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2026年6月9日火曜日

第10回マノロ・ソレール舞踊フラメンコ才能コンクール 

ヘーレン財団のフラメンコ才能コンクールも今年で第10回。

カメラ持って見にいって、審査員の隣に座って見学。今年は参加者応援団がたくさん来てて通常は観客入れない2階まで満員。なかなかの実力派揃いでありました。


トップバッターはローラ・ロセンド。タラント。衣装、無地は良いけど、袖のレースとかタラントらしくないし、なぜかアバニコを最初と最後に。ブルタなとこはあるけどまだ若い。3位受賞で、また奨学金獲得し来年財団学校で学べるので、飛躍することを祈ります。


2番はナタリア・ガルシア。バタ、アバニコでのグアヒーラ。バタも上手。今日の出場者の中では一番のお姉さんで26歳。タブラオでも仕事してるだけ合ってそつない。アンダルシア舞踊団での研修賞。


準優勝のロサ・エンリエは21歳。バタ、マントンでアレグリアス。マントン忙しい感じなのは流行りなんだろうね、マントン滑りそうになったり絡みそうになったりちょいちょい。アンダルシア舞踊団研修賞も。

優勝はヘレスの17歳、マヌエル・ヒメネス、シギリージャ。大胆豪快。シリアスさは出てたけど深みはちょっと不足、歌ぶりは多分勉強すればもっとよくなるはずかと。ということで来年財団学校での奨学金獲得。







セビージャの17歳、ナタリア・カロはタラント。きらきらのダイヤモンド鉱山。若い子はタラントが鉱山の歌って知らないのか?時間オーバーしてるし、ちゃんとしてくれ。にもかかわらず。奨学金獲得。コンクール、出る時はみんな要項ちゃんと呼んで守ろうね。これ他のコンクールなら失格案件。


こちらにコンクールのビデオ貼っておきます。



なお審査員はこちらの面々。左からルイサ・パリシオ、チョロ、フェルナンド・ヒメネス、パトリシア・ゲレーロ、マルタ・カラスコ。



2026年4月10日金曜日

ロシオ・モリーナ『カレンタミエント』記者会見とお話し会


 明日、4月10日から3日間、セビージャのセントラル劇場で上演されるロシオの新作『カレンタミエント』。初演のマドリードで9日間、先日までバルセロナでやはり9日間、全公演満席だったというこの公演、セビージャ公演も発売1時間で全席売り切れだったそう。マドリードではマドリードではアルモドバル監督もひざまづいたとか。

カレンタミエントとは時ウォーミングアップのことで、この作品は彼女の日課である、35分のタブラ・デ・ピエ、足技練習のパターンから始まって展開していくそう。詳細は明日、観てからお話ししますが、7歳の時から普段やっている足のパターン(本人曰くシンプルなもの、だそう)をはじめ、今回の作品は物語を語るわけではなく、演出家と話し、時間を過ごすうちにできた台詞も含め、彼女自身が体験してきたことなどが反映しているそう。そのウォーミングアップをすることによって、自分を取り戻して作品の稽古に入れる、という感じらしい。フラメンコにおいては性別や、ヒターノかどうかなどは関係ないところがある、とか、エネルギー話とかひたすら頷く。

フラメンコの囲いや壁を越えて、より多くの人に、結局はフラメンコの底力をアピールし続けているように思うロシオの新作、楽しみです。


2024年10月22日火曜日

マリア・パヘス創作の秘密『エル・バイレ・デ・アルキミスタ』

セビージャ大学の舞台芸術修士コース開講イベントとして、マリア・パヘスの創作過程を描いたドキュメンタリー映画が上映されるとのことでセビージャ大学の文化センター、CICUSへ。私が修士コース受講してるわけじゃ無いけど、無料で一般にも公開されてたのです。

映画『エル・バイレ・デ・アルキミスタ』は、アランチャ・ベラ監督がマリアやマリアの夫で、モロッコ出身の詩人エル・アルビ・エル・アルティへのインタビューと、稽古風景、メリダ、ローマ劇場での公演のリハーサル風景などを通して、その創作の秘密を解き明かそうとしたもの。映画の予告編、貼っておきますね。


映画上映の後は、セビージャABC紙の舞踊評論家、マルタ・カラスコの司会で、監督とマリア自身に話を聞き、会場からの質疑応答も。

          

群舞の構成を考える時に表を作って、このコンパスの時にこのダンサーが、などと考えていくとか、彼女独特の考え方が数学的ということで(お父様が数学専門だったそう)話題になったりしてましたが、舞踊と数学の関係、リズムは数える、形は幾何、など、ちょっと面白い視点だな、と。

恐怖の表現に映画サイコからヒントを得たり、ヒットラーの演説を音として捉えて、サパテアードで表現する、など、様々なアイデアも興味深かったけど、自分一人で何度も踊って表現を探していく、その過程もすごいな、と。

インスピレーションが突然舞い降り作品が完成するのではなく、たくさんのブレーンストーミング、ディスカッション、そして実際に踊ってみてビデオで撮って見直しして、という地道な作業の果てに、結実するのだということ、改めて理解。



個人的には彼女の独特の、あの上体を柔らかく使う、あの踊り方がどこから生まれたのか、という方が気になってしかたなかったことでした。あんなふうに胴体を動かす踊り手、他に知らない。誰か今度はその秘密を探ってくださいまし、と思ったことでした。


 

2022年1月30日日曜日

批評回顧セミナー

 アンダルシア国際大学での批評回顧セミナーの初日、1月18日、フラメンコがテーマの日に登壇してきました。



この30年を回顧ということだったので、私は、五輪開会式でのクリスティーナ・オヨス、世界的ブームになったホアキン・コルテス、シンプルになった女性の衣装(上の写真のスライドですね)やイスラエル・ガルバンの登場とその影響、SNSでの動き、などについてお話しさせていただきました。もう一人の、エル・パイス紙などに書いているガルシア・シモン氏は1922年のグラナダのコンクールの話やイスラエルの偉大さなどについて話しました。はい、現代フラメンコを語る上でイスラエルという存在は偉大。

翌日はアートをテーマに、



翌々日は造形芸術をテーマに話したそうです。


そして翌週、25日には、ペドロ・G・ロメロ、ディアリオ・デ・セビージャなどの批評家サラ・アルギホ、セビージャ大学教授アントニオ・モリーナ、文化プロデューサーのホアキン・バスケスらが登場。


フラメンコについて、批評について、などをテーマに話されました。フラメンコ界ではイスラエルのブレーンとして知られていますが、もともと美術家で現在、レイナ・ソフィア美術館で展覧会を行っているペドロGが近年フラメンコで起こっていることは現代アート全体に起こっていることと同じだけれど、フラメンコにはその特異性もあり、それが興味深い、という話がありました。

批評は、対象を熟読する/分析する/書く、ことだと先日読んだ、『批評の教室』にありましたが、フラメンコで言えばよく観る/分析する/書く、だとして、スペインのフラメンコ批評はその分析の部分が不足している批評が多いように思います。昔、高場将美さんが、スペインのメディアのインタビューに応えて「批評はアーティストのためにならなければならない」ということを仰っていたのですが、私もその意見に完全に同意し、たとえアーティストがこういうことを伝えたいと思ったようには伝わっていなかったとしても、違う視点からの意見を根拠とともに述べることで、アーティストのプラスになるようにあるべきだと私は考えますが、さて、実践できてるかな。

フラメンコ学の周辺ももっともっと研究すべきことはあり、そのあたり、少しでも取り組んでいきたいと思っています。





2021年12月4日土曜日

エスペランサ・フェルナンデス『セ・プロイべ・エル・カンテ』

 エスペランサ・フェルナンデスの新譜『セ・プロイベ・エル・カンテ』発表記者会見。


アルバムは2019年、スペイン各地でのペーニャでの録音を集めたもので、スタジオ録音にように何度も録り直しをしたりせずに、生のフラメンコの魅力を集めたもの。すでにSpotifyやYouTubeMusicなどで配信中でCDも来週には発売とか。

トマティート、ミゲル・ポベーダ、マリナ・エレディア、ロシオ・マルケすら、ゲストも豪華です。

記者会見でのエスペランサの2曲。

CDではロシオ・マルケスと歌っているグアヒーラと


CDではミゲル・ポベーダと歌っているタンゴ。

タンゴではCDにも参加しているクーロお父さんのオレ!が聞こえます。

CDはこの他にマリナ・エレディアとのマリアーナ、アルカンヘルとのファンダンゴ、ホセ・バレンシアとのトナ、父クーロとのセラーナ、ヘスース・メンデスとのブレリア、トマティートとのタランタなど全12曲収録。


なお、CDの発売元は来日したこともあるギタリスト、アルベルト・ロペスのレコード会社です。

2019年9月22日日曜日

マノロ・マリンへのオマージュ

9月20日、セビージャの名舞踊教授、マノロ・マリンへのオマージュが、セビージャのアントニオ・ルイス・ソレール舞踊専門学校において、行われました。
彼の愛弟子たち、そして、仲間たちが企画し、実現させたもので、マノロは内容を全く知らされずに会場にくると、
「最初にクリスティーナ(オヨス)の髪が見えて、皆の顔と拍手でもう…」
とはマノロ談。


カルメン・レデスマ、クリスティーナ・オヨス、アナ・マリア・ブエノ、ホセ・アントニオらが壇上で迎えられ、感きわまるマノロ。



喜びはバイレになって出てしまう。



この場に入れなかった教え子や仲間達、マリア・パヘスやカナーレス、クリージョらからのビデオメッセージの後、壇上に呼ばれたのはマノロの姉妹。
これもサプライズ!




マノロがその昔、コンビを組んで踊っていて、バスクでの舞踊教授活動を経て今はマドリー在住だという妹と、教室の上に住んで事務をしていた妹。



客席にも多くの踊り手たち。
Jアントニオ・ヒメネス、ペパ・モンテス、メメ・メンヒバル、フアン・オルテガ、ホセ・オルテガ、イニエスタ・コルテス、イサベル・ロペス、カルメン・ロサーノ、フェルナンド・ロメーロ、マヌエル・ベタンソス、ラファエル・カンパージョ、エレナ・パチョン、ピラール・アストラ、フランシス・ヌニェス…日本人でもテレサ西塚さんやチャリートさんが。

マノロには習ってないだろうけど、仕事上の付き合いがある人もいれば、かつての生徒も。


そして、舞踊学校の教室に、彼の名が付けられた!



 また感極まって涙がにじむ。






やっぱり心の高ぶりはブレリアで。
踊り手が歌うブレリアを踊るビデオはこちら



かつての生徒たちに子供達へのレッスンを大切にとアドバイス。



おめでとうマノロ先生!

オーガナイザーの皆さん、ありがとうございました!

2019年9月13日金曜日

第2回カビルド・フラメンコ三日目午前

今日のゲストはパトリシア・ゲレーロ。
フラメンコ研究家カルメン・プルポンが質問をしていく公開インタビューの形。
アルバイシンで生まれ踊り手の母にてほどきを受け8歳でペーニャでデビューを飾り、
14歳でタブラオへ。またマリオ・マジャのおしえを受け、17歳でウニオン優勝。18歳でセビージャ移り、ロスガジョスやアレナルといったタブラオ出演しつつ大学の教育学部に通い、ルベンの・オルモの舞踊団を経て自分の作品を作り出す。
その道筋を語り、グラナダとセビージャの違いや作品作りについて語る。

昨日のトレメンディータと同じく、
「自分がしんじることをする」と言い切るのがすがすがしい。

いろいろプロジェクトもあるみたいです。楽しみ!

2019年9月12日木曜日

第2回カビルド・フラメンコ二日目朝

二日目の朝、と言っても13時開始ですが、図書館ホールで行われたのはロシオ・マルケス、ロサリオ“トレメンディータ”、二人の若手カンタオーラによるお話。

いやあ、これがまた素晴らしいものでした。
もともとはそれぞれ別々にお話、のはずだったのが、諸般の事情で二人一緒に、ということになり、二人で話してみると、共通点もあり、で、和やかに進んでいきます。


自分が絶対言わないことを歌うことの抵抗を感じた話をロシオがすれば、ロサリオは牢屋や畑仕事の歌は自分のものとは思えない、という話をします。
それぞれ、自分が自分のものとして歌える詩を探し、現代の詩人たちにたどり着き、昔ながらのメロディーにその詩を乗せて歌うのを実演、つまり歌って、示してくれました。
またロサリオは歌うのに、最初に楽器のアレンジを考えてしまう、と言います。それが決まらないと歌えない、と。ギターやベース、カホンを操り歌う、ロサリオ。

彼女が弾き語りしたソレアの感動的だったこと!

ぱっと見、フラメンコのアルティスタに見えない二人。
セビージャ大学でフラメンコ学の博士号を取得したロシオは声の出し方を説明します。
ロサリオはよくわからない、と言いつつ歌い、それを解説したロシオは、でも知っているからいいというものではない、と言います。深いなあ。

一見、すごく遠いような二人がフラメンコ愛で繋がっていて、一緒に歌ったミロンガも素晴らしかった。

また人と違うことをするとき、怖さもあるけれど、自分が好きなことをするのが一番、ということでも二人は合意。
うん、アルティスタは自分が信じた、自分の好きなことをしてほしい。と観客である私も思うよ。



女性の生理の話など、フェミニズムの話も少し。
コンクールの日に生理があたり、男性参加者とは違うコンディションで戦わねばならなかった話など。
それを聞いて、私も身近に接する踊り手たちの苦労を思い出したり。

うん、女性ももっと色々話していかなきゃ。です。

2019年9月10日火曜日

第2回カビルド・フラメンコ初日

第2回カビルド・フラメンコでマラガ県アルチドーナに来ています。
セビージャからぐらなだに向かう街道沿いの丘の町。
アンテケーラからすぐのこの町でのフラメンコ祭は火曜から金曜まで毎日、講演と本のプレゼンテーションと公演二つというプログラム。加えて舞踊などのクラスも今年から加わりました。

初日は開会式、
セビージャのビエナルの初代監督でこの企画の生みの親ホセ・ルイス・オルティス・ヌエボの挨拶に始まり、少女による宣言朗読、市長の挨拶と続きます。


そして講演。ヘネシス・ガルシアによる「フラメンカとバイラオーラ。自由の仕草」
アンヘレス・クルサード(左)による紹介に続き、講演。

サルスエラやサイネーテのような舞台上で演じられるものではなく、舞台の外で、辺境の不良たちによって演じられたフラメンコが今も生き生きとしているのはなぜか、フラメンコの女性たちの仕草は誇りにあふれ、場を支配しているのはなぜか、という話。



ヨーロッパの西の果てのイベリア半島はカルタゴやギリシャ時代から日が落ちる辺境の、悪いイメージがあったとか、スペインは産業革命に遅れをとったせいもあるのか、フェミニズムを否定する動きはなかったとか、興味深いエピソードに彩られあっという間の1時間半でした。


2018年1月18日木曜日

ニームのフラメンコ祭 講演「カマロン」

ニームのフェスティバルは公演だけでなく、講演も充実。


© Jean-Louis Duzert
18日の12時30分からは劇場のバーで、アンダルシアの放送局カナルスールのフラメンコ担当者として、長年、ラジオとテレビでフラメンコの番組をやっているマヌエル・クラオによるカマロンについての講演。
もともと彼のラジオ番組で、昨年、カマロン没後25周年を記念して述べ10時間にわたって放送された番組を1時間に凝縮したもので、写真、ビデオ、そしてカマロンを直接知る人々の証言などがはさまれた充実した内容。

Kyoko Shikaze




子供時代に始まり、歌い手としての始まり、パコとの出会い、録音、奥さんとの出会い、友達、ファミリー、アルバム「レジェンダ・デル・ティエンポ」について、フェスティバルについて、などと進み、最後はカマロンの最後から二番目の公演がこのニームで行われたことに触れ、実際にカマロンを空港に迎えに行き、ホテルで着替えを手伝ったぺぺ・リナーレスの証言と共に、その公演の模様の短いビデオも披露された。

Kyoko

その他にも、北スペインのフェスティバルで、公演中に発砲騒ぎが起きた時のカマロンの様子のビデオや、カマロンに著作権料を払ってないと非難されたパコの悲しみに満ちた言葉、またカマロンの婚外子の存在など、今まであまり知られていない面も紹介された。

彼の死から25年。
今もフラメンコたちの中には息づいている、大きな存在。
それを以前より少し身近に感じることができるようになったのではないだろうか。


2015年8月17日月曜日

ラ・ウニオン2015/結果発表

いよいよ結果発表。
まずは青少年特別賞から。25歳以下の歌い手におくられるもの。
レジェス・カラスコ。賞金3000ユーロ。


カンテ部門は大きくみっつのグループに分かれ、その中がさらに曲種でわかれている。
グループIII低アンダルシアのカンテ部門のC、ブレリア、カンティーニャス、タンゴス、ティエントス、ペテネラス、ファンダンゴス・ペルソナレス などを含む部門では
タンゴスを歌ったレポンピージャに。賞金3000ユーロ。


グループIIIのB、ソレア、ブレリア・ポル・ソレア、カーニャ、ポロ部門はソレアを歌ったアントニオ・メヒアス。賞金3000ユーロ。


 グループIIIのA、トナ、シギリージャ、リビアーナ、セラーナ部門もレポンピージャに。賞金3000ユーロ。

グループIIはマラガ、グラナダ、コルドバ、ウエルバのカンテ部門で、そのBはグラナイーナ、ファンダンゴ・デ・ウエルバ、ファンダンゴ・デ・ルセーナ、ベルディアーレス、ロンデーニャなどが含まれる。この部門の優勝はグラナイーナを歌ったロシオ・ルナ。賞金3000ユーロ。


グループIIのAはマラゲーニャ。マラガ県出身のイサベル・ゲレーロに。賞金3000ユーロ。


グループIはカンテ・デ・ラス・ミーナスで5部門に別れている。まずはそのE。ムルシアーナとタラント、レバンティカ、ファンダンゴ・ミネーロなどが対象。この賞はタラントを歌ったトニ・フェルナンデスに。賞金3000ユーロ。


そのDはタランタ。モンセ・ペレスが受賞。賞金3000ユーロ。


そのCカルタへネーラはマリア・ホセ・ペレス。賞金3000ユーロ


インストゥルメンタル部門。2位はアルフォンソ・アロカ 。賞金3000ユーロ。

優勝、フィロン賞はガウタマ・デル・カンポ。賞金6000ユーロ。

バイレ2位はアマドール・ロハス。賞金3000ユーロ。そそくさと立ち去ったので写真なし。
 バイレの優勝はアルバ・エレディア。賞金6000ユーロ。

 グループIのB、ミネーラはマリア・ホセ・ペレス。賞金3000ユーロ

 大賞であるランパラ・ミネーラもマリア・ホセ・ペレスに。賞金15000ユーロ。


大賞受賞者はもう一度ミネーラを歌い、授賞式は終了。


お疲れさまでした。

授賞式のあとも会場前の広場には受賞者たちが余韻にひたるように飲んだり食べたり歌ったり。朝方までフィエスタは続いたのでした。