレアが始まる。金色の衣装というのも謎。歌い手がいいからか、客席にお尻を向けてる時間も長すぎるし。


最後は下手に置かれたテーブルについてのフィエスタ。エンリケ・パントーハが語り歌い踊り、トロンボやフアニジョロの兄弟のイスラエル、ディエゴ・デ・マルガラらも踊り、やっと最初に出てきたぺぺたちが出てきた、と思っていたらぺぺやヘマは歌うだけという肩透かし。ぺぺのブレリア、見たかったなあ。あ、マヌエラも歌いました。

ギターのフアン・ディエゴ・マテオスとフアン・レケーナは力仕事ご苦労様でした。

前日のアナの記者会見での話じゃないけれど、秩序とカオスで言えば、一応の秩序があった第一部、カオスなフィエスタ、って感じでしょうか。休憩なしの2時間。正直疲れました。

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アナ・モラーレスのある意味実験的とも言える、先鋭的な作品もあれば、昔ながらをイメージしたこういう作品も、ぜーんぶフラメンコというのが、フラメンコの懐の深さですよね。



ヘレスのフェスティバル7日目サルバドール・グティエレス『11ボルドネス』

 舞踊のフェスティバルではあるけれど、カンテやギターの公演もあるのがヘレスのフェスティバル。そのためもあってかフラメンコのフェスティバルとも思われるけど、あくまでも主役は舞踊。ということもあってか、このギターリサイタルはサラ・コンパニア、18時半から。

風格のあるタランタのソロに始まり、ソレア、アレグリアス、ティエント、シギリージャ…

舞踊伴奏でキャリアを築いてきたギタリストたちは実力派が多い。どんな曲でも演奏できて、踊り手の要望に合わせて曲を作る作曲能力もあり、懐が自然と深くなるのだろう。アルフレド・ラゴス、ヘスス・トーレスなどもそうだったけれど、エバ・ジェルバブエナやアンドレス・マリンの舞踊伴奏、カルメン・リナーレスらの歌伴奏、またラファエル・リケーニの伴奏などで活躍しているサルバドールも然り、である。演奏に破綻がない。パコ・デ・ルシアが大好きなのだろう、パコのファルセータをそのまま演奏することはないけれど、パコの曲の構成やパコが演奏していたフレーズを展開させていくようなところとかがあり、パコの文法で曲を作っているという感じ。またコンパスの回し方が絶品なのはやはり舞踊伴奏で鍛えたものだろう。

アレグリアスでアベル・ハラーナ、ブレリアでオルーコと、パルマで参加してた踊り手二人もたっぷり踊ったけれど、エバの舞踊団で長く共演していたエンリケ・ソトがソレア・ポル・ブレリアを歌い、アンドレス・マリンはファルーカを踊る。ゲストにたっぷり時間を割いたせいもあって1時間半にもなってしまったけれど(18時半からのコンサートは次の公演が控えているので原則1時間ということになっている)、充実した公演でありました。

©Javier Fergo Festival de Jerez

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2022年2月23日水曜日

ヘレスのフェスティバル6日目アナ・モラーレス『エン・ラ・クエルダ・フロハ』

 不思議な作品。

©Javier Fergo Festival de Jerez

アナは、美しい動きと形を見せてくれる、大好きな踊り手の一人なのだけれど、この作品ではバタ・デ・コーラの妙技などは見られない。完璧にコントロールされた体があるだけだ。


これはフラメンコではないという言い方は大嫌いだ。フラメンコが何であるかを決めるのは誰? 私が好きなフラメンコではない、私が思っているフラメンコではない、というべきだと思っている。アーティストもアフィシオナードもみんなそれぞれの中にそれぞれのフラメンコ像があって、その枠から外れるとそう言いたくなるのだろうけど、フラメンコはすごく大きなもので、小さな箱に閉じ込めておくことはできないものだ、と私は思っている。

でもだからと言って様々なフラメンコの決まりをすべて取っ払ってしまった場合、果たしてそれはフラメンコなのだろうか。フラメンコを自分の言葉として使う人ならそれもフラメンコと呼べるように思う。

内容についてはビエナルでの初演の時、詳しく書いているのでそれをご参照いただければ幸い。

終演後に劇場側のバルで会ったアナもボリータもビエナルの時から何も変えてない、というのだけど、なんかまたちょっと違う感覚をもらったような気がするのは、パンデミックのさなかに制作され、外出規制がようやく取れたところで見た2020年9月と、ワクチンも広まり感染状況もだいぶ落ち着いている現在の、私の方の変化なのかもしれない。

私はこれは探索の作品だと思っている。記者会見でも秩序とカオス、死を畏れてバランスにこだわる、などがキーワードのように語られていたが、バルでアナが話してくれた、身体の動きたいように動かす、などの言葉がまだ頭の中で踊っている。

筋肉を動かす、関節を動かす、とか全部意識してるんだ、と改めてダンサーとしての彼女の意識の高さに感服したし、片袖抜いて踊っていたのは片方の腕だけで踊るってことだったそうで、気づかなかった、とか。

先日現代音楽で踊るアンドレス・マリンを見た時の体験などもあり、演者がより自由に表現していくのにこちらがついていけてないようにも思えて、いやいやなかなかどうして、観る側も勉強します。




2022年2月22日火曜日

ヘレスのフェスティバル5日目マリア・モレーノ『モレ・ノ・モレ』

 カディス出身でエバ・ジェルバブエナ舞踊団などで活躍したマリア。だからなのかな、作品も踊りもどこかエバみたいなのだ。

幕開き、椅子の上で本のようなものを読んでいるところとか、椅子を使うところとか、エバが舞踏にインスパイアされて始めたという非常にゆっくりした動きとか。でも彼女はエバじゃない。エバの影響が強烈すぎて、彼女らしさがどこにあるのか、私には見えにくい。

©Javier Fergo Festival de Jerez

携帯のキーを打つ音でコンパスを刻むという設定での、ロベルト・ハエンとのかけあいが楽しかったけれど、うーん、あれはロベルトの個性だしなあ。

例えば、先日のメルセデス・ルイスなどより技術が上なのはわかるけど、なんというのか、繊細さが少ないというのか、バタやマントンも力技に見えてしまう。姿勢も首がちょっと前に出ているような感じが気にかかる。

好きな人は好きなんだろうけど、単に好みの問題なのかなあ。私が踊りに求める、美しい形と動きを見ることは叶わなかったんだけど、熱血が好きな人は好きなのかもしれない。


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2022年2月21日月曜日

ヘレスのフェスティバル4日目カルメン・コルテス『ヒラ、コラソン、バイランド・コン・ロルカ・エン・ラ・エダ・デ・プラタ』

 カルメン・コルテスは大人数のフラメンコ舞踊団での公演。

グラナダ出身でスペインを代表する詩人の一人、フェデリコ・ガルシア・ロルカはフラメンコにまつわる作品もあり、公演でも取り上げられることが多い。カルメンもかつて『イエルマ』を踊っている。ヘラルドの音楽もあいまってイエルマの悲しみが伝わってくるようないい作品だった。今回は様々な作品や彼の時代のフラメンコをモチーフとした作品。ちょっと、アンダルシア舞踊団の『蝶の呪い』にも似ている。

群舞は振付も踊りも見るべきところがあるようにはあまり感じない。むしろ発表会的に思えてしまうのは初日にスペイン国立バレエ団を見てしまったからかも?昨日のメルセデス・ルイスにしても、カルメンの舞踊団にしても、個人でやりくりをしているところと、国をバックに潤沢な予算とスタッフ、全国から選ばれたレベルの高い団員たちを抱える国立バレエと比べるのはダメだとはわかっていても、まだ目に焼き付いているのでどうしても比べてしまうのだろうな。すみません。

カルメンは最後にソレアをおどったのだけどさすがの存在感。ただ60代となってはどうしても一人で舞台を引っ張っていくのが難しく、舞踊団と言う風に考えたのだろうけど、それがプラスになっているかは疑問。難しいですね。

©Javier Fergo Festival de Jerez

©Javier Fergo Festival de Jerez

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ヘレスのフェスティバル三日目メルセデス・ルイス『セグンダ・ピエル』

©Javier Fergo Festival de Jerez

 ご当地ヘレス出身メルセデス・ルイス。昨年上演予定だったが、妊娠発覚で今年になった作品。

無伴奏のブレリアに始まり、ギターソロでのグラナイーナ、マントンでのファルーカ、パンデレータでのアバンドラオ、ファルーカの振りのようなタラント、ビデオのマヌエル・モラオのシギリージャにカスタネットで合わせ、バタ・デ・コーラでのカーニャという構成。

ファルーカをマントンで踊った意味も、タラントの振りがなぜああなるのか、などいろいろよくわからない。バタも多分、バタのデザインの問題(腰の後ろが広がりすぎ?)だと思うが決して上手にコントロールしてるようには見えない。カスタネットの音も、国立の面々の音を聞いた後ではちょっと見劣りしてしまう。規模もバックも違う国立と比べちゃいけないのかもしれないけれど。

伝統的なフラメンコでいくつもの作品を作るというのは大変で、新しい試みをいろいろしてみたくなるということなのだろうか。ん〜難しいね。

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2022年2月20日日曜日

ヘレスのフェスティバル三日目セラニート


18時半からのボデガでのコンサートはセラニート。
©Javier Fergo Festival de Jerez
現代フラメンコギターの父ともいうべき大ベテラン。
日本ではパコ・デ・ルシア、マノロ・サンルーカルと共に三羽ガラスなどとも言われてきましたが、実はパコはセラニートに憧れ、マドリードに移り住む時セラニートに会えるのを楽しみにしていたとか、マノロも多くの技術をセラニートに学んだ、と言うすごい人なのであります。日本でも沖仁の師匠としても知られていますよね。

ボデガの寒さと湿気で最高の自分をお見せできない、ということだったのですが、ニーニョ・リカルドのように唸りながら(最初に少し話すときにマイクを上に向けたのか、いつもよりその声が大きく聞こえました)、年齢を感じさせません。
タランタに始まり、セラニート版シルヤブのような『アグア、フエゴ、ティエラ、イ、アイレ』までじっくり聴かせてくれました。



©Javier Fergo Festival de Jerez

 

ヘレスのフェスティバル3日目ルシア・アルバレス“ピニョーナ”『アブリル』

語りたいなにかがある。音楽や歌詞の力を借りてあふれる思いを踊りに昇華する。 
ピニョーナの『アブリル』はそんな作品。 
ローレ・イ・マヌエルの歌った曲の歌詞の作者として知られるフアン・マヌエル・フローレスのオマージュでもあるのだけど、それは彼へ、だけではなく、彼が生きた一つの時代を映し出す鏡のようなもので、スペインの70年代、ヒッピーの時代への思慕のように思われる。。
言葉にはならないおもいがあふれている。彼女が伝えたい何かがしっかりじっくりこちらへと伝わってくるのだ。
  
セビージャ、ビエナルでの初演も観ているのだけれど、ヘレスでのこの日が最高。あとで聞いたら初演から舞台美術も構成も整理して、衣装も変更し、精製されたということらしい。なんの先入観も知識もなく見たセビージャでも彼女の意気込みといいバイブレーションは伝わってきたし、その後、作品に関わるあれこれを聞いたりもして2回目に見たということもあったのかなあ。でも、終演後に話した誰もが感動していたので、やっぱり公演がすごかったということなのだろう。

 アルフレドのギターをはじめとする音楽が作り出す空気と一体化したピニョーナの素晴らしさ。姿形の美しさは特筆もの。すっと伸びた姿勢、背中の美しさ。伸ばす手の先に世界が広がっていく。バタ・デ・コーラの扱いもまるでお手本のように上手だし、サパテアードも精確で力強い。文句の付け所がない。一つ一つの動きを丁寧に完璧にしていく。一つ一つの動きに意味がある。センティードがしっかりしている。

アルフレドは昔、カルメン・コルテスの舞台で演奏していたヘラルドを思い出させる。音楽だけで聞いてももちろん素晴らしいとは思うのだが、踊りの作品のためということで目的/意味を持って作られており、それが踊り手の最高を引き出す鍵となっているのだ。フラメンコとロックが自然と溶け合い、クラシック的歌唱の女性三人による合唱隊やキーボード、ドラムス、そしてぺぺ・デ・プーラの歌が作る宇宙を自由に羽ばたくピニョーナ。

いやあ、もうほんと、やられちゃいました。ぞっこんでございます。
最初の曲でなんだかわからないまま胸が熱くなり涙が出てきて、その熱い何かがずっと終演まで続いていく感じ。

©Javier Fergo Festival de Jerez

とても幸せな気分で帰途に着いたのでございます。

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2022年2月19日土曜日

ヘレスのフェスティバル初日スペイン国立バレエ『アントニオ生誕百周年』

 ヘレスのフェスティバルが開幕しました。

まだ、日本や中国、そしてアメリカからのクルシージョ参加者は戻ってきていないそうですが、ヨーロッパ圏内からは多くの人が来るようです。

幕開きを務めますのは2年前、2020年の公演が好評だったスペイン国立バレエ。あの公演から数週間後にはスペインは外出禁止の措置がとられ、すべてが止まってしまったんだよなあ、などと思い出したり。あの素晴らしかった公演を是非日本でも見てもらいたいものです。

今回は昨年セビージャで初演したアントニオ生誕百周年記念公演の上演。17、18日の二日に渡っての公演になります。そしてなんとオケピにオーケストラが入って生演奏。これはヘレスのフェスティバル、26年の歴史において初めてのことであります。

一部は『ソナタス』と『ビト・デ・グラシア』『エスタンパス・フラメンカス』、二部は『レジェンダ』『サラサーテのサパテアード』『ファンタシア・ガライカ』と演目は変わっていませんでが、キャストがセビージャの初演の時とは変わっていて、ビトの男性はルベンに代わってホセ・マヌエル・ベニテス、マルティネーテはホセ・マヌエルに代わってフランシスコ・ベラスコが踊りました。また、ビジャマルタ劇場の舞台は間口は広いものの奥行きがないのでセビージャ公演で使っていた装置もカットになったり、など多少の変更がありました。

アントニオ振付の歴史に残る三作品とルベン・オルモらによる新しい振付のフラメンコとスペイン舞踊での構成。一部だけで1時間以上あり、昨今、1時間程度の作品も多いこともあり、二部があるのを知らずに帰った人もいるとか。もったい無い。

エスクエラ・ボレーラの『ソナタス』 では

 ©Javier Fergo Festival de Jerez

なかなか見ることができない、美しいボレーラのパソや形を堪能でき、特に首のラインの美しさに魅了されました。バレエのようなパソ、跳躍や回転などもありますが、首や体のほんの小さな傾きがボレーラらしさを作っているのです。ベラスケス『女官たち』を彷彿とさせるシーンも、カスタネットの音も、すべてが美しい。

クラシコ・エスパニョール(とあえてよびたい)『サラサーテのサパテアード』は

©Javier Fergo Festival de Jerez

生演奏のバイオリンがあまり上手ではなく、踊り手が大変だろうとハラハラしつつも、サパテアードでメロディすら作っていく妙義に見とれ、

民族舞踊がベースの『ファンタシア・ガライカ』は

©Javier Fergo Festival de Jerez

60年以上前に作られた作品にもかかわらず、今見ても新鮮で魅力的。音楽も素晴らしく、ミュージカルのような観客の楽しませ方を知っているという感じ。何度見ても、違うキャストで見てもその素晴らしさは変わりません。今回はデボラ・マルティネスとアルベル・エルナンデスというソリストのペアでみましたが素晴らしかったです。翌日はミリアム・メンドーサとエドゥアルド・マルティネスだったそうです。人材の豊富さもこのバレエ団ならではですね。

前回の来日から半分くらいメンバーが変わったのではないでしょうか。若い才能がどんどん活躍しています。


新しい振付の方では、フラメンコの華やかなカラコーレスで

©Javier Fergo Festival de Jerez

ソロを踊るノエリア・ラモスがとにかく素晴らしかったです。この写真の中心で水玉の衣装が彼女です。振付はルベン監督なのですが、割といそがしい振りで、人によっては体操的になってしまうのですが、彼女はフラメンカな味わいを加え、素晴らしいの一言です。



©Javier Fergo Festival de Jerez

また、エステル・フラードが踊った『レジェンダ』はアントニオ門下のカルロス・ビランの振付ですが、エステルの、大きな舞台を一人でいっぱいにしてしまう存在感が何より素晴らしかったです。


いつかこの作品も日本へ持っていけるようになりますように。














2022年2月16日水曜日

ヘレスのフェスティバル 公演配信

今週木曜日にはじまるヘレスのフェスティバル。



今年も日本政府は渡航自粛をよびかけているので日本からの参加者はほぼいないようです。

先だって、クルシージョの配信についてお知らせしましたが、有料の公演配信もいくつかあるようです。

サードロウは1公演18ユーロ、フェスティバルのではない1公演含めた5公演見ることができるパスは66.5ユーロ。

オールフラメンコも公演ごとに料金がかかり、4月25日以降はサブスク会員が自由に見ることができるようになるようです。

現在わかっているものを公開順にまとめてみました。


なお、公演のルポは翌日ここでもアップしていきますね。お楽しみに。


フェスティバル公演配信


2/21(月)20時30分『モレ(ノ)モレ』→2/23(水)THIRD ROW公開

[出]〈b〉マリア・モレーノ、〈g〉オスカル・ラゴ、フアン・レケーナ、〈c〉ぺぺ・デ・プーラ、イスマエル・デ・ラ・ロサ、〈palmas〉ロベルト・ハエン

[場]ヘレス ビジャマルタ劇場


2/22(火)20時30分『エン・ラ・クエルダ・フロハ』2/24(木)THIRD ROW公開

[出]〈b〉アナ・モラーレス、〈g〉ホセ・ケベド“ボリータ”、〈perc〉パキート・ゴンサレス、〈コントラバス〉パブロ・マルティン

[場]ヘレス ビジャマルタ劇場


2/20(日)13時『レベルソ』→2/25(金)All Flamenco公開

[出]〈b〉マカレーナ・ロペス、

[場]ヘレス ラ・アタラジャ博物館


2/26(土)18時30分『セール・バイレ。カピトゥロ1トリロヒア。へオグラフィア・フラメンカ・デル・ペンサミエント』2/28(月)THIRD ROW公開

[出]〈b〉アンヘル・ロハス、〈c〉マリア・メスクレ、〈g〉ジョニ・ヒメネス、〈perc〉バンドレロ

[場]ヘレス サラ・コンパニア


2/21(月)18時30分『2020年トゥリン・デ・ラ・フロンテーラのコンクール優勝者ガラ』→3/1(火)イレネ・ルエダ、3/2(水)フアン・トマスAll Flamenco公開

[出]〈b〉イレネ・ルエダ、伴奏〈g〉パブロ・フェルナンデス、〈b〉フアン・トマス・デ・ラ・モリーア、伴奏〈g〉ヘスス・ロドリゲス、〈c〉マリアン・フェルナンデス、マヌエル・デ・ラ・ニナ、ホセ・エル・ペチュギータ

[場]ヘレス サラ・コンパニア


2/27(日)13時『ムヘル・デ・ピエ』3/2(水)All Flamenco公開

[出]〈b〉サラ・カーノ、リカルド・モーロ、〈c〉アルベルト・フネス

[場]ヘレス ラ・アタラジャ博物館


2/27(日)18時30分『プーロ』3/3(木)All Flamenco公開

[出]〈b〉ラファエル・カンパージョ、〈g〉ダビ・カロ、〈c〉フアン・ホセ・アマドール、へスース・コルバチョ、エル・ペチュギータ

[場]ヘレス サラ・コンパニア


2/27(日)23時3/3(木)All Flamenco公開

[出]〈c〉ルイス・エル・サンボ、〈g〉ミゲル・サラド、〈palmas〉マヌエル・サラド、マヌエル・カンタローテ、ディエゴ・モントージャ

[場]ヘレス ボデガ・ゴンサレス・ビアス


2/22(火)18時30分『デ・ロス・プエルトス」→3/3(木)All Flamenco公開

[出]〈b〉フアン・フェルナンデス、〈g〉ミゲル・ペレス、〈c〉ぺぺ・デ・プーラ、ミゲル・ラビ、マヌエル・ソト、〈perc〉ハビエル・テルエル

[場]ヘレス ラ・アタラジャ博物館


2/24(木)18時30分3/3(木)All Flamenco公開

[出]〈b〉ベアトリス・モラーレス、〈c,g〉アグヘータ・チーコ

[場]ヘレス サラ・コンパニア


2/25(金)23時『テレモート、ウン・シグロ・デ・カンテ』3/4(金)All Flamenco公開

[出]〈c〉マリア・テレモート、ゲスト〈c〉ディエゴ・カラスコ、〈g〉ノノ・ヘロ、〈palmas〉マヌエル・バレンシア、マヌエル・カンタローテ、フアン・ディエゴ・バレンシア

[場]ヘレス ボデガ・ゴンサレス・ビアス


3/3(木)18時30分『プラジェラス』3/5(土)THIRD ROW公開

[出]〈b〉ロサリオ・トレド、〈piano〉ハビエル・ガリアナ、〈c、チェロ〉アルバ・アロ

[場]ヘレス ラ・アタラジャ博物館



3/1(火)18時30分『セナチェリア』3/7(月)All Flamenco公開

[出]〈g〉フアン・レケーナ、ゲスト〈b〉ヘスス・カルモナ、〈ベース〉バチ、〈perc〉マヌ・マサエド、〈palmas〉ロス・マカリネス



2/25(金)18時30分『アディオセス』3/8(火)All Flamenco公開

[出]〈b〉サラ・ヒメネス、マルティ・コルベラ、カルメン・ペレス

[場]ヘレス ラ・アタラジャ博物館



2/26(土)23時『フルト・デ・ミ・ボス』3/9(水)All Flamenco公開

[出]〈c〉アナベル・バレンシア

[場]ヘレス ボデガ・ゴンサレス・ビアス


2022年2月14日月曜日

パシオン、若きフラメンカたち 配信/辛口だけど期待を込めて


 

配信は生とは違うし、その配信も今日で終了ということで、それについてどうこういうのもなんなんだけど、話題の公演の配信、私も見させていただきました。

たくさんの若い人たちが、フラメンコを愛し、真摯に学び、取り組んでいるのは本当に素晴らしいし、その若い人たちをまとめ、一つの舞台を作り上げたのは本当にすごいことだと思います。

いやあみんなよく頑張った。出演者のプロフィールを見たら関東関西東海と各地の人がいるみたいだから練習だって大変だったんだろう、というのはよくわかる。公演を録画するだけでなく、ビデオ録画のためにも劇場を借りて踊って、お客さんのいる公演では不可能なアングルとかも使われている(これ、サラ・バラスもやってた)のもすごいと思うし、またそれがあまり違和感なく見ることができた編集も大変だったろうと思います。踊りはなるべく全身入るアングルで見たいけど、表情も見たいものね。

今の若い人たちはみんな上手だなあ。昔はコンパスない先生とかもいたんだよなあ、と遠い目。

でもその上であえて言うのですが、ツッコミどころも色々ありました。たとえば、タイトルのフラメンカたち、も、男性も出演するのに、なぜ? という感じ。オープニングは凝っていて、それぞれの見せ場もあり、すごくいい感じなのに、そのラインが続いていかない。作品としての流れが感じられず、上級クラスの発表会になってしまっているような感じなのがなんとももったいない。第2部の幕開けのフィエスタのシーンもどういうフィエスタなのかが全く伝わらない。バックから言って酒蔵?なのかな。でもそこにどういう理由で集まっているのか、なぜフィエスタになったのかもわからない。女性が多いのはなぜ? ミュージシャンはネクタイなのはなぜ? 少ない男性舞踊手はもっと効果的に使えたのでは?いや、別に小芝居をしろというわけじゃない。バックが他の場面と同じならそれほど気にならなかったと思うのだけど、オペラ『カルメン』の酒場の場面?みたいなバックだから、うーん、酒蔵にいる女たちの割にはすっぱな感じじゃないから酒場の女でもなさそうだし、一体?って考えだしちゃったのであります。これ、長屋のパティオでの十字架祭りとか、長屋のお祝い事とかなら普通の女性がたくさんいるのも違和感ないし、いやセビージャのフェリアやヘレスの馬祭りとかでも女性が目立つし、女性同士で集まる人もいるのでおかしくはないと思うんだけど、うーん、ありものの幕を借りただけなのかなあ。わからん。

踊り手たちも足は動くけど、姿勢や表情はみんなもっと気にした方がいいし、大きな舞台での身のこなし、歩き方などもまだまだ勉強の余地あり。衣装もなぜこの衣装なのかなあ、と思うところもあったり。表情は、特にこういうビデオだと、しっかり見られる、と言うことも考えるべきなのかも。ギタリストがマイクの使い方を知っているか知らないかで差が出るみたいなとこもあるかも。

群舞もフォーメーション等工夫も全くないわけではないけれど皆で正面向いて同じ振りというのが多く、いや、みんなで練習する時間少なかっただろうから仕方ない部分もあるのかもだけど、でもどうせやるなら、もっと全体の構成とか凝ってもいいんじゃないかと思うのでありますよ。近所の人でグループ作って、そこで練習してそれを持ってきて合わせるとか。いや言うのは簡単でやるのは大変、ってわかってます。1回限りの公演にそんなにできない、って言いたくなるだろうこともわかります。でもね、せっかくやるんだからさ。

はっきりいうと、これで満足していて欲しくない、というのが正直な気持ち。もっともっと上を目指してほしい、と思うのです。勝手な希望なのではありますが。

今回、一緒にやるのは楽しい、舞台作りは楽しい、って思った人はぜひ、次回を目指してください。次回を、より良いものを作ろうと、より良い自分を見せようと。

オープニングのあのクオリティで最後までいけるように。心から願っています。

最初から完璧は無理でも少しずつでもクオリティ上げて、スペインにも勝るとも劣らないと言わせてほしい。

これは最初の一歩なんだろうけど、ここでおしまいにしないでほしい。お金ここまでかけなくても何か絶対できるはず。

あ、最後になったけどフィエスタのギターのとこ、よかったです。ああいう仲間感がバイレでももっと出てくるといいなあ。

追記

群舞振付するのに、ヘレスでのハビエル・ラトーレのプロ対象の振付タジェール、すごく参考になると思います。プロ対象とは言いつつ、レベルの違う参加者を見極め、フォーメーションや出入りも含めて構成し、振り付けているので。今年は来られないと思うのでこれまでのビデオ、ここで見てみてください。



2022年2月6日日曜日

フエベス・フラメンコス ハビエル・バロン

 


2月3日、カハソル劇場でハビエル・バロン。

カハソル財団のフエベス・フラメンコスは歴史のあるフラメンコ公演シリーズで、元々はエル・モンテ銀行、銀行が合併してカハソル銀行となり、セビージャのカンパナからセタの方に行ったところにある劇場でやっていました。それが劇場が市の管理となり、会場を変えて続いているという形。長年、監督つまり、出演者を選んでいたマヌエル・エレラが一昨年亡くなり、コロナ禍もあって存続も危ぶまれたのですが、歌手マヌエル・ロンボを監督に復活したのであります。

『デスデ・アルカラ』と、彼の生まれ育ったアルカラ・デ・グアダイラの町の名がついていますが、上のプログラムにある通り、無伴奏のトナに始まり、ファルーカ、タラント、レバンテ、ファンダンゴスと、シームレスにつ



づいていく構成。昔やった『メディリアナ』が確かちょっとそんな感じだったようにも思うのだけど、うーん、よく覚えてない。2007年だから15年前だものね。こっちの作品は2020年アルカラで初演。その時とはギターと歌い手二人のうち一人も変わってるみたい。

ハビエルは私の大好きな踊り手で、2020年のビエナル、アンダルシア舞踊団記念公演ゲストで踊ったカンティーニャも大好きだったし、2019年12月のトリアーナで見た時も大興奮だったくらいなんだけど、この日はなんかちょっと違和感。

床が低音がぼわっとする感じがあって、そのせいかな、それとも舞台の上の音響が良くないのかな、とか色々思ったけど、よくわかんない。でもいつも見慣れたハビエルとは違った感じ。

それでもハレオで見せた連続足の妙技とか、思わずオレ!を口にしてました。マスクしてるし、隣に聞こえるかな、くらいの、小さなオレ、ですけど。

でもなんか、本調子じゃないというか、いつものあの上昇感とか、集中とかがちょっと足りない。いやきれいな靴音だし、昔と今を結ぶ正統派フラメンコでクオリティは高い。多分、最高に調子のいい時をみているから、それと比べて不満に思うだけなんだよね。


 初演のビデオ貼っときます。

今回はミゲル・オルテガがハビエル・リベラに、ギターがハビエル・パティーニョに変わっていました。あ、ハビエルが3人だ〜

2022年2月3日木曜日

アンドレス・マリン『身体のための三部作』

 ムシカ・コンテンポラネア、メイド・イン・セビージャ、即ちセビージャ発の現代音楽。

アルヘシラス、マドリード、そしてセビージャ生まれの作曲家たちによる現代音楽をアンドレスが踊るというもの。

ちょうど英国在住日本人現代音楽作曲家の藤倉大さんの自伝を読み終えたところだったということもあり、なんか縁を感じて出かけていったのでありました。そういうことってありますよね? で、これが正解。面白かった。とても面白かったのであります。

いうまでもなく現代音楽には全くといっていいほど馴染みがありません。でも、フラメンコ作品にも時折、現代音楽が使われているので知らず知らず、少しは接しているのですよね。例えば、ハビエル・ラトーレ振付作品の『リンコネテ・イ・コルタディージョ』や『エル・ロコ』ではスペインの作曲家マウリシオ・ソテロの音楽が使われていますし、イスラエル・ガルバンの作品でお馴染みのパーカッションとクラリネットの二人組は元々現代音楽を演奏すデュオでしたし、イスラエルの作品に現代音楽が使われることも稀ではありません。アンドレスも現代音楽を多用している一人。一昨年のビエナルでの『ビヒリア・ペルフェクタ』でもそうですし、昨年初演した『エクスタシス/ラヴェル』でもラヴェルのボレロを換骨奪胎した曲を使ったりしていました。で、『エクステアシス/ラヴェル』が思いがけなく楽しかったのでちょっぴり期待。でもよくあるちょこっと踊るコラボレーションものかも?とも思っていたのでありました。

が、いやあ、がっつり踊ってた。サパテアードとか体を打って鳴らすのとかフラメンコのテクニックだけど、そういったフラメンコのテクニックを使いながら、フラメンコのリズムではない、いや、むしろリズムが見えないような曲で、自由に踊る/表現する、という感じ。

最初の曲は舞台に近いバルコニー席で演奏されるソプラノサックスと銅鑼で静かに始まる曲(Kinah II)だったのですが、布を引きずった黒い衣装のアンドレスが客席後方から現れます。その布に色々ついているらしく、結構な音がするのですが、それは楽譜にはないはずだけど、そういうのってどうなのかな、って思ったり。いやこの場合は作曲家もホールにいたみたいだし、フラメンコを知らない人ではないだろうから、問題はないわけだけど、バレエなどと違って、音が出る踊り、パーカッション的要素もあるフラメンコというものは場合によっては色々あるかもなあ、とか思ったのでした。その奏者が舞台に降りての2曲目Transitus.

Lolo Vasco


そして3. 4曲目はピアノで。音楽だけのコンサートだったら絶対聴きには来ていない公演にアンドレスが出るから見にきて楽しんでいるという不思議。これ、多分両方のジャンルにとってプラスじゃないかな、と思います。アンドレスのいつも気になる姿勢も、この人はこういう体なんだ、と受け入れられるような感じ。イスラエルの模倣のように見えるポーズなども、私は先にイスラエルを見たからで、先にアンドレスを見てたらイスラエルが真似に見えるのかもしれない、などと考えたり。フラメンコという枠を外すことで私自身も鷹揚というか寛容になってるような。それも含めて面白い。

Lolo Vasco


最後は1985年セビージャ生まれという作曲家の作品。パーカッションと電子音楽。いやパーカッションも電子音楽だったりもする。パーカッシブなフラメンコとの相性は一番いいようにも思うのだけど、どうなのだろう。

Lolo Vasco


なんていうのかな、アンドレスが現代音楽と共演するのはより大きな自由を求めて、のように思うのだ。歌も歌うし、すごくフラメンコな人だからこそフラメンコの枠ではない表現がしたいのじゃないかな、と。

全体的に薄暗い照明は踊りの“かたち”よりも音を強調するための仕掛け? で時に客席を照らす強烈な光。どっちみち形は見えにくい。

Lolo Vasco


見慣れたフラメンコの舞台なら不満に思うところに違う可能性も考える。そんな自分の変化も興味深く、正確な靴音をフラメンコの可能性を楽しんだ宵でした。








2022年2月2日水曜日

ラファエラ・カラスコ『アリアドナ』

 2020年ヘレスのフェスティバルの初日を飾って初演されたラファエラ・カラスコ『アリアドナ』をセビージャのマエストランサ劇場で。

2年前の初演と多分、ほとんど変わってないのだけど、より洗練され、より完璧になってたような気がするのであります。なんというのかな、クラシックバレエの古典のような感じ。

アリアドナすなわちアリアドネがテセウスがクレタの迷宮でミノタウロを倒し脱出する手助けをした話など知らなくても、スペイン語の語りやフラメンコ曲に載せた歌詞が色々と説明はしてくれるのだけど、おそらくそんなあれこれがわからなくても、シンプルに、ラファエラと4人の男性舞踊手たちが、ヘスース・トーレスとサルバドール・グティエレスの奏でるギターやミゲル・オルテガとアントニオ・カンポスの熱唱で見せる形と動きの美しさだけで満足できるのではないかと思うのであります。それほどまでに美しい。

シンプルだけど効果的、というのは舞台装置、衣装、構成、照明、全てにいえて、このシンプルさゆえ、舞踊が主役としてより際立ってくるのであります。シンプルにするための努力、仕事量はいかほどだったろう、と思うわけです。真面目で真摯に取り組んだゆえの完成度。

語りに歌が絡んでいくところなどでラファエラの師匠でもあるマリオを思い出したり、男性4人もそれぞれに見せ場もあり、また群舞の揃い方などもクラシックバレエ的な感じ、というか、統制がとれていて素晴らしい。バランス抜群。ある意味、これはフラメンコ舞踊作品を極めたのかも、とまで思えてくる。

それにしてもマリオの元からはラファエラ、イスラエル、ベレン、マルコら個性的なアーティストたちが数多く巣立っているなあ。ガデス舞踊団と対照的なのは何故なのかなあ。

この日の公演じゃないけどビデオ貼っときます。