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2026年1月25日日曜日

平富恵スペイン舞踊団公演『フラメンコ・スペイン』


毎年、意欲的な作品を発表し続けている平富恵。
スペイン舞踊団とナウっているように、フラメンコだけでなく、フラメンコや民族舞踊などのテクニックも使うクラシコ・エスパニョール(エスティリサーダ)をも毎回レパートリーに入れたプログラムで、フラメンコ/スペイン舞踊の華やかさや豊かさを幅広い観客に届けてくれています。

今回は第一部はスペイン舞踊、第二部はフラメンコという構成。それで、フラメンコ、スペインというタイトルなのかな。
と言っても、第一部でも有田圭輔のトナーのカンテ・ソロがあったり(熱唱!声がいい)、小松未歩のカンシオン(プログラムにはカンテとあったけど、歌ったのはフラメンコのリズムでのカンシオンですね)があったりもします。また、開演前に幕前での解説を小松美穂さんがされて、最後はリズムを叩くというのもしていました。少しでも知ってもらおう、参加して楽しんでもらおうという趣向なのでしょう。

さて、本編。
現代風にアレンジされたバッハのメロディをポーズからはじめてやがてカスタネットも使ってというオープニングから。カンテソロの後は出演者全員でのエスパーニャ・カニ(+カルメン)で華やかに。おそらく出演者の技術レベルに差があるので最大公約数での振り付けになってしまったからだと思うのですが、これはちょっと発表会風で、舞踊団公演的には残念。今回のゲストダンサー、ヘスス・ペローナのカパ、マント使いなども見られるのだけど、布がもう少し多みがあるともっと綺麗に見えただろうな、と。ついでに言えばパンタロンも、talle alto腰高のもの、胸の下くらいまであるものの方が綺麗だろうな、と思ったり。でも続くサパテアード、国立のバージョンよりm音楽少し早い?タメがないので踊りやすくはなさそうだけど、かっこよかった。アントニオ・アロンソなどのスペイン舞踊を思い出させる。基本に忠実、クラシックだけど現代化されている、というのがこの人の踊りの特徴かも。続く、ディエゴ・シガーらがキューバ出身のジャズピアニスト、ベボ・バルデスの伴奏で歌った曲を踊った女性のデュオが素晴らしかった。舞台中央に降りてきた額縁を挟んで二人が鏡のように踊ったり、額縁から抜け出して一緒に踊ったり、ちょっとした競り合いがあったりとユーモアも。舞台の上に額縁、というのは昔、ルベン・オルモの作品『トランキロ・アルボロト』でもあったけど、こんなふうな使い方は他にあったかな…振り付けとしてもボレーラぽいところ、バレエぽいところもあったりで美しく、新鮮で、非常によかったです。プログラムには曲ごとの振付家が記されていないけどこれも平さんのかな。素晴らしいです。
続く『ムヘーレス』は女性4人の群舞。こちらも照明も含めよく工夫していたと思います。
平とヘススの『タクトゥク』はいわゆる口タブラ、タブラの音を口で言っている曲に合わせてのもので踊るもの。元々、ファリャやアルベニスなどのクラシック曲をフラメンコなどスペインの舞踊のテクニックで踊ることでクラシコ・エスパニョールと呼ばれていたものが現在はエスティリサーダというようになっているけれど、それにはこの曲や、女性デュオの曲のようにクラシック以外での曲を踊るということもあって、クラシコと呼ばなくなったのでしょうね。いわば現代スペイン舞踊。フラメンコ以上に複雑なリズムの曲を足だけでなく体全体でうまく表現しています。面白い。小松美保の歌のソロ(こういうカンシオンをこなすのも才能)を挟んでの後に、スペイン奇想曲。タンバリンを使っての振りがいい。バレエのエスメラルダじゃないけれど、ヒターナ/フラメンコ/スペインというとタンバリン、というイメージがあったこの作品が発表された当時(19世紀末)のイメージを考えたのかもしれません。今はあまり使われないので古臭いどころかかえって新鮮にみえました。チェックの衣装というのは珍しいけど、これは土着味と現代風を取り入れるタメなのかな。前に足を出して飛ぶホタのパソなどを効果的に使って、華やかにダイナミックに組み立てられている。これで第一部終了。

フラメンコの第二部はセビジャーナスから。歌っているのはコラレラなのだけど踊っているのはボレーラ的で、そのミスマッチ感が面白い。ブレリアスではミュージシャンそれぞれソロを取るのだが、ギターの音がもう少し前に出た方がいいような。ちょっと聞こえにくくて残念。宮北華子と松田知也による芝居仕立てのソレア・ポル・ブレリアは、一昔前のスペイン国立バレエのマルティネーテなどを思い出すような雰囲気。ドラマチックに、また男性が一歩下がって女性を支えるような感じが伝統的なパレハの踊り方なのだけど、松田も宮北をサポートするように踊っていたのがいい。背の塩梅もちょうどいい感じ。平のソロはシギリージャ。キラキラする紅の短めのバタは夜会服のよう。カスタネットでのシギリージャは個人的に大好きなのですが、曲の持つ重厚さ、深刻さと言ったものからは少し離れてよりエンターテインメント的に演出されていたような気がします。才能ある人ならでは、ですね。ヘススのタラントは男性らしさに溢れ、曲の持つ抑制された感じもよく表現されていて素晴らしかったです。こういう、ストレートなタラント、クラシックだけど、昔のものをそのままではなく現代的なテクニックも入れての振り付け、本当によかったです。こんなタラント最近見てないよ、と思ったのですが、前回、2年前に平さんの講演でも彼、タラント踊ってたのでそれ以来ですね。私、ハビエル・バロンのタラントが大好きなのだけど、それに次ぐくらいに好きかも。
最後のアレグリアスは圧巻!ただひたすら華やかに。舞台いっぱいに広がるバタ・デ・コーラの群舞もよく揃っていて素晴らしい。そして平!。華があります。形の美しさだけでなく、魅せ方を知っているというか。そんな漢書だからこその舞台になったと思います。フラメンコを知っている人も知らない人も満足行くだろう舞台だったかと。

前回も思ったけど、ちょっとした首の傾げ方とかが庸子先生を思い出させます。
長年、大きな舞台を作ってきた先駆者のDNAはこんな風に伝えられていくのかもしれませんね。


 

2025年12月14日日曜日

ロルカ・フェスティバル2025 ロルカの詩を踊る


野村眞里子さんプロデュースのロルカ・フェスティバル。

詩とダンスのミュージアムで行われた、講演と公演を観てきました。

講演は南山大学の小坂先生による、ロルカの詩における舞踊についての講演では、ロルカの詩には、フラメンコ舞踊、ヒターノたち、ニューヨークの黒人たち、キューバ、そして緑、月などと、様々な踊りが登場するというお話でした。

ロルカはフラメンコやヒターノたちに興味を持ち、多くの作品のテーマにしていることもあってフラメンコファンにとってロルカは非常に身近な存在です。フラメンコの歌詞にその詩や戯曲などが取り入れられているだけでなく、人間ロルカをモチーフにした作品も作られるなどしていて、知ったような気になっていますが、個人的にはきちんとまとめて読んだことはないのを反省。スペイン語でも日本語でもちゃんと読んで勉強すべきですね、はい。反省。

講演の中にはフラメンコ・ファンなら誰もが知っている『ベルデ』(無有病者のロマンセ)や、カマロンが歌った『月のロマンセ』なども登場したり、モレンテ『オメガ』収録の『ペケーニョ・バルス・ビエネス』(レオナード・コーエンの『テイク・ディス・ワルツ』)なども取り上げられたりして、休憩を挟んで、杏梨と徳永康次郎によるトランスフォルマシオンと伊藤笑苗による公演でも、『月のロマンセ』や『ベルデ』が登場。詩を踊る、というタイトルだけど、朗読者も歌い手もいないのにどうするのだろうと思ったら、月のロマンセは朗読を録音で流し、丸いレフ板を月に見立て、それを使って影絵遊びをするなど工夫を凝らして楽しませてくれました。後で聞いたら朗読も伊藤本人が直前に録音したというのでびっくり。踊りも、指先まで気を配って、形の美しさも今まで以上に意識しているという感じのパフォーマンスで、これまで使っていなかった筋肉を使っている感もあり、マドリードのコンセルバトリオ、舞踊学院で学ぶことがプラスになっているのだろうと感じられました。ピアノでのカフェ・デ・チニータス、そして最後は帽子を使ってのベルデ変奏曲。どこかにあるものを借りてきたものではなく、ロルカ編のスペイン民謡(古謡とも)をモチーフに展開していったオリジナルの音楽もよく、舞踊も音楽のようになめらかで、良きライブになったと思います。


いやいや若い才能にこれからもどんどん活躍していってほしいものです。


 

2025年5月16日金曜日

井上圭子 鈴木淳弘『銀の鍋』

あったかい公演だった。



畳3枚くらいかな、と思うような小さな舞台を三方向、そして斜め上、上から囲む小さな会場にぎっしり詰まった観客たちみんなが大きな家族のような。そんなあったかさに包まれていたのは、やはり主役二人の人柄ゆえなのだろう。

ハカラの録音をアバニコを使って踊って始まり、井上の姉の娘でクラシックのチェロ奏者矢口里菜子とピアノの田口翔のピアノでのゴジェスカス間奏曲へ。チェロが残りギターも登場してはじまるファルーカはフリンジに彩られた幅広の黒いパンタロンスーツで、ギターソロを挟んで一部の最後は腰の後ろにリボンがついた白い衣装でカーニャ。休憩を挟んで、アルベニスのタンゴをカスタネットで踊り、ギターソロでのファルーカ,カンテソロでのマラゲーニャときて最後はバタ・デ・コーラとマントンでのアレグリアスを。クラシコエスパニョールとフラメンコの繋ぎ方も含め構成がうまい。

フラメンコ誕生前のスペインの舞曲ハカラを最初にフラメンコ公演で観たのはアナ・モラーレスの2015年の公演。あの時の公演でもアバニコ、扇の音が印象的だったけど、ここでもスペイン扇の仰ぐ音を印象的に使っている。振り付けは現在志摩スペイン村の振り付けを手掛けているダニエル・ドーニャだという。今回のプログラムでは各曲に振付と音楽(楽曲提供とあるけど、振り付け時のオリジナル曲の作曲者、ということだろう)の担当者の名前を出しているのはいい試みだと思う。彼女のフラメンコに対する真摯な姿勢の表れなのだろう。

指先や足先、体や首の傾き具合など、細部をおろそかにせず、美しくあることを大切にした彼女のパフォーマンスはさすが。日々の積み重ねの結晶だと思わせる。曲もバラエティに富んだ構成で場面ごとにミュージシャンの位置を変えるなどの工夫もあり、しっかりしたリサイタル作品として出来上がっていた。欲を言えば衣装にもう一工夫あっても良かったかもしれない。カーニャの白い衣装はグアヒーラに似合いそうで、シリアスな曲であるカーニャらしさという点ではちょっとマイナスのような。髪の小さな花飾りとかは良かったのだけど。またバタも、コーラ、尻尾の部分にもう少し張りがあるともっと綺麗に見えたのではないだろうか。実力がある人なのでそういったものもさほどマイナスにはならないとは思うのだけど、実力があるだけにもっとよくなるのに、という思いは残る。単なる好みの違い、なのかもしれないけれど。

昨年大動脈瘤という大病を患った鈴木は見事な復活を果たした。病後のリハビリなどさぞ大変だったことだろう。フラメンコを演奏することを楽しんでいるのが伝わってくるような、いいトーケだったと思う。

銀の鍋。鍋という言葉から、手鍋下げても、という言い回しを思い出す。二人でいれば幸せ、フラメンコで結ばれた二人の25年。銀の鍋は輝き続けてやがて金の鍋になるのだろうな。

度重なるアンコールの拍手に、最後「帰ります」と言った井上のユーモア感覚。このユーモア感覚を活かした曲とかも観てみたいなあ。グアヒーラやタンギージョ、ガロティンとかかな?と勝手に妄想。

プログラムや入場券に至るまで丁寧に作られた公演。二人の愛をみんなの愛が包む、幸せな時間だった。



2025年5月9日金曜日

工藤朋子『黒いダイヤ』

 ぐっと凝縮された1時間。



衣装を変え、曲を変え、自分の世界を作り上げたその腕前はあっぱれ。

巫女系というのか転移系というのか、何かが乗り移ったかのようにここではないどこかを見つめ、地を這うようにして何かをずっと探している。

前作『時と血と地と』は、フラメンコ・フラメンコなものを封印こそしてないものの、自分とフラメンコのルーツを探っていく旅のような作品で、民謡や古楽などが散りばめられ、フラメンコ味は少なめだったけど、すごく面白かったことを記憶している。今回は、そのリベンジ、というわけでもないだろうけど、フラメンコの黒い魂を自分の中に探していくような作品で音楽はフラメンコのみ。ミゲル・デ・バダホスが歌うロマンセ・デ・ラ・モンハに始まり、マヌエル・マレーナが聴かせてくれるソレア・ポル・ブレリア、カマロンのカナステーラやカラコールのサンブラなどもはさみつつ、タンゴそして豪華なマントンでのカーニャ。それぞれの曲のキャラクターを理解して踊りわけていたと思うけれど、全体的に下向き、屈んでというのが多いのはちょっと気になった。地を這うようにして探している、っていうことなのかも知れないけれど、しなやかで美しい身体を生かして、胸を開き、外へと向かう瞬間もあって良かったのはないかと思えるのだ。下を探すのに夢中でまだ解放されていない、ということなのだろうか。観客としては、最後、突き抜けるような空へ登る勢いで放たれる思いを見てみたかった気がする。放たれるのは次回なのかな?




2025年4月17日木曜日

公家千彰『TSUNA』

 フラメンコの特徴にその自由さがある。歌い手がどの歌詞をどのメロディで歌うのも自由だし、踊り手はその歌を聴いて即興で動きを自由に組み合わせて踊ることも多い。舞台作品では音楽も振り付けも決まっていることがい多いとはいえ、フラメンコをどう使うかはクリエイターの自由裁量。もちろん、どんなフラメンコをどう扱うかによって、フラメンコじゃないなどという外野の声を受けることもあるわけだけど。でも、フラメンコを演じることを目的にするのではなくフラメンコで演じることももちろんできるのだよなあ、などと渋谷区文化総合センター、伝承ホールからの帰り道、ぼうっと考えていたのでした。



渡辺綱と鬼の話、と聞いて、なんとなく予想しちゃうわけですね、長年日本のフラメンコも見ている身としては。チラシを見るとフラメンコのミュージシャンたちだけでなく、津軽三味線の奏者もいる。和物で武士と鬼の話。きっと着物風の衣装や刀などの衣装や小道具と三味線で和風味を出して物語を語るのだろうな、と。その予想があっていた部分もないわけじゃないのですが、衣装や小道具は和によりすぎず、こだわりすぎず、物語を語るのは活弁、すなわち無声映画で解説を語るお仕事の、山﨑バニラさんにまかせて(舞台を見ても物語がよくわからないというストレスがなくなる)、綱と鬼の話も現代的なテーマである差別の話を映し出したり、と、男の役だからといって極端な男装することもなく、男というより人として捉えている(ようだ)など、いろいろ、個として捉えるのではなく、より普遍的なものとしている試み(に見えた)も面白かった。

公家は姿勢の良さからだろうか、品格がある。女神感と言ってもいいかもしれない。舞台上での存在感と柔らかでどこか清らかな感じは独特。鬼を切るのが日本刀ではなく剣だったせいもあってか、和物というより、アドベンチャーゲームの主人公のようにも見えた。男でもなく女でもない綱。それは鬼を踊った奥濱春彦も同じで、この人は小松原舞踊団で錚々たるメンバーとの共演を重ねていることもあるのか、舞台での佇まいが素晴らしい。立ち姿がきれいなのだ。この二人のパレハ、カスタネットも使っての共演がこの夜の白眉だったと思う。

また、綱の同輩を踊った山下美希も、硬質なキリッとした踊りで常に目を引いたし、歌って踊った小谷野宏司も好演。ぺぺ・マジャ率いるスペイン人で固めたフラメンコミュージシャン(プラテアオの酒呑童子も面白!)と津軽三味線の対比、共演も興味深かったと思う。ただ、フラメンコ曲の歌詞は物語と全く関係ないというのは、日本のフラメンコとしては普通なのだろうが、スペインの作品を見慣れた私にはちょっと不思議な感じがしないでもなかったけれど、この劇場ならではの花道やセリを使ったり、観客席への声掛けなどもいろいろ工夫して作り上げていたのは好感が持てます。

これと決めた題材を丁寧に掘り起こし、イメージを積み重ね、真摯に作り上げた舞台だったと思います。

でもいつかソロで作品ではないフラメンコも見てみたいとも思ったことでありました。

2023年3月20日月曜日

『はかなき人生』

 セビージャのオペラハウスであるマエストランサ劇場で、マヌエル・デ・ファリャの『はかなき人生』。

フラメンコというか、スペイン舞踊のレパートリーとして取り上げられることも多いし、ギターやピアノの演奏でもおなじみ。パコ・デ・ルシアやカニサーレスも演奏してましたよね。

元々は二幕の歌劇ですが実際に全部が上演されることはそんなに多くないのかな、昔の録音は聴いたことがありますが、私は初見でした。

お話はグラナダのヒターナ娘サルーが、彼女を裏切って結婚してしまう男の目の前で亡くなってしまう、というもので、サルーを歌った/演じたのはスペインの人気ソプラノ歌手アイノア・アルテタ。



演出は伝説のオペラ歌手マリオ・デル・モナコの息子、ジャンカルロ・デル・モナコ。バレンシアの劇場の制作です。

動く大きな赤い壁で場面を作る、っていうのは、よくある現代的な舞台って感じなんだけど、問題はフラメンコの扱い。第二幕の、婚礼の宴で、「ソレアを歌うよ」とフラメンコ歌手が歌う場面があって(でも本当のソレアを歌うわけじゃない)、これは本職のフラメンコ歌手がやることが多いらしいんだけど(ガブリエル・モレーノやマイレニージャの録音を聴いたことがあります)、それをですね、なんと十字架のキリストが歌うことにして両脇に聖週間の三角帽子を被った男たち、っていうのはもう、なんというか、色々、アンダルシアを誤解している、というか、『蝶々夫人』が頭にかんざしではなくお箸をさしている感じとでもいうか。スペインで、しかもアンダルシアでこれやっていい、って思ったのが不思議。なんというか、聖週間/信仰にもフラメンコにも敬意を払っていない感じが正直、不快でした。初演ではカンタオーラが、サルーとお案じ格好で磔られて歌ったらしい。(有料プログラム記載の演出家の言葉から)



最後のサルーが死ぬ場面は、ナイフを裏切った恋人パコに持たせて自分を刺させる、というものだったのは、『カルメン』からの発想なのかな。身勝手な男に罪の意識を持たせたかった、ってことはないかとは思うけど。


期待していた舞踊場面も典型に走る、というか特に見るべきところがなかったのは残念。


衣装を手掛けたのは先日のスペイン国立『エル・ロコ』の衣装も担当していたヘスス・ルイス。これは良かったですよ。コルドバの人でフラメンコも知ってるだけに。花嫁衣装とかそのまま使えそう。



オケの音で歌詞が聞き取れんなあ、と思ったら、プロセニアム、というか、舞台の額縁の上のところにスペイン語と英語で字幕出てるんですね。助かりましたわ。スペイン語だから聞き取れる、ってもんでもないなあ。


しかしこういう、男の裏切りに何で応えるか、っていうのも色々ですね。メデアの子殺しが一番すごいけど、蝶々夫人は自殺だしな、とか余計なこと考えつつ、家路を辿ったのでありました。1時間ちょっとと上演時間が短いのは現代にあっているね、話はアナクロだけど。




2015年10月16日金曜日

小松原庸子スペイン舞踊団45周年記念公演「天目山曜変の舞」

思いは伝わる。

思いにあふれた舞台だった。
小松原のフラメンコへの思い、そのルーツである常磐津への思い。
舞台への思い。美への思い。
そして彼女を支える出演者たち、スタッフたちの思い。
その思いはまっすぐに私たち観客の心に飛び込んできた。
舞台を見に来た観客たちの、小松原への思いが加わる。

音楽の美しさ!
中国の古箏とフラメンコ、常磐津、チェロとシンセサイザーと、一見かけ離れた、異なるジャンルの音楽が一体となってつくりあげる空気の美しさ。
とくに常磐津とフラメンコは遠く離れた音楽のようでいて、声と弦という組み合わせゆえもあるのだろうか、実はそれほど遠いものではないように思えた。
とくに常磐津の音で小松原が花道から現れる場面は、バタ・デ・コーラで、スペイン舞踊の動きをしているのに、あまりにも自然にあっているのに驚かされた。 花道やすっぽん(花道にあるセリ)などの使い方のうまさも、幼い頃から伝統芸能と親しんできた彼女ならではなのだろう。
宴の場面以外はほぼ舞台にでずっぱりというのにも驚いた。あふれるばかりのエネルギー。それも彼女の思いゆえだろう。

長年の共演者であるクリージョもみせかたをよく心得ている。まるで年をとっていないかのような、スペイン国立バレエ団で第一舞踊手をつとめ、主役を踊っていた頃とまるでかわらないアントニオ・マルケスの小松原をたてる美しいサポート。クリージョとアントニオのデュオも美しい。スペイン国立バレエの黄金時代を思い出させる。

ビデオの使い方や照明、装置など美術も細かいところまでよく考えられている。
主にクリージョのものだという群舞の振付も、大人数をうまく処理していた。
公演なかばの宴の場面は、それぞれの踊り手に見せ場を用意するだけでなく、群舞のバリエーションも豊富で、歌い手も加わり、まさに華やかに繰り広げられる宴そのものだ。 スペインからきた若手男性ダンサーたちのレベルの高さ。フラメンコだけでなくスペイン舞踊全般を学んでいるからこその身のこなし。日本人ダンサーでも、今のスペインを感じさせる里有光子、優雅な入交恒子、ベテラン、鈴木敬子、中島朋子らが華を添えた。

一番最初、緑の山の映像の中にうかびあがった小松原の、すっと天に伸ばしたその腕のかたちの美しさ。長年のフラメンコ、スペイン舞踊への愛はかたちになって現れる。
その瞬間から最後の挨拶まで、彼女の思いがいっぱいにつまった舞台は、確実に私たちの心に届いた。








2010年11月18日木曜日

カンテ・フラメンコへの招待席IV

ギタリスト、俵英三プロデュースのカンテ・フラメンコへの招待席。
11月17日、新宿「エル・フラメンコ」で開催された公演は満員御礼。
それだけ日本のカンテ熱が盛り上がっている、ということか。

小里彩の歌うローレ・モントージャの「ヌエボ・ディア」にはじまったこの公演、
日本のフラメンコがこれまでとまた違った局面にさしかかってるように思えました。

小里のローレ(マヌエル・モリーナのつま弾きをなぞる俵のすばらしさ)、
井上恵理のレブリーハ(これ、聴けば誰でもすぐわかる!)
能登晶子のウトレーラ/レブリーハ(この人見た目もヒターナのマダムぽい)、
俵のモロン/ヘレス(親指いきてます!)
井山直子のコンチャ・バルガス!
と、それぞれの、好みがそのまま彼らのアルテに反映されているのにオレ!
自分の好きなものをやる。
そうです。それが正解です。
フラメンコはしょせん、趣味、好みのもんなんです。
オレはこれがこんだけ好きなんだぞ〜
という気持ちにあふれていて、それが、伝われば、日本人だろーが、ヒターノだろーが、
スペイン人だろーが、アフリカ人だろーが、関係ない。
それがフラメンコなのであります。

そ、フラメンコはね、結局は愛なのよ、愛!

というわけで、上手になぞっただけのフラメンコよりも百倍いい、
気持ちの伝わるフラメンコでした。

もちろん、歌い手たちの胸のひらきかた(姿勢というより、緊張からか肩が前にでてちじこまってしまってるのは残念)や、発音(rrがちょっと弱い人あり)や、音程、リズム、
最後の音の消し方とか、気持ちの持って行き方(いわゆるセンティード)とか、
もっともっとよくするための鍵もいっぱいあるとは思いますが、
まずは大本の鍵、愛があるからだいじょうぶでしょう。

井山はほんといい顔して踊ってくれた。
踊るのが楽しくてしょうがない、って言う、幸せな顔。
その幸せ感、こっちにも伝わります。
歌が踊りを伴唱するのではなく。踊りが歌を伴奏するという感じなので
自分のソロを踊るよりも難しかったと思う。

俵さんのおいっこ的存在?の、フェステーロ、ルイス・ペーニャ。
ヘレスやセビージャのフィエスタのアイレが混在して
彼のアイレをつくってます。
細部に注目。
コンパスのおしまいをどう帳尻あわせるか、とか、えーっすね〜
オリージョ・デ・プエルト(ランカピーノのお兄さん)や
パコ・バルデペーニャら、今は亡き名手たちや
セビージャの今のフィエスタの華、マルセジェたちなどを思い出します。
うん、こうして伝わっていくんだよね。。。

2010年11月12日金曜日

西日暮里アルハムブラ

10日水曜日、おそらく20年ぶり?くらいで訪れた西日暮里アルハムブラ。
フラメンコの舞台のあるスペイン料理店で都内でも老舗のひとつ。
目的は森田志保と鈴木敬子。
え?
って思うでしょ? 
私もそうでした。
日本のフラメンコを代表する舞踊家たちが
スペイン料理のお店で見る事ができちゃうんです。

19時からのショーは約1時間。
ソレアによるプレゼンテーションではじまります。
続いて稲田進のアレグリアス。 気迫十分。
なんだけど、曲が聞こえない状況でみたらソレアか
ソレア・ポル・ブレリアスに みえちゃうかもしれない。
アレグリアスの空気感が感じられないのだ。
フラメンコはその曲ごとに性格とでもいうべきものがあって
それを表現するのも重要だと私は思うのだけど。

続く鈴木敬子のグアヒーラ。
彼女の踊りはいつでも破綻がなく、安心してみられる。
定番アバニコをつかってのもの、なんだけど

下だけでなく、上の面をもってみせたり、とその使い方に工夫が満載。
でもって、そこかしこにセビージャが香る。
彼女がセビージャに住んでいたのはもう20年も前のことなのにね。
もちろん、グアヒーラらしい、明るく、ちょっとのんびりした感じとかもあって満喫。

森田志保はソレア。
黒い衣装で、中へ、中へと、ソレアの曲の中に沈み込んで行くようなソレア。
こういうものが好きという志向、
こういうものが踊りたい、こういうものを表現したいという志、
それがまっすぐ伝わってくる、そんなバイレ。
いろいろと条件の限られた、 タブラオの小さな舞台でこれなんだから、
劇場でのリサイタルはさぞかし。。。
いつか必ず観てみたい。

最後のフィン・デ・フィエスタは三人揃って。
聞けば、森田と鈴木は初共演とか。
ふだんはそれぞれ、独自の活動をしている踊り手が
タブラオの舞台で共演する。
そんなやわらかでしなやかでゆるやかな連帯感っていいね。

20年前、アルハムブラでのフラメンコにカンテがあることはめったになかった。
でも今、プログラムをみると毎回ある。時代は変わりました。

2010年11月10日水曜日

平富恵

ポップなアレンジのバッハでのオープニングから
タンギージョでのアンコールまで1時間半
スペイン舞踊とフラメンコをたっぷり楽しませてくれた。

クラシコ・エスパニョールとよばれる、
フラメンコやエスクエラ・ボレーラのテクニックをつかって
クラシック音楽にあわせて踊られるものは、
日本ではあまり知られていないかもしれないが
フラメンコと表裏一体とでもいうべきところもある
美しい舞踊である。
スペイン国立バレエ団の「ボレロ」などをおもいだしてほしい。
ここで必要とされる回転などのきちんとしたテクニックは
フラメンコでもいかされる。

小松原舞踊団出身の平は、2003年、ラ・ウニオンのコンクール準決勝に出場し
その美しく優雅なバタ・デ・コーラつかいで注目をあびた人。
彼女の主宰するスタジオではフラメンコだけでなくクラシコも教えるというだけに
今回のリサイタルもはじまりはクラシコ。

カスタネットをつかったバッハによるオープニングから、
ゲストの元スペイン国立バレエ団プリンシパル、ルイス・オルテガのソロ。
サラ・バラス舞踊団の、という方が今は通りがいいかもしれないが、
きちんと基礎のあるしっかりした踊り手だ。ここでもあぶなげなくみせる。

バタ・デ・コーラとアバニコをつかっての華やかなアストゥリアス。
バタが軽いせいか、足もとがかなりみえすぎてしまう。
ハビエル・サンチェスのソロは振りも曲も同じような繰り返しが少しくどいかも。
女性たちの「はかなき人生」は編曲と衣装こそネオ・クラシコ風だが、
振り付けはオーソドックス。

その次の「タクトゥタ」と題された、いわゆる口タブラの曲で
平とハビエルが踊る曲が良かった。
同じような試みはかつてベレン・マジャとラファエラ・カラスコもやっているが
男装の平とハビエルとのかけあいが面白い。

サジャーゴの孫だというカリダ・ベガがバラードを歌いながら客席から現れ
クラシコからフラメンコへ。
平の、バタ・デ・コーラとマントンの華やかなロメーラ。
マントンが落ちそうになるアクシデントも余裕で処理したのはさすが。
マントンや花、櫛、アバニコなどが落ちたり、のアクシデントは誰にでもおこりうる。
それをどう処理するかが問題。
とはいえ、もちろん落ちないように対策を十二分にとることが大切なのはいうまでもない。
ルイス・オルテガのソレア・ポル・ブレリア。
フラメンコらしいデテールにあふれ素晴らしい。
女性6人にハビエルがからむグアヒーラ(再びアバニコ)、ギターソロに続き
ルイスと平のシギリージャ。
最初から最後まで、カスタネットのかけあいをのぞき
二人が同じ振りで影のように踊るのが珍しい。
最後はブレリア。そしてアンコールでタンギージョ。
このタンギージョがなかなか楽しい。
ふくらませてプログラムの一曲としてもよかったかも?

結果としてクラシコとフラメンコが半分半分というコンサート。
あれもこれもつめこんだおもちゃ箱をひっくりかえしたように
バラエティにとんで華やかな公演だったが
その反面、焦点が少しぼやけてしまったような気もする。
群舞を減らし、平のソロ/デュオをもっと前面におしだしてもいいのでは?
振付家、ディレクターとしての面を出したということなのかもしれないが、
舞踊家としての、ダイナミックな魅力をもっと出してもいい。

またカスタネット、バタ・デ・コーラ、アバニコが繰り返しつかわれるが
そのため、これら技術と訓練を必要とされるものが効果をあまりあげていない。
このあたり演出にもよるのかもしれないが、
整理していけばもっと印象的なものとなるだろう。

またフラメンコではもっといい歌い手がくれば踊りもぐっとはえたことだろう。
フラメンコは歌を踊る。
いい歌が踊りにインスピレーションをあたえる。
好きな歌い手でないと踊れない、というエバ・ジェルバブエナのように
とまではなかなかいかないかもしれないが、
平ほどの実力があればそれにふさわしい歌い手を選んでもよかったかもしれない。

2009年8月11日火曜日

フラメンコのメッカでフラメンコをみる その2




「今日、昼間会ったときに、この学校で歌うのは50年ぶりだ、といってました」
とのアグスティンの紹介で舞台に登場したエンリケ・ソト。
「いつもこの学校のフィン・デ・クルソ(学年末に行う学芸会)で弟ビセンテと歌ってました。
またここで歌うとは…」
とあいさつしてから歌いはじめたエンリケ。
伴奏はマヌエル・モラオの孫、ペペ・デル・モラオ。ギターを慈しむように寄り添ってファルセータを弾き始める。カンテ・デ・レバンテ。
エンリケはヘレスはここ、サンティアゴ街の生まれ。父はマヌエル・ソト“ソルデーラ”。
弟に歌い手のビセンテ・ソト、パルメーロのボー、元ケタマのホセリート・ソトがいる。
父と、家族とともにタブラオなどでの仕事のためマドリードに移り、そこでアルティスタとしてのキャリアをはじめた。現在は元踊り手だった妻の故郷であるセビージャ在住。
エバ・ジェルバブエナらへの伴唱でおなじみだ。
「カディスへ行こう!」
との声ではじまった、アレグリアス。舞踊伴唱で鍛えたコンパスは鉄壁。自然にカンティーニャへと続く。
舞台横にはいつのまに来たのかモライートが、エンリケの末弟、ホセリート・ソトと座って舞台をみつめている。

公演している間はバルもお休み。ほとんどのこどもたちも静かに舞台に見入っている。
ソレア。
ヘレスらしい深みをもって胸にせまってくる。ペペはふだんからエンリケの伴奏をしているわけではないが、そこは同じヘレスのヒターノ。あうんの呼吸できまる。
最後はもちろんブレリア。弟ボーがカンタローテのファミリーと舞台に上がりパルマをつとめる。
最前列にいたこどもが踊りはじめる。パルマこそたたかないものの、あちらこちらのヒターノからだがコンパスにゆれている。さすがフラメンコのメッカ。
アルティスタに敬意を表し、舞台の邪魔は決してしないが、コンパスのうねりに身を任せ、心から楽しんでいる。

これでおしまい、と思ったら最初のペーニャのグループが再び舞台に上がり、ブレリアがはじまる。
女たちもこどもたちも舞台に上がる。歌をききつつウナ・パタイータ。
ちょっとてれて、小さく小さく、踊っている男の子。が、コンパスははずさない。
堂々と踊った6歳くらいの女の子。が、この夜、一番のブレリアはまだ2歳だという女の子。
タン、タタタン。スカートをちょっとつまんでほんの少し腰や腕を動かすだけなのだがこれがまたなんともフラメンコなのだ。
こどもたちのフラメンコはいつ観ても楽しいけどときにはやりすぎ、というのか、受け狙いというのか、ちょっと痛々しい思いをすることがある。が、この子たちのブレリアは、こどもたち自身が楽しいから踊っている、というブレリア。無比のコンパスに乗って、ちょいちょいと、足をふんで、ひっこんでいく。生活の中にフラメンコが息づいているヘレスならではのブレリアだ。きっとこの子は大人になっても、結婚式や洗礼のフィエスタで、パルマにのってちょこちょこっとブレリアを踊っていることだろう。

ヘレスはやっぱフラメンコメッカ。あのパルマにこの観客。
フラメンコをまったく知らない人があの場にいたとしても私と同じように、いやひょっとすると私以上に楽しんだことだろう。
ヘレスのサンティアゴ街にはまだ、空気のように取り立てて意識もしない自然なフラメンコが残っている。
フラメンコを愛するものにとっての極楽、それがヘレスなのかもしれない。

2009年8月3日月曜日

ペガラハルのフェスティバル



8月1日土曜日はハエンのペガラハルのフェスティバルに行ってきました。
ペガラハルは、ハエンから20キロほどグラナダ方面に行ったところにある人口3千人の町ですが
この町のフラメンコ・フェスティバルは今年で41回という歴史のあるもの。
かつてはカマロンやファルーコなども出演したといいます。
今年の出演はカンテが、マヌエル・ヘレーナ、ナノ・デ・ヘレス、マリアーナ・コルネホ、アントニオ・レジェス、ラ・タナ、そしてバイレがエル・ミステーラというなかなか渋い面々。
また、71年にこの町のカンテコンクールで優勝したベテラン・カンタオール、マヌエル・ヘレーナに捧げられました。

マヌエル・ヘレーナはセビージャ県プエブラ・デ・カサージャという、多くの歌い手たちを世におくりだしている町の生まれで、23歳からプロとして活動。自由な表現活動ができなかったフランコ独裁政権下で自由をうたうなど、社会的な歌詞で何度も逮捕されたりしましたが、70年代の人気カンタオールの一人です。

フェスティバルの開幕は23時半。実際にはじまったのは24時過ぎでした。
カディスの明るい光をはこんできたようなマリアーナ・コルネホ、年をへてだんだんお父さん(鍛冶屋兼歌い手のティオ・フアネ)に似てきたナノ・デ・ヘレスら、ベテラン勢がブレリアなどを中心に楽しくきかせてくれました。
というのも折から町はお祭りで、すぐ近くにある移動遊園地やディスコのにぎやかな音楽がきこえてくるので、マルティネーテなどをじっくり聴く雰囲気ではないからでしょう。
バイレのミステーラは十八番のソレアで観客を総立ちにしました。

私は一部が終わった3時すぎに帰ったのですが、うーん、きっとこの分だと全部終わるのは朝方6時ぐらいだったのではないでしょうか。。。

昔ながらのフェスティバルも楽しいものですが、ほんと体力がいりますね。