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2011年12月25日日曜日

飛行機で踊るオヨス

クリスマスおめでとうございます

スペインのクリスマスは
友達同士で騒ぐよりも
家族でゆっくりが基本。
みんなで夕食というのが普通だから
この日ばかりはいつも開いているバルもイブには早じまい。
イブに旅行する人は夕食抜き?
いえ中華レストランなら開いてます。
あとホテルのディナーなんかもありますね。

騒ぎたい年頃の若者たちも
でかけるのは家族との夕食後の12時すぎ
その頃から花火あげたり騒ぐ人も少しはいるかな。

クリスマスではないですが
パリ公演に向かう飛行機の中で踊りだした
クリスティーナ・オヨス

ブラソ、腕というより
マノ、手のまわしかたが秀逸!
素晴らしいの一言です。




今年夏
真夏の夜のフラメンコでみせた
日本へのオマージュも
心にぐっときたけれど
このブレリアも
すごい!
の一言です。

2011年9月20日火曜日

フラメンコのみかた フラメンコの場へのいかた

そもそもはツイッターでの
satosisさんのつぶやきとそれへの返信からはじまったのでした。
フラメンコの好みの話で生活の中のフラメンコって雰囲気が好き、というsatosisさんに
それは皆そうでしょうとこたえる、48cantaさん
それに対してsatosisさんの

でも、みんながみんな身近なフラメンコが好きってわけではないです。昔コンサート会場で「隣の奴が手拍子したり叫んだりしてうるさいから黙らせろ」ってクレーム入れるお客さんがいました。舞台芸術として楽しもうとした人には、ハレオは邪魔でしかない、って話。

という言葉に私はつい反応し

劇場と内輪の集まりはまた違うし。劇場での手拍子は舞台から要求される以外は禁止でしょう。ハレオもかけっぱなしとかだとうるさいけど、ここ一番にいい間で入ると気持ちいいよね。

48cantaさんが

好きな場での「居かた」を知るって、メチャクチャ重要ですよね。でもアフィシオナードは必ず学ぼうとしないといけないことだと思う。


と返信(このあたりはtogetterにまとめてあるのでご興味あればこちらで)


でフラメンコの見かた、フラメンコの場への居かた
について改めて考えたのでありました。

で、フラメンコの見かた、でございます。
結論から先にいえば、

見かたなんていうのはない、
みんな好きなように見て楽しもう

なんですが、
それにしたって最低限のエチケットというのはある。
それは

他の人の迷惑になることはしないこと。
常識の範囲で行動すること。

ですね。


劇場という舞台の上のパフォーマンスをみにいく場所では
舞台の下、つまり客席から観客が参加していいのは
基本的に舞台の上から手拍子を求める、などの要求があった場合だけ。
フラメンコではついパルマうちたくなったりするかもですが、
隣に座った人はそれを不快に思うかもしれません。
ハレオも歌舞伎の「中村屋!」という大向こうからのかけ声といっしょで
ここぞというところにかかると気持ちいいもの、
なんですが
いくら応援という気持ちがあっても
ひっきりなしに「オレエ〜」なんてかけられると隣の人はひいちゃうかもしれません。
スペインでもパルマうっちゃう人とか、足でリズムとっちゃう人とかいます。
そういうの、私はけっこう気になるたちなので困っちゃいます。
気が散って集中できなくなったりするし
舞台の上からの音楽の細かいニュアンスがききとれないことも。
コンパス外してる人はもちろんよけいに迷惑ですが
たとえプロでコンパスきちんとしてようが
舞台の上のものを観にきた者にとっては
横でうるさくされるのはかなわない、
というわけでsatosisさんのツイートに出てくるお客さんにちょっと同意です。
劇場ではなるべく静かにおとなしく観るのがいいのでは?
ここぞというところでの拍手、かけ声はOK。
でもパルマはNG。



が、これがタブラオとなると、
飲み食いしつつフラメンコを楽しむところ、というわけで
舞台そっちのけでおしゃべりというのは言語道断だけど
舞台の合間に少しのおしゃべり(小声でね)や注文、飲食などもOK。
ちなみにスペインのタブラオでは飲み物だけのところだとそうでもないのですが
食事付きのとことかけっこううるさいお客さんもいます。
が、よっぽどのことのない限り、誰からも注意されないことが多いかも。

でもそんな人をも静かにさせてしまうようなアルティスタもいたりするのが面白い。
たとえばブランカ・デル・レイ。
この人が踊り始めるとそれまでざわついていたタブラオがしーんとしてしまう。
アルテの力、ですね。
 パルマはここでもNG。
来日したスペイン人アルティスタたちよく新宿「エル・フラメンコ」に行きますが
みんなおとなしくみて、曲の最後に拍手。
小声でのおしゃべりはないではないけど
パルマうってることなんて絶対ない。
ビエン!とかハレオかけたりすることはあるけどね。

で、もっとくだけてフィエスタとなるとこれはすごく微妙。
トド・デペンデ。
すべてケースバイケース。
どんなフィエスタで
どんな人がいて
その人とあなたの関係がどうなっているか。
それによってその場への居かたも変わってくる。
気心の知れた仲間となら踊ろうが歌おうが勝手だろうが
知らない人ばかりなら遠慮する。
が踊るよう何度も誘われたらウナ・パタイータしてくる。
が基本、
 って感じですかね。

でもほんとその時々でかわってくるので
場を読まねばならないわけ。
非常にややこしい。
心理戦とか論文かけそうなくらいだよ。
なので
フィエスタについてはまた別の日にゆっくりと


2011年9月10日土曜日

morao morao

モラオの死がまだ実感できない。
パケーラの隣に埋葬されているという墓地はもちろん
いつもそこに行けば会えたバルのある、
ヘレスにも行くことができず
ぼんやりと
思い出すのみ。


1988年春。
初めてのフェリアでランカピーノにくっついて入ったカセータで
ソルデーラやパケーラ、チョコラーテといった名手たちを
(ああ、彼らみんなが彼岸の人となってしまった!)
ペリキン、ニーニョ・ヘロ、アントニオ・ヘロと伴奏していたモラオ。
当時私はスペインに来て半年。
まだ何もわからない、スペイン語もあやふやな頃で
お金持ちが招待客をよんでフラメンコを楽しむというカセータに
図々しくも紛れ込んでしまったというわけだ。

ほかにもラ・ネグラやカニェータ、まだこどもだったポティートもいて
カマロンやマティルデ・コラル、闘牛士のクーロ・ロメーロらもお客として顔を出す、
今考えると夢のようなカセータの、キッチンの隣から
生まれて初めてみたフィエスタ・フラメンカ。
アルティスタにとってはお仕事でのフラメンコとはいえ
初めて間近にみる本物の一流のフラメンコたちの迫力に酔った。

ある朝、12時過ぎからはじまった宴がはねて(フラメンコたちの仕事が終わって)
ほかのカセータに飲みにいくというのについていき
結局翌日夕方までフィエスタとなった。
最後の最後、道でコンパスが始まり最後のブレリア。
そこへひっぱりだされたものの
何もできない私を王子様のように迎えて引っ込めてくれたのがモラオだった。

その後ヘレスに通いはじめた。
ペーニャやフェスティバルで
いろんな人を聴いた。
根っからのボヘミアン、ルイス・デ・ラ・ピカのブレリア。その詩人ぶり。
大きなマリア・ソレアが踊りながらひっこむ絶品シギリージャ。
トルタの絶唱。カプージョのタンゴ。
フェルナンド・デ・ラ・モレーナは食パンのトラックの運転手だったし
ルイス・エル・サンボは魚屋さんだったけど
バルでちょっと歌っているのをきいたら止まらない。
絵描きのフアン・グランデもまだ健在だった。
そんな彼らとモラオはいつもいた。

聖週間の水曜日はプレンディこと、
サンティアゴ教会のクリスト・デ・プレンディミエントを観にでかけ
降るようなサエタと
終わったあとのブレリア三昧に酔った。


1990年
一時帰国のときに
小松原舞踊団招聘による、
ビエナルのスターたち公演で
ハビエル・バロン、ミラグロス・メンヒバル、
ペドロ・バカン、アウロラ・バルガス、
ミステーラ(写真右)、マノロ・フランコ(左奥)らと
やってきたモラオに会ったのは。



翌91年には
日本フラメンコ協会のフェスティバルに
特別ゲストとしてトルタと来日。
新宿での公演、ホテルだったこともあって
連日ナナに通ったものだった。

若林さん、高場さん、ナナさん、モラオと
若林さんぜんぜんかわんないねえ

そうこうするうちに時は過ぎ
ヘレスで
セビージャで
マドリードで
劇場で
野外フェスティバルで
録音スタジオで
と場所は変われど
変わらぬ彼の深い響きと
誰をもわけへだてなくつつんでしまうような豊かな人間性を
間近に感じてきた。

細く長く美しい指で奏でる
シギリージャのはじまりの、その音の深みに
妙なる間合いに
背筋はぞくぞく。
アンダルシアの日記念のマドリード、サルスエラ劇場での
メルセ伴奏のシギリージャはすごかった。
イントロがはじまるとともに涙が止まらなくなった。
そのことをあとでパルメーロで彼の義弟のラファにいったら
舞台の上でラファも泣いていたのだという。
毎日きいている人をも泣かせてしまう力技。
いや力ははいってないんだよね
フラメンコの神様が自然に彼に弾かせているんだよ、きっと。
でも本当に悪魔のような間合いなんだよ。
伝統的なシンプルなかたち。
がシンプルゆえにひとつひとつの音の間合い、
力加減で、すべてがかわってきてしまう。
(そういえばこの間新人公演のカンテ伴奏で
鈴木一義さんがモラオ風に弾いてくれて泣きそうになったよ
あれはなによりのオメナへだった)
シギリージャの伴奏でモラオの右にでるやつはいない。
今でもそう思っている。

もう一つの十八番はやっぱブレリア。
大きな固まりがぐるんぐるんまわっているような
遠心力を感じさせるブレリアの伴奏。
これまた間合いの小気味のよさにつきる。
一瞬の音の止め方の粋なこと。
心躍り、身体が自然に動いてしまう。
そしてまた
フィン・デ・フィエスタで踊ってみせる、
誰よりも優雅なブレリアの一振りにしびれる。
マルカールもさることながら
去って生き方のかっこよさ。
ああ
これぞフラメンコと大向こうをうならせる。
踊り手すらも舌をまくあの一撃。

伯父マヌエル・モラオと。ヘレスのフェスティバルの記者会見会場で
あるとき私がパコ・デ・ルシアに訊かれた。
ギタリストは誰が好きかと。
「モライート」
とつい即答。
「うん。今の潮流とはひと味違うけどいいギタリストだね」とパコ。
それをききながら「あなたです」というべきだったかな、と思ったことが昨日のようだ。
フラメンコギターの神様も一目おく存在。


実際モラオは特別だった。
スロットマシーンの音楽にあわせてブレリアふんでしまうような
いまさら言うのも変なくらいのフラメンコで
いつも自然体。
おおらかでユーモアがあって
演奏のときにみせる深みとキレ。
彼はフラメンコそのものだった、と思う。

会った当時、録音も伴奏でのものが盟友ディエゴ・カラスコとか
昔のヘレスのレコードとか、
あとたしかルンバとか、ほんとうにほんの少しだった彼だが、
ペペ・デ・ルシアがプロデュースしたヘレスの歌い手たちのアルバムを
録音した頃からだろうか、
仕事も順調に増えていった。
ポティート、ビセンテ・ソトなどとの録音。
主にヘレスの歌い手たちとの舞台。
最初は車をもっていなかった彼が
中古車から日産プリメーラ、ベンツに、
家も団地から一軒家へと変わっても、
いつも彼は変わらなかった。
会えばいつもの笑顔。
いつものバルでいつもの仲間といつものコパ。
そういえばビセンテ・アミーゴの結婚式で
ギターを抱えアルボレアを弾いたという話もある。

アグスティンのバル、アルコ・デ・サンティアゴで。真ん中はギタリストのフアン・ディエゴ
私は本当に彼のフラメンコが大好きだった。
彼と一緒にいるのが好きだった。
生まれる前からフラメンコを呼吸している彼らといると
言葉ではなく、伝わって来る何かがある。
いや、そんなものがなくても
とにかく一緒にいるのが楽しい人だった。
だからみんなに愛されていた。


2010年、ヘレスのフェスティバルの記者会見会場で。
20年前の写真とは全然違うね
肺炎をおこし入院したのはほぼ1年前のことだったと思う。
それは完治してタバコもやめたのに
声の調子がおかしいと言っていたのはビエナルの頃。
石井智子さんの公演で来日して帰国後
病院でガンとの診断を受け
それでも自分で車を運転してセビージャに通い
放射線治療を受けながら
舞台に出続けた。


エネルギーにみちているのにどこかゆったりとしていて
ここちよく、楽しく元気になってくるようだ。
人柄そのまま、といったところか。
これぞ本物。純粋正統フラメンコ!


と書いたソロを聴かせてくれた。

その後オランダのビエナルにも出演した。


2010年夏ロンダのフェスティバルで,メルセを伴奏

治療の副作用もあって舞台から遠ざかっていても
会えばいつも前向きだったから、
きっと舞台に帰って来ると思っていた。
メルセも自分の舞台のギタリストとしていつもモラオの名前をあげていた。
実際はディエゴ・デ・モラオが行くことが多かったようだけど。



モラオにもらったたくさんのフラメンコは
私の中で今も響いているけれど。


あのニュースから一ヶ月。
すごく長い時間のようにも
短くも思える。
毎日会ってた人ではないけれどそれでもなんだか
ぽっかり空白があいたようだ。



やっぱ寂しい。
とても悲しい。


2009年、ラ・ウニオンのフェスティバル

2011年8月23日火曜日

新人公演雑感 その2

今回みせていただいた新人公演。
えらそうにちょっと総評。

日本でこんなにたくさんの人たちが
毎日一生けん命
フラメンコを続けてる
ってのを改めて感じて
とってもうれしかった。


けど
フラメンコの基本だと、私が思う、
各曲種の性格を理解し表現する
ということができていなかった人が多々あったり
コンパス自体に問題があったり
という人もいたのは非常に残念。
あともっと古いものを
たくさんきいてみてしてほしい。
自分が踊る、歌う、弾く上で
これはあんな感じで
とイメージすることはマイナスにはならないんじゃないかと思うよ。

フラメンコの魅力のひとつは
その曲種の豊富さにある。
バラエティにとんださまざまな曲種。
大きくわければ
シギリージャやソレアのようなシリアスな曲
アレグリアスやブレリアのような明るい曲
南米風、コロニアルチックな明るい雰囲気のグアヒーラ、
炭鉱の悲しみを歌った歌詞が多く暗い雰囲気のタラント
振り付けももちろんだが
それぞれにあった衣装や髪というのもマスト、じゃないかと思うんだけど
どうなんだろう。
今はなんでもあり?
いやいや壊すためにはまず熟知から、でしょう
と私は思うんだけどね。

踊り手としての基本のテクニックであろう、
ブエルタやブラソ、
体全体のコーディネートが
きちんとできてない人もいたのは非常に残念。

って踊りからはじめちゃったけど
ギターでも
ファルセータだけでなく
もっと曲としての構成まで考えてほしかった気がするし
(スペインでもギターのコンクールでは作曲者としての能力まで試されてしまうことについては
論議があり、ハビエル・コンデのように先駆者の名曲を弾いて
コンクールに出場し受賞したものもある。
これはコンクールのルールに明記すればいいわけだよね)
カンテでは
発音、音程、節回し。声作りすぎるのもどうかと思う。
好きで気持ちが入ってる歌いっぷりは好ましいが
音程外れでコンパス無視だとやっぱきつい。

舞踊では
サリーダもなく突然カンテからはじまっちゃうってのは
制限時間のせいかな?
あと舞台の中心で後ろ向いてサス、ではじまる振り付けが多かったのは流行?
流行おうのもいいけど
伝統しっかりやるのも今かえって新しいかもって気もする。

今回最も印象的だったのはそっくりさんの二人。
奨励賞をとった黒田さんや話題賞の秋山さんのように
大好きなファルキートやイスラエル・ガルバンをとことんおうのもありだとは思うけど
今のままでは結局コピーにしかみえない。
いやコピーだって難しいしあんだけできればいいともいえるんだけど、
黒田さんでいえば私が思うファルキートの一番の長所、特徴である
歌をきいてそれに感応して踊るところがあまり感じられなかったのは残念。
ファルキートみたいだけどファルキートよりも回転が速くてきれい、
とかいわれるくらいにまでなってほしい、と思う。
パコより早いダビ・セルドゥエラみたいにね。
あ、舞台全体を大きくつかってたのはいいね。
秋山さんの微妙な呼吸をうまくとっているとこにはオレ!もでちゃったんだけど
同じ振りを繰り返すのではなく、
イスラの振りを換骨奪胎し自分のなにかがふりかけられたら
もっともっとすごいなにかがおこりそうな気がする。
ま、なんでも最初はコピーから。
二人とも今後の展開に期待しちゃうぞ。

賞からもれた中にも普通にうまい人はたくさんいて
日本のフラメンコの底力、感じさせる。

がんばれ日本のフラメンコ。

2011年8月22日月曜日

新人公演雑感 その1

20日、21日と日本フラメンコ協会主催新人公演をみてきました。
はい。一時帰国中です。
ほんとうはこの前にスペインに帰るつもりだったのが
スペイン空港職員スト予定とかで1週間のばして
思いがけずみることができたのでした。

実はこれが初新人公演。
これまでは日本にいなかったか
いても仕事と重なっていたのでありました。

金曜は用事で見ることができなかったのだけど
土曜日曜。4時間ずつしっかり拝見させていただきました。
長かった。
でもおもしろかった。

ツイッターにもkioko svq で

新人公演おもしろかった。みんな一生懸命自分の好きなもの追っかけるのがいいね。本質見つめている人は今は思うようにできなくても明日が輝くよ。賞とるとらないよりもそっちが大切。んで自分の今を知るためには最高の機会だと思う。がんばれ。フラメンコを愛する人たち

って書き込んだけど
みんな一生懸命自分が好きなものをやりたくてがんばってるんだな、
って改めて感じた。
いいね。熱いね。


「新人公演は優劣順位をつけるためのものではなく、新人へのエールを送るために存在する」

ということなのだけど
賞がある、から
結果的にコンクール的な要素もあるというのは否めない。


 
でもこれはやっぱ新人“公演”なんだよね。


舞台に出る一人一人がこの日をめざしてつくってきた曲を披露する場。
うまい人も。まだそれほどうまくはない人も
みんな同じ土俵に立っている。
それぞれに自分が好きな
自分が得意な
曲と真剣に取り組んできた結果をみせるところ。

舞踊でいえば
その人の舞踊そのものだけでなく
振り付け、衣装、音楽、照明
そういったものすべてがでてくる。
こった構成、照明の“作品”もあれば
シンプルな、素のままのような踊りもある。


賞は何を評価してのものなのだろうね。
そういったすべてのもの?
その人の才能、将来性?
完成度?
フラメンコ性?

それは審査員ならぬ選考委員の方々、
一人一人で違うかもしれない。
ウエブに掲載された以前の公演の、各委員の評をみても
みかたも、何を基準にしているかも
それぞれ違うようにみうけられる。
そしてそれはそれでいいのかもしれない。

スペインでもコンクールの結果に
出場者、審査員、観客、
全員が納得するなんてことはめったにないしね。


フラメンコに対する考え方はさまざま
あれもフラメンコ これもフラメンコ
みな自分がこれだと思うフラメンコを好きになり
それをおっかけていく。
誰もがこれだ!
と思うフラメンコっていうのもないではないだろう。

でも結局趣味の問題。
昔風が好き ヘレスが好き モダンが好き
派手好み 渋好み
フラメンコが好き
踊ってる自分が好き
。。。
なんだっていいんだね。
でみんな自分の好きなフラメンコが絶対だと信じてる。

テクニック、表現力などの優劣をみるだけなら
課題曲でもだして、もっと短い時間で十分。
歌やギターなら音程、コンパスはもちろん、
歌ならメロディの正確さや声の強弱の使いかた、声のだしかた、発音
ギターなら曲の構成やテクニック
舞踊なら
コンパス、コロカシオン、ブエルタやサパテアード
などなど細かいところはわりとすぐにはっきりみえるものだ。
極端にいえば
のど自慢の鐘ひとつで退場、
コルドバのコンクールの予選のように最後まで踊らずにお引き取りください、
(少なくとも以前はそうだった。うまい人もうまいとわかれば、だったかもだけど)
みたいにしたっていい。

でも
そうじゃないんだよね。
これは新人公演。


個人的には
賞なんてなくていいのかもしれない。
と思うよ。


あの大きな舞台でたくさんの人にみてもらうこと、
選考委員や
みにきたお客さんやともだちや
いろんな人のいろんな意見をもらうこと自体が賞だしね。


それでも賞がある。
いろんな意見がある中、多くの注目を集めた人ということなのだろう。
これからプロに、という人の励みになるんだろうね。
でもそれがすなわちプロのライセンスでもない。
 
実際、私見でも
受賞者の方は健闘されたと思うけど
受賞しなかった人でもそれに劣らずよかった人もたくさんいたしね。
 
ラ・ウニオンのコンクールで
舞踊部門の決勝にもすすめなかった
ロシオ・モリーナ
その数年後ゲストで公演、
コンクールで踊ったタラントを同じ衣装、振り付けで踊ったという例もある。
賞イコール成功でもないし
問題はその大きな舞台で演じた自分を
どれだけちゃんと客観的にみつめることができて
次のステージに進んでいくか、ということだと思う。
 
えらそうにごめん。
でも私はそう思う。
だから賞とれなくても嘆かずに
前むいて進んでいこう。
そして運よく賞がとれた人も
自分の実力を過信せず
前むいてすすんでいこう。

2011年6月27日月曜日

映画「モレンテ」

先日少しお話しした

そのとき

そこにエンリケがいる

と思う、そんな映画。

と書いたけど
本当に
私はそう思ったんだ。

エンリケがいなくなってしまって
もう半年。
マドリードでのお通夜にも行ったのに
まだ実感がわかない。

映画はそんな気持ちを後押し。
いつもの微笑み。
うん、彼はいつも笑っていた。
グラナダ訛のおしゃべり。
ちょっとした話に多くを学んだ。
フラメンコへの真摯さ。
深く深くフラメンコを愛し
理解し
再創造していったエンリケ自身が
そこにいる。
こどもたちをみるまなざしのやさしさ。

映画は
2010年7月2日、
ピカソの床屋として知られた
エウヘニオ・アリアスの故郷
ブイトラゴ・デ・ロソジャでのコンサートや
そのための稽古、
町歩き、そしてアリアスのコレクションであるピカソ美術館を訪問し
アリアスの息子と語る姿を、
生まれ故郷グラナダの
アルバイシンを歩き
アラブ風呂で
エストレージャ、ソレア、ホセ・エンリケという
こどもたちと語り歌うところを、
9月24日
バルセロナのリセウ劇場での公演やそのリハーサル、
カフェで電話取材にこたえる彼を、
11月
入院を前に
ソフィア王妃美術館でゲルニカを前に
歌いたたずむエンリケを、
入院の三日前
ジャズピアニストの伴奏で
亡くなったアントニオ・ベガの曲「堕ちた天使」を歌うモレンテを
とらえている。

それは月日通りに現れるのではなく
いろいろな瞬間がとりどりに現れるのだが
そこにはたしかに
エンリケ・モレンテ、
その人がいる。




昨日、ラジオで、
かつてラジオでユーモア番組をやっていて
最近フラメンコ小説を書いた
フアン・ルイス・カーノが
「エンリケの本当のすごさをフラメンコたち自身も
まだわかっていない」
と言っていたのに
大きくうなづく。
歴史がきっと証明してくれるだろう。


それにしても
どうして
こんなに早く
突然に
いってしまったのだろう。。。

2011年1月2日日曜日

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。
セビージャは年末まで雨模様だったのですが、
新年は晴れてお散歩日和。
2日から法律で公共の場所での室内葉全面禁煙となり
バルやレストランでもタバコはすえません。
が、セビージャではその分テラス席が大にぎわい。
この分じゃこれを機会に禁煙する人も少ないかも。

今年もフラメンコのニュースをお届けてして行きますので
どうぞよろしくお願いいたします。


2011年がフラメンコにとって
そしてフラメンコを愛するみなさんにとって
実り多い年となりますように。

2010年12月31日金曜日

Adios 2010!

大晦日。
2010年はフラメンコにとってどんな年だったんだろうか。
と考えてみる。

2月にフェルナンド・テレモートが
3月にラファエル・エル・ネグロが
6月にセビージャの歌い手、ルイス・カバジェーロが
11月にマリオ・パチェーコが
12月はエンリケ・モレンテが
天に召された。
病から驚異的な回復をみせていたフェルナンドと
この夏もすばらしいカンテをきかせてくれていたエンリケの死は
フラメンコ界にとくに大きなショックを与えた。


不況の影響をうけて
フェスティバルの規模が縮小されるなどフラメンコ自体の現況は
決して恵まれた状態ではない。
CDやDVDのリリースもかなり減ったし
公演数自体も減っているようだ。

そんな中でもロンドロ、トレメンディータなどCDデビューを果たした若手たちもいれば
世界を舞台に活躍するイスラエル・ガルバン、
スペイン歌謡を歌ったアルバムで一躍全国区の人気をえたミゲル・ポベーダら
気を吐くフラメンコたちもいる。



うれしいニュースはユネスコによる世界無形文化遺産認定だろう。
過去に一度否決されているだけによろこびもひとしお。
これをあしがかりに

2011年がフラメンコにとって素晴らしい年となりますように。

2010年12月20日月曜日

エンリケのこと

が頭から離れない。
マドリードでは、エンリケを知る人々と思いを共有し
何年も会っていない人たちと会えたりもし
(ヘラルド・ヌニェスがそれを、フェイスブックのよりも前に彼は
ネットワークをつくっていたのだ、と書いていた)
ある意味、エンリケが主宰するフィエスタのようでもあり
エンリケといっしょにいるかのような気持ちになって
悲しみ、寂しさとともにある意味落ち着いた気持ちに少しなれたのだけど


フラメンコワールドのシルビアと話していて気がついた。
私はエンリケにインタビューしたことがない。

最初にライブを観たのはマドリード。
カハ・マドリードのフェスティバルではなかったか。
こうくればこうくるだろうという予想を裏切るメロディに
抵抗を覚え、これもフラメンコ?と頭の中がクエスチョンマークで一杯になった。

そうエンリケはフラメンコの古典に学びつつ
それを解体し、新しい古典をつくりあげた。
岡本太郎が芸術は壊しつくるものといったが
その意味で彼は本物のアルティスタだ。
パコ・デ・ルシアやイスラエル・ガルバンとともに。

初めて話したのは最新盤「モレンテ+フラメンコ」の1曲目を録音した、
グラナダはアルハンブラでのコンサートだった。
ビエナルの「オスクーラス」の楽屋。
映画「フラメンコ」の撮影現場。
コンサート。打ち上げ。フェスティバル。
それから思い出せないくらい何度も会ってきた。
いつでもにこやかで、とりとめもない話をして笑っていた。
私の親友が彼の親友であり、
エストレージャのビエナルでのリサイタルを一緒にみたこともある。
父として、プロデューサーとして、先輩として
舞台を見守るエンリケの真剣な顔も忘れられない。

最後に会ったのは今夏のラ・ウニオンのフェスティバル。
コンサートの後、会場外のカセータで一緒にのんだ。
そのコンサートはリケーニも伴奏していたのだけど
なぜ病み上がりでかってのようには指も動かない彼をつかうかという話になって
エンリケがいった。
「でも瞬間、すごい音を出すだろう、あれだけで十分だよ」
うわっ、と思った。
というのはその日のコンサートでリケーニが、
エンリケの歌にこたえて
それこそ、うわっとうなりたくなるような音をきかせたのだ。
あ、あの音!と思わず口走った私と目があったとき
ちょっと驚いたような顔をしたあと、
うん、とうなずき、微笑んだ。

いろいろと聞きたかったこともあるけれど
言葉にならないいろんなものを彼のカンテにもらったような気もする。

2010年10月13日水曜日

ビエナル総括 その2

昨日、ビエナル総括を書いたあとアンダルシアの放送局、
カナルスールのラジオ番組でビエナルの特集をするということで
よばれてでかけていきました。

テーブルにはパーソナリティーであるヘスース・ビゴーラと
ディアリオ・デ・セビージャ紙のフアン・ベルヒージョ、
ABC紙のアルベルト・ガルシア・レジェス、
フラメンコラジオ・コムのフェルナンド・ゴンサレス・カバジョ、
ディアリオ・デ・セビージャ紙の舞踊評論家ロサリア・ゴメスと私、
そして電話でエル・ムンド紙のマヌエル・マルティン・マルティン、
エル・パイス紙のフェルミン・ロバトン、
と7人のフラメンコの専門家がそろいました。

で、結果。
やっぱり圧倒的な人気はパストーラ・ガルバンの「パストーラ」
ヘレスで観たフェルミンと私はみてなかったけどその素晴らしさは知っているわけで。
歌のダビ・ラゴス、ホセ・バレンシア、ギターのラモン・アマドール、パルマのボボーテ、
と、出演者全員を絶賛。

パコ・デ・ルシアについてはコンサートの評価はわかれたものの
その存在、その価値についての評価はもちろん全員一致。
ギターではやはりフアン・カルロス・ロメーロと、
エバ・ジェルバブエナの作品の作曲者であるパコ・ハラーナの評価が高く、

カンテでは、マリナ・エレディアが高い評価を得ていました。
この公演も私はみることのできなかったのですが、ここで踊ったファルキートは
自分の作品とは全くちがって、いつもの実力を思う存分発揮したとのことです。
またパンセキート(これも私は観てない)やトレメンディータの名もあがりましたし、
モライート作品でのトルタやオテル・トリアーナでのランカピーノ、カイータなども。

バイレはパストーラ以外に、イサベル・バジョン、そしてエル・ペレグリーノ。
いいものはやっぱりいい!
エバの作品については意見がわかれたものの、それはいつものことでもあり、
彼女自身がそれを望んでいるともいうし、彼女の踊り手としての存在にはゆるぎなく…。
いろんな意見が自由にとびかった、楽しい1時間でした。


期間の長さ、作品及び公演の数からいっても
世界最大のフラメンコ・フェスティバルではありますが、
オーガナイズはヘレスの方が上、という意見も全員一致。。。
ヘレスはその気になれば全公演みることができるけどビエナルはそれができない。
っていうのが大きいのかな?

ヘレスのプログラムもそろそろ発表されることでしょう。

2010年9月27日月曜日

マスコミの中のビエナル3/ビエナル トマティート

ビエナル、トマティート/エストレマドゥーラの夜、アップしました。

ビエナルを報道しているのはテレビやラジオだけではなく
もちろん新聞も。
地元の新聞は毎日2、3ページをついやしています。

ネットなら
ABC
DIARIO DE SEVILLA
CORREO DE ANDALUCIA
の3紙はビエナル特集ページもあります。

EL MUNDO はANDALUCIAをクリックすればビエナルのマークがでてくるはず。

評論家の意見はさまざま。
写真みるだけでもいいですね。

2010年8月16日月曜日

ラ・ウニオン2010 フィン・デ・フィエスタ

ラ・ウニオン最終日。
授賞式も終わったあと、カンテの殿堂前のテラスで別れの1杯を飲んでいると
次々にやってくる受賞者たち。

その中でパコ・モンカジョとパコ・デル・ガストールの一行が
ギターを取り出しフィエスタ開始。
パコが弾き母が歌って踊る。
そのコンパスの素晴らしさ。
受賞のよろこびにあふれてる。
パコは、コンクールとうってかわって、純粋モロンの演奏。

そのうち祖父パコ・デル・ガストールもギターを手にし
純粋モロンのエッセンスをきかせてくれる。

その場にいたホセ・アニージョが歌いだしたのを伴奏。
ホセはパコのギターに誘われて歌いだしたという感じ。
いやいや熱唱でした。

ラ・ウニオンの楽しみはコンサートやコンクールだけじゃなく、
コンサート後に会場を囲むテント小屋のバルなどではじまる
こんなフィエスタも、なのでありました。

アルティスタやアフィシオナードが集まってくるので運がよければ
すんごいフィエスタに遭遇。。。もありうるのであります。

2010年7月13日火曜日

祝スペイン ワールドカップ優勝!

いやあ〜とうとうやってくれました。
スペインがワールドカップ優勝
スペインは今祝材ムード一色、というわけで今日はサッカーねたでございます。


今のスペイン代表にはアンダルシア出身者が3人。
マルチェーナ、ナバス、ラモスですべてセビージャ県。
マルチェーナは先頃、フェスティバルがおこなわれたカベサ・デ・サン・フアン。
ここはバイラオーラのペパ・モンテスの生まれた村で、カディス県との県境のあたりです。
ナバスはロス・パラシオス・イ・ラ・ビジャフランカ。
ここはトマトやメロンの産地として有名な町で、ミステーラやアマドール・ロハスの故郷。
そしてラモスはセビージャからウエルバ方向に橋をわたってすぐ右の町カマスの出身。
このラモスくんはけっこうフラメンコ好きという噂もあります。
フラメンコっていってもルンバとかそういうのらしいけど。
そういえば日韓ワールドカップの時代表だったホアキンはフラメンコが趣味、となっていて
実際、ビエナルとかみにきたこともあったのであります。はい。
また今年また二部に逆戻りのヘレスの選手はペーニャとかに顔出す人もいたらしい。

フラメンコ・アーティストでもサッカー好きはたくさん。
多いのがレアルマドリードとベティスのファン。
レアルマドリードのファンとして有名なのはホセ・メルセ。
マドリード讃歌も録音してるし、前述のラモスとつきあいがあるそう。
パコ・デ・ルシアやホアキン・グリロもマドリード派。
同じマドリードでもATマドリ派はケタマのフアン・カルモナら。
ベティス愛は練習はいつもベティスのジャージのラファエル・カンパージョをはじめ
イスラエル・ガルバン、ハビエル・バロン、ホセ・デ・ラ・トマサ、
ジェルバブエナとパコ・ハラーナ夫妻、マノロ・フランコ…
セビージャFCファンは少数派だけど故マノロ・ソレールらがいるし
現在のマッサージ師の奥さんがトロンボの妹で踊り手のトロンバだったりする。
サッカー選手とフラメンカのカップルは古いところでローロ・フローレスの妹、
カルメン・フローレスとレアルマドリードの選手だったイシドロ・サンチェスがあり
生まれたこどもが元スペイン代表で、現在ATマドリ監督をつとめる
キケ・サンチェス・フローレス。
サッカー選手の父とフラメンコの踊り手の母というのは故フェルナンド・テレモートの奥さんもそうでした。

元サッカー選手で踊り手という変わり種はヘレスのディエギート。
この人は一部リーグ時代のカディスやヘレスでプレーしてました。
草サッカーはみんな好きで
パパコ・デ・ルシアは昔、ツアー中に試合とかしてましたね。。。
もっと昔は、エンリケ・デ・メルチョールなんかと毎週集まってサッカーしてたんだそう。


なーんてどーでもいいトリビアネタ満載になってしまったけど、はい、
フラメンコとサッカーもまんざら関係ないってことで。
とにかくスペインおめでとう!

2010年6月2日水曜日

追悼 大野一雄とフラメンコ

6月1日 大野一雄さんが亡くなったというニュースを
ツイッターで知って、しばし呆然。
103歳だったし、天寿をまっとうしたということなのだろうけど
それでもなんでもやっぱりショックだった。


世界に名高い日本発祥の“舞踏”の先駆者。
その彼がおどりはじめたきっかけがラ・アルヘンティーナだった。
1929年のことである。
帝国劇場で行われた日本で初めてのスペイン舞踊の公演。
「一目観た瞬間、私は強烈な印象、それはほとんど衝撃と行ってよいほどの印象を受けました」
友達に誘われて行った三階席。だが、
「触れるばかりの近々としたところからのようにそのすばらしかった感動が浮かんできます」

中西夏生の展覧会で「アルヘンティーナだ!」とおもう1枚に出会い、
ニューヨークの教え子からアルヘンティーナの資料が届いたことがきっかけで
1977年「アルヘンティーナ頌」初演。そのパリ公演では彼女の墓に参り、遺族の知己をもえたという。

そのビデオを観たときには驚いた。
白塗りの痩せた老爺なのに、たしかにアルヘンティーナがいるのだ。
私はアルヘンティーナを知らない。ビデオでみただけだ
でも、大野一雄のかすかな動きに、アルヘンティーナをみつけることはやさしい。
大野のアルヘンティーナへの思いが、あの動きにつながるのだろう。
今も目に浮かぶ。

あとできいたところによると、作品をつくるにあたってアルヘンティーナのビデオもみたようなので、彼の中に50年間眠っていたアルヘンティーナの姿が私がビデオで観たそれと重なったわけではないかもしれない。でも、彼のアルヘンティーナへの思いがあのかすかな動きの中に結晶して、私を鳥肌立て、涙こぼれさせたに違いない。

そんな大野のスタジオを、イスラエル・ガルバンが訪れたそうだ。
数年前には舞踏の講師をよんで彼のスタジオでクラスを開講したという。
彼の作品にも舞踏が取り入れられているし、イスラエルのアバンギャルドに舞踏の影響を指摘する人は多い。
彼だけではない。
昨秋の日本公演での、エバ・ジェルバブエナのソレアのゆっくりした動きに感動した私が
そのことを伝えると、隣にいた小島章司さんが
「あれは舞踏でしょ?」
「そう、そうなのよ!」とエバ。

80年前、船で日本を訪れたスペイン舞踊家をみて踊り始めた日本人舞踊家の舞踏に今度はスペインの舞踊家が影響を受ける。
ジプシーたちの象徴でもある大きな車輪が、
大きなわっかがくるんくるんとまわっている、そんな感じ。
なんかちょっとぞくぞくしませんか。

今夜は大野の冥福を、
大野がアルヘンティーナに再会しともに踊っていることを思って
極上のブランデーでも飲みたい気分です。
 


追伸
昨日、パリ公演中だったイスラエル・ガルバンは、その公演を彼に捧げたそうだ。

パセオ2000年7月号に大野とアルヘンティーナについての記事がある。
同じ号にイスラエルの日本公演のレビューものっている。
なんかやっぱ縁がある。

2010年2月5日金曜日

フラメンコジャーナリストのブログ

日本でもアルティスタやアフィシオナード、またお店やスタジオなど
たくさんのフラメンコ関係者がブログをやってますが
スペインでも最近とみに増えてきたよーな。

いつもフラメンコ公演で顔をあわせる記者仲間のブログだと
コレオ・デ・アンダルシア紙のフラメンコ評論家、マノロ・ボルケスの「ラ・ガサペーラ」
マヌエル・バジェーホやニーニャ・デ・ロス・ペイネス、エル・カナリオなどの本を書いた、
いにしえのフラメンコに強い彼だけに、昔のアルティスタの話題から最新ニュースまで幅広くとりあげています。

ディアリオ・デ・セビージャ紙の評論家、フアン・ベルヒージョは自らが監督するフェスティバルの名前をとった「バイベネス・フラメンコス」
こちらは現代のニュース中心。CDや舞台評などもあります。

音楽を学びにいったウィーンでフラメンコに目覚め、ガデス舞踊団のギタリストとしても活躍し、現在はコルドバのコンセルバトリオのフラメンコ教授、
ファウスティーノ・ヌーニェス博士の「エル・アフィナドール・デ・ノティシアス」
カディスやマドリードの図書館で古い新聞を丹念にみてフラメンコ関係の記事を探す
“フラメンコ考古学者”の一人らしく、古い記事をひとつひとつとりあげて解説してくれる。

ちなみにすべてスペイン語のみ。
はい。フラメンコをつきつめていくとスペイン語勉強せねば、になるのです。

2009年12月27日日曜日

2009フラメンコ 私的なベスト5

今年も押し迫ってきたので今年観たフラメンコの舞台の中での
とっても“ワタクシ”的なベスト5を考えてみることにした。
けっこう記憶があやふやで、今年観たと思ったら去年のものだったり。
うーむ、年だな。

そんな中でも忘れてなかった公演/アーティストをいくつか。


フェスティバル・デ・ヘレス「フラメンコ・エスクリベ・コン・ホタ」の
ミゲル・アンヘル・ベルナとラファエル・カンパージョ
ミゲル・アンヘル・ベルナはサラゴサ生まれのダンサー。
ホタの伝統と革新を押し進める、アントニオ・ガデスとホアキン・コルテスをあわせたような存在。その彼がフラメンコと共演したこの公演でみせたその跳躍! その姿の美しさ!
フラメンコではないけど、記憶にいつまでも残る。あ、この公演ではラファエル・カンパージョも良かった!この人ほど実力があるのに作品に恵まれない、というか、もっと評価されていいバイラオールもいないのでは?と思ってたら今年はマヌエラ・カラスコと共演したり、自分の作品をつくったり。まことにめでたい。姿のよい、男らしいバイレをみせてくれる得難い存在だ。


ヘレスのフェスティバルでは、ほかにもスペイン舞踊作品「ペルミタメ・ア・バイラルテ」のアイーダ・ゴメスも深い印象を残した。って、私、フラメンコも好きだけど、スペイン舞踊も大好き。コロカシオン/姿勢が崩れ気味な若手が多い最近、やっぱスペイン舞踊の基礎ってフラメンコにも大事よん、と思う。

パストーラ・ガルバン「パストーラ」
今、最も“旬”なバイラオーラ、最もフラメンカなバイラオーラといえばパストーラをおいてほかにない。このヘレスのフェスティバルで初演した作品は、ダビ・ラゴスとホセ・バレンシア(初演ではトバラ)歌い手二人にギターのラモン・アマドール、コンパスのボボーテという5人だけの舞台。家着のバタ(ガウン)で、バタ・デ・コーラで、と踊りまくるパストーラのすごさ! サウラの「フラメンコ・オイ」でも踊った、幕開きのタンゴは最高!の一言。兄イスラエルの影響はもちろんあるが、彼女は彼女の個性をもっている。おきゃん、という言葉がこれほどまで似合う人もいないだろう。(ついでに黄八丈に珊瑚のかんざしとかも似合いそうだ)
「フラメンコ・オイ」にはロシオ・モリーナも出演してたが彼女も素晴らしい。超テクに加え“伝える”力も倍増。どんどん変化していく成長期!次の公演も楽しみだ。





スペイン国立バレエ団30周年記念公演から「ファンタシア・ガライカ」
国立バレエ団ファンとして20年間見続けている私としてはなつかしい演目が次々に登場するこの公演はうれしいものだったが、一番すごい!と思わせたのはグラン・アントニオ振り付けの「ファンタシア・ガライカ」。日本でもガリシア・ファンタジーというタイトルで一度上演されているはずだ。ほぼ50年前の振り付けなのに全く古くないどころか新しい。“みせる”ための工夫がこらされ、ダイナミックな演出といい、素晴らしいとしかいいようがない。これもフラメンコではないが、観ていて思わず涙ぐむくらいに素敵な作品。かつてはフラメンコ、スペイン舞踊、地方舞踊、ボレーラと全部踊れてこそのダンサーだったが(かのファルーコだってホタ踊ってたのだぞ)、今やフラメンコ一辺倒が多過ぎ。ほかのものもやることでその人のフラメンコがどんだけよくなるか!と思うんだけどね。


テレモート復活公演



病に倒れたフェルナンド・テレモートの復活は今年度のうれしいニュースのナンバーワン!
父の名を冠したペーニャで行われたその復活コンサートも素晴らしいものだった。
なんといってもあのマラゲーニャ!!!忘れない。
んでもって、またコンサートにかけつけた彼の友達たち、モライートやイスラエル・ガルバンらアルティスタ、ジャーナリスト、地元の仲良したち。。。最後は親戚一同や彼の愛娘も舞台に立ち、愛娘の歌うブレリアでウナ・パタイータをみせてくれたフェルナンド。
あんなに雰囲気のいい公演って滅多にない!










石井智子公演のディエゴ・カラスコ
今年は春と秋、2回日本に行くことができて、いくつか公演を観ることができたけど、その中でも感動させられたのは石井智子公演のディエゴ・カラスコ。ディエゴの歌で踊った智子ちゃんのすばらしさ! 歌をきいて、コンパスを感じて踊る、フラメンコの原点!!!
でもってコンパスの海を泳ぐように歌い踊るディエゴのすごさ。日本のフラメンコの歴史に残る一瞬でありました。

ほかにもエバ・ジェルバブエナの「ジュビア」の最後のソレア(すでに定番、十八番のソレアを持っているにもかかわらず、全く新しいソレアを作り上げた彼女に脱帽)も記憶に残る。。。また先日、フィエスタではじめて観た、トリアーナのベテラン・バイラオール(かつてローラ・フローレスと共演していたそうだ)、パコ・ベガのブレリアの粋さにも酔った酔った。

2010年はどんなフラメンコが待っていてくれるのだろうか。