2017年11月13日月曜日

キンテーロ劇場のフラメンコ

セビージャの中心部、カンパナからほど近い、キンテーロ劇場でのフラメンコ公演。
カルペータやファルー、ヘレスのアルティスタによるクリスマスコンサートなどいろいろ楽しそうだ。





◇セビージャ、キンテーロ劇場のフラメンコ
11/25(土)21時
[出]〈b〉カルペータ、〈c〉エル・ネグロ、〈g〉ラウル・ビセンティpiano、ベース〉メルチョール・ボルハ、〈perc〉ファリ・デル・エレクトリコ
[料]15ユーロ
11/30(木)、12/1(金)21時「テレモートのクリスマス」
[出]〈c〉マリア・テレモート、エル・ペチュギータ、ラ・カルボネーラ他、ゲスト〈b〉ラ・ルピ
[料]20ユーロ 12/1売り切れ
12/18(月)、19(火)21時
[出]〈b〉ファルーコ、バルージョ、ファルーカ、カルペータ(18)、ぺぺ・トーレス(19)
12/30(土)21時 「アシ・カンタ・ヘレス・エン・ナビダ」
[出]〈c〉レラ・ソト、フェリパ・デル・モレーノ、マヌエラ&ドローレス・デ・ペリキン、ラ・フンケーラ、エステファニア・サルサナ、フアン・デ・ラ・もれーな、ホセレーテ、ノノ・デ・ペリキン、マヌエル・デ・カンタローテ、ホセ・デ・ラ・メルチョーラ、〈perc〉フアン・ディエゴ・バレンシア、〈g〉フェルナンド・デ・ラ・モレーナ・イーホ、特別協力〈c〉ヘスース・メンデス
[場]セビージャ キンテーロ劇場

[問]http://www.teatroquintero.es

2017年11月11日土曜日

さよなら チキート

チキート・デ・ラ・カルサーが、11月11日、故郷マラガの病院で亡くなった。
1932年マラガ生まれの歌い手。
90年代に得意とするチステ、小話でテレビに出て有名になり、映画に主演するなど人気を博した。

本名グレゴリオ・エステバン・サンチェス・フェルナンデス。
マラガのラ・カルサーダ・デ・ラ・トリニダー地区の生まれ。8歳の時から地元のタブラオで歌っていたという。
踊り伴唱で数々のアルティスタと共演。マドリードの大きな劇場にも出演し、
1964年には国営放送のフラメンコ番組に出演している。



日本にも、1973年秋から1974年春にラウルのグループで、1975年秋から1976年にかけて、リカルドのグループで、と2回ほど、新宿「エル・フラメンコ」に出演した。




80年代にはマラガ、トレモリノスにあった、踊り手マリキージャのタブラオで、高橋英子、俵英三とも共演していたという。

ずいぶん前に引退し、2012年に妻を亡くしてからはマラガで一人暮らし。
10月、家で倒れていたのを発見され、そこからは回復したものの
10月30日、狭心症で入院し、昨夜容態が悪化したという。

冥福を。



2017年11月5日日曜日

日本のフラメンコ 石井智子「ちはやふる 大地の歌」

素晴らしかった。いやあ、本当に素晴らしかった。
これが二日間、2回の公演だけなんてもったいなさすぎる。
美しく、楽しい。非常に完成度の高い作品。
フラメンコが好きな人だけでなく、広く一般に楽しむことができる、そんな作品。

石井智子スペイン舞踊40周年記念公演は11月4日、5日に 北千住シアター1010で。
その4日の公演を見た。第一部は百人一首をテーマとした、和とフラメンコとの競演、第二部はフラメンコだけでなく、民族舞踊であるホタやエスクエラ・ボレーラも取り入れて、広くスペイン舞踊の世界をみせると言う二部構成。その構成も見事なら、それぞれの演目もしっかりと作られていて破綻がない。
独りよがりになることも、観客におもねることもなく、観て美しく、楽しい。

かるたが、花が舞い、水が流れ、モチーフとなった歌の書(桃果)がプロジェクションマッピングで描かれる中、和歌の世界がフラメンコと和の楽器で展開されていく。
太鼓の上でのサパテアード。和のテイストのフラメンコ衣装。
小野小町に扮した石井の美しさ。
和太鼓と尺八に絡む在原業平となったフンコのサパテアード。「Pasión 情熱」
「Melancolía  憂い」での、小町の黒い長い髪はフラメンコ的でもあり、遠くて近い、スペインと日本、フラメンコと私たちを象徴しているようでもある。
客席から登場した太鼓隊とカスタネット鳴らす群舞が競演する「Brisaそよ風」の場面の楽しさは特筆ものだ。太鼓の音にカスタネットも負けていない。フォーメーションでみせる美しさは群舞の醍醐味だろう。モチーフとなった持統天皇の時代、万葉集的なおおらかさが感じられる。
「Lamento 嘆き」ギターと琴の競演は初めて見たが、美しい。お互いを引き立てあうのは、演者の互いへのレスペト、敬意ゆえのことだろう。
「Destino宿命」はチェロと尺八による、スペインを代表する作曲家の一人、アルベニスの「アストゥリアス」で、ふた組のパレハが踊るという趣向。スペインのクラシック音楽と和楽器の出会いは新鮮。また振り付けも美しい。客演の松田知也、土方憲人も好演。
「Firmamento天空」は圧巻の一言。太鼓や琴の音で、華やかに踊る群舞は風であり雲、その中に、天照大神のように降臨する天女、石井智子。その存在感。タイプは違うが、マヌエラ・カラスコのような、女神感が確かにある。よく揃った群舞も華やかで楽しい。


第二部のオープニングはホタ。
跳躍が特徴的なこの舞踊を、子供の時から毎週習っている、地元の人やスペインの公立舞踊学校スペイン舞踊科出身者以外で、これだけ踊るのは珍しい。かつてはスペイン舞踊団の演目としてよく取り上げられ、若き日のファルーコらもピラール・ロペス舞踊団などで踊っていたという。小松原舞踊団時代に、ホタ中興の祖とでもいうべき、ペドロ・アソリンの直接指導を受けた石井が男装で、舞踊団の後輩、中島朋子とパレハで踊る。
足を高く上げるその角度! そして跳躍。男性顔負け。ダイナミックで楽しい。
エル・フンコは椅子に座ってはじめるソレア。シンプルだが、フラメンコのエッセンスが強く感じられるソレア。椅子1脚だけで、ドラマチックに見えてくる。
エスクエラ・ボレーラのセビジャーナスも日本で踊られるのは珍しい。バレエの素養のない人がここまで踊るまでにはどれだけの苦労があったろう。いや、素養があっても、ボレーラ独特の、首のラインとか、軽く曲げた腕のラインとか、非常に難しいはずだ。
真紅のバタ・デ・コーラの石井によるシギリージャ。カスタネットとマントンを使っての伝統を感じさせるシギリージャ。カスタネットの音色に至るまでひたすらに、これもまた美しい。ミゲル・ペレスのギターの素晴らしさ。フアン・ホセ・アマドールの声の深い響き。バックを飾る、堀越千秋の幕が、モライートのシギリージャの調べを思い起こさせる。二人とも今はいない。オマージュを感じる。
同じく堀越の幕が舞台を額のように彩り、洞窟を作り、モスカ、カチューチャ、タンゴなどグラナダのフラメンコをみせる。洞窟のフラメンコの店で踊られているものよりも、より洗練された、舞台のための、舞踊団のための、という感じ、だけど、それは決して悪いことではない。群舞のフォーメーションや子供を使ってのちょっとした芝居風の動きなど、“みせる”工夫が随所に施されている。モスカやカチューチャのコーラスも良かった。
ファルーカはモダンな男装だったが、個人的には、彼女の雰囲気から、クラシカルなアマソナ風の、巻きスカートに丈の短いジャケットといった乗馬服風のものなどもよかったのではないかと思う。
フンコと石井の息子、岩崎蒼生が二人でみせるブレリアも、ちょっと芝居が入った二人の掛け合いが楽しい。それにしても上手くなった。フラメンコを踊る子供、ではなく、踊り手として評価される時が来た。ちょっとした間合いや回転に味があり、スペインで多くの師に学んでいるだけのことはある。
最後はアレグリアス。バタ・デ・コーラでの群舞、最初、練習の時と歌が変わったのか、きっかけが上手くわからなかったような出足の不揃いなどはあったものの、すぐに取り戻す。石井とフンコのパレハも、長年の共演の成果もあるのだろう、息が合っていて、安定感がある。
最後はフンコが歌うタンギージョ。第一部に出演していた太鼓隊なども加わり、楽しいフィエスタ。色とりどりの衣装も、それぞれがある程度自由に踊っているのだろう部分もあって、とにかく楽しく、気分が上がって閉幕を迎える。
ブラボー!

石井の存在感、それをサポートするスペイン人アルティスタたちも一流。
和を意識した衣装や和楽器とのコラボレーションも楽しく、それを彩る、プロジェクションマッピングなど、美術も素晴らしい。照明は、時に、ここはスペインですか?というくらいに暗めだったのがちょっと残念だったけれど。(やっぱ私は踊り手の顔が見たい)
フラメンコを知らない人でも楽しめる内容、構成。作品としての完成度はピカイチ。
衣装も華やかで素晴らしい。
小松原舞踊団での経験、大学の芸術学部での学び、スペイン人たちとの共演、そして自らが主となって作ってきた数々の舞台。そんな経験がぎゅっと凝縮されての舞台だ。
特に良かったのが振り付け。群舞も、全員が同じ振りを客席に向かってするだけではなく、フォーメーションを考えて、工夫されている。また、一人だけがいつも前のセンターというわけではなく、それぞれに見所をちゃんとつくっている、という感じ。また、群舞でも違う振りをするところもあり、タンギージョなどでは個性も垣間見える。
40年のキャリアはだてじゃない。

さて、次は何を見せてくれるのか? 楽しみなことである。

でもその前に、これ、文化庁かどこかお金出してもらって、ぜひ、スペインでもやってもらいたい。日本とスペインの文化の融合、このレベルまで、ってあまりないですよ。








 

2017年11月3日金曜日

日本のフラメンコ アルハムブラ、ソラジャ・クラビホ、ホセリート・フェルナンデス

西日暮里の老舗スペイン料理店&タブラオ、アルハムブラで、来日したばかりのソラジャ・クラビホとホセリート・フェルナンデスを迎えての西日フラメンコ交流とでもいうべきライブ。

1部のトップバッターは田中菜穂子。男装でのファルーカ。男装がよく似合う。
ファルーカというと、男性的な直線的な動きで、ギターがサパテアードと絡んでいく、というのが定番。が、ここではパリージョ、カスタネットを使うのだ。初めて見た。
彼女が師、ロシオ・アルカイデに学んだものだという。
通常は歌は最初に少し入るくらいなのだが、ここでは歌もたっぷり、というのも珍しい。
カスタネットを手につけているので、ファルーカの特徴である直接的な腕の動きが少なくなってしまうのはちょっと残念。また、せっかくカスタネットを使うなら、サパテアードとギターの掛け合いで見せるような、音の競演が見たかったかも。
通常、それを使わない曲目で使うならば、ああ、これだから使うんだ、と納得させることが必要なように思う。それだけ難しいことにトライしたわけで今後が期待。

二人目の野上裕美はアレグリアス。ここで出演者全員が舞台に上がってクアドロ風に。
上がっていたのだろうか。曲の間中、ずーっと怖い顔。真剣さの表れかもしれないが、アレグリアスには似合わない。ニコニコ笑わなくとも、せめて口角上げて、アレグリアスのアイレ、空気を表情でも表現するべきだと思う。踊りは体の動きだけでなく、顔の表情や衣装なども含めて表現するものだ。

1部の最後を締めたのは、お久しぶりなホセリート・フェルナンデス。
フェステーロ風にブレリアを歌い、そこからソレアへ。
サパテアードで押していく、きっちり構成された今風のソレアではなく、マルカールとサパテアードでの、昔風の、アイローサな、雰囲気のあるソレアで、かえって新鮮。とにかくナチュラルなのだ。気負ったところの全くない、普通の、自然なフラメンコ。ああ、こういうのって、日本にはないよなあ。

2部はクアドロ風に全員舞台に座って。
瀬戸口琴葉はシギリージャ。動きはいい。が、シギリージャらしい重みが感じられない。フラメンコのペソは年齢によって得られるところも多いので仕方ないのかな。フレッシュなシギリージャも決して悪くはないのだが、やはり重みが欲しい。振り付けのメリハリ、歌との関係、まだまだ学ぶことは多いだろう。他の曲を見てみたい。

正路あすかはソレア。以前見たものとは全く違う、ドラマチックなもの。といっても芝居仕立てなのではない。表現がドラマチックなのだ。グラナダ風の小さなブラソが彼女らしさになっている。ただ少々長い感じがあるので、あともう少し整理できればもっと良くなるのではないか。

閉幕を飾ったのはソラジャ。バタ・デ・コーラでのアレグリアス。シンプルなバタはセビージャ風の豪華なバタではない。が、元気はつらつなソラジャには似つかわしい、かも。
歌と掛け合いしたり、鉄火肌フラメンコの面目躍如。
慣れない共演者でも、ミュージシャンをリードしてしっかり仕事をしているソラジャはやっぱりすごい。キャリアはダテじゃない。

最後は全員でフィン・デ・フィエスタ。
フラメンコはいいなあ。日本とスペイン、距離が一挙に縮まる。

追記
舞台で、日本人のカンテでスペイン人が踊るのを見たのは今回が初めてだったので感慨ひとしお。私がスペインに行った三十年前は、日本人のライブはギター伴奏のみが定番で、歌が入るのは特別な公演の時くらい、という時代でありました。それが今や、プロではない生徒さんクラスのイベントなどでも歌が入る。すごいなあ。もちろん、スペインのレベルからしたらまだまだです。
今回の歌い手さんも、口跡がいいというのか、レトラが聞き取りやすいな、いろいろなレトラをよく知って歌ってらっしゃるな、すごいな、とは思いましたが、正直、あれ、ここでそのレトラはないんじゃないか、とか思ったり、タイミングにうーん、と思ったりもしました。
ここでそのレトラ、という感覚、これはどこかに決まりが書いてある、とかいうわけではないので、あくまで例えばですが、リズムを上げた後とかにはシリアスすぎるレトラは来ないよなあ、とか、そういう感じのことなのですが。スペイン人の歌い手を見ていてこんな風に思うことはほぼないので、なんか不思議な感じでした。ちなみにこれは彼女にだけでなく、他の日本人の歌い手さんでも感じたことはありますよ。念のため。
ま、踊りが歌を引っ張るわけではあるのですが、歌が始まってしまえば、踊りもそちらに合わせねばならないところもあり、なので、難しいですね。
いい歌があると自然に体が動く、というようなことは実際あると思いますし、ソロとしてのカンテは上手でも舞踊伴唱の経験がない場合、うまくいかないこともあるでしょう。
ソラジャは日本人の歌い手の歌を、引っ張って、自分の踊りの中に入れていきました。すごいなあ。今へレスに住んで、若手の歌い手やギタリストたちも、彼女との共演で学ぶことが多いと感謝されているそうですが、さもありなん。彼女からは踊り以外にも学ぶことがたくさんあるはず。共演の機会がある日本人はラッキーです。

追記の追記
今日、あるアルティスタと話していて気づいたのですが、レトラの選び方が、という批評ということは、それだけレベルが高いアルティスタだから、ということでもあるのですよね。発音、コンパス、音程、レトラの知識、踊りの知識、と一通りのことができているからこそ、歌詞の選び方などで不満が出てくるわけで。
30年前、歌のないフラメンコが普通だったことを思えば、本当、時代は変わりました。
すごいな。頑張れ、日本人カンタオーレス!









2017年10月29日日曜日

日本のフラメンコ 高橋英子「Vente a mi Cueva私のクエバ(洞窟)で待ってます!」

ガロルチでの高橋英子のライブは「ベンテ・ア・ミ・クエバ」、直訳だと私の洞窟においで、だが、タイトルとしては私のクエバで待っています、とか。

フラメンコで、クエバ、洞窟といえば、グラナダのヒターノたちが暮らしたサクロモンテの洞窟のことで、家であり、フラメンコを見せる店であり…グラナダで長く暮らした高橋ならではのタイトルだろう。実際、クエバを持っていたのだと聞いたことがある。

第一部は、グラナイーナからファンダンゴ・デ・グラナダ、タンゴと進む、グラナダ・アンソロジー的曲で開幕。私が彼女の踊りを見るのは何年振りだろう。以前の印象、とにかくプーロな感じのフラメンコとはだいぶ違う。正直、ちょっとひやっとするところもないではなかったが、小さめのブラソがグラナダ風で、雰囲気がある。個性的だ。
鈴木尚伴奏での石塚隆充のカンテソロはソレア。歌とギターはあまり相性がよくないようにみえたのは気のせい? 
大塚友美のバンベーラ。舞台に出てきた時、肩にかけた長方形のシージョで、カルメン・レデスマみたいと思ったのが当たりだったようだ。カルメン風ではあるのだが、カルメンやコンチャ・バルガスのような、シンプルな振りは本当に難しい。
プログラムだとこれで終わりのはずで、場内放送もあったのだが、舞台からもう一曲、と声がかかり、高橋のソロ。タンバリンを使ってのサンブラ。ギターの古い響き。雰囲気がある。
高橋の踊りは、クエバ風というか、劇場の大舞台でのような大きな踊りではなく、クエバのような限られた空間でのような、小さな、親密な感じのものだ。

第二部はクアドロとなっており、実際、舞台に出演者全員がいて、一緒に歌い、踊ると言う形。タイトルにあるように、高橋のクエバにやってきてフィエスタをしているという趣向。ちょっと芝居掛かった喋りがあったり、昔のタブラオのクアドロ風のハレオを歌ってパルマで遊んだり。高橋は歌い、語り、踊る。
グラナダのフラメンコの名物おじさん的存在、クーロ・アルバイシンのように、芝居っぽく語り始めたかと思うと、エネルギッシュなクエバのおばちゃんのように、歌い踊る。
自由に、フラメンコを遊ぶ。歌がうまいわけではない。でも大好きで歌っているのが伝わってくる。フラメンコの楽しさを伝えようと頑張っていることが。

細かいことを言ったらきりがない。
ハレオ(ニーニャ・デ・ラ・ベンタとかサペサペトか、これ、昔エンリケ坂井さんのパルマ教室でやってたのと同じで懐かしい)は全員で一緒に歌っていた方がそれっぽいし、スペイン語の語りはもっとオーバーに芝居掛かって、それこそクーロのようにやっていいと思う。台本はないんだろうと思うのだけど、あるのかな?もっと工夫できるかも。
カルメン・ポルセルが化粧しないのはアレルギーかなんかなのだろうか? 美人さんなんだから口紅とかつけた方がもっと綺麗だと思うし、彼女のルンベーラももっと芝居がかるというか、オーバーなくらいに入り込んでやって欲しいところだ。
そう、こういうのってその気になってやった方が勝ちなのである。

それでも、フラメンコの伝統も、空気も、生活も、何もないけれど、少しずつフラメンコへの愛が育ってきた日本に、フラメンコってこんなに楽しいのよ、フラメンコにはこんな楽しみ方もあるのよ、と全身で語りかけてくる。

そうなんだよね。
スペインにはいろんなフラメンコがある。
決して舞台の上だけのものではないし、シリアスなものだけでなく、コミカルなものもある。やったもん勝ち、楽しんだもん勝ち、なところもある。もちろん、一人でやるものではないから、周りや自分を見極めることも、空気を読むことも必要だ。でもまずは楽しもう。眉間にしわよせて踊るだけじゃもったいないよ。観て楽しみ、歌い踊って楽しむ。
うん、みんなでもっと楽しもう、フラメンコを。





















2017年10月28日土曜日

日本のフラメンコ AMIフラメンコ・リサイタル公演Mi Sentir Madre〜母〜

いやあ、そうきましたか。意外。

AMIといえば、マドリード、セビージャで学び、コルドバのコンクールでグアヒーラを踊って日本人として唯一、優勝した人。いわゆるエスクエラ・セビジャナーナ、セビージャ風の女性舞踊を会得し、優雅な舞には定評がある。
だから今度も、と思っていたのだが、この公演ではフラメンコをフラメンコとして踊るのではなく、母と娘というテーマを、フラメンコを言語として使って表現する、というものだった。いわば、フラメンコを使っての創作舞踊。
妊娠、出産、子育て、娘の反抗期、母娘の軋轢、母の子への思い、母の老い、そして別れ、と3組の母娘で描いていくというもの。
シンプルなストーリー。女性なら誰もが見につまされるところがある物語。
母への思い。母の思い。娘の思い。
師と弟子もまた、母娘のようなものなのかもしれない。

最初の場面は「誕生まで」マノロ・サンルーカルの名作「タウロマヒア」のアレグリアス「プエルタ・デ・プリンシペ」での「胎児の力」というシーンに始まる。音楽こそフラメンコだが、踊り自体はフラメンコに縛られない、自由な創作。
続く「妊婦の願い」は、ジャズ風ピアノ伴奏のナナ(誰だろう?パシオン・ベガらスペイン歌謡系とも思ったけど、アクセントからして外国人?わからない)も録音。ブレリアでやっと生演奏に。ダビ・ラゴスのリガール、音のつなげ方にオレ!
子供を失った母をAMIがソロで踊るが、これもピアノの録音。髪型のせいか、AMIの姿に、その師岡田昌己の姿が重なる。会場にいらした岡田氏にいうと「全然違う」ということなのだけど、私にはその佇まいが師を思い出させた。

「幼児期の幸せ」はタンギージョ、「子供の成長」はグアヒーラ、というようにフラメンコ曲を使って、フラメンコな振り付けも使われてはいる。でも、あくまでもテーマ優先。
独立したフラメンコ曲とはなっていない、という感じを受ける。それでもグアヒーラの足使いなどに素敵なデテールがあって、ちょっとハッピーにしてくれる。

レトラも母を歌ったものなどを多く歌っているし、オリジナル?と思われるものもあるのだが、聞き取りにくく、その内容を全部理解できた人は少ないだろう。音響は今ひとつ。
パルマの音が大きすぎたり、ギターや歌が大きすぎて靴音を消したり。残念。

母の子への思いや老いていく母と近くにいない娘の場面など、外国に暮らす私もそうだが、身につまされた人が多かったのだろう、あちこちですすり泣きが聞こえた。
最後は、母との別れをイメージさせる場面で終わる。
普遍的なテーマをシンプルな形で表現し、伝えたかったことはおそらく完璧に伝わっているだろう。が、フラメンコのリサイタルとしてみたら食い足りない。マイムや表情で言いたいだろうことは伝わるのだけれど。


ここで出演者はお辞儀をして、一旦終わりといった感じがあるのだが、その後、すぐ、ミュージシャンたちのカディスのブレリアが始まり、アレグリアスへ。華やかなバタ・デ・コーラのAMIの一人舞。ミラグロス譲りのパソがいろいろ出てきて、その見事な演技にオレ。
これはフラメンコを目当てに来たお客さんへのサービス? でもこの踊りを、作品のフィン・デ・フィエスタとしてでなく、作品の中に組み込むこともできたのでは?
ひとつのフラメンコの曲としても見ることができて、全体の流れで、テーマを伝える、というのもありなのでは?
バタさばきはさすがだが、衣装が彼女には役不足。丁寧な仕事が施されたバタなのだが、バタの部分にハリがなく(バタの部分の裏のフリルが少ない?そこの生地がぺしゃんとなってる?)せっかくのバタさばきに応えきれていない。バタの足使いが見えるのは、練習生には勉強になるだろうが、普通はあんなに見えないはず。残念。
群舞は、水玉衣装でセビージャぽいタンゴ。個性も見え隠れして楽しい。
そして盛んな拍手に応えて挨拶、また挨拶。


日本人が、フラメンコを演じる時代から、フラメンコを自分の言語として使う時代になったと見るべきなのだろう。それも上辺だけで捉えた、見せかけだけのフラメンコではなく、しっかり基本を抑えたフラメンコ。

うーん、でも個人的には、物語とフラメンコ曲の両立が見たいかもしれない。
母への思いも、母娘の歴史を追う以外でも表現できたのではないか、とも思う。
母娘を3組登場させたのは普遍性を表すため? でも本当にその必要があったのだろうか。また母役娘役を踊るダンサーが固定していたが、見た目年齢が近いからどちらが母かと戸惑う感じも正直あった。場面ごとにもっと自由に変えてもよかったかも? 母もまた娘であり、娘もまた母になるかもだし。あ、それじゃ複雑で舞踊では伝えきれない?
いや、そんなことはないでしょう。。。
などと見る側はいろいろ考えます。
でもいろいろと考えさせてくれる作品に出会えたことは良かった。

また次のAMIが見てみたい。







2017年10月27日金曜日

マドリード・エン・ダンサ2017

マドリード共同体の舞踊祭、マドリード・エン・ダンサ2017のプログラムが発表された。
アイーダ・ゴメスが監督を務めるこのフェスティバル、フラメンコ&スペイン舞踊のプログラムも充実。

アントニオ・カナーレスは彼の出世作というべき「トレロ」を再演。
かつて牛を踊ったアンヘル・ロハスが闘牛士を踊り、またカナーレス門下のポル・バケーロが闘牛士と牛の両方を日替わりで踊る。
カナーレス自身は「ベルナルダ」でベルナルダを踊る予定。

他にもダニエル・ドーニャやイサベル・バジョンら充実のプログラム。ただし、へレスのフェスティバルでも観ることができる作品が多い。


◇マドリード・エン・ダンサ2017
11/21(火)、22(水)20時「アビタット」
[出]〈b〉ダニエル・ドーニャ、クリスティアン・マルティン、アルフレド・バレロ、ダビ・バスケス
[場]マドリード カナル劇場サラ・ベルデ
11/25(土)20時「アタンド・カボス」
[出]〈b〉マリアノ・ベルナル、〈c〉ロシオ・バサン、〈g〉ラモン・アマドール、〈〈perc〉〉ボテージャ
[場]マドリード圏 セントロ・コマルカル・デ・ウマニダデス カルデナル・ゴンサガ シエラ・ノルテ
12/2(土)20時30分、3(日)19時30分「トレロ」「ベルナルダ」
[出]〈b〉アントニオ・カナーレス舞踊団
[場]マドリード カナル劇場サラ・ロハ
12/6(水)20時30分「ペティサ・ロカ」
[出]〈b〉サラ・カレーロ、〈c〉ヘマ・カバジェーロ、〈g〉ホセ・アルマルチャ
[場]マドリード カナル劇場サラ・ロハ
12/10(日)19時30分「ベシノス」
[出]〈b〉マルコス・ダンサ(カルロス・チャモロ、マリアナ・コジャド)
[場]マドリード圏サン・ロレンソ・デ・エル・エスコリアル レアル・コリセオ・デ・カルロスIII
12/12(火)20時30分「カテドラル」
[出]〈b〉パトリシア・ゲレーロ
[場]マドリード カナル劇場サラ・ロハ
12/13(水)20時30分「ジュジュ」
[出]〈b〉イサベル・バジョン
[場]マドリード カナル劇場サラ・ロハ

[問]http://www.madrid.org/madridendanza/2017/programacion.html

2017年10月23日月曜日

ヘレスのフェスティバル、プログラム発表

ヘレスのプログラムが発表になりました!
前売り開始は11月2日木曜日。
フェスティバル主催のクルシージョに申し込んでいる人は、期間中のビジャマルタ劇場の公演の入場券は含まれていますが、その他の会場の公演や期間外の公演は別途購入せねばなりません。人気の公演は売り切れになることも多いので早めにチェック、が吉ですよ。



スペイン公演
◆第22回ヘレス・フェスティバル
223(金)21時「エリターニャ」「万トンのソレア」「サパテアード」「アレント」
[出]〈bスペイン国立バレエ
[場]ビジャマルタ劇場
223(金)24時「ドス・パルテス・デ・ミ」
[出]〈g〉アントニオ・レイ、ゲスト〈b〉ホアキン・グリロ
[場]ボデガ・ゴンサレス・ビアス
224(土)19
[出]〈g〉ダビ・カルモナ、ゲスト〈c〉ルイス・エル・サンボ
[場]サラ・パウル
224(土)21時「バイレ・デ・アウトール」
[出]〈b〉マヌエル・リニャン
[場]ビジャマルタ劇場
224(土)24時「ディエス・ルストロス・デ・カンテ」
[出]〈c〉ビセンテ・ソト、ゲスト〈c〉ラ・マカニータ、メルチョーラ・オルテガ、レラ・ソト、〈g〉パリージャ・デ・ヘレス、アルフレド・ラゴス、ディエゴ・デル・モラオ、マヌエル・バレンシア、フアン・ディエゴ、ノノ・ヘロ
[場]ボデガ・ゴンサレス・ビアス
225(日)19時「デリリウム・トレメンス」
[出]〈c〉ロサリオ・ラ・トレメンディータ
[場]ボデガ・ゴンサレス・ビアス
225(日)21時「ラ・パウラ」
[出]〈b〉ラ・ルピ、ゲスト〈c〉マリア・テレモート
[場]ビジャマルタ劇場
225(日)24時「エモベレ」
[出]〈b〉ルシア・ラ・ピニョーナ、演出ホセ・マルドナード
[場]サラ・パウル
226(月)19時「バホ・デ・ギア」
[出]〈sax, flauta〉ディエゴ・ビジェーガス、ゲスト〈b〉マリア・モレーノ
[場]サラ・パウル
226(月)21時「フラメンカ
[出]〈b〉ベレン・ロペス
[場]サラ・コンパニア
227(火)19時「レディトゥム」
[出]〈b〉ホセ・バリオス
[場]サラ・コンパニア
227(火)21時「バモアジャ」初演
[出]〈b〉フラメンコ国際舞踊団、ゲスト〈b〉小島章司
[場]ビジャマルタ劇場
227(土)24時「ライセス」
[出]〈c〉マリア・テレモート
[場]ボデガ・ゴンサレス・ビアス
228(水)13時「シン・ペルミソ・デ・レシデンシア」
[出]〈b〉アナ・モラーレス
[場]
228(水)19時「フィルマメント」
[出]〈c〉ロシオ・マルケス
[場]ボデガ・ゴンサレス・ビアス
228(水)21時「カイダ・デル・シエロ
[出]〈b〉ロシオ・モリーナ
[場]ビジャマルタ劇場
228(水)24時「センティオ・カバル、バイランド・パ・カンター」
[出]〈b〉ミゲル・アンヘル・エレディア、ゲスト〈b〉コンチャ・バルガス
[場]サラ・コンパニア
31(木)19時「3デウノ」
[出]〈g〉エミリオ・オチャンド、特別協力マカリネス
[場]サラ・コンパニア
31(木)21時「コンーセクエンシア」
[出]〈b〉アルフォンソ・ロサ
[場]ビジャマルタ劇場
32(金)19時「ロ・トライゴ・アンダオ」
[出]〈c〉ヘマ・カバジェーロ、〈g〉ハビエル・パティノ
[場]サラ・コンパニア
32(金)21時「ケ・パサリア・シ・パサラ」
[出]〈c〉ダビ・パロマール、〈g〉リキ・リベラ、〈b〉エル・フンコ、〈perc〉ロベルト・ハエン
[場]ビジャマルタ劇場
32(金)24時「エル・ソニド・デ・ミス・ディアス」
[出]〈b〉ヘマ・モネオ、ゲスト〈c〉ルイス・モネオ
[場]サラ・パウル
33(土)19時「ラ・ギターラ・エン・エル・ティエンポ」
[出]〈g〉サンティアゴ・ララ
[場]サラ・パウル
33(土)21時「ラ・トゥルネエ」
[出]〈b〉アンドレス・ペーニャ、ピラール・オガージャ、演出ダビ・コリア
[場]ビジャマルタ劇場
33(土)24時「ラス・プエルタス・デ・ガデス」
[出]〈c〉エンカルナ・アニージョ、ゲスト〈b〉エドゥアルド・ゲレーロ
[場]サラ・コンパニア
34(日)19時「ADM
[出]〈b〉モリネーロ・エン・コンパニア
[場]サラ・コンパニア
34(日)21時「フラメンコ、トラディシオン、バングアルディア。プロジェクト・カンテーラ」
[出]〈b〉アンダルシア舞踊団
[場]ビジャマルタ劇場
35(月)19時「トリノ、フラメンコ・プーロ舞踊国際コンクール・ガラ」
[場]サラ・コンパニア
35(月)2130分「プントス・イナカバードス」
[出]〈b〉ヘスース・フェルナンデス、ゲスト〈c〉ミゲル・オルテガ、特別協力〈b〉イバン・アマジャ。アナベル・モレーノ、演出ダニエル・ドーニャ
[場]サラ・パウル
36(火)19時「キメラス・デル・ティエンポ/レクエルドス」
[出]〈c〉エセキエル・ベニテス、ゲスト〈c〉ヘスース・メンデス、〈b〉マリア・デル・マル・モレーノ
[場]サラ・コンパニア
36(火)21時「ナシーダ・ソンブラ」
[出]〈b〉ラファエラ・カラスコ
[場]ビジャマルタ劇場
37(水)19時「コン・ラ・ボス・エン・ラ・ティエラ」
[出]〈c〉ダビ・カルピオ、ゲスト〈g〉マヌエル・バレンシア、〈base〉パブロ・マルティン、〈sax, flディエゴ・ビジェガス、特別協力〈g〉ディエゴ・デル・モラオ、サンティアゴ・ララ
[場]サラ・パウル
37(水)21時「ノ・パウサ」
[出]〈b〉ダニエル・ドーニャ・スペイン舞踊団
[場]ビジャマルタ劇場
38(木)19時「ペティサ・ロカ」
[出]〈b〉サラ・カレーロ
[場]サラ・コンパニア
38(木)21時「ジェレン」
[出]〈b〉アントニオ・モリーナ“エル・チョロ”、ゲスト〈c〉ペドロ・エル・グラナイーノ、演出マヌエル・リニャン、振付バレリアーノ・パーニョス、ロシオ・モリーナ
[場]ビジャマルタ劇場
39(金)19時「オリヘン」
[出]〈gホセ・カルロス・ゴメス、ゲスト〈b〉エル・フンコ
[場]サラ・パウル
39(金)21時「ジュジュ」
[出]〈b〉イサベル・バジョン・フラメンコ舞踊団
[場]ビジャマルタ劇場
39(金)24時「バイラール・パラ・コンタールロ
[出]〈b〉フアン・オガージャ
[場]サラ・コンパニア
310(土)17
[出]〈b〉ハビエル・ラトーレのクラス生徒
[場]サラ・コンパニア
310(土)19時「ギターラ・デ・カル」
[出]〈g〉ぺぺ・アビチュエラ、ディエゴ・デ・モロン、ゲスト〈b〉ぺぺ・トーレス
[場]サラ・パウル
310(土)21時「ア・バイラール」
[出]〈b〉エル・カルペータ、ゲスト〈b〉アントニオ・カナーレス、ラ・ファルーカ、アフリカ・ラ・ファラオナ、演出アントニオ・カナーレス
[場]ビジャマルタ劇場
[問]http://wwwwww.festivaldejerez.es



2017年10月14日土曜日

日本のフラメンコ 南風野香「パドトロワ 白鳥の湖」

芸術の秋。日本人によるフラメンコの劇場公演も目白押し。
その中で目立つのが小松原庸子舞踊団出身者だ。平富恵、谷淑江、石井智子ら毎年のように劇場公演を行っているし、今年からスペイン長期留学する田村陽子も去年までは常連だった。そんな中、今年は南風野香と青木愛子も劇場公演を行う。青木の公演は私のスペイン帰国後で残念ながら観ることが叶わないが、南風野の初めての(だと思う)公演を13日、光が丘IMAホールで観ることができた。

これまでの誰の公園でも見たことのないような、独特な作品である。

名作バレエとして知られる「白鳥の湖」をモチーフにしつつも、そこで展開される物語は、白鳥の湖そのものをフラメンコ化したものなどではない、全くのオリジナルのもの。

簡略化して言うと、バレリーナとして成功し、娘を得た昔のバレエ仲間を羨み、すでに転向していたフラメンコに誘い込み、屈折した復讐を試み、それを果たす、という話。

その女とその昔のバレエ仲間と娘の三人の関係をパドトロワに見立てているというわけなのだろう。
だが、そこに、フラメンコとの神秘的で運命的な出会い、母による娘の支配、娘のスマホへの逃避と依存などのテーマも加わり、また、劇中劇のような発表会はちょっとした息抜きともなる。

そんな複雑な物語を、正確に観客に伝えることの難しさを感じてのことだろう、あらすじが文字で映し出される。一部の最初には場面を表すビデオも挿入されるし、舞台上の実際の人物が映像へと変化するような、プロジェクションマッピング的な試みもあったり。
カルロス・サウラの映画「カルメン」の「カルメン」の制作過程と物語が絡み合う重層構造にもちょっと似ているかもしれない。

音楽は録音と、エミリオ・マジャのフラメンコギターとナタリア・マリンの歌、三枝雄輔のパルマとカホン、2台のトランペット、チェロ、バイオリンによる生演奏。全員が舞台のすぐ下の客席に、オーケストラボックスの感じでいて、観客と同じように舞台を見て、演奏している。チャイコフスキーの白鳥の湖のモチーフがフラメンコギターやトランペットで演奏されたりするのも面白い。

また白鳥の湖の四羽の白鳥をホタで踊った場面と、発表会のシーンで、喧嘩しながら踊るユーモラスなガロティンは出色の出来。真正面から取り組んだフラメンコだけでなく、肩の力を抜いた、こういった応用ができるのは余裕がある証拠だろう。長年の経験はだてじゃない。

小松原舞踊団時代は華奢で繊細な、天使のような透明感、という印象がある南風野なのだが、ここでは百一匹わんちゃんのクルエラのような悪役を嬉々として演じ、好演。
ソロはソレアとタラントの2曲だけだが、構え、というか、立ち姿やちょっとした動きに、彼女の師である小松原の影が見える。一見、似ていない二人だが、ふとした動きやポーズが驚くほど似て見えるのだ。面白い。
その小松原もフラメンコへの道へと導く赤い月の化身として特別出演。圧倒的な存在感だった。
娘役の内城紗良も、母役で友情出演のダンサー、佐々木想美もいい。群舞もしっかりしている。

フラメンコを見慣れた目には、幕開けで見せたバレエ的なマイムの表現力に改めて感心したり、佐々木のコンテンポラリーのソロも新鮮だし、演出でも、客席も舞台になったり、と様々な工夫が凝らされ、小松原舞踊団好演の美術も務める南風野の夫、彼末詩郎の舞台の上の人たちをより美しく見せるような、決して出すぎることない美術もいい。美しい2時間の舞台も飽きることなく観ることができた。

説明の言葉を映写したり、は意見の別れることだろう。舞踊は舞踊だけで、言葉にはできないものを伝える力がある、と私も思う。
初めての舞台で、伝えたいことがありすぎたのかもしれない。
でも今の彼女はこれがやりたかったんだからそれでいい、と思う。
作品の中心の三人はもちろん、舞台上のすべての人が、ものが彼女の化身だったのかもしれない。



2017年10月13日金曜日

日本のフラメンコ 平富恵「Hokusai Flamenco Fantasy葛飾北斎の浮世絵世界」

10月11、12日の両日、日本橋公会堂で3公演が行われた平富恵スペイン舞踊団公演「フラメンコで綴るジャポニズムHokusai Flamenco Fantasy葛飾北斎の浮世絵世界」。
休憩を挟んで2時間超、最近、各地で展覧会が開催されるなどまたブームになっている?北斎の絵をモチーフに、日本語のオリジナル詩で綴っていくという力作、大作。
一見すると、立ち姿の美しい、たおやかな女性だが、その中身は勇気溢れる、男前なフラメンカだ。

最初にビデオで簡単な北斎の紹介があり、今日の作品のモチーフになった絵を見せる。

最初の場面は富獄三十六景。富士山をバックにグラナドスでクラシコエスパニョール。フラメンコだけでなく、常にクラシコへのレスペト、リスペクトを舞台で表現する彼女ならでは。

ゲストはかつてラ・ウニオンのコンクールでも優勝した、エドゥアルド・ゲレーロ。彼のソロは獅子図のイメージで。ジェルバブエナやアイーダ・ゴメス、ロシオ・モリーナ舞踊団で活躍した身体能力抜群のエドァウルドと津軽三味線の浅野祥との絡みが面白い。

続くギターソロはアントニオ・レイ。ミネーラ。技術はあるのだが、曲の構成とか、作曲としてみた場合は今ひとつか。洞窟の中で弾いているようなリバーブには辟易。

鳳凰図をイメージして、黄色のバタ・デ・コーラに青緑?と赤のマントンで平のカンティーニャ。黄色の衣装の胸から腰に付けられた飾りのせいかちょっとインド風にも見える。バタさばき、マントンさばきはさすがの安定感。本当に姿がきれいな人だ。

屏風七小町は、小野小町をモチーフにした7枚の絵、それぞれを踊り手たちのソロで表現していくというもの。グアヒーラ、ファンダンゴ・デ・ウエルバなどそれぞれに曲を変え、工夫を凝らした場面だ。
ここで初めて日本語の歌詞の内容が聞き取れた。それまでも歌われていたのだが、歌詞を聞き取ろうと集中しても聞き取れなかった。書かれて意味がわかる詩でも、歌われて自然に聞き取れるようにするのは難しい。フラメンコはスペイン語のものでも聞き取りはそう簡単ではないのだから普通? いや、でもそれではあえて日本語の歌詞にした意味がない。古風な言葉遣いということもあるだろうが、メロディに乗せて聞き取れる歌詞というところをもう少し考えても良かったのではなかろうか。。グアヒーラで聞き取れたのは、もともと普通の歌に近いメロディと、女性歌手、奥本めぐみの唱歌を歌っているような口跡の良さによるところだろう。あまりフラメンコ的ではないがかえってそれがここでは生きた。一方、この舞台の音楽監督をつとめた石塚は3公演の最終回ということもあって喉の調子が悪いのか、芯がなく音程も乱れがちで非常に残念。

休憩をはさんで百物語の小平二、番町皿屋敷、はんにゃをイメージした場面。ここでもそれぞれの絵を永田健、河野睦、久保田晴菜が踊るというもので、一部の最後の場面に重なる。絵のイメージの衣装やポーズなど工夫しているが、一部の最後と重なるところもあり、どっちかだけでもよかったかも。

春画として有名な「海女と蛸」は平のソロ。エロチックな原作の蛸はマントンに化け、ライトにして、コケティッシュに、ユーモラスに。こういうフラメンコが踊れるのは財産だ。

男浪女浪はフラメンコギターと津軽三味線の競演。浅野はここでもフラメンコに近づこうという姿勢を見せるのだが、アントニオは俺についてこい的姿勢を崩さず非常に残念。フラメンコギターと三味線の共演はこれまでにも行われており、25年以上前にカナーレスやカニサーレスもやっており、仕事で関わったが、どちらも彼らの方からも歩み寄っていた。アルティスタのキャパの問題?

雷神図はブレリアで。アンダルシア舞踊団的マリオ・マジャ的椅子に座って。畳み掛けるサパテアードはなるほど雷鳴のようでもある。

エドゥアルドと平の二人で踊るタラントは、パレハ的な絡みはほぼ皆無。ひたすら二人で同じ振りを踊り続ける。相手すら見ないエドゥアルド。これじゃ二人で踊る意味がない。パレハの振り付けができないわけでもなかろうに。これはおそらくエドゥアルド側の問題。いい踊り手だけど考えてみればがっつりのパレハってあまり踊ってないかも?

最後は青い衣装と白いマントンで波を現した華やかで非常に美しい場面で幕を閉じた。

スペイン人いなくてもよかったんじゃない?っていうのが正直な感想。二人ともいいアルティスタなのだけど、この作品ではミスマッチ?というか、どうしても彼らがいなくてはならない必然性が感じられない。
日本人だけで、日本的なテーマでも十分フラメンコで、スペイン人があえている必要はなかったように思うのだ。

また、日本語でフラメンコを歌うのが無しとは思わない。ジャズだってシャンソンだって日本語で歌うことで世に広まったと云う点もあるし、うまくそうやって広まってくれればむしろうれしい。
けれど、やるからにはきちんと歌詞が聴こえて理解できるように、なおかつフラメンコ曲から抜け出ないようにしてほしい。その二つをしっかり実現することが難しいのはもちろんわかるけど、そうしてこそ、日本語で歌う意味があるのではないだろうか。
スペインの、スペイン語のフラメンコでも歌詞とメロディが合わず聞き取りにくいこともある。発声や歌い方のせいでききとれないこともある。
でもだからと言って、日本語で聞き取れなくてもいい、というわけではないはずだ。
トライする気持ちは素晴らしい。だがだからこそより完璧を目指してほしい。

また群舞ではほぼほぼ全員が正面向いて同じ振りというのが多かったのも残念。自分のおどりだけに集中するだけでなく、群舞の振り付け指導も、というのはハードだろう。だけどやるからには、であろう。そして踊り手としてだけでなく、振付家としてのレベルアップへとつながることだろう。

とにかく美しい大作。制作はさぞや大変だったろう。お疲れ様でした。