2019年2月28日木曜日

へレスのフェスティバル6日目その2 エドゥアルド・ゲレーロ『ソンブラ・エフィメラ』

カディス出身、エバ・ジェルバブエナやアイーダ・ゴメス舞踊団などで活躍したエドゥアルド・ゲレーロは、今、旬なバイラオールの一人。
タブラオ、コラル・デ・ラ・モレリアでのショーでも人気爆発だそうな。

身体能力高いし、技術もしっかりしている。その彼が演出家と組んでの作品。タイトルは儚い影とでも訳しましょうか。

客席に入ると開演前から舞台には土の山。そこに横たわっていた白い布が動いて歌い出し、踊りだし。いかにも、な演出。衣装は古着。
© Javier Fergo / Festival de Jerez
エドゥアルドはいつもながらにみせます。
© Javier Fergo / Festival de Jerez
でも歌がイマイチで、私の気分はイマイチのらない。歌って大切。
© Javier Fergo / Festival de Jerez

© Javier Fergo / Festival de Jerez
裸足で、紐の付いた靴でリズムをとって踊る。
バックには古着をつなぎ合わせた幕。
© Javier Fergo / Festival de Jerez

© Javier Fergo / Festival de Jerez

私は緊急事態のでんわがあって途中で客席を出なくてはならず、最後まで見ることができなかったのだけど、演出家のエゴというか自己主張が、主役を食ってる感じで残念でございました。
でもきっと彼はこれを超えて、より大きくなると信じます。

へレスのフェスティバル6日目 バネサ・アイバル『シエルペ』

19時からサラ・コンパニアでは、ハエン県生まれでグラナダのコンセルバトリオやセビージャのアンダルシア・ダンス・センターに学んだというバネサ・アイバルの『シエルペ』。
蛇をテーマに見せる舞台は、コンテンポラリーダンスをよく見ているという知人は絶賛。
でも私は辛かった。無理。

無伴奏の民謡みたいな歌に始まり、暗闇の中に動く物体。床を這いずり、
© Javier Fergo / Festival de Jerez
レースのような鎖帷子のようなものを引きずってうごめく。
トリージャやペテネーラなどと電子音楽、ソプラノ。雑多な猥雑さ。

© Javier Fergo / Festival de Jerez

© Javier Fergo / Festival de Jerez
 ギタリストに逆立ちで絡みついたりしたかと思ったら
© Javier Fergo / Festival de Jerez
 大きな帽子でタンゴ・デ・ピジャージョ。ユーモアのつもりなのか何なのか。
意味も分からなければ、美しくも楽しくもない。そしてシギリージャ…
© Javier Fergo / Festival de Jerez

これまでにイスラエル・ガルバン、ベレン・マジャ、エバ・ジェルバブエナ、ロシオ・モリーナなどなど、色々な踊り手たちが様々な試みをしてきていて、あれはフラメンコじゃなくて、コンテンポラリーダンスだ、とか言われてきているわけだけど、これに比べたら全然フラメンコでございます。
この同じサラ・コンパニアでベレンとラファエラ・カラスコが踊った『フエラ・デ・ロス・リミテス』とかも、散々言われてたよなあ。私大好きだったけど。

なんで、バネサの舞台が無理だったかというと、オレ!の瞬間が皆無なのであります。
残念。

イスラエルでもベレンでもエバでもロシオでも絶対あるオレ!の瞬間。
それはちょっとした間の取り方やコンパス感だったり、形の美しさだったり、見事な超絶技だったりするのだけど、この人にはない。
なんというか、体操みたいなのであります。マリア・パヘスばりに手が長くて、細くて、それこそ蛇みたいなんだけど(あ、蛇に手はなかった!でも手も蛇みたいだからいいのか)、コンパスを外しているわけではないのだけど、オレ!を呼ぶ絶妙な間合いは皆無。
形も汚いわけではないけれど、ため息が出るほど美しいわけでもない。

色々工夫をして作品としてきちんと仕上げています。そこはもちろん評価します。
きっとこういう作品の需要もあるのでしょう。
でも意味がわからん。全部の意味わからんでも、あ、美しい、とか、すごいな、とかいうのあれば、そんなのどうでもいいんですが、感じるものも、伝わるものも何もない。ただただ退屈。何を伝えたいのか、何がしたいのか全くわからない。

フラメンコギターもカンタオールもいるけれど、曲がフラメンコならフラメンコなのか。
サパテアードも踏むけれど、サパテアードすりゃフラメンコなのか。
人は何を基準にそれがフラメンコかそうでないかを決めるのか。
イスラエル見てると頭に浮かぶ命題がこの日も浮かんだ。
でもイスラエルとの絶対的な違いは、イスラエルの動きにはコンパスを感じ、彼女の動きは感じられないということ。機械的に見えてしまうのだ。

先述のコンテンポラリーをよく見ているという知人は、先日のクリスティアン・ロサーノを、コンテンポラリー知らないくせにコンテンポラリーして、と言って怒っていたが、私はクリスティアンの舞台はコンテンポラリーというより、民族舞踊や現代スペイン舞踊、フラメンコと様々なアプローチがあったと思うし、何より、美しい形や、ゆっくりと回る回転など、オレ!の瞬間が沢山あったのだ。

観客それぞれ好みは違い、演者それぞれの好みも違う。
演者は皆それぞれ自分の方法を探していく、
残念ながら彼女と私は合わない。それだけのことだ。

なお、歌い手で出演していたトレメンディート(トレメンディータの弟)がムイ・フラメンコな深みのあるいい声をしています。研鑽つめば光りそう。
ギターとソプラノからフラメンコまで歌いバネサとの絡みも見せる、歌手でダンサーで女優でもあるという人とギタリストも共演していました。


フィエスタ・デ・ブレリア2019

8月に行われる、へレスのブレリア祭、フィエスタ・デ・ラ・ブレリアの、メインのプログラムである、三日間にわたる公演の詳細が発表された。
今年は初日、若手の日をマリア・テレモートが、2日目の国際デーはアメリカ出身のマリア・ベルムデスが、最終日をマリア・デル・マル・モレーノが芸術監督を務める。
19日から21日までは展覧会やクラス、フラッシュモブなどが行われる予定。



◇フィエスタ・デ・ラ・ブレリア
8/19(月)~24(土)
8/22(木)22時『レボルシオン、エジャス・エン・エル・カンテ』
[出]〈c〉マリア・テレモート、エンカルナ・アニージョ、アナベル・バレンシア、ロサリオ・エレディア、マイ・フェルナンデス、カルメン・グリロ、ファニア・サルサナ、ドローレス・デ・ペリキン、マヌエラ・パリージャ、〈b〉サライ・ガルシア、トリアーナ・ヘロ、〈g〉ノノ・ヘロ、フェルナンド・カラスコ、〈〈perc〉〉アネ・カラスコ、〈palmas〉フアン・ディエゴ・バレンシア、マヌエル・カンタローテ、マヌエル・バレンシア
8/23(金)22時『ヘレス・コン・カリフォルニア』
[出]〈c〉ビセンテ・ソト、ルイス・モネオ、エンリケ・エル・サンボ、アントニオ・マレーナ、ゲスト〈c〉エスペランサ・フェルナンデス、〈b〉ファルーカ、〈g〉マヌエル・パリージャ、ヘスース・アルバレス、特別協力〈g〉アントニオ・レイ、バイオリン、ベルナルド・パリージャ
8/24(土)22時『ムヘーレス・デ・カル・イ・カンテ』
[出]〈c〉フアナ・ラ・デル・ピパ、カニェータ・デ・マラガ、マラ・レイ、マリア・ビサラガ、ラ・ファビ、サイラ・マレーナ、〈b〉ティア・ジョジャ、ティア・チュラ、パストーラ・ガルバン、モネータ、マリア・デル・マル・モレーノ、〈g〉サンティアゴ・モレーノ、マレーナ・イーホ、〈palmas〉サンブージョ、ハビ・ペーニャ、ペリーコ・ナバロ、アレ・デ・ヒタネリア
[場]へレス アラメーダ・ビエハ
[料]10~30ユーロ。三日間通し券25~75ユーロ

[問]www.flamencodejerez.info 前売り www.tickentradas.com

2019年2月27日水曜日

へレスのフェスティバル5日目その2 ヘスース・カルモナ『アマトール』

ビジャマルタで聞いたことのない、ものすごい拍手歓声に包まれた。
タコンが取れてもそのまま踊りきったヘスース。
その喝采は終演後に再び沸き起こった。スター誕生?

いやいや、素晴らしいダンサーである。
とにかく身体能力が高い。
超絶技のオンパレード。回転の回数、速度のスペイン記録では?
そしてその技を使ってフラメンコを踊るのが嬉しくてたまらない、という感じ。
そして曲ごとの個性をしっかり踊り分けられるセンス。
すごいなあ。

招待状を渡した二十人ほどの観客を舞台に上げ、後方の席に座らせる。
観客に、次に何を踊ってほしいか聞く。
観客席から現れる。
観客を巻き込んでの作品には賛否あるだろう。でも観客は楽しんだようだ。

超絶テクのグアヒーラから
© Javier Fergo / Festival de Jerez
フアン・ホセ・アマドールが歌うメキシコのペテネーラ
© Javier Fergo / Festival de Jerez
 カバーレスのカンテソロから、舞台上の観客の一人にシギリージャとセラーナとどれがいい、と尋ねて帰ってきた答えどおりにセラーナを踊る。

© Javier Fergo / Festival de Jerez
 タンゴは白い粉の上で踊る。スモークが足のところにあるような、不思議な感じ。
この白い粉のあるところは舞台の一部分、前方の左右に細長いところだけだから、踊る空間が限定されているのだけど、それでも自由な感じで踊るんだよなあ、この人は。
空間限定しないと空に飛んで行ってしまいそうな勢いだ。
© Javier Fergo / Festival de Jerez
 フアン・ホセのグラナイーナは土塊のようなものを踏みながらマルカール。
客席から歌いながら出てくるルンバ。観客にソレアかカーニャかタラントかと聞いて、答えどおりのカーニャ。舞台全面で踊るカーニャ。
その時、タコンが取れたのだ。地元紙に写真がありました。
それでも何事もなかったように踊り続ける。すごいなあ。
これも仕組まれたんじゃないの、って思えるくらい。実際そうだったりして?

裸足でカスタネットで踊るティラニージャ。18世紀のスペインの歌曲で、ベートーベンも取り上げているくらいにポピュラーだったそう。これをエスクエラボレーラや民族舞踊のテクニックで踊る。これがまた素晴らしかった。さすが元国立バレエ!

© Javier Fergo / Festival de Jerez
 そしてブレリア。
© Javier Fergo / Festival de Jerez
 最後はやはりお客の希望でアレグリアス。まあ、これもすごかった。
© Javier Fergo / Festival de Jerez
 最後は舞台上の客席にいた観客の手を掴んで踊る。掴まれた方はドキドキしたことだろう。
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面白かった。こう言う作品があってもいいよね、実力あるんだから。これがなくてやったら笑いもんだけどね。

ちなみに全編を支えたフアン・レケーナのギターも特筆ものでございました。
マドリードに住んでいてもセビージャ在住のアルティスタ使いたいの、わかるよなあ。

ビデオはこちら タコンが取れるのも写ってます。

へレスのフェスティバル5日目 バネサ・コロマ『フラメンクロリカ』

フラメンコ+フォルクロリカからの造語がタイトル。
フォルクロリカとはスペイン歌謡歌手の事で、フラメンコとスペイン歌謡が同じように主役だった時代にインスパイアされたとこのこと。どの時代?とかはともかく、アンヘル・ロハスの演出でよくまとまっている作品だ。

バネサ・コロマはマドリード出身で、主にタブラオで活躍している。一昨年、ウニオンのコンクールの準決勝にも出場した。

ギターの爪弾きに始まり、ティエントからブレリア。
三人の歌い手に囲まれて語りながら踊る。昨日のクリスティアンといい、すごいなあ。
© Javier Fergo / Festival de Jerez
ギターソロに続きティエント。
なんか昨日のコンチャ・ハレーニョにも通じる踊り。せわしない。
これがマドリードスタイルなのかしらん。

© Javier Fergo / Festival de Jerez

© Javier Fergo / Festival de Jerez
 歌い手達がバンビーノやラファエル・ファリーナ、ペレなど流行歌を歌い継ぎ、マティアス・ロペスのタンギージョのリズムに乗せた語りというかラップの元祖的歌からアレグリアスへ。
© Javier Fergo / Festival de Jerez

ガブリエラ・オルテガという、詩の朗読で有名だったアルティスタの録音を踊る。
多分、これが一番やりたかったんだろう、という感じ。


ファンダンゴ、そして最後は黒いバタ・デ・コーラでのソレア。昨日のコンチャも最後がソレアだったね。コンチャよりはゆっくり動くところもあるけれど、セビージャのような優雅さはない。そして多分、バタの形も違うのだろう。舞い方も違う。

バネサは上手な踊り手だけど、いかんせん、動きすぎる。昨日のコンチャを見たばかりだったから、こういうのがマドリードのスタイルなのかな、と思えてきた。
フラメンコ舞踊は、やっぱ、ゆっくり動くとこもあってほしい派の私の好みはセビージャ風? でも特にバタづかいとかはセビージャ風の方が好きだなあ。

その昔、マドリードはテクニックがすごくて、セビージャから行くと目が回るようだった、とのこと。今ではテクニックの差はなくなっていると思うのだけど、アルテに対する考え方、感じ方の差は残っているのかもしれない。
これでもか、これでもか、と技を繰り出してこられると、お腹いっぱいになって、もういいよ〜となってしまう。体育会系フラメンコは私には疲れる。
ちゃきちゃきしたのが好きな人もいるだろうけど。

しっかり作られた作品だし、決して悪くない。
ただ好みの問題は別なんだよな。やっぱ、私はセビージャ派だわ。ごめんなさい。

ビデオはこちら



2019年2月26日火曜日

へレスのフェスティバル4日目その2 コンチャ・ハレーニョ『レシタル・フラメンコ』

21時からはビジャマルタ劇場でのコンチャ・ハレーニョ。
『レシタル・フラメンコ』、フラメンコ・リサイタルというタイトル通り、全編フラメンコのみ。
踊り、歌ソロ、踊り、歌ソロ、という、ちょっと前のフラメンコ公演のようなスタイル。
でもその見せ方は、椅子の位置を変えたり、伴奏を工夫したり、と時代にあわせて変わっている。

最初はタンゴ。これが良かった。
トリアーナでもグラナダでもマラガでもない、コンチャのタンゴだ。
庶民的で、ムイ・フラメンカ。
© Javier Fergo / Festival de Jerez
ソレア・ポル・ブレリアスを挟んで、グアヒーラ。
椅子に座った形がもうフラメンカで、それだけでオレ!
© Javier Fergo / Festival de Jerez
© Javier Fergo / Festival de Jerez
それに続くマラゲーニャが素晴らしかった。
マヌエル・ガーゴの歌を立って向かい合って伴奏するカニートのギターの凄さ。
ちょっとバロックギターのような、通常のフラメンコのマラゲーニャ伴奏とは全く違うオリジナリティに溢れ、しかもフラメンコ!
終演後、どっからそんなアイデア出てくるの、って思わず本人に聞いたくらい。
(笑って答えてくれなかったけどね)
黒い衣装でのマルティネーテ。
© Javier Fergo / Festival de Jerez
アバンドラオスのカンテソロに続いて、赤い衣装でブレリア。
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カンテソロはシギリージャ。そして最後はマントンにバタでソレア。
© Javier Fergo / Festival de Jerez

観客は拍手喝采。そうだよね、へレスに来る観客の大半はフラメンコがみたいんだよね。

コンチャは踊り方がちょっと変わったような印象。
なんかガチャガチャしていて落ち着きがない。動きすぎ?
昔はもっと優雅な感じもあったように思うんだけど、気のせい?


歌のガーゴとガジ、パーカッションのバンドレーロ、パルマのオルーコというバックはいい感じで彼女を支えているんだけど。


ビデオはこちら

へレスのフェスティバル4日目 クリスティアン・ロサーノ『トレンカディス、ガウディの情熱』

スペイン国立バレエで『フエンテオベフーナ』や『エル・ロコ』の主役を踊り、ハビエル・ラトーレ作品やエバ・ジェルバブエナ舞踊団、アイーダ・ゴメス舞踊団などで活躍するクリスティアン・ロサーノの初めての、ソロ作品。
バルセロナ出身の彼がテーマに選んだのはガウディ。その作品ではなく、人物像を描くのが『トレンカディス、ガウディの情熱』。トレンカディスとは、ガウディの作品でおなじみの、砕いたタイルでのモザイク技術のことだ。


客席から現れたクリスティアン/ガウディが、舞台に上がり、教会で人々と共に祈る場面に始まる。クリスティアンのセリフも、祈りの言葉(ハビエル・ラトーレの声での録音)もカタルーニャ語で、意味がよくわからないけれど、カタルーニャ感を出すのには成功している。

すっと伸ばした手がサグラダ・ファミリアの塔の先の飾りのように見えた。

彼の生まれ故郷レウスの民族舞踊を踊ったり、

© Javier Fergo / Festival de Jerez
ハンドパンという、音階のでるパーカッションで踊ったり(エバの振り付け)、

© Javier Fergo / Festival de Jerez
 バッハの旋律で、模型を眺めながら踊ったり、海辺を歩くように踊ったり、
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 と作品そのものが、ガウディの様々な側面を描く場面でのモザイクでできているよう。

やはりバッハで、合わせ鏡の前で踊ることで、一人が3人にも5人も見えたりするこの場面の美しさ。
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 鏡の後ろから現れた、聖母のイメージの妻タマラ・ロペスは妊娠4ヶ月というが、見事なデュエットを見せてくれた。
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そして最後のソレア・アポラーの見事さ!
なんていう回転!完璧のその先を行くテクニックだ。
もちろん、それまでの新スペイン舞踊とも言える、コンテンポラリーのテクニックをも使った動きなどでも、その強靭でしなやかな動きには感嘆させられていたのだが、フラメンコを踊ると、その形の美しさ、完璧なテクニックが余計に際立つように思われる。

正面からのライトで、ガウディの電車に轢かれる事故を暗示して終わる。

シンプルに、モザイクのように作られた作品を彩る音楽は主にティノ・バン・デル・スマンによるもの。マラゲーニャをキーボードで弾き語りするクリスティアン・デ・モレも面白い。照明も美しい。

だがなんといってもクリスティアン!
散々踊った後にセリフ(詩の暗唱だったり)を言っても全然息が上がってないのもすごい。一流アスリートのようだ。うん、ダンサーもアスリートなんだね。
スペイン舞踊全般をこんだけ踊れて、シンプルだけどセンスのいい作品を作れる存在なんてそんなにいない。
フラメンコだけでなく、スペイン舞踊も大好きな私的には感謝しかない。

会場に、ラトーレを始め、ラファエラ・カラスコやパトリシア・ゲレーロ、モネータなど、踊り手たちがたくさん来ていたのも頷ける。

ただ、スペイン舞踊寄りで、フラメンコ・フラメンコ的な要素はあまり多くないから、その意味でどうセールスしていくかとかは難しいのかなあ。

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残念ながら最後のソレアがない。

2019年2月25日月曜日

へレスのフェスティバル三日目 エバ・ジェルバブエナ『砂糖の物語』

なにがなんだかわからないのに涙が出てくる。
初めてなのに懐かしい。

忘れていた遠い記憶が、なにものかに誘われ、急に表出する。
人間の中には、その奥底、深い深いところには、曽祖父のそのまた曽祖父の曽祖母の…先祖たちがかつて、その時感じた痛みや苦しみ、喜び、そして言葉にならない微妙な感情、そう言ったものが蓄積しているのだろう。

フラメンコにはそんな力がある。そしてその力があるのはフラメンコだけではない。

エバ・ジェルバブエナの『砂糖の物語』を観ていてそう思った。
砂糖の島、奄美の歌とフラメンコ。一見、何のつながりもない、共通点などなにもないようなものが、実は奥深いところでつながっている。そう思わせるのだ。
前作『アパリエンシアス』でのテーマにもつながっていく。
表面的なものにとらわれている私たちだけど、実は目に見えているものだけが真実じゃない。


暗闇の中に浮かぶエバの顔。動く4本の手。
ミステリアスなオープニング。
パコ・ハラーナのギターが生み出す宇宙。

里アンナの声が響く。その声はひたすら美しく、この世のものとは思えないほど。
そして彼女の声が私の中の奥底に沈んだ遠い記憶を呼び起こす。涙が出てくる。
なんだなんだ、なんなんだ?

水に囲まれた円は島。閉ざされた世界。もしくは結界。銀色の飾りに縁取られたこの円の中でエバは踊る。
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エバのバタ・デ・コーラでのカーニャ。横でなく前に抱える感じなど、バタの使い方が独特で面白い。

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里の歌の力。
奄美の言葉なので日本語ではあるのだけど意味がわかるわけではない。でも何かが伝わってくる。インテンシオン。センティード。言葉に込めた気持ち、方向性。
これってスペイン語の歌詞を聞き取らずにフラメンコを見ている時と一緒ではないか!

© Javier Fergo / Festival de Jerez
カンテス・デ・レバンテからのマントン技。
フェルナンド・ヒメネスとの絡みからのフェルナンドのソロ。
抜群の身体能力で、結界を壊すフェルナンド。
© Javier Fergo / Festival de Jerez
そして超絶品のアレグリアスがやってきた!
里の歌と絡みつつ、見せるこのアレグリアスの素晴らしさ!
© Javier Fergo / Festival de Jerez
宴に国境はない。
© Javier Fergo / Festival de Jerez

異文化への深い敬意と愛。エバのそんな気持ちは、私たちのフラメンコへの気持ちと対をなしているのだ。

ビデオはこちら

それにしても、エバにしても里にしても、実際に会うと小柄なのに、舞台ではすごく大きく見えるのだ。これがアルテでなくてなんであろう。


来月は日本公演。

ビエナルで観た時のルポはこちら

へレスのフェスティバル三日目 オフ・フェスティバル/松彩果と萩原淳子

へレスのフェスティバル開催時には、劇場が主催するオフィシャルのプログラムだけでなく、お店やスタジオが主催するプログラムもいろいろ開催されます。
その一つがオフ・フェスティバル。今年で8回目を迎え、毎日日替わりで地元教室の発表会から、オフィシャルにも出演したこともあるアルティスタのリサイタルまで、たくさんの公演が行われるのであります。
毎年、日本人アルティスタも出演しており、今年は22日に松本真理子、金子文乃が、24日には松彩果と萩原淳子が出演したのであります。
松と萩原は今年になって観る機会があり、それがなかなか良かったのでいそいそと来てみたのであります。

シギリージャでのプレセンタシオン、オープニング。
プロならではの実力の二人だからこそできる、という感じ。


松のソロはソレア。先日、セビージャで見た彼女のソレアがとても良かったので期待していたのだけれど、この日はミュージシャンとの息が合わずちょっと残念。


やりたいことが先走り、歌を聴いて踊る、という形にはならず、伝わるのは焦りやコラへ、悔しさ。いや、コラへのソレアっていうのは十分ありなんだけど。

後で聞いたら、ソレアといったのにソレア・ポル・ブレリアでソレアに戻そうとしたのだけど、ということだったのだけど、うーん、こういう時はもう、歌とギターに合わせちゃうのがいいんじゃないかな。せっかくのアナの歌にルビチのギター。

踊れるからこそあれこれやりたいこともあるのだろう。練習を重ねに重ねた劇場作品ならば、作り込んだ振り付けも可能だろう。でも練習もほとんどなしの、タブラオの舞台はその場での即興性も必要とされるのではないだろうか。
 今回はちょっと残念だったけど、また是非見てみたい、という気持ちは変わらない。

萩原はアレグリアス。バタやマントンではなく、普通のワンピース。
 抜群の安定感。表情もよく、いうことはない。
 現時点でできることは全部やってる、という感じ。
長年スペインで舞台に立ってきたという自信が、実力。
 その先に行くのはもっと難しいんだよね。がんばれ!
 フィン・デ・フィエスタのブレリア。先日、ロス・ガジョスで松が飛び入りで踊ったのがすごく良かったのだけど、なんかこの日は爪隠してる感じ。それでも光るものはある。
 会場に来ていたへレスのブレリア教授、アナ・マリア・ロペスも飛び入りで踊ったのでありました。

こういう風に、スペインの舞台で踊る日本人が増えているのは本当に嬉しい。
会場には日本人が多かったけど、スペイン人も外人も、みんなで楽しんでた。