2019年3月13日水曜日

ヘレスのフェスティバル 観客賞はダビ・コリアに

©Javier Fergo Festival de Jerez
ヘレスの新聞社ディアリオ・デ・ヘレスが、観客の投票によって選ぶ観客賞は、ダビ・コリアの『アノニモス』に決定。

10点満点で9.83という高得点を獲得しました。
おめでとう!


今回は初めて、投票はウエブでとなったので、その影響もあるかな?

2019年3月11日月曜日

へレスのフェスティバル最終日ハビエル・ラトーレの振り付け工房

毎年恒例、ハビエル・ラトーレの振り付け工房。
今年は風邪で寝込んだハビエルを支えたアナ・マルガのブレリアに始まり
© Javier Fergo / Festival de Jerez
タマラ・タニェのタンゴ、
カルロス・カルボネルのタラントに続き
© Javier Fergo / Festival de Jerez
生徒たちのカンティーニャ。
真ん中に宇根由佳さん。
© Javier Fergo / Festival de Jerez

© Javier Fergo / Festival de Jerez

© Javier Fergo / Festival de Jerez

いつもながらにハビエルの振り付けは踊れない人も踊らせてしまう。
後ろの方、ちゃんとできてなかったし、前の方も間違えてたけど、それでも光る瞬間もらえる。
すごいなあ、ハビエル。

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2019年3月10日日曜日

へレスのフェスティバル最終日イスラエル・ガルバン『恋は魔術師』

天才!
その一言に尽きる。
ピアノとダビ・ラゴスの歌によるマヌエル・デ・ファリャの『恋は魔術師』全曲を椅子で踊り、その時代のフラメンコ曲で色彩を加味する。
1時間弱なんだけど見応えたっぷり。

彼にはコンテンポラリーから何かを借りてくる必要がない。
彼自身が新しい方法をつくる。
彼自身がコンテンポラリーなのだから。

すごすぎて何から話せばいいのやら。


金髪に白いブラウス、黒の裾が広がったパンタロン。腰には鎖のベルト。
サングラスをかけて椅子にずっと座っている。
下手にピアノ。その横にマイクと譜面台。
イスラエル・ガルバン/エドゥアルダ・デ・ロス・レジェスは、サングラスを外し、ピアニストが来て演奏し始めると動き始め、踊り始める。
最初は赤い手袋で。

© Javier Fergo / Festival de Jerez
『恋は魔術師』は、死んだ恋人の亡霊を追い払い新しい恋へ、という話だが(短縮しすぎだ)、舞踊劇の登場人物、カンデーラ、カルメロ、亡霊、ルシアらは一切登場しない。
そこにあるのは魔術。恋に悩み魔術へ走る。

ただただ音楽と詩だけを元に踊っているという感じ。

椅子に座ってサパテアードは、マリオ・マジャの得意技だったし、ファジャはグラナダにも縁があるので、オマージュの意味もあるかもしれない。
椅子に座っていてもさ、さ、と見せるポーズの完璧さ、凄さ、フラメンコ性。
思わずオレ!が出てしまう。

舞台の一角しか使ってないのに、劇場全体が揺れる感じ。
魔術。

© Javier Fergo / Festival de Jerez

椅子から落ち、椅子の上で横になって、椅子の上に登り、踊る。踊り続ける。
恋の悩み、痛み、苦しみを、嘆く。
フラメンコの曲じゃないけど、イスラエルはずっとコンパスが一緒。

© Javier Fergo / Festival de Jerez
曲が終わると、『恋は魔術師』が初演された1915年頃のフラメンコや流行歌を、録音に重ねてダビが歌い、エドゥアルダが踊る。
© Javier Fergo / Festival de Jerez

チャコンのマラゲーニャやエル・ビートなどなど。ダビがすごすぎ。
フラメンコの歴史が全部彼の中に入ってる?

© Javier Fergo / Festival de Jerez

© Javier Fergo / Festival de Jerez
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なんだかよくわからなかった、という人もいるかもしれない。
でも、この人はレベルが違う、というのはわかったのでは。
そう違う宇宙の人みたい。

もう一回、いやもう二十回見てみたい。

2019年3月9日土曜日

へレスのフェスティバル15日目 マリア・デル・マル・モレーノ『メデア』

へレスのブレリアのクラスでおなじみ、アンヘリータ・ゴメス門下で、アンヘリータのアカデミアを引き継いだマリア・デル・マル・モレーノが、先日亡くなった演出家サルバドール・タボラの娘で映画監督でもあるピラール・タボラの演出で踊る『メデア』

© Javier Fergo / Festival de Jerez

『メデア』と言えば、昔からのファンにはおなじみ、スペイン国立バレエが上演した、マノロ・サンルーカル音楽、ホセ・グラネーロ振り付け、ミゲル・ナロウ演出のものがあり、これがもう絶対の名作なんだから、なぜ今『メデア』やる意味あるんだか、なんだかわからない。
古典劇がメインのメリダのフェスティバル狙っているのかな。ついでにイタリカとか、ローマ劇場での夏のフェスティバルでは確かに古典劇テーマのものでプログラムするからね。

国立の『メデア』はセリフもレトラもない、音楽と舞踊だけで、物語を十二分に語り尽くすのだが、こちらの『メデア』はレトラで、またセリフで延々と説明する。それもエウリピデス版に基づいているとか。コロスの女優さん?のうちには口跡良くない人もあり、わかりにくいことこの上ない。もし会場に『メデア』の物語知らない人がいたとして、その人がこの物語わかったかというと謎。スペイン語わかったら半分はわかるかな。スペイン語わからなかったらそれこそ何が何だかわからなかったことだろう。やっぱミゲル・ナロウやホセ・グロネーロは偉大だな。言葉なしで物語を伝え感動させてたものな。
んで、コロスだけでなく、主役も喋るのである。マリア・デル・マル、女優になる? 

うーん、中途半端。学芸会とは言わないけど、街の素人劇団風。
踊り手なら踊りだけで語ってくれよ、と思うけど、演出家の意向なのかしらん。
三人のコロスも兼ねる群舞の振り付けはほぼ全部、全員正面向いて同じ振り付けというクラスレッスン風だし、マリアもなんでも同じように見える踊りは相変わらず。
背も丸まっているし。
© Javier Fergo / Festival de Jerez

相手役、ハソン/イアソンを踊るヘスース・エレーラも、背が丸まって見えるし。これって、マリア・デル・マルの振りのせい? それとも背が高いから?
© Javier Fergo / Festival de Jerez
サエタで始まり、カーニャ、シギリージャ、トナ、ファンダンゴ、タラント、ペテネーラなどなど、フラメンコ曲は満載だけど、フラメンコ感がないのはなぜだろう。
国立バレエ『メデア』はフラメンコ曲のモチーフだけであんなにフラメンコなのに。
またギターの音量が大きすぎて靴音を消すのはわざと?
ハビ・ペーニャとマヌエル・カンタローテの小気味いいパルマだけが印象に残る。

© Javier Fergo / Festival de Jerez
最後のこういうイメージとか、やっぱピラールのお父さん、タボラの作品思い出す。
なんか写真で見ると、案外綺麗でびっくり。
照明が良かったってことね。







2019年3月8日金曜日

へレスのフェスティバル14日目 ダビ・コリア『アノニモス』

ダビ・コリアは、セビージャ県コリア・デル・リオの出身。
そうです、ハポンさんで有名な町です。なんでコリアが芸名になった。
セビージャの舞踊学校からスペイン国立バレエへ。退団後はエステベス&パーニョスやロシオ・モリーナ、ラファエラ・カラスコらの舞踊団で活躍。アンダルシア舞踊団を経て、2017年へレスで発表した『エル・エンクエントロ』が好評だったのも記憶に新しい。


ため息が出るほど美しいポーズ、形と、レース編みのように複雑で細かいサパテアードで綴られるのが『アノニモ』。
匿名、無名の意味で、アンダルシア舞踊団時代の仲間エドゥアルド・レアル、ラファエル・ラミレスと三人での舞台。



薄明かりの中に重なって見える三つの体。裸のようにも見えるが、上半身裸の上に袖なしジャケット。
© Javier Fergo / Festival de Jerez
下手にミュージシャンたちがやってくる。
早い速度のシギリージャ。
まあ、複雑怪奇なサパテアードのオンパレード。
まるで競争のように、走り続けるサパテアード。
それは三人の会話だったり合唱だったり。
すごいテクニックには違いないのだけど。
© Javier Fergo / Festival de Jerez

© Javier Fergo / Festival de Jerez

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ビニールか紙かでできたスカートをつけてのちょっとユーモラスな場面からの
ヘマ・カバジェーロがダビの肩車に乗って歌うファルーカ。
© Javier Fergo / Festival de Jerez
 ペペ・デ・ラ・マトローナが歌った古いルンバから
歩きつつ弾くチェロとの絡み
そしてメキシコのペテネラ(このフェスティバルで3回目?)からのペテネラ
© Javier Fergo / Festival de Jerez

© Javier Fergo / Festival de Jerez

サパテアードの掛け合いは会話、対話、言い争い。
一つの体の中にあるいろいろな心、考え、自分。
スカートは自分の中の女性性の発見、違和感、受容。
上着の脱ぎ着は上辺で判断されることの違和感。
などなど、いろいろ読むことはできる。


でも前回と比べるとなんかちょっと不満足。
足技詰め込みすぎで余白があまり無いせいかとも思ううけど。
もう一回見たいかな。

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今年のへレスは例年以上に風邪が流行ってます。
私もヨレヨレでございます。さ、あと2日。お薬飲んで頑張ろう。

2019年3月7日木曜日

へレスのフェスティバル13日目

19時からはアルフレド・テハーダのマイクなしのカンテリサイタル。

© Javier Fergo / Festival de Jerez
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21時からはモネータ。

© Javier Fergo / Festival de Jerez
でも風邪気味ということもあって劇場にはいきませんでした。
2週間で疲れもピークかも? クルシージョ受けてる人もそうじゃないかな。

モネータ作品はビエナルで見たしね。



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2019年3月6日水曜日

へレスのフェスティバル12日目 アナ・ラトーレ『レイバ・ジョ・ア・コンタール』

19時からはサラ・パウルで、24歳アナ・ラトーレのデビュー作。
レイバは彼女の母方からの苗字であり、それにひっかけてのタイトルは、私が話そうとしたこと、くらいの意味で、母レイバが彼女に語ろうとしたこと、とも、娘のレイバが語ろうとすること、とも取れる。
母ヌリア・レイバはコルドバ舞踊学校教授、父はハビエル・ラトーレ。母の姉妹も元踊り手で、その夫がアントニオ・マルケス。コルドバの舞踊専門学校卒後、現在までマドリードの上級舞踊学校に学び、資格を取得している。
これまでもハビエル振り付けで小島章司制作作品の『ファトゥム』『東洋人には歌わない』『フラメンコナウタス』、またエステベス/パーニョス『春の祭典』などに出演しているほか、ソロでタブラオ出演などもしている。

技術的事情で10分遅れで開幕。

冒頭、このビデオが流れる。
ある母と娘(レイバ母娘ではない)が暗唱する、マグダレーナ・サンチェス・ブレサの詩『私のこどもたちへの説明書』

戻らない、逃げない、恐れない、諦めない、這ってでもゴールへ、歌おう、歌えば人生はより美しい、などなどというこどもへの言葉の数々。ビデオの性質上か、少し聞き取りにくいが、人生の基本を教える母と娘。

それを客席に背中を見せて聞いているアナ。花柄のドレスはバタ・デ・コーラで、マントンをかけたスツールに座っている。

ギターが始まる。
ペテネーラ。モダンな振り付けマヌエル・リニャン。
正直、バタの扱いも、マントンもこなしているものの、そう上手とは言えない。緊張もあったのかな。
大柄な彼女にはマントンはもう少し大きめな、持ち重りのするものの方が合うだろうし、バタも、曲柄、無地とかの方が良かったのでは?
© Javier Fergo / Festival de Jerez

歌はエバ・ルイス。イメージは母。黒いワンピース。
その母をマントンで巻き込んだり、受け渡しをしたりの振り付けはホセ・マルドナードかな?

舞台上でバタを脱ぎ、黒いガウンに着替える。
男の歌い手ロベルト・ロレンテは父のイメージ。スーツで。
サンブラ/ティエントを歌い、曲はサパテアードへ。これはラトーレ振り付けで間違いない。
靴音は正確でクリア。音もきれいでこれは彼女の凄いところだろう。
© Javier Fergo / Festival de Jerez
すると、客席から話しながら登場したのは、アナのいとこを名乗る男性。
シギリージャのリズムでラップを歌い踊る。
面白い。口跡よく、小気味良いほど聞き取りやすい。
シギリージャのポーズもこなしている。
© Javier Fergo / Festival de Jerez
がそれが終わると、髪ピンを投げ捨て、椅子を投げ、髪をざんばらにして、
そこからがさらに本領発揮。
パルマでのサパテアードやハレオ。これはウーゴ・ロペスの振り付け。
テンペラメントと強さ。フラメンコ性。
髪振り乱してのタンゴはリニャンの振り付けだろう。と思ったのだが、アナ自身の振り付けだという。グラナダぽくていい感じ。
そのタンゴからのタラントというのも面白い構成。
© Javier Fergo / Festival de Jerez
最後は革ジャンに赤いチュールのスカート、スニーカーというフィフティーズ風ファッションで、ストリート風クラシコ。コルドバ。おそらくこれは彼女自身の振り付け。違うかな? 違った。ホセ・マルドーナードの振り付けだったそう。
ちょっと発表会風ではあるけれど、今を生きる自分のスペイン舞踊への思いみたいなものは伝わってくる。

24歳の半生記はいわば卒業論文。合格間違いなし。

舞台で着替えることで、空白の時間もなく、よくまとまった作品。
ただまだ道半ばであることは明白で、これからも研鑽を積んで、より良い舞台を見せてくれることだろう。

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へレスのフェスティバル11日目 ルベン・オルモ『オラス・コンティゴ』

セビージャ出身で、国立バレエ団を経て自らの舞踊団を立ち上げ、後、アンダルシア舞踊団監督に就任。退任後はアンダルシア舞踊センター教授として後進の指導に当たっているルベン・オルモ。
彼が自分の、他からを問わず、今までの踊ってきた振り付け作品を集め、新作も加え、構成している。

舞台上に設置された10枚のスクリーンに映し出される彼自身が踊る姿をバックに、
霧の中のようなぼんやりした灯りの中で一人で踊るオープニング。
© Javier Fergo / Festival de Jerez
 アンダルシア舞踊団時代の、『イグナシオ・サンチェス・メヒーアスへの哀歌』をリケーニの『エサ・ノチェ』で、パートナー、エドゥアルド・レアルと踊る振り付け。
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霧の中でフレコのジャケットで踊るタラント。

そして、イスラエル・ガルバン振り付けで、代表作『トランキーロ・アルボロト』で踊った『ファルーカ・ファルサ』、偽のファルーカ。
もしファルーカがガリシアのものだったら、という設定。
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なのでガリシアのバグパイプが出てきたり、ガリシアの民族舞踊の振りが出てきたり。
ユーモアたっぷり見せてくれます。
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ピアノとカスタネットの通俗的な曲の後、

ラファエル・エステベス&ナニ・パーニョス振り付けの『ソレール神父のソナタ』
モダンなクラシコ・エスパニョール。
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この夜の最高潮はこの作品のためにパトリシアによって振り付けられた『ロクス・アモエヌス』
かつて彼の舞踊団で、またアンダルシア舞踊団でも共演した二人。
パトリシアの抜群のフラメンコ性が爆発する!

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メロディカ伴奏でのエドゥアルドとのデュオ。
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そして定番のマントンの舞。絶品。
『トランキーロ・アルボロト』で見せたこの舞で、印象付け、国立にもマントンを振り付けたんだよなあ。
男性だから力があり、重い大きな刺繍のマントンが美しく舞う。
でもピアノがなんか残念。他の曲ではダメだったのだろうか。
© Javier Fergo / Festival de Jerez

素敵なところはいろいろあるのだけど、全体としてすごく残念だったのは、ルベンの姿勢、ちょっとうずくまるようというのか、顎を引いて肩が前に出て背を丸めていることや、サパテアードを打つ時に体がくの字になるのがすごくきになる。
前はこんなことなかったと思うのだけど、具合が悪かったのかなあ。

なお、ビエナル公演で気になったバサバサの髪が顔にかかることはなかったのは良かった。

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2019年3月4日月曜日

へレスのフェスティバル10日目 ホセ・マルドナード『ボデゴン』

フェスティバルも半分を過ぎ、残り後1週間。

19時からのサラ・パウルでの公演はホセ・マルドナード『ボデゴン』
ボデゴンとは静物画の事。踊りだけでなく、絵も描くホセらしいタイトル。

一昨年、マヌエル・リニャン『レベルシブレ』で強い印象を残した彼は、昨年『フラメンコナウタ』で帽子を使ったソロンゴで魅了した。
実は2012年振り付けコンクールで入賞し、翌年には自分のカンパニー公演も行っていたという。さらにこの作品も2016年にゲストにカルメン・アングーロとアントニオ・カナーレスを迎え行っていたのだという。それがカルメン・コイとハビエル・ラトーレに変わった。

いやあ、なんとも趣味のいい佳作小品。
こないだのアナ・モラーレスもそうだけど、語りたいことがあって、それを語れるだけの言葉/技術を持っている人は最強。
見終わった後の心地よさと言ったらない。


多分、ボッケリーニのファンダンゴ。
クラシック曲だけどフラメンコに響く、ビクトル・グアディアナのバイオリンの調べで裸足で踊る。形が綺麗だ。
きちんとしたスペイン舞踊の基礎が感じられ里う。感じられ里う。
やがて舞台奥の黒い幕を剥ぎ取ると白い大きなキャンバスが現れる。
ハビエル・ラトーレが現れ、踊りの心得を話し始める。
キャンバスに躊躇なく、描き始めるホセ。
その線の勢い。下書きも何もなくても彼にはすでに全てが見えているようだ。

絵筆を持って踊る。今度は靴を履いて、サパトでのスペイン舞踊。

© Javier Fergo / Festival de Jerez

暗闇の中、現れるのはミューズ。カルメン・コイ。
内側に電気が仕込まれ、そこだけ見える、という美しい仕掛け。
絵の構図で切り取っていくように、額縁に縁取られ、そこだけがアップで見える感じ。
美しい。

© Javier Fergo / Festival de Jerez
 カルメンは元スペイン国立バレエ団だけに、とにかく動きが美しい。そして同時にセクシーだ。
カスタネットでのシギリージャ。
コンテンポラリーの中でクラシックバレエの素養のある人たちが踊るものをネオ・クラシコとスペインで言っているのだけど、これは純フラメンコと言うより、ネオ・クラシコ・フラメンコとでも呼びたくなる。
ホセは絵に影を加えていく。
© Javier Fergo / Festival de Jerez
カルメンはバロックスカートの下に履くようなパニエをつけ
赤い絵筆を持ったホセとのデュオ。カルメンの体にも描いていく。

© Javier Fergo / Festival de Jerez
 ホセのソロはソレア。con mucho coraje、憤りのような強い感情が伝わってくる。

© Javier Fergo / Festival de Jerez
 そしてハビエルのタラント。優雅さは健在。重み、深み。涙が出るようなタラント。
© Javier Fergo / Festival de Jerez
最後は3人で同じパソを。
導く者も導かれる者も皆同じ。

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それにしても今年のへレスはクリスティアン・ロサーノ、ヘスース・カルモナ、アナ・モラーレス、そしてこのホセと、バルセロナ出身者の活躍が目立ちますね。
アナの共演者のフアン・マヌエル・アルバレスもそうだし。

21時からのビジャマルタはマルコ・フローレスでした。
コンテンポラリー系スペイン舞踊のダンサー、サラ・カーノと組んで。
コンテンポラリーぽい動きで見せるときこそ音楽が大切と痛感。

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2019年3月3日日曜日

へレスのフェスティバル9日目 メルセデス・ルイス『タウロマヒア』

『タウロマヒア』は、1988年に発表された、ギタリスト、マノロ・サンルーカルが闘牛をテーマに作り上げた不朽の名作。
闘牛術を意味するタウロマキアと魔術の意味のマヒアを合わせたマノロの造語で、闘牛魔術、という意味になる。
牛の誕生に始まり、見習い闘牛士たちの旅、闘牛場への到着、祈り、そして、様子見のケープさばき、槍打ち、銛打ち、ケープさばきから最後のとどめ、という実際の闘牛の試合の進行をそのままなぞり、最後は喝采で終わる。
これ、フラメンコ好きの必聴盤の一つであります。



その発表から30年だった昨年、フランスで初演。ビエナルでも上演されたのがメルセデス・ルイスのこの作品。闘牛をそのまま描くのではなく、それぞれの曲に託されている、生、夢と現実、恐れ、成功などを描いているのだという。
女性3人の群舞、クラシコもこなすソリストも招いて、というのはメルセデスには珍しい。大抵、彼女の作品ではいつも一人で踊っていたように思う。

かつてマノロの第二ギターを務めていたメルセデスの夫、サンティアゴ・ララが生演奏。ホセ・メルセやマカニータ、インディオ・ヒターノ、ディエゴ・カラスコらが歌っている全ての歌をダビ・ラゴスが歌い、第2ギターとパーカッション二人にキーボードで、オーケストラまで全部カバーしてしまう。

© Javier Fergo / Festival de Jerez


意欲は買います。
振り付けも鏡見て全員同じのクラス風ではなく、構成や帽子や扇などの小物使いなどいろいろ工夫はしている。

でも、闘牛じゃない、とは言いながら、闘牛的な動きをしたりもするので混乱してしまう。ビエナルで見た時、あれ、どっちが牛?と思ったりしたのもしょうがない、と思う。
同じ『タウロマヒア』を使ったホセ・アントニオ振り付けの『イマヘン』という作品があったのだけど、(調べたら1995年だった)これは、確か父と子の軋轢と和解がテーマになっていたと思う。だから別に闘牛を直接描かなくてはいけないわけではないのだけど、なんか中途半端なのであります。脚本が悪いのかな。

そして残念ながら、踊り手たちのレベルが低いこともあって発表会的印象が否めない。
舞台の上での歩き方などから勉強する必要があるのでは? 
マントンさばきも綺麗じゃない。乱暴というか、余韻がない。花とか髪飾りとかではなく頭にかぶさってしまうアクシデントは生まれて初めて見た。アクシデントは仕方ないけどね。

© Javier Fergo / Festival de Jerez
衣装も、もっとスカートにゆとりがないと動きにくいのでは?
© Javier Fergo / Festival de Jerez

またバタ・デ・コーラも綺麗に舞わないのは形が悪いのかな。ペシャンとしてるし。布地のせい?

© Javier Fergo / Festival de Jerez

また曲の順番が変わっているのも違和感があったし、原作だと短いからといって曲を引き延ばしたり、他の曲を加えているのも、うーん、どうなんだろう。
原作の印象が強すぎるからかなあ、なんか納得がいかない。原作者が認めているのだからいいんだろうけど。ビエナルでは見に来ていたし、最後は原作者、マノロ・サンルーカルが朗読する詩を踊って終わる。

© Javier Fergo / Festival de Jerez

地元ということもあって大喝采ではありましたが、個人的にはなんか納得がいかない、というか、不満足なのは原作への思い入れが強いせいかしらん。
オレ!な瞬間もなかったし。

前日のアナ・モラーレスの個人的な感じとこの大衆的な感じは好対照とも言える。
いやね、好みは様々なんだなあ、と感じたことでした。

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