2017年10月29日日曜日

日本のフラメンコ 高橋英子「Vente a mi Cueva私のクエバ(洞窟)で待ってます!」

ガロルチでの高橋英子のライブは「ベンテ・ア・ミ・クエバ」、直訳だと私の洞窟においで、だが、タイトルとしては私のクエバで待っています、とか。

フラメンコで、クエバ、洞窟といえば、グラナダのヒターノたちが暮らしたサクロモンテの洞窟のことで、家であり、フラメンコを見せる店であり…グラナダで長く暮らした高橋ならではのタイトルだろう。実際、クエバを持っていたのだと聞いたことがある。

第一部は、グラナイーナからファンダンゴ・デ・グラナダ、タンゴと進む、グラナダ・アンソロジー的曲で開幕。私が彼女の踊りを見るのは何年振りだろう。以前の印象、とにかくプーロな感じのフラメンコとはだいぶ違う。正直、ちょっとひやっとするところもないではなかったが、小さめのブラソがグラナダ風で、雰囲気がある。個性的だ。
鈴木尚伴奏での石塚隆充のカンテソロはソレア。歌とギターはあまり相性がよくないようにみえたのは気のせい? 
大塚友美のバンベーラ。舞台に出てきた時、肩にかけた長方形のシージョで、カルメン・レデスマみたいと思ったのが当たりだったようだ。カルメン風ではあるのだが、カルメンやコンチャ・バルガスのような、シンプルな振りは本当に難しい。
プログラムだとこれで終わりのはずで、場内放送もあったのだが、舞台からもう一曲、と声がかかり、高橋のソロ。タンバリンを使ってのサンブラ。ギターの古い響き。雰囲気がある。
高橋の踊りは、クエバ風というか、劇場の大舞台でのような大きな踊りではなく、クエバのような限られた空間でのような、小さな、親密な感じのものだ。

第二部はクアドロとなっており、実際、舞台に出演者全員がいて、一緒に歌い、踊ると言う形。タイトルにあるように、高橋のクエバにやってきてフィエスタをしているという趣向。ちょっと芝居掛かった喋りがあったり、昔のタブラオのクアドロ風のハレオを歌ってパルマで遊んだり。高橋は歌い、語り、踊る。
グラナダのフラメンコの名物おじさん的存在、クーロ・アルバイシンのように、芝居っぽく語り始めたかと思うと、エネルギッシュなクエバのおばちゃんのように、歌い踊る。
自由に、フラメンコを遊ぶ。歌がうまいわけではない。でも大好きで歌っているのが伝わってくる。フラメンコの楽しさを伝えようと頑張っていることが。

細かいことを言ったらきりがない。
ハレオ(ニーニャ・デ・ラ・ベンタとかサペサペトか、これ、昔エンリケ坂井さんのパルマ教室でやってたのと同じで懐かしい)は全員で一緒に歌っていた方がそれっぽいし、スペイン語の語りはもっとオーバーに芝居掛かって、それこそクーロのようにやっていいと思う。台本はないんだろうと思うのだけど、あるのかな?もっと工夫できるかも。
カルメン・ポルセルが化粧しないのはアレルギーかなんかなのだろうか? 美人さんなんだから口紅とかつけた方がもっと綺麗だと思うし、彼女のルンベーラももっと芝居がかるというか、オーバーなくらいに入り込んでやって欲しいところだ。
そう、こういうのってその気になってやった方が勝ちなのである。

それでも、フラメンコの伝統も、空気も、生活も、何もないけれど、少しずつフラメンコへの愛が育ってきた日本に、フラメンコってこんなに楽しいのよ、フラメンコにはこんな楽しみ方もあるのよ、と全身で語りかけてくる。

そうなんだよね。
スペインにはいろんなフラメンコがある。
決して舞台の上だけのものではないし、シリアスなものだけでなく、コミカルなものもある。やったもん勝ち、楽しんだもん勝ち、なところもある。もちろん、一人でやるものではないから、周りや自分を見極めることも、空気を読むことも必要だ。でもまずは楽しもう。眉間にしわよせて踊るだけじゃもったいないよ。観て楽しみ、歌い踊って楽しむ。
うん、みんなでもっと楽しもう、フラメンコを。





















2017年10月28日土曜日

日本のフラメンコ AMIフラメンコ・リサイタル公演Mi Sentir Madre〜母〜

いやあ、そうきましたか。意外。

AMIといえば、マドリード、セビージャで学び、コルドバのコンクールでグアヒーラを踊って日本人として唯一、優勝した人。いわゆるエスクエラ・セビジャナーナ、セビージャ風の女性舞踊を会得し、優雅な舞には定評がある。
だから今度も、と思っていたのだが、この公演ではフラメンコをフラメンコとして踊るのではなく、母と娘というテーマを、フラメンコを言語として使って表現する、というものだった。いわば、フラメンコを使っての創作舞踊。
妊娠、出産、子育て、娘の反抗期、母娘の軋轢、母の子への思い、母の老い、そして別れ、と3組の母娘で描いていくというもの。
シンプルなストーリー。女性なら誰もが見につまされるところがある物語。
母への思い。母の思い。娘の思い。
師と弟子もまた、母娘のようなものなのかもしれない。

最初の場面は「誕生まで」マノロ・サンルーカルの名作「タウロマヒア」のアレグリアス「プエルタ・デ・プリンシペ」での「胎児の力」というシーンに始まる。音楽こそフラメンコだが、踊り自体はフラメンコに縛られない、自由な創作。
続く「妊婦の願い」は、ジャズ風ピアノ伴奏のナナ(誰だろう?パシオン・ベガらスペイン歌謡系とも思ったけど、アクセントからして外国人?わからない)も録音。ブレリアでやっと生演奏に。ダビ・ラゴスのリガール、音のつなげ方にオレ!
子供を失った母をAMIがソロで踊るが、これもピアノの録音。髪型のせいか、AMIの姿に、その師岡田昌己の姿が重なる。会場にいらした岡田氏にいうと「全然違う」ということなのだけど、私にはその佇まいが師を思い出させた。

「幼児期の幸せ」はタンギージョ、「子供の成長」はグアヒーラ、というようにフラメンコ曲を使って、フラメンコな振り付けも使われてはいる。でも、あくまでもテーマ優先。
独立したフラメンコ曲とはなっていない、という感じを受ける。それでもグアヒーラの足使いなどに素敵なデテールがあって、ちょっとハッピーにしてくれる。

レトラも母を歌ったものなどを多く歌っているし、オリジナル?と思われるものもあるのだが、聞き取りにくく、その内容を全部理解できた人は少ないだろう。音響は今ひとつ。
パルマの音が大きすぎたり、ギターや歌が大きすぎて靴音を消したり。残念。

母の子への思いや老いていく母と近くにいない娘の場面など、外国に暮らす私もそうだが、身につまされた人が多かったのだろう、あちこちですすり泣きが聞こえた。
最後は、母との別れをイメージさせる場面で終わる。
普遍的なテーマをシンプルな形で表現し、伝えたかったことはおそらく完璧に伝わっているだろう。が、フラメンコのリサイタルとしてみたら食い足りない。マイムや表情で言いたいだろうことは伝わるのだけれど。


ここで出演者はお辞儀をして、一旦終わりといった感じがあるのだが、その後、すぐ、ミュージシャンたちのカディスのブレリアが始まり、アレグリアスへ。華やかなバタ・デ・コーラのAMIの一人舞。ミラグロス譲りのパソがいろいろ出てきて、その見事な演技にオレ。
これはフラメンコを目当てに来たお客さんへのサービス? でもこの踊りを、作品のフィン・デ・フィエスタとしてでなく、作品の中に組み込むこともできたのでは?
ひとつのフラメンコの曲としても見ることができて、全体の流れで、テーマを伝える、というのもありなのでは?
バタさばきはさすがだが、衣装が彼女には役不足。丁寧な仕事が施されたバタなのだが、バタの部分にハリがなく(バタの部分の裏のフリルが少ない?そこの生地がぺしゃんとなってる?)せっかくのバタさばきに応えきれていない。バタの足使いが見えるのは、練習生には勉強になるだろうが、普通はあんなに見えないはず。残念。
群舞は、水玉衣装でセビージャぽいタンゴ。個性も見え隠れして楽しい。
そして盛んな拍手に応えて挨拶、また挨拶。


日本人が、フラメンコを演じる時代から、フラメンコを自分の言語として使う時代になったと見るべきなのだろう。それも上辺だけで捉えた、見せかけだけのフラメンコではなく、しっかり基本を抑えたフラメンコ。

うーん、でも個人的には、物語とフラメンコ曲の両立が見たいかもしれない。
母への思いも、母娘の歴史を追う以外でも表現できたのではないか、とも思う。
母娘を3組登場させたのは普遍性を表すため? でも本当にその必要があったのだろうか。また母役娘役を踊るダンサーが固定していたが、見た目年齢が近いからどちらが母かと戸惑う感じも正直あった。場面ごとにもっと自由に変えてもよかったかも? 母もまた娘であり、娘もまた母になるかもだし。あ、それじゃ複雑で舞踊では伝えきれない?
いや、そんなことはないでしょう。。。
などと見る側はいろいろ考えます。
でもいろいろと考えさせてくれる作品に出会えたことは良かった。

また次のAMIが見てみたい。







2017年10月27日金曜日

マドリード・エン・ダンサ2017

マドリード共同体の舞踊祭、マドリード・エン・ダンサ2017のプログラムが発表された。
アイーダ・ゴメスが監督を務めるこのフェスティバル、フラメンコ&スペイン舞踊のプログラムも充実。

アントニオ・カナーレスは彼の出世作というべき「トレロ」を再演。
かつて牛を踊ったアンヘル・ロハスが闘牛士を踊り、またカナーレス門下のポル・バケーロが闘牛士と牛の両方を日替わりで踊る。
カナーレス自身は「ベルナルダ」でベルナルダを踊る予定。

他にもダニエル・ドーニャやイサベル・バジョンら充実のプログラム。ただし、へレスのフェスティバルでも観ることができる作品が多い。


◇マドリード・エン・ダンサ2017
11/21(火)、22(水)20時「アビタット」
[出]〈b〉ダニエル・ドーニャ、クリスティアン・マルティン、アルフレド・バレロ、ダビ・バスケス
[場]マドリード カナル劇場サラ・ベルデ
11/25(土)20時「アタンド・カボス」
[出]〈b〉マリアノ・ベルナル、〈c〉ロシオ・バサン、〈g〉ラモン・アマドール、〈〈perc〉〉ボテージャ
[場]マドリード圏 セントロ・コマルカル・デ・ウマニダデス カルデナル・ゴンサガ シエラ・ノルテ
12/2(土)20時30分、3(日)19時30分「トレロ」「ベルナルダ」
[出]〈b〉アントニオ・カナーレス舞踊団
[場]マドリード カナル劇場サラ・ロハ
12/6(水)20時30分「ペティサ・ロカ」
[出]〈b〉サラ・カレーロ、〈c〉ヘマ・カバジェーロ、〈g〉ホセ・アルマルチャ
[場]マドリード カナル劇場サラ・ロハ
12/10(日)19時30分「ベシノス」
[出]〈b〉マルコス・ダンサ(カルロス・チャモロ、マリアナ・コジャド)
[場]マドリード圏サン・ロレンソ・デ・エル・エスコリアル レアル・コリセオ・デ・カルロスIII
12/12(火)20時30分「カテドラル」
[出]〈b〉パトリシア・ゲレーロ
[場]マドリード カナル劇場サラ・ロハ
12/13(水)20時30分「ジュジュ」
[出]〈b〉イサベル・バジョン
[場]マドリード カナル劇場サラ・ロハ

[問]http://www.madrid.org/madridendanza/2017/programacion.html

2017年10月23日月曜日

ヘレスのフェスティバル、プログラム発表

ヘレスのプログラムが発表になりました!
前売り開始は11月2日木曜日。
フェスティバル主催のクルシージョに申し込んでいる人は、期間中のビジャマルタ劇場の公演の入場券は含まれていますが、その他の会場の公演や期間外の公演は別途購入せねばなりません。人気の公演は売り切れになることも多いので早めにチェック、が吉ですよ。



◆第22回ヘレス・フェスティバル
223(金)21時「エリターニャ」「万トンのソレア」「サパテアード」「アレント」
[出]〈bスペイン国立バレエ
[場]ビジャマルタ劇場
223(金)24時「ドス・パルテス・デ・ミ」
[出]〈g〉アントニオ・レイ、ゲスト〈b〉ホアキン・グリロ
[場]ボデガ・ゴンサレス・ビアス
224(土)19
[出]〈g〉ダビ・カルモナ、ゲスト〈c〉ルイス・エル・サンボ
[場]サラ・パウル
224(土)21時「バイレ・デ・アウトール」
[出]〈b〉マヌエル・リニャン
[場]ビジャマルタ劇場
224(土)24時「ディエス・ルストロス・デ・カンテ」
[出]〈c〉ビセンテ・ソト、ゲスト〈c〉ラ・マカニータ、メルチョーラ・オルテガ、レラ・ソト、〈g〉パリージャ・デ・ヘレス、アルフレド・ラゴス、ディエゴ・デル・モラオ、マヌエル・バレンシア、フアン・ディエゴ、ノノ・ヘロ
[場]ボデガ・ゴンサレス・ビアス
225(日)19時「デリリウム・トレメンス」
[出]〈c〉ロサリオ・ラ・トレメンディータ
[場]ボデガ・ゴンサレス・ビアス
225(日)21時「ラ・パウラ」
[出]〈b〉ラ・ルピ、ゲスト〈c〉マリア・テレモート
[場]ビジャマルタ劇場
225(日)24時「エモベレ」
[出]〈b〉ルシア・ラ・ピニョーナ、演出ホセ・マルドナード
[場]サラ・パウル
226(月)19時「バホ・デ・ギア」
[出]〈sax, flauta〉ディエゴ・ビジェーガス、ゲスト〈b〉マリア・モレーノ
[場]サラ・パウル
226(月)21時「フラメンカ
[出]〈b〉ベレン・ロペス
[場]サラ・コンパニア
227(火)19時「レディトゥム」
[出]〈b〉ホセ・バリオス
[場]サラ・コンパニア
227(火)21時「バモアジャ」初演
[出]〈b〉フラメンコ国際舞踊団、ゲスト〈b〉小島章司
[場]ビジャマルタ劇場
227(土)24時「ライセス」
[出]〈c〉マリア・テレモート
[場]ボデガ・ゴンサレス・ビアス
228(水)13時「シン・ペルミソ・デ・レシデンシア」
[出]〈b〉アナ・モラーレス
[場]
228(水)19時「フィルマメント」
[出]〈c〉ロシオ・マルケス
[場]ボデガ・ゴンサレス・ビアス
228(水)21時「カイダ・デル・シエロ
[出]〈b〉ロシオ・モリーナ
[場]ビジャマルタ劇場
228(水)24時「センティオ・カバル、バイランド・パ・カンター」
[出]〈b〉ミゲル・アンヘル・エレディア、ゲスト〈b〉コンチャ・バルガス
[場]サラ・コンパニア
31(木)19時「3デウノ」
[出]〈g〉エミリオ・オチャンド、特別協力マカリネス
[場]サラ・コンパニア
31(木)21時「コンーセクエンシア」
[出]〈b〉アルフォンソ・ロサ
[場]ビジャマルタ劇場
32(金)19時「ロ・トライゴ・アンダオ」
[出]〈c〉ヘマ・カバジェーロ、〈g〉ハビエル・パティノ
[場]サラ・コンパニア
32(金)21時「ケ・パサリア・シ・パサラ」
[出]〈c〉ダビ・パロマール、〈g〉リキ・リベラ、〈b〉エル・フンコ、〈perc〉ロベルト・ハエン
[場]ビジャマルタ劇場
32(金)24時「エル・ソニド・デ・ミス・ディアス」
[出]〈b〉ヘマ・モネオ、ゲスト〈c〉ルイス・モネオ
[場]サラ・パウル
33(土)19時「ラ・ギターラ・エン・エル・ティエンポ」
[出]〈g〉サンティアゴ・ララ
[場]サラ・パウル
33(土)21時「ラ・トゥルネエ」
[出]〈b〉アンドレス・ペーニャ、ピラール・オガージャ、演出ダビ・コリア
[場]ビジャマルタ劇場
33(土)24時「ラス・プエルタス・デ・ガデス」
[出]〈c〉エンカルナ・アニージョ、ゲスト〈b〉エドゥアルド・ゲレーロ
[場]サラ・コンパニア
34(日)19時「ADM
[出]〈b〉モリネーロ・エン・コンパニア
[場]サラ・コンパニア
34(日)21時「フラメンコ、トラディシオン、バングアルディア。プロジェクト・カンテーラ」
[出]〈b〉アンダルシア舞踊団
[場]ビジャマルタ劇場
35(月)19時「トリノ、フラメンコ・プーロ舞踊国際コンクール・ガラ」
[場]サラ・コンパニア
35(月)2130分「プントス・イナカバードス」
[出]〈b〉ヘスース・フェルナンデス、ゲスト〈c〉ミゲル・オルテガ、特別協力〈b〉イバン・アマジャ。アナベル・モレーノ、演出ダニエル・ドーニャ
[場]サラ・パウル
36(火)19時「キメラス・デル・ティエンポ/レクエルドス」
[出]〈c〉エセキエル・ベニテス、ゲスト〈c〉ヘスース・メンデス、〈b〉マリア・デル・マル・モレーノ
[場]サラ・コンパニア
36(火)21時「ナシーダ・ソンブラ」
[出]〈b〉ラファエラ・カラスコ
[場]ビジャマルタ劇場
37(水)19時「コン・ラ・ボス・エン・ラ・ティエラ」
[出]〈c〉ダビ・カルピオ、ゲスト〈g〉マヌエル・バレンシア、〈base〉パブロ・マルティン、〈sax, flディエゴ・ビジェガス、特別協力〈g〉ディエゴ・デル・モラオ、サンティアゴ・ララ
[場]サラ・パウル
37(水)21時「ノ・パウサ」
[出]〈b〉ダニエル・ドーニャ・スペイン舞踊団
[場]ビジャマルタ劇場
38(木)19時「ペティサ・ロカ」
[出]〈b〉サラ・カレーロ
[場]サラ・コンパニア
38(木)21時「ジェレン」
[出]〈b〉アントニオ・モリーナ“エル・チョロ”、ゲスト〈c〉ペドロ・エル・グラナイーノ、演出マヌエル・リニャン、振付バレリアーノ・パーニョス、ロシオ・モリーナ
[場]ビジャマルタ劇場
39(金)19時「オリヘン」
[出]〈gホセ・カルロス・ゴメス、ゲスト〈b〉エル・フンコ
[場]サラ・パウル
39(金)21時「ジュジュ」
[出]〈b〉イサベル・バジョン・フラメンコ舞踊団
[場]ビジャマルタ劇場
39(金)24時「バイラール・パラ・コンタールロ
[出]〈b〉フアン・オガージャ
[場]サラ・コンパニア
310(土)17
[出]〈b〉ハビエル・ラトーレのクラス生徒
[場]サラ・コンパニア
310(土)19時「ギターラ・デ・カル」
[出]〈g〉ぺぺ・アビチュエラ、ディエゴ・デ・モロン、ゲスト〈b〉ぺぺ・トーレス
[場]サラ・パウル
310(土)21時「ア・バイラール」
[出]〈b〉エル・カルペータ、ゲスト〈b〉アントニオ・カナーレス、ラ・ファルーカ、アフリカ・ラ・ファラオナ、演出アントニオ・カナーレス
[場]ビジャマルタ劇場
[問]http://www.festivaldejerez.es

2017年10月14日土曜日

日本のフラメンコ 南風野香「パドトロワ 白鳥の湖」

芸術の秋。日本人によるフラメンコの劇場公演も目白押し。
その中で目立つのが小松原庸子舞踊団出身者だ。平富恵、谷淑江、石井智子ら毎年のように劇場公演を行っているし、今年からスペイン長期留学する田村陽子も去年までは常連だった。そんな中、今年は南風野香と青木愛子も劇場公演を行う。青木の公演は私のスペイン帰国後で残念ながら観ることが叶わないが、南風野の初めての(だと思う)公演を13日、光が丘IMAホールで観ることができた。

これまでの誰の公園でも見たことのないような、独特な作品である。

名作バレエとして知られる「白鳥の湖」をモチーフにしつつも、そこで展開される物語は、白鳥の湖そのものをフラメンコ化したものなどではない、全くのオリジナルのもの。

簡略化して言うと、バレリーナとして成功し、娘を得た昔のバレエ仲間を羨み、すでに転向していたフラメンコに誘い込み、屈折した復讐を試み、それを果たす、という話。

その女とその昔のバレエ仲間と娘の三人の関係をパドトロワに見立てているというわけなのだろう。
だが、そこに、フラメンコとの神秘的で運命的な出会い、母による娘の支配、娘のスマホへの逃避と依存などのテーマも加わり、また、劇中劇のような発表会はちょっとした息抜きともなる。

そんな複雑な物語を、正確に観客に伝えることの難しさを感じてのことだろう、あらすじが文字で映し出される。一部の最初には場面を表すビデオも挿入されるし、舞台上の実際の人物が映像へと変化するような、プロジェクションマッピング的な試みもあったり。
カルロス・サウラの映画「カルメン」の「カルメン」の制作過程と物語が絡み合う重層構造にもちょっと似ているかもしれない。

音楽は録音と、エミリオ・マジャのフラメンコギターとナタリア・マリンの歌、三枝雄輔のパルマとカホン、2台のトランペット、チェロ、バイオリンによる生演奏。全員が舞台のすぐ下の客席に、オーケストラボックスの感じでいて、観客と同じように舞台を見て、演奏している。チャイコフスキーの白鳥の湖のモチーフがフラメンコギターやトランペットで演奏されたりするのも面白い。

また白鳥の湖の四羽の白鳥をホタで踊った場面と、発表会のシーンで、喧嘩しながら踊るユーモラスなガロティンは出色の出来。真正面から取り組んだフラメンコだけでなく、肩の力を抜いた、こういった応用ができるのは余裕がある証拠だろう。長年の経験はだてじゃない。

小松原舞踊団時代は華奢で繊細な、天使のような透明感、という印象がある南風野なのだが、ここでは百一匹わんちゃんのクルエラのような悪役を嬉々として演じ、好演。
ソロはソレアとタラントの2曲だけだが、構え、というか、立ち姿やちょっとした動きに、彼女の師である小松原の影が見える。一見、似ていない二人だが、ふとした動きやポーズが驚くほど似て見えるのだ。面白い。
その小松原もフラメンコへの道へと導く赤い月の化身として特別出演。圧倒的な存在感だった。
娘役の内城紗良も、母役で友情出演のダンサー、佐々木想美もいい。群舞もしっかりしている。

フラメンコを見慣れた目には、幕開けで見せたバレエ的なマイムの表現力に改めて感心したり、佐々木のコンテンポラリーのソロも新鮮だし、演出でも、客席も舞台になったり、と様々な工夫が凝らされ、小松原舞踊団好演の美術も務める南風野の夫、彼末詩郎の舞台の上の人たちをより美しく見せるような、決して出すぎることない美術もいい。美しい2時間の舞台も飽きることなく観ることができた。

説明の言葉を映写したり、は意見の別れることだろう。舞踊は舞踊だけで、言葉にはできないものを伝える力がある、と私も思う。
初めての舞台で、伝えたいことがありすぎたのかもしれない。
でも今の彼女はこれがやりたかったんだからそれでいい、と思う。
作品の中心の三人はもちろん、舞台上のすべての人が、ものが彼女の化身だったのかもしれない。