ラベル スペイン フラメンコ公演レポート の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル スペイン フラメンコ公演レポート の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2026年6月28日日曜日

ジョエル・バルガスen トーレス・マカレーナ

2023年ラ・ウニオンのコンクールで優勝したジョエル・バルガス。2003年、バルセロナに近いローマ遺跡で知られる街、タラゴナ生まれ。地元で踊り始め、後、バルセロナ舞踊学院にも学び、2020年にはマドリードのスペイン舞踊振り付けコンクール、2021年にはカステジョンのコンクールで入賞。以後は、マヌエル・リニャン『ビバ』『ムエルタ・デ・アモール』、今年のヘレスのフェスティバルではエステベス/パーニョス『ドンセージャ』に出演し、ビエナルでは同作品とともにアルフォンソ・ロサのカンパニーに出演する予定という若手のホープ。

歌い手の一人の到着が遅れているということで30分以上遅れて開始。

腰高のズボンに丈の短い上着という伝統的な衣装トラへ・コルトで登場。



え?カバーレス? シギリージャの締め歌として歌われることが多く、それだけで歌われることは少なく、それだけで踊られることは滅多にない(一曲として踊られるの見たのは初めてかも?)曲なのでびっくり、途中、シギリージャぽくなったりもして最後はまたカバーレス。

シギリージャではなくあえてカバーレスだった理由はなんなんだろう。


本業は踊り手で、会場に来ていたカルメン・レデスマにも習っていたというカルメン・モレーノがブレリアを歌い踊る。複雑なことはせず、かつてのルンベーラみたいな感じ。自然体で好感。


ジョエルの二曲目はタラント、と思ったのだけど、

歌い手がカスタネットを渡す。え、カスタネットでのタラント、珍しいなあ、と思ったんだけど、一旦そのカスタネットを床に置いてタンゴ?あれ?


と思ったらハビエル・コンデのギターがパコのロンデーニャを奏で、ソレにカスタネットで合わせる。これはなんという曲と言うべき?うーん。


終演後に本人と話してわかったのだけど、タラント、タンゴ、タラントの起源であるファンダンゴから同じ系列のロンデーニャと組み合わせたと言うことでした。わかりにくい。舞台作品もやっていると言うことなのでそのためのものだったのかな。こういうの、昔、ハビエル・バロンが作品『メレディアナ』でやっていたなあ。あれはいつ?ああいう舞台作品では趣向としてありだとは思うけど、ペーニャだと違和感あるかも。趣向としては面白いんだけど。

休憩挟んだ2部はカンテソロでタンゴ、クリスティーナ・トバルとアナ・ポランコと女性ふたりだからからか、日本でもお馴染みレポンパのタンゴとか歌ってました。で、踊りはカンティーニャス/アレグリアス。




全体的に、スペイン舞踊的な身体づかいとかもあるけど、フラメンコとしてもちゃんとしている。でもやっぱり若いからかな、色々詰め込んで、余白がほぼない。足も強いけど、靴音が音楽に聞こえてくるような色彩、ニュアンスはない。できる人にもっともっとと期待しちゃうのは私の悪い癖かも、2年前、前年優勝者として踊っているのを見た時から確実に進化しているのはそう。今後もまだまだ変わっていくんだろうな。この世代では無敵で自信もある感じ。いいライバル、仲間がいるといいね。自分のスタイルが見つかるといいね。楽しみにしています。

最後は、会場にいたアナ・サラサール、ハイロ・ベガも加わってフィン・デ・フィエスタでした。




2025年3月7日金曜日

ヘレスのフェスティバル14日目イスラエル・ガルバン『ラ・エダ・デ・オロ20周年』

 

© Festival de Jerez/Esteban Abión


昨年秋のセビージャのビエナルの後ということもあって、今年のヘレスはすでにビエナルで観ていた作品も多く、そんな中、楽しみにしていたのがイスラエルの『ラ・エダ・デ・オロ20周年』。20年前のヘレスのフェスティバル、2005年2月26日19時、サラ・コンパニアで初演されたあと、世界各国で300回以上上演され続けたロングセラー作品。イスラエルの他は歌い手フェルナンド・テレモート、ギタリスト、アルフレド・ラゴスだけというのも、カホンやフルートなども入ったグループでの伴奏が普通、といった当時、帰ってとても新鮮だったし、この後、この構成で公演する他の踊り手も出た記憶。当時すでにセビージャのマエストランサ劇場で公演するなど、注目の新進気鋭の踊り手だったのに、メイン会場のビジャマルタではなく、小さな会場ということで当然満員。余分の切符を持っている人がいないかと、会場に入る人に声をかける人も入り口にたくさんいたのを覚えています。新しい試みとかをする人の会場はコンパニア、という説明が主催者側からあったということで、それに反発して、ではないけれど、じゃ、フラメンコ・フラメンコな作品を、ということでフェルナンド・テレモートに声をかけたということだったと思います。ここら辺、当時のインタビューで聞いた話なのですが、その記事が今、手元にないのでちょっとうろ覚えなところもあるのですが。フェスティバル側から聞いたのは集客の問題もあり、舞踊団公演と地元出身のアルティスタはビジャマルタ、モデルノはコンパニア、という意識だったのだと思います。ちなみにイスラエルの公演の日のビジャマルタはマリア・デル・マル・モレーノだったし、同年ベレン・マジャとラファエラ・カラスコのコンパニア公演の日はメルセデス・ルイスでした。この地元出身舞踊家優先の掟?は今も健在で、ある意味、このフェスティバルの特色かもしれません。もちろん、イスラエルの公演は大変素晴らしいもので、いろんな曲種がシームレスに演奏され踊られていくというのにびっくりしつつもめっちゃフラメンコな正統派フェルナンドの声にイスラエルの、前衛的とも評される動きやポーズが、心地よくはまって、何度もオレが出たのでありました。フェルナンドが病気になり、亡くなってからはダビ・ラゴスが歌うようになり、これも何度か観ました。

その名作が、出演者を変えて公演というのが今回の公演。すでにニームのフラメンコ祭などでも上演されています。昔、彼のクラスでソレアの歌振りを振り付けた後、違う歌い手のcdをかけて、それで踊りがどう変わるか、というのをやったという話があって、当然、歌い手やギタリストが変われば踊りも変わるはず、と思って楽しみにしていたのです。

イスラエルは髪に花をつけ、丈が長めのシャツに半ズボン。以前のスリムなズボンでの装いとは違います。よりモデルノ?アナーキー?

曲の構成、作品の流れは元のものとそんなに変わっていないのではないかと思います。2018年に妹パストーラが踊ったこともありまして、その時の評に私はこう書いています。

ソレアやカーニャ、マラゲーニャにベルディアーレス、ファンダンゴ、マルティネーテにシギリージャ、タンゴ、ファルーカ、アレグリアス、ブレリアなどなどいろんな曲が続いていく。

今回もそんな感じ。ポピュラーソングをフラメンコに取り入れるのが上手いラファエルということもあってか、パコ・デ・ルシアの曲やパソドブレ、ススピロ・デ・エスパニャなどが挟まれたり。

© Festival de Jerez/Esteban Abión


でも歌が。マリアはウトレーラ出身。フラメンコも演奏するクラシックのギタリストで歌い手でもあり、オランダの大学のカンテ教授。これまでもイスラエルの作品などで何度か観てはいたのですが、いや、こういう、真正面からのカンテ、なんの飾りもないばに引き出されると、色々不足が甚だしいというのが見えてきてしまうのです。いや、そのカンテはそうじゃないって、と突っ込みたくなるところがたくさん。彼女には荷が重すぎたのではないかと。フラメンコのメッカ、ヘレス。シギリージャやソレアをこの街の大舞台で歌うには実力不足だったと思います。全方面に失礼な言い方をするとスペイン以外の国出身のカンテを勉強している人、みたいな歌い方だったのであります。なんというか、楽譜見て歌っているというか、音符通りというか、カクカクしてる。コンパスの中の自由さがないというか。ドからミにいくのに途中をすっ飛ばす感じ、というか。説明するのは難しい。でも彼女を選んだのはイスラエルだし、とは思うのですが、なぜ? なぜ彼女? 本流のフラメンコを壊した先を見据えている?

© Festival de Jerez/Esteban Abión


歌に引きずられた、ということはないとは思うのですが、イスラエルもなんかいつもの私の好きなイスラエルじゃない。フラメンコ曲でも曲がなくとも、コンパスが回っているのを感じられ、微妙な間合い、呼吸にオレを連発せざるを得なくなってしまう、あのイスラエルじゃなくて、別人のよう、とまでは言いたくないけど、なんか肩透かしを食らったような。みんなに賞賛されるのに飽きて、わざとそうしてるのかな、と思ったり。これがこの日だけのことなのか、それとも何かが変わったのか。それを知るためにも今後も見続けたいのは確かだけど。

踊り自体は昔ながらのイスラエル的なポーズや動きもあるけれど、よりボーダーレスになっているという感じ。床に座って、靴音だけでなく手で床を叩く音を組み合わせるなんていうのも面白い。それは進化なのだろうけどそうすることで、彼の中のフラメンコを熱愛する私のように、置いてきぼり感を味わう人もいるのだな、と。で、それはかつてイスラエルのストレートなフラメンコを愛した人が、独自の世界についていけなくて酷評したのと同じなのかもしれないな、などとも思ったり。

うーん。で、今、昨日のビデオとかつての公演のプロモーションビデオなど見比べてみました。やっぱ、全然違うように見えるんですが、どうですか? なんか、昨日のはわざとずらしているような気までしてきた。うーむ、謎だ。やっぱなんらかの意図があるのかな?






いや昨日も上手で見せた回転の最後のとことか、タンゴのちょこっとしたとこ、細かい足とかにおおっとは来ましたが。(ビデオにはありません)

ちなみにカーテンコールでの役割変更も健在で、ラファエルがイスラエルの振りを真似したところが最高でありました。下の写真の後、最後の手をヒラヒラさせるとこが良いのです。


© Festival de Jerez/Esteban Abión

2024年3月1日金曜日

ヘレスのフェスティバル番外編3オフ・フェスティバル『ディアグノスティコ・フラメンコ・ラ・ノチェ』

ラ・グアリダでのオフ・フェスティバル。17時からなのでまだ外は明るく、日本で言えば昼下がりの感覚。
プログラム発表当初、公演タイトルだけで出演者名が記載されておらず、途中で追加された名前を見て、びっくり。なんとここにも日本人アーティストが。それも、ヘレスのフェスティバル初の日本人オフィシャル公演出演者であり、それ以前もペーニャで踊るなど、ヘレスとは長い付き合いの佐藤浩希とその門下の中里眞央がアントニオ・マレーナと共演。これは観たい。

トップバッターは中里。タンゴ。ヘレスで歌うことにプレッシャーもあったとは思うのだけど、声がよく出ている。
そしてシギリージャ。写真で見ても顔つきが違うのがお分かりだろう。曲のキャラクターが表情にも出ているのはいい。
ただ、これだけ歌えるのなら、声のボリュームや調子のコントロール、センティード、方向性の違いの歌い分けなども欲しくなってくる。はっきりした発音で聞き取りやすいし、それが悪いわけではないのだけど、こういう気持ちを伝えたいという心の方が、歌詞をちゃんと聴かせると言うことよりも重要にみるようなことがあってもいいように思う。朗々と歌い上げるだけでなく。上手な人にはどんどん要求したくなってくるのは私の悪い癖ですが。ごめんよ。

アントニオ・マレーナがソレアを歌い始め、カンテソロだと思っていると佐藤登場。





シリアスな表情で踊ってる、これは…と思ったら
ふとした瞬間に笑顔がこぼれる。ブレリアになる前でも。大好きなヘレスで大好きなフラメンコを大好きな人たちのサポートで踊るのが楽しくてしょうがない、と言う感じ。
フアン・デ・マリアはカンテソロでカンテ・デ・レバンテとカンティーニャ。カマロンの歌った歌詞が多いってことはそれだけ好きなのでしょうね。

アントニオが歌うマルティネーテからの


シギリージャ。片方の裾が長いジャケットで。長めのジャケットやベストを着る男性舞踊手は最近多いけど、女性のように衣装のバリエーションが多くない男性にはいい工夫だと思う。スカートのように裾を摘むとかもできるし、回転の時になびくかんじも悪くない。

若手だと思っていた佐藤もいつの間にかベテラン。経験を重ねて風格みたいなものがでてきていて、軽妙さとのバランスが面白いと思う。

はい。フィン・デ・フィエスタでもはじけていました。パルマ用の低いマイクで歌うふりをしたり、こう言うユーモアもフラメンコには大事。
最後は見にきていたマリア・デル・マル・モレーノも舞台に上がり、華を添え、閉幕したのでありました。

昨日の小林亮の公演といい、この公演といい、スペインのアーティストたちとの、一朝一夕ではない関係があってこその成果なのだと思う。フラメンコたちはフラメンコの価値を認め、フラメンコに敬意を払い、フラメンコを愛し、懐深く飛び込んできた人たちに、惜しみなく与えるのだと思う。フラメンコ自体が贈り物のような気がしてきました。

2022年2月27日日曜日

ヘレスのフェスティバル10日目アンヘル・ロハス『セール・バイレ』

アンヘル・ロハスは1974年マドリード生まれの踊り手で、カルロス・ロドリゲスとのヌエボ・バレエ・エスパニョールで活躍し愛知万博の時に来日。また、近年はマドリードのフラメンコ・フェスティバルの監督、アントニオ・カナーレスやルピ、メルセデス・ルイスらの作品の演出などでも知られます。 ここ数年は舞台で踊っていなかったという彼が久しぶりの舞台ということでサラ・コンパニアへ。

©Javier Fergo Festival de Jerez

これがなかなか良い作品でありました。

ギタリスト、ジョニ・ヒメネスとパーカッションのバンドレーロによる音楽がいい。歌詞を自作というマリア・メスクレの歌も、しっとりと、歌詞もよく聞き取れるのもいい。四人だけのシンプルな舞台ながら素晴らしい照明で、小さな劇場の良さをも生かしているという感じ。

アンヘルのソロでの舞台を観たのは初めてだと思うけれど、その昔(92年だから30年前だ!)、カナーレス舞踊団で、『トレロ』の牛役が本当にすごかったのを覚えている。そのせいか、オープニングの息する音が、『トレロ』の場面と重なってしまう。実際、彼の踊りの中にはカナーレスが詰まっていて、それも90年台前半の全盛期のカナーレスを思い出させる。

カナーレスの振りをそのまま踊っているわけではもちろんないのだが、振りの部分とか、振り自体は違っても構成とか、アクセントのつけ方とか、首や腕の使い方とか、あちこちにカナーレスが現れてくる。今のアントニオよりもカナーレスかも?と思えるほど。最後に踊ったシギリージャにしても、後ろの中央から現れて、パンと手を打って始まるところとか、カナーレスのソレアじゃん、って感じ。タンゴも然り。

もちろん、ギタリストの横で、ギタリストの動きを真似るかのような振りをしたり、パーカッションのソロからバンドレーロが踊り手の肩を叩いてパーカッションにする、みたいな、個性的なところもあります。

衣装だけはなぜ?って感じで理解不能だったけど、上質な作品でございます。

舞踊三部作の一作目ということなので今後も楽しい。

ビデオはこちら。でもビデオだと照明の美しさ、あまり見えないんだよな〜




2022年2月22日火曜日

ヘレスのフェスティバル5日目マリア・モレーノ『モレ・ノ・モレ』

 カディス出身でエバ・ジェルバブエナ舞踊団などで活躍したマリア。だからなのかな、作品も踊りもどこかエバみたいなのだ。

幕開き、椅子の上で本のようなものを読んでいるところとか、椅子を使うところとか、エバが舞踏にインスパイアされて始めたという非常にゆっくりした動きとか。でも彼女はエバじゃない。エバの影響が強烈すぎて、彼女らしさがどこにあるのか、私には見えにくい。

©Javier Fergo Festival de Jerez

携帯のキーを打つ音でコンパスを刻むという設定での、ロベルト・ハエンとのかけあいが楽しかったけれど、うーん、あれはロベルトの個性だしなあ。

例えば、先日のメルセデス・ルイスなどより技術が上なのはわかるけど、なんというのか、繊細さが少ないというのか、バタやマントンも力技に見えてしまう。姿勢も首がちょっと前に出ているような感じが気にかかる。

好きな人は好きなんだろうけど、単に好みの問題なのかなあ。私が踊りに求める、美しい形と動きを見ることは叶わなかったんだけど、熱血が好きな人は好きなのかもしれない。


ビデオはこちら




2020年10月1日木曜日

ドランテス『イデンティダ』

サン・ルイス・デ ・ロス・フランセセス教会でのピアニスト、ドランテスのリサイタル。

18世紀のバロック教会(現在はセビージャ県の管理下で教会としては使われていない)の真ん中にピアノが置かれ、四方を客席で囲む形。

どこか東洋的な、切ない調べの曲で始まり、ソレアのリズムやカンシオンなどを取り入れた曲、グラナイーナ?風の歌が浮かぶようなメロディやマノロ・サンルーカルへのオマージュと言っていた通り、名盤『タウロマヒア』のオラシオンのようなメロディが出てきたり。


Archivo fotográfico Bienal de Flamenco. Fotógrafa: Claudia Ruiz Caro


弦楽器で打楽器なピアノならではの演奏。ギターの音を再現するようなところもあるけど、メロディを奏で、リズムを刻み、世界を広げていくよう。

アレグリアスはリズムと新しいメロディできかせます。

昔のフラメンコピアノはメロディ中心、また歌唱やギターの演奏を再現する、というイメージだったのではないかと思うのですが、現在は大きく変わり、様々なテクニックを用いて、ピアノを通じて自らのフラメンコを表現する、という感じではないでしょうか。


Archivo fotográfico Bienal de Flamenco. Fotógrafa: Claudia Ruiz Caro


この日最も感動したのはシギリージャ!伝統的なファルセータを再現したかと思うと、現代音楽風のバリエーションへ。シギリージャの深刻さ、深い悲しみ、重さ、など曲のもつ性格を見事に表現しています。マノロ・カラコールが歌ったサンブラを挟むなどの小技?も効いています。


Archivo fotográfico Bienal de Flamenco. Fotógrafa: Claudia Ruiz Caro

 早いテンポで始まったのが実はティエント。自由に駆け回っているようで、実はすごくよく考えられているな、という感じ。

坂本龍一ぽい感じや、映画音楽的なものがあったり、ピアソラぽかったり。

いろんな音楽聴いているんだろうなあ。

フラメンコの坂本龍一、って言ったら本人、どう思うかな。でもクラシック系のペドロ・リカルド・ミーニョ、ジャズ系チャノ・ドミンゲス、ジャズ/ロック系ディエゴ・アマドール、とかイメージで分類していくと、ドランテはニューエイジ系、って思ったのを思い出しました。

前日のトレメンディータもそうだけど、フラメンコを熟知し、解体し、再構築していくこの感じ、すごいし、面白い!

ソロ演奏、おすすめです。


ちなみに一番前の席だったので、初めて、指の動きまでつぶさに見ることができました。

2020年9月7日月曜日

ロシオ・モリーナ『イニシオ(ウノ)ギター三部作の抜粋』

舞台に白い床。椅子。その横にギター。



舞台に出てきたラファエル・リケーニが椅子に腰掛ける。

舞台奥に幽霊のように浮かび上がるロシオ。リケーニの爪弾きに反応して動く。

最初は手首の先だけ。それが腕へと広がる。

白い透ける布をまとい、一つ一つの音をそっとすくいあげるように、音を形にするように動く。

リケーニの演奏は、アルバム『パルケ・デ ・マリア・ルイサ』の曲。クラシックよりの、美しい曲を、なぞるように踊っていく。

Bienal de Flamenco©︎ Claudia Ruiz Caro

フラメンコ?コンテンポラリーダンス? どっちでもいい。音も動きも美しい。

くるくる回るロシオはスーフィー舞踊のようでもある。ところどころの表現にエバみたいな感じもあったり。(エバ夫妻も来てたよ)

Bienal de Flamenco©︎ Claudia Ruiz Caro


アバニコを使ったり、アバニコを2本にしたり、それを水を浸したり。薄い上着を脱いで袖がまっすぐでどこか拘束衣を思わせる白いブラウスに着替えたり。小物で変化をつけるものの基本は変わらない。二人だけの舞台。

Bienal de Flamenco©︎ Claudia Ruiz Caro

リケーニの音は一つ一つに重みがあり説得力がある。なんだろう、この感じ。包み込まれるよう。身体がリラックスしていくのがわかる。目でロシオを耳でラファエルを聴きながら、セラピーをうけているような。

二人の信頼関係。ラファエルはほとんどロシオを観ない。でも大きな絆があるような。ロシオが吹く口笛をそっとギターで追うところなど、微笑ましい。年で言ったら親子くらい?でも親子というのとは違う、叔父とめいみたいな感じかなあ。

ロシオが舞台を去り、演奏したソレアの深み。内包する哀しみは大きすぎて暖かい。

再び舞台に出たロシオは床を覆っていた白い布のマジックテープを外し、ラファエルを下手の隅へと連れていく。二人の歩みはどこかユーモラス。

聖週間の行進曲『アマルグーラ』を演奏するリケーニ。床の白い布をまとい、聖母の後ろ姿のように装うロシオ。

Bienal de Flamenco©︎ Claudia Ruiz Caro


だったのに最後は死んだゴキブリのように床に転がって手足を上に。謎。きっと意味があるのだろうけど私にはわからなかった。写真見たら、あれ、これは赤ちゃんかもとか思ったけど。その後、それまでとは打って変わってサパテアードも聴かせるしね。

Bienal de Flamenco©︎ Claudia Ruiz Caro


でもとにかく心を動かすものがあったのはたしか。

これが21時からの公演とどうつながるのかつながらないのか。その後どういう風に展開して3部作が完結するのか。期待しかない。

後記

セビージャの新聞ABCのマルタ・カラスコ評の中に演奏曲が掲載されていました。それによると以下の通り。

Aquel día, Estanque de los Lotos, Costrurero de la Reina, la Isleta de los Patos, Tiempo Pasado, Jazmín azahar, Trinos, Amaruguras, Los Quintero, Cogiendo Rosas







 

2020年8月15日土曜日

ビエナル(夏の陣)開幕! リカルド・モレーノの世界

 ビエナルが開幕しました。

とは言っても9月の本番を前にした前哨戦のような公演で、88年や90年にもドン・ファドリケで開かれていたなあ、と思い出します。今回の舞台はセビージャ市内の北の端の方にある、サン・ヘロニモ修道院のお庭。

ちょっと遠い。旧万博会場内にあるセントラル劇場よりもどんどん北に行ったところの川沿い。3番のバスで行きます。

そこに特設舞台が作られ、ソーシャルディスタンスを考えて十分に感覚をとって椅子を配置しています。

bienalからもらったリハーサル写真で見るとこんな感じ。


La Bienal
La Bienal


舞台は高めです。



もちろんお客さんも全員マスク着用。みんなちゃんとしてます。この青い、外科マスクと言われる、お医者さん用の使い捨てのものがスタンダードだけど、おしゃれマスクの人も時々います。

リカルド・モレーノと言っても日本ではまだほとんど知られていないのではないでしょうか。1981年レブリーハ生まれ。ヒターノの血筋で、11歳の時には祖母や叔父たちを伴奏していたと言います。20歳でフラメンコ ・フュージョン系のグループでデビュー。以後、作曲家、プロデューサーとして、アンダルシア観光局CM曲なども手掛けていました。ドランテスやホルヘ・パルドらとの共演などを経て、2015年ソロアルバム『バレカイ』をリリースしました。このあたりからフラメンコ界でも知られてくるようになったと思います。

コンサートはロンデーニャに始まりグラナイーナ、ブレリア、アレグリアス、グアヒーラ、7弦ギターによるロドリーゴへのオマージュ(ちょこっとアランフェスの一節なども挟んでる)であるインプロ(をマヌエル・モリーナに捧げる、という複雑さ)、そしていろんなブレリアを組み合わせた組曲。

というと普通なんだけど、実際にはロンデーニャの最後にはパルマのメジによるマルティネーテを挟んでのカンシオン風のシギリージャがあったり、なんというか精神が自由。
一つ目のブレリアも、聞いたことのない、オリジナリティにあふれるもの。
もちろん、パコやトマティート、ビセンテと言った先駆者たちの影響は見えるのだけど、既存のものをなぞっているのではなく、自由な精神で再構築していく感じ。
アレグリアスは三弦の調弦を変えてる、というし、グアヒーラは8分の5拍子だし(「首切られるかもだけど」って本人言ってた)、縛られず、でもフラメンコを愛し、敬意を持って、自分の世界を築いているという感じ。面白い。
実際問題、昔ながらのフラメンコの型の中でやってくれた方がわかりやすく。個性が見えて楽しめる部分っていうのはあるのだけど、これはこれで面白い。

La Bienal


最後は4歳の長男が舞台に上がってちょっと歌って踊って。

ああ、フラメンコはこうやってフラメンコ を遊びとして育っていくんだなあ、フラメンコは遊びなんだなあ、と思ったことでした。


照明も綺麗で、曲にあっていてよかったけど、コーラスとかはちょっと古臭く思えちゃう。多分普通のカンテの方が今は新しい感じがするんだろうな。

新しいものが古臭くなって、古いものが新しく見える、って時代の移り変わり、なんでしょうね。




2020年2月28日金曜日

へレスのフェスティバル7日目サラ・バラス『ソンブラス』

ザ・サラ・バラス!
現在、マドリードでも週末に絶賛上演中の華麗なフラメンコ・スペクタクルがへレスに見参。

内容は先日のセビージャ公演から変わっていないので、その時のブログをご参照ください。

とにかく華やかで、フラメンコを知らない人でも楽しめます。

ファルーカに始まり
© Festival de Jerez/Javier Fergo”

© Festival de Jerez/Javier Fergo”
セラーナ、
© Festival de Jerez/Javier Fergo”
 ワルツ、
© Festival de Jerez/Javier Fergo”
マリアーナ、
© Festival de Jerez/Javier Fergo”


そしてアレグリアス、
© Festival de Jerez/Javier Fergo”

© Festival de Jerez/Javier Fergo”

ブレリアで幕を閉じたと思ったら、客席のフアナ・ラ・デル・ピパを呼び込み、まだデビュー間もない頃に共演してた話で涙ぐみ、フアナがサラの母も呼び込み、ブレリア。

休憩なしのほぼ2時間、全速力で走り抜けるサラ。アスリート並みですね。





2019年3月8日金曜日

へレスのフェスティバル14日目 ダビ・コリア『アノニモス』

ダビ・コリアは、セビージャ県コリア・デル・リオの出身。
そうです、ハポンさんで有名な町です。なんでコリアが芸名になった。
セビージャの舞踊学校からスペイン国立バレエへ。退団後はエステベス&パーニョスやロシオ・モリーナ、ラファエラ・カラスコらの舞踊団で活躍。アンダルシア舞踊団を経て、2017年へレスで発表した『エル・エンクエントロ』が好評だったのも記憶に新しい。


ため息が出るほど美しいポーズ、形と、レース編みのように複雑で細かいサパテアードで綴られるのが『アノニモ』。
匿名、無名の意味で、アンダルシア舞踊団時代の仲間エドゥアルド・レアル、ラファエル・ラミレスと三人での舞台。



薄明かりの中に重なって見える三つの体。裸のようにも見えるが、上半身裸の上に袖なしジャケット。
© Javier Fergo / Festival de Jerez
下手にミュージシャンたちがやってくる。
早い速度のシギリージャ。
まあ、複雑怪奇なサパテアードのオンパレード。
まるで競争のように、走り続けるサパテアード。
それは三人の会話だったり合唱だったり。
すごいテクニックには違いないのだけど。
© Javier Fergo / Festival de Jerez

© Javier Fergo / Festival de Jerez

© Javier Fergo / Festival de Jerez

ビニールか紙かでできたスカートをつけてのちょっとユーモラスな場面からの
ヘマ・カバジェーロがダビの肩車に乗って歌うファルーカ。
© Javier Fergo / Festival de Jerez
 ペペ・デ・ラ・マトローナが歌った古いルンバから
歩きつつ弾くチェロとの絡み
そしてメキシコのペテネラ(このフェスティバルで3回目?)からのペテネラ
© Javier Fergo / Festival de Jerez

© Javier Fergo / Festival de Jerez

サパテアードの掛け合いは会話、対話、言い争い。
一つの体の中にあるいろいろな心、考え、自分。
スカートは自分の中の女性性の発見、違和感、受容。
上着の脱ぎ着は上辺で判断されることの違和感。
などなど、いろいろ読むことはできる。


でも前回と比べるとなんかちょっと不満足。
足技詰め込みすぎで余白があまり無いせいかとも思ううけど。
もう一回見たいかな。

ビデオはこちら


今年のへレスは例年以上に風邪が流行ってます。
私もヨレヨレでございます。さ、あと2日。お薬飲んで頑張ろう。

2019年2月4日月曜日

松彩果enフラメンケリア


 セビージャ長期滞在中の松彩果のリサイタルは、トリアーナのフラメンケリアで。
カスティージャ通り、チャピーナ広場よりのフラメンケリアはフラメンコ・スタジオですが、水木金土20時半からはタブラオに。そしてそのあとなどにフラメンコ公演が時々行われています。
昨年は田村陽子と工藤朋子の公演も見に行ったなあ。
3月に帰国する松なので、その前に、今回のセビージャ滞在の句読点的ライブなのかな。
開演は22時の予定でしたたが、30分遅れで開幕。
カンテ・ソロ、アレグリアス、休憩、カンテ・ソロ、ソレア、フィン・デ・フィエスタというシンプルな構成。でもバックが、さすがセビージャ!で、
ギターに名手エウヘニオ・イグレシアス
 歌は、これがタブラオライブ初出演という新人、エル・キキと
 ベテラン、ギジェルモ・マンサーノ。
 パルマには、ロシオ・モリーナらとの共演でも知られるオルーコ。

なかなかのドリームチーム。
1部でのアレグリアスは黄色に白の水玉のバタ・デ・コーラにマントンで。







やりたいことができてないようなもどかしさ。
ちょっと昔のフラメンコをイメージしたような衣装だけど、髪のしつらえはゆるくて、セビージャ風のきっちりした美しさはない。ちょっと残念。
ん〜、昨年、日本で見た時の方が良かったかも?

でも休憩を挟んだソレアで一挙挽回。





歌を聴いて、歌に反応して踊る。
ある意味プリミティブな感じのある、基本のフラメンコ。
これって、なかなか日本じゃできないよね。
あの振りをしよう、この振りをしようと前もって思っているのでは無く、歌を聴いて体の中から出てくるままに動いている、そんな自然な感じのフラメンコ。

こういう踊りができただけで来た甲斐があったのだと思います。

フィン・デ・フィエスタではオルーコも踊る。



ヒターナになりたかったのかな。とかも思ったけど、とにかくヒターノふうのフラメンコが好きだということは間違いないでしょう。

アレグリアとソレアでガラッと変わったように、なんかこれからも色々変わっていきそうで、目が離せません。

劇場の舞台のために、作品としてきっちり作る振り付けもあれば、タブラオなどで、臨機応変に踊っていくのもフラメンコ。
セビージャでしか学べないことを学んでいるんだなあ、と感じたことでした。