2017年11月22日水曜日

へレス・オフ・フェスティバル

へレスのフェスティバルに合わせて、開催されているオフ・フェスティバルのプログラムが発表になった。
今年はアンヘリータ・ゴメスに捧げられている。
他にもカプージョやペリキン、フアナ・ラ・デ・ラ・ピパ、ドローレス・アグヘータら地元のベテランが出演するほか、ラファル・カンパージョ、アデラ・カンパージョ、トゥルコなど、実力派踊り手たちの名前も。



初日は去年同様、日本人アルティスタたちが出演する。

◆第7回ヘレス・オフ・フェスティバル 
2/23(金)17時[出]〈b〉マリア・バルガス舞踊学校
      19時[出]〈c, piano〉コザトアヤ
      21時[出]〈c〉ハタハルミ
      22時30分[出]〈c〉エル・カルテーロ
      23時59分[出]〈g〉ニーニョ・ヘロ
2/24(土)17時[出]〈b〉カルメン・エレーラ舞踊学校
      19時[出]〈b〉ファビオラ・バルバ
      21時[出]〈b〉ジェシカ・ブレア
      23時30分[出]〈c〉カプージョ・デ・へレス
2/25(日)17時[出]〈b〉マリア・バルガス舞踊学校
      19時[出]〈b〉ラファエル・カンパージョ
      21時[出]〈c〉ルイス・バルガス“エル・モノ”
      23時映画「スエニャ・コンミーゴ」
2/26(月)19時[出]〈b〉フアン・ポルビージョ
      21時[出]〈c〉エルー・デ・へレス
      23時[出]〈c〉ナタリア・デル・マル“ラ・セラータ”
2/27(火)21時[出]〈c〉ルイサ・ムニョス
      23時[出]〈c〉サムエル・セラーノ
2/28(水)19時[出]〈b〉チキ・デ・へレス舞踊学校
      21時[出]〈b〉マリアン・ヒメネス
      23時[出]〈c〉アントニオ・マレーナ
3/1(木)19時[出]〈b〉パウラ・シエラ
      21時[出]〈c〉ファリーニャ
      23時[出]〈b〉アデラ・カンパージョ
3/2(金)17時[出]〈b〉スサナ・チャコン舞踊学校
      19時[出]〈b〉フェルナンド・ガラン
      21時[出]〈b〉マヌエラ・カルピオ
      23時[出]〈c〉エル・キニ
3/3(土)17時[出]〈b〉ベアトリス・モラーレス舞踊学校
      19時[出]〈b〉ベアトリス・モラーレス
      23時[出]〈c〉アントニオ・レジェス
3/4(日)17時[出]〈b〉マリアン・ヒメネス舞踊学校
      19時[出]〈g〉〈g〉ヘスーレ・カリージョ
      21時[出]〈b〉マルタ・ラ・トロジャ
      23時[出]〈b〉マリア・フンカル
      00時30分[出]〈c〉ホセ・ソト“ソルデリータ”
3/5(月)19時[出]〈b〉サライ・ガルシア
      21時[出]〈c,g〉リカルド・ピニェーロ
      23時[出]〈c〉ドローレス・アグヘータ
3/6(火)19時[出]〈b〉カルロス・カルボネル
      23時[出]〈c〉ロサリオ・エレディア
3/7(水)19時[出]〈b〉ダビ・ロメーロ
      21時[出]〈b〉フェルナンド・ヒメネス
      23時[出]〈c〉ティア・フアナ・ラ・デル・ピパ
3/8(木)19時[出]〈b〉ラ・トゥルコ
      22時30分[出]〈g〉ロマン・ビセンティ
      00時30分[出]〈c〉マラ・レイ
3/9(金)17時[出]〈b〉マリア・デル・マル・モレーノ舞踊学校
      19時[出]〈c〉マリア・フェルナンデス
      21時[出]〈b〉パルミラ・ドゥラン
      23時[出]〈b〉マカレーナ・ラミレス
3/10(土)17時[出]〈b〉スサナ・チャコン舞踊学校
      19時[出]〈b〉フアン・アベシージャ
      21時[出]〈b〉ビセンタ・ガルベス
      23時[出]〈piano〉レイナ・ヒターナ
[場]へレス ラ・グアリダ・デル・アンヘル

[問]https://www.facebook.com/laguaridadelangel/

2017年11月13日月曜日

キンテーロ劇場のフラメンコ

セビージャの中心部、カンパナからほど近い、キンテーロ劇場でのフラメンコ公演。
カルペータやファルー、ヘレスのアルティスタによるクリスマスコンサートなどいろいろ楽しそうだ。





◇セビージャ、キンテーロ劇場のフラメンコ
11/25(土)21時
[出]〈b〉カルペータ、〈c〉エル・ネグロ、〈g〉ラウル・ビセンティpiano、ベース〉メルチョール・ボルハ、〈perc〉ファリ・デル・エレクトリコ
[料]15ユーロ
11/30(木)、12/1(金)21時「テレモートのクリスマス」
[出]〈c〉マリア・テレモート、エル・ペチュギータ、ラ・カルボネーラ他、ゲスト〈b〉ラ・ルピ
[料]20ユーロ 12/1売り切れ
12/18(月)、19(火)21時
[出]〈b〉ファルーコ、バルージョ、ファルーカ、カルペータ(18)、ぺぺ・トーレス(19)
12/30(土)21時 「アシ・カンタ・ヘレス・エン・ナビダ」
[出]〈c〉レラ・ソト、フェリパ・デル・モレーノ、マヌエラ&ドローレス・デ・ペリキン、ラ・フンケーラ、エステファニア・サルサナ、フアン・デ・ラ・もれーな、ホセレーテ、ノノ・デ・ペリキン、マヌエル・デ・カンタローテ、ホセ・デ・ラ・メルチョーラ、〈perc〉フアン・ディエゴ・バレンシア、〈g〉フェルナンド・デ・ラ・モレーナ・イーホ、特別協力〈c〉ヘスース・メンデス
[場]セビージャ キンテーロ劇場

[問]http://www.teatroquintero.es

2017年11月11日土曜日

さよなら チキート

チキート・デ・ラ・カルサーが、11月11日、故郷マラガの病院で亡くなった。
1932年マラガ生まれの歌い手。
90年代に得意とするチステ、小話でテレビに出て有名になり、映画に主演するなど人気を博した。

本名グレゴリオ・エステバン・サンチェス・フェルナンデス。
マラガのラ・カルサーダ・デ・ラ・トリニダー地区の生まれ。8歳の時から地元のタブラオで歌っていたという。
踊り伴唱で数々のアルティスタと共演。マドリードの大きな劇場にも出演し、
1964年には国営放送のフラメンコ番組に出演している。



日本にも、1973年秋から1974年春にラウルのグループで、1975年秋から1976年にかけて、リカルドのグループで、と2回ほど、新宿「エル・フラメンコ」に出演した。




80年代にはマラガ、トレモリノスにあった、踊り手マリキージャのタブラオで、高橋英子、俵英三とも共演していたという。

ずいぶん前に引退し、2012年に妻を亡くしてからはマラガで一人暮らし。
10月、家で倒れていたのを発見され、そこからは回復したものの
10月30日、狭心症で入院し、昨夜容態が悪化したという。

冥福を。



2017年11月5日日曜日

日本のフラメンコ 石井智子「ちはやふる 大地の歌」

素晴らしかった。いやあ、本当に素晴らしかった。
これが二日間、2回の公演だけなんてもったいなさすぎる。
美しく、楽しい。非常に完成度の高い作品。
フラメンコが好きな人だけでなく、広く一般に楽しむことができる、そんな作品。

石井智子スペイン舞踊40周年記念公演は11月4日、5日に 北千住シアター1010で。
その4日の公演を見た。第一部は百人一首をテーマとした、和とフラメンコとの競演、第二部はフラメンコだけでなく、民族舞踊であるホタやエスクエラ・ボレーラも取り入れて、広くスペイン舞踊の世界をみせると言う二部構成。その構成も見事なら、それぞれの演目もしっかりと作られていて破綻がない。
独りよがりになることも、観客におもねることもなく、観て美しく、楽しい。

かるたが、花が舞い、水が流れ、モチーフとなった歌の書(桃果)がプロジェクションマッピングで描かれる中、和歌の世界がフラメンコと和の楽器で展開されていく。
太鼓の上でのサパテアード。和のテイストのフラメンコ衣装。
小野小町に扮した石井の美しさ。
和太鼓と尺八に絡む在原業平となったフンコのサパテアード。「Pasión 情熱」
「Melancolía  憂い」での、小町の黒い長い髪はフラメンコ的でもあり、遠くて近い、スペインと日本、フラメンコと私たちを象徴しているようでもある。
客席から登場した太鼓隊とカスタネット鳴らす群舞が競演する「Brisaそよ風」の場面の楽しさは特筆ものだ。太鼓の音にカスタネットも負けていない。フォーメーションでみせる美しさは群舞の醍醐味だろう。モチーフとなった持統天皇の時代、万葉集的なおおらかさが感じられる。
「Lamento 嘆き」ギターと琴の競演は初めて見たが、美しい。お互いを引き立てあうのは、演者の互いへのレスペト、敬意ゆえのことだろう。
「Destino宿命」はチェロと尺八による、スペインを代表する作曲家の一人、アルベニスの「アストゥリアス」で、ふた組のパレハが踊るという趣向。スペインのクラシック音楽と和楽器の出会いは新鮮。また振り付けも美しい。客演の松田知也、土方憲人も好演。
「Firmamento天空」は圧巻の一言。太鼓や琴の音で、華やかに踊る群舞は風であり雲、その中に、天照大神のように降臨する天女、石井智子。その存在感。タイプは違うが、マヌエラ・カラスコのような、女神感が確かにある。よく揃った群舞も華やかで楽しい。


第二部のオープニングはホタ。
跳躍が特徴的なこの舞踊を、子供の時から毎週習っている、地元の人やスペインの公立舞踊学校スペイン舞踊科出身者以外で、これだけ踊るのは珍しい。かつてはスペイン舞踊団の演目としてよく取り上げられ、若き日のファルーコらもピラール・ロペス舞踊団などで踊っていたという。小松原舞踊団時代に、ホタ中興の祖とでもいうべき、ペドロ・アソリンの直接指導を受けた石井が男装で、舞踊団の後輩、中島朋子とパレハで踊る。
足を高く上げるその角度! そして跳躍。男性顔負け。ダイナミックで楽しい。
エル・フンコは椅子に座ってはじめるソレア。シンプルだが、フラメンコのエッセンスが強く感じられるソレア。椅子1脚だけで、ドラマチックに見えてくる。
エスクエラ・ボレーラのセビジャーナスも日本で踊られるのは珍しい。バレエの素養のない人がここまで踊るまでにはどれだけの苦労があったろう。いや、素養があっても、ボレーラ独特の、首のラインとか、軽く曲げた腕のラインとか、非常に難しいはずだ。
真紅のバタ・デ・コーラの石井によるシギリージャ。カスタネットとマントンを使っての伝統を感じさせるシギリージャ。カスタネットの音色に至るまでひたすらに、これもまた美しい。ミゲル・ペレスのギターの素晴らしさ。フアン・ホセ・アマドールの声の深い響き。バックを飾る、堀越千秋の幕が、モライートのシギリージャの調べを思い起こさせる。二人とも今はいない。オマージュを感じる。
同じく堀越の幕が舞台を額のように彩り、洞窟を作り、モスカ、カチューチャ、タンゴなどグラナダのフラメンコをみせる。洞窟のフラメンコの店で踊られているものよりも、より洗練された、舞台のための、舞踊団のための、という感じ、だけど、それは決して悪いことではない。群舞のフォーメーションや子供を使ってのちょっとした芝居風の動きなど、“みせる”工夫が随所に施されている。モスカやカチューチャのコーラスも良かった。
ファルーカはモダンな男装だったが、個人的には、彼女の雰囲気から、クラシカルなアマソナ風の、巻きスカートに丈の短いジャケットといった乗馬服風のものなどもよかったのではないかと思う。
フンコと石井の息子、岩崎蒼生が二人でみせるブレリアも、ちょっと芝居が入った二人の掛け合いが楽しい。それにしても上手くなった。フラメンコを踊る子供、ではなく、踊り手として評価される時が来た。ちょっとした間合いや回転に味があり、スペインで多くの師に学んでいるだけのことはある。
最後はアレグリアス。バタ・デ・コーラでの群舞、最初、練習の時と歌が変わったのか、きっかけが上手くわからなかったような出足の不揃いなどはあったものの、すぐに取り戻す。石井とフンコのパレハも、長年の共演の成果もあるのだろう、息が合っていて、安定感がある。
最後はフンコが歌うタンギージョ。第一部に出演していた太鼓隊なども加わり、楽しいフィエスタ。色とりどりの衣装も、それぞれがある程度自由に踊っているのだろう部分もあって、とにかく楽しく、気分が上がって閉幕を迎える。
ブラボー!

石井の存在感、それをサポートするスペイン人アルティスタたちも一流。
和を意識した衣装や和楽器とのコラボレーションも楽しく、それを彩る、プロジェクションマッピングなど、美術も素晴らしい。照明は、時に、ここはスペインですか?というくらいに暗めだったのがちょっと残念だったけれど。(やっぱ私は踊り手の顔が見たい)
フラメンコを知らない人でも楽しめる内容、構成。作品としての完成度はピカイチ。
衣装も華やかで素晴らしい。
小松原舞踊団での経験、大学の芸術学部での学び、スペイン人たちとの共演、そして自らが主となって作ってきた数々の舞台。そんな経験がぎゅっと凝縮されての舞台だ。
特に良かったのが振り付け。群舞も、全員が同じ振りを客席に向かってするだけではなく、フォーメーションを考えて、工夫されている。また、一人だけがいつも前のセンターというわけではなく、それぞれに見所をちゃんとつくっている、という感じ。また、群舞でも違う振りをするところもあり、タンギージョなどでは個性も垣間見える。
40年のキャリアはだてじゃない。

さて、次は何を見せてくれるのか? 楽しみなことである。

でもその前に、これ、文化庁かどこかお金出してもらって、ぜひ、スペインでもやってもらいたい。日本とスペインの文化の融合、このレベルまで、ってあまりないですよ。








 

2017年11月3日金曜日

日本のフラメンコ アルハムブラ、ソラジャ・クラビホ、ホセリート・フェルナンデス

西日暮里の老舗スペイン料理店&タブラオ、アルハムブラで、来日したばかりのソラジャ・クラビホとホセリート・フェルナンデスを迎えての西日フラメンコ交流とでもいうべきライブ。

1部のトップバッターは田中菜穂子。男装でのファルーカ。男装がよく似合う。
ファルーカというと、男性的な直線的な動きで、ギターがサパテアードと絡んでいく、というのが定番。が、ここではパリージョ、カスタネットを使うのだ。初めて見た。
彼女が師、ロシオ・アルカイデに学んだものだという。
通常は歌は最初に少し入るくらいなのだが、ここでは歌もたっぷり、というのも珍しい。
カスタネットを手につけているので、ファルーカの特徴である直接的な腕の動きが少なくなってしまうのはちょっと残念。また、せっかくカスタネットを使うなら、サパテアードとギターの掛け合いで見せるような、音の競演が見たかったかも。
通常、それを使わない曲目で使うならば、ああ、これだから使うんだ、と納得させることが必要なように思う。それだけ難しいことにトライしたわけで今後が期待。

二人目の野上裕美はアレグリアス。ここで出演者全員が舞台に上がってクアドロ風に。
上がっていたのだろうか。曲の間中、ずーっと怖い顔。真剣さの表れかもしれないが、アレグリアスには似合わない。ニコニコ笑わなくとも、せめて口角上げて、アレグリアスのアイレ、空気を表情でも表現するべきだと思う。踊りは体の動きだけでなく、顔の表情や衣装なども含めて表現するものだ。

1部の最後を締めたのは、お久しぶりなホセリート・フェルナンデス。
フェステーロ風にブレリアを歌い、そこからソレアへ。
サパテアードで押していく、きっちり構成された今風のソレアではなく、マルカールとサパテアードでの、昔風の、アイローサな、雰囲気のあるソレアで、かえって新鮮。とにかくナチュラルなのだ。気負ったところの全くない、普通の、自然なフラメンコ。ああ、こういうのって、日本にはないよなあ。

2部はクアドロ風に全員舞台に座って。
瀬戸口琴葉はシギリージャ。動きはいい。が、シギリージャらしい重みが感じられない。フラメンコのペソは年齢によって得られるところも多いので仕方ないのかな。フレッシュなシギリージャも決して悪くはないのだが、やはり重みが欲しい。振り付けのメリハリ、歌との関係、まだまだ学ぶことは多いだろう。他の曲を見てみたい。

正路あすかはソレア。以前見たものとは全く違う、ドラマチックなもの。といっても芝居仕立てなのではない。表現がドラマチックなのだ。グラナダ風の小さなブラソが彼女らしさになっている。ただ少々長い感じがあるので、あともう少し整理できればもっと良くなるのではないか。

閉幕を飾ったのはソラジャ。バタ・デ・コーラでのアレグリアス。シンプルなバタはセビージャ風の豪華なバタではない。が、元気はつらつなソラジャには似つかわしい、かも。
歌と掛け合いしたり、鉄火肌フラメンコの面目躍如。
慣れない共演者でも、ミュージシャンをリードしてしっかり仕事をしているソラジャはやっぱりすごい。キャリアはダテじゃない。

最後は全員でフィン・デ・フィエスタ。
フラメンコはいいなあ。日本とスペイン、距離が一挙に縮まる。

追記
舞台で、日本人のカンテでスペイン人が踊るのを見たのは今回が初めてだったので感慨ひとしお。私がスペインに行った三十年前は、日本人のライブはギター伴奏のみが定番で、歌が入るのは特別な公演の時くらい、という時代でありました。それが今や、プロではない生徒さんクラスのイベントなどでも歌が入る。すごいなあ。もちろん、スペインのレベルからしたらまだまだです。
今回の歌い手さんも、口跡がいいというのか、レトラが聞き取りやすいな、いろいろなレトラをよく知って歌ってらっしゃるな、すごいな、とは思いましたが、正直、あれ、ここでそのレトラはないんじゃないか、とか思ったり、タイミングにうーん、と思ったりもしました。
ここでそのレトラ、という感覚、これはどこかに決まりが書いてある、とかいうわけではないので、あくまで例えばですが、リズムを上げた後とかにはシリアスすぎるレトラは来ないよなあ、とか、そういう感じのことなのですが。スペイン人の歌い手を見ていてこんな風に思うことはほぼないので、なんか不思議な感じでした。ちなみにこれは彼女にだけでなく、他の日本人の歌い手さんでも感じたことはありますよ。念のため。
ま、踊りが歌を引っ張るわけではあるのですが、歌が始まってしまえば、踊りもそちらに合わせねばならないところもあり、なので、難しいですね。
いい歌があると自然に体が動く、というようなことは実際あると思いますし、ソロとしてのカンテは上手でも舞踊伴唱の経験がない場合、うまくいかないこともあるでしょう。
ソラジャは日本人の歌い手の歌を、引っ張って、自分の踊りの中に入れていきました。すごいなあ。今へレスに住んで、若手の歌い手やギタリストたちも、彼女との共演で学ぶことが多いと感謝されているそうですが、さもありなん。彼女からは踊り以外にも学ぶことがたくさんあるはず。共演の機会がある日本人はラッキーです。

追記の追記
今日、あるアルティスタと話していて気づいたのですが、レトラの選び方が、という批評ということは、それだけレベルが高いアルティスタだから、ということでもあるのですよね。発音、コンパス、音程、レトラの知識、踊りの知識、と一通りのことができているからこそ、歌詞の選び方などで不満が出てくるわけで。
30年前、歌のないフラメンコが普通だったことを思えば、本当、時代は変わりました。
すごいな。頑張れ、日本人カンタオーレス!









2017年10月29日日曜日

日本のフラメンコ 高橋英子「Vente a mi Cueva私のクエバ(洞窟)で待ってます!」

ガロルチでの高橋英子のライブは「ベンテ・ア・ミ・クエバ」、直訳だと私の洞窟においで、だが、タイトルとしては私のクエバで待っています、とか。

フラメンコで、クエバ、洞窟といえば、グラナダのヒターノたちが暮らしたサクロモンテの洞窟のことで、家であり、フラメンコを見せる店であり…グラナダで長く暮らした高橋ならではのタイトルだろう。実際、クエバを持っていたのだと聞いたことがある。

第一部は、グラナイーナからファンダンゴ・デ・グラナダ、タンゴと進む、グラナダ・アンソロジー的曲で開幕。私が彼女の踊りを見るのは何年振りだろう。以前の印象、とにかくプーロな感じのフラメンコとはだいぶ違う。正直、ちょっとひやっとするところもないではなかったが、小さめのブラソがグラナダ風で、雰囲気がある。個性的だ。
鈴木尚伴奏での石塚隆充のカンテソロはソレア。歌とギターはあまり相性がよくないようにみえたのは気のせい? 
大塚友美のバンベーラ。舞台に出てきた時、肩にかけた長方形のシージョで、カルメン・レデスマみたいと思ったのが当たりだったようだ。カルメン風ではあるのだが、カルメンやコンチャ・バルガスのような、シンプルな振りは本当に難しい。
プログラムだとこれで終わりのはずで、場内放送もあったのだが、舞台からもう一曲、と声がかかり、高橋のソロ。タンバリンを使ってのサンブラ。ギターの古い響き。雰囲気がある。
高橋の踊りは、クエバ風というか、劇場の大舞台でのような大きな踊りではなく、クエバのような限られた空間でのような、小さな、親密な感じのものだ。

第二部はクアドロとなっており、実際、舞台に出演者全員がいて、一緒に歌い、踊ると言う形。タイトルにあるように、高橋のクエバにやってきてフィエスタをしているという趣向。ちょっと芝居掛かった喋りがあったり、昔のタブラオのクアドロ風のハレオを歌ってパルマで遊んだり。高橋は歌い、語り、踊る。
グラナダのフラメンコの名物おじさん的存在、クーロ・アルバイシンのように、芝居っぽく語り始めたかと思うと、エネルギッシュなクエバのおばちゃんのように、歌い踊る。
自由に、フラメンコを遊ぶ。歌がうまいわけではない。でも大好きで歌っているのが伝わってくる。フラメンコの楽しさを伝えようと頑張っていることが。

細かいことを言ったらきりがない。
ハレオ(ニーニャ・デ・ラ・ベンタとかサペサペトか、これ、昔エンリケ坂井さんのパルマ教室でやってたのと同じで懐かしい)は全員で一緒に歌っていた方がそれっぽいし、スペイン語の語りはもっとオーバーに芝居掛かって、それこそクーロのようにやっていいと思う。台本はないんだろうと思うのだけど、あるのかな?もっと工夫できるかも。
カルメン・ポルセルが化粧しないのはアレルギーかなんかなのだろうか? 美人さんなんだから口紅とかつけた方がもっと綺麗だと思うし、彼女のルンベーラももっと芝居がかるというか、オーバーなくらいに入り込んでやって欲しいところだ。
そう、こういうのってその気になってやった方が勝ちなのである。

それでも、フラメンコの伝統も、空気も、生活も、何もないけれど、少しずつフラメンコへの愛が育ってきた日本に、フラメンコってこんなに楽しいのよ、フラメンコにはこんな楽しみ方もあるのよ、と全身で語りかけてくる。

そうなんだよね。
スペインにはいろんなフラメンコがある。
決して舞台の上だけのものではないし、シリアスなものだけでなく、コミカルなものもある。やったもん勝ち、楽しんだもん勝ち、なところもある。もちろん、一人でやるものではないから、周りや自分を見極めることも、空気を読むことも必要だ。でもまずは楽しもう。眉間にしわよせて踊るだけじゃもったいないよ。観て楽しみ、歌い踊って楽しむ。
うん、みんなでもっと楽しもう、フラメンコを。





















2017年10月28日土曜日

日本のフラメンコ AMIフラメンコ・リサイタル公演Mi Sentir Madre〜母〜

いやあ、そうきましたか。意外。

AMIといえば、マドリード、セビージャで学び、コルドバのコンクールでグアヒーラを踊って日本人として唯一、優勝した人。いわゆるエスクエラ・セビジャナーナ、セビージャ風の女性舞踊を会得し、優雅な舞には定評がある。
だから今度も、と思っていたのだが、この公演ではフラメンコをフラメンコとして踊るのではなく、母と娘というテーマを、フラメンコを言語として使って表現する、というものだった。いわば、フラメンコを使っての創作舞踊。
妊娠、出産、子育て、娘の反抗期、母娘の軋轢、母の子への思い、母の老い、そして別れ、と3組の母娘で描いていくというもの。
シンプルなストーリー。女性なら誰もが見につまされるところがある物語。
母への思い。母の思い。娘の思い。
師と弟子もまた、母娘のようなものなのかもしれない。

最初の場面は「誕生まで」マノロ・サンルーカルの名作「タウロマヒア」のアレグリアス「プエルタ・デ・プリンシペ」での「胎児の力」というシーンに始まる。音楽こそフラメンコだが、踊り自体はフラメンコに縛られない、自由な創作。
続く「妊婦の願い」は、ジャズ風ピアノ伴奏のナナ(誰だろう?パシオン・ベガらスペイン歌謡系とも思ったけど、アクセントからして外国人?わからない)も録音。ブレリアでやっと生演奏に。ダビ・ラゴスのリガール、音のつなげ方にオレ!
子供を失った母をAMIがソロで踊るが、これもピアノの録音。髪型のせいか、AMIの姿に、その師岡田昌己の姿が重なる。会場にいらした岡田氏にいうと「全然違う」ということなのだけど、私にはその佇まいが師を思い出させた。

「幼児期の幸せ」はタンギージョ、「子供の成長」はグアヒーラ、というようにフラメンコ曲を使って、フラメンコな振り付けも使われてはいる。でも、あくまでもテーマ優先。
独立したフラメンコ曲とはなっていない、という感じを受ける。それでもグアヒーラの足使いなどに素敵なデテールがあって、ちょっとハッピーにしてくれる。

レトラも母を歌ったものなどを多く歌っているし、オリジナル?と思われるものもあるのだが、聞き取りにくく、その内容を全部理解できた人は少ないだろう。音響は今ひとつ。
パルマの音が大きすぎたり、ギターや歌が大きすぎて靴音を消したり。残念。

母の子への思いや老いていく母と近くにいない娘の場面など、外国に暮らす私もそうだが、身につまされた人が多かったのだろう、あちこちですすり泣きが聞こえた。
最後は、母との別れをイメージさせる場面で終わる。
普遍的なテーマをシンプルな形で表現し、伝えたかったことはおそらく完璧に伝わっているだろう。が、フラメンコのリサイタルとしてみたら食い足りない。マイムや表情で言いたいだろうことは伝わるのだけれど。


ここで出演者はお辞儀をして、一旦終わりといった感じがあるのだが、その後、すぐ、ミュージシャンたちのカディスのブレリアが始まり、アレグリアスへ。華やかなバタ・デ・コーラのAMIの一人舞。ミラグロス譲りのパソがいろいろ出てきて、その見事な演技にオレ。
これはフラメンコを目当てに来たお客さんへのサービス? でもこの踊りを、作品のフィン・デ・フィエスタとしてでなく、作品の中に組み込むこともできたのでは?
ひとつのフラメンコの曲としても見ることができて、全体の流れで、テーマを伝える、というのもありなのでは?
バタさばきはさすがだが、衣装が彼女には役不足。丁寧な仕事が施されたバタなのだが、バタの部分にハリがなく(バタの部分の裏のフリルが少ない?そこの生地がぺしゃんとなってる?)せっかくのバタさばきに応えきれていない。バタの足使いが見えるのは、練習生には勉強になるだろうが、普通はあんなに見えないはず。残念。
群舞は、水玉衣装でセビージャぽいタンゴ。個性も見え隠れして楽しい。
そして盛んな拍手に応えて挨拶、また挨拶。


日本人が、フラメンコを演じる時代から、フラメンコを自分の言語として使う時代になったと見るべきなのだろう。それも上辺だけで捉えた、見せかけだけのフラメンコではなく、しっかり基本を抑えたフラメンコ。

うーん、でも個人的には、物語とフラメンコ曲の両立が見たいかもしれない。
母への思いも、母娘の歴史を追う以外でも表現できたのではないか、とも思う。
母娘を3組登場させたのは普遍性を表すため? でも本当にその必要があったのだろうか。また母役娘役を踊るダンサーが固定していたが、見た目年齢が近いからどちらが母かと戸惑う感じも正直あった。場面ごとにもっと自由に変えてもよかったかも? 母もまた娘であり、娘もまた母になるかもだし。あ、それじゃ複雑で舞踊では伝えきれない?
いや、そんなことはないでしょう。。。
などと見る側はいろいろ考えます。
でもいろいろと考えさせてくれる作品に出会えたことは良かった。

また次のAMIが見てみたい。