2009年9月21日月曜日

復活テレモート!


病気療養中だったテレモートが現役復帰!
という、うれしいニュースにつられて、金曜日、ヘレスまででかけてきました。
1月末、神経膠種で入院し、カディスの病院で病と闘っていたフェルナンド。
化学療法の甲斐もあって、この日、復帰記念のコンサートをヘレスの、彼のペーニャで行うというのです。
ヘレスの友達とでかけていくとペーニャの裏口にフェルナンド、その人が。
以前よりやせてはいるけどやつれてはいない。病気だったのが嘘のように元気そう。
よかった〜

コンサートは22時半から。だというのに、早めに行った私たちが到着した22時前にはもうかなりの人が集まっていた。たいていの公演が遅れて始まるスペインにしては珍しい。それだけ皆が期待しているということだろう。
あちこちに知った顔がみえる。マドリードのプロダクションの人やフラメンコ研究家、ヘレスの新聞記者、彼のマネージメント事務所であるア・ネグロのスタッフたち。モライートやフェルナンド・デ・ラ・モレーナらアルティスタたち。ペーニャのメンバー同様、皆がフェルナンドの復帰を待ちこがれていたのだ。

イスラエル・ガルバンの「エダ・デ・オロ」や「エル・フィナル・デ・エステ・エスタード・デ・コーサス」などでも共演しているアルフレド・ラゴスと、マヌエル・バレンシアのギター、カルロス・グリロ、カンタローテのパルマに伴奏され、最初はソレア・ポル・ブレリア。!!! やった!親父さん(やはり歌い手で早世したテレモート・デ・ヘレス)譲りの豊かな響きをもった声が健在というだけどころかか、前よりもすごみがあるほどの歌いっぷりだ。まったく衰えなど感じさせない。テレモートがかえってきた。マヌエル・バレンシア伴奏のシギリージャは親父さんのうたいっぷりを彷彿とさせる!そしてマラゲーニャ! これはもう、フェルナンドのマラゲーニャだ!
ヘレスのカンタオールたちにシギリージャやソレアがうまいのはごろごろいる。が、マラゲーニャをこんなにもすばらしく歌い上げるのは彼だけではないだろうか。
最後はブレリアで一部を終了。
興奮でためいきつきながら外にでると、イスラエル・ガルバンやフアン・ホセ・アマドール、ディエゴ・カラスコ、ミゲル・ポベーダ、エンリケ・ソト、ビセンテ・ソト…たくさんのアーティストたちもいた。皆、フェルナンドを応援しているのだ。

第二部は今年発売予定という新譜に収録する曲を披露。カマロンの「カナステーラ」をも歌ったのだが、これまたフェルナンド風になっている。奇をてらうことなく、自然に歌って自分のものとしてしまう。これは天の才だ。
最後のブレリアでは客席からフアナ・ラ・ピパらが舞台にあがり垂涎もののフィエスタを繰り広げてくれた。
最後には9歳という愛娘マリアが歌い、フェルナンドがウナ・パタイータ。
神様ありがとう! フェルナンドをつれていってしまわないでくれて。
昔風の味わいと今の感覚がみごとに同居する、すばらしい歌い手フェルナンド・テレモート。
それまでギタリストとして、叔母マリア・ソレアらの伴奏などをしていたフェルナンドが、19年前、ヘレスのペーニャ、ドン・アントニオ・チャコンで、歌い手としてのデビューを飾ったとき、偶然私はそこにいた。彼の一声、一声に観客が熱狂した。まるで彼の親父さんが帰って来たかのような興奮だった。そう、あの舞台にはフェルナンドとともに、親父さんの幻がいた。
が、この夜の彼の舞台の上にいたのはフェルナンド、その人。病に打ち勝って再び舞台に上がり、よりいっそうすばらしいカンテを私たちに届けてくれる、すばらしいカンタオール。そんな瞬間に立ち会えて本当に幸せだ。
その夜はペーニャ、そしてヘレスはアルコス通りのバル、コルマオに場所をうつして飲み続けたのでありました。幸福な夜に乾杯!








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