2015年2月28日土曜日

ヘレスのフェスティバル8日目その2ルベン・オルモ「テンタシオン・デ・ポー」

よく誤解されるのだけど、ヘレスのフェスティバルはフラメンコのフェスティバルではなくて、フラメンコ舞踊とスペイン舞踊に特化したフェスティバルであります。それに加えて、フラメンコのカンテやギターのコンサートや時によってはフラメンコフュージョンなどの公演も行われるわけなのです。フラメンコだけでなく、スペイン舞踊を取り上げるという意味では本当に貴重な存在。スペインの公立舞踊専門学校コンセルバトリオではクラシック・バレエ、コンテンポラリー、スペイン舞踊、フラメンコと別れていて、それぞれ専門で大学卒業相当の資格となります。でもその中で圧倒的に公演数が少ないのがスペイン舞踊なのではないかと。フラメンコも広い意味でのスペイン舞踊に含まれるわけですが、そのほかにバレエシューズで踊る古典舞踊エスクエラ・ボレーラ、民族舞踊、そしてフラメンコやボレーラなどの技術をつかいもともとは主にスペイン人作曲家のクラシック曲を踊っていたクラシコ・エスパニョール(今ではクラシック曲だけでなくその他のジャンルの曲だったりもするし、ダンサ・エスティリサーダとよばれることも多い)、各地の民族舞踊が含まれるわけであります。それぞれの典型的なナンバーもあれば、スペイン舞踊全般の技術を使って踊られる自由な創作というのもあるわけですね。で、ルベン・オルモの「テンタシオン・デ・ポー」はそれに入るのであります。

探偵小説、怪奇小説などで知られる作家エドガー・アラン・ポーを題材に、スペイン国立バレエ団出身で、前アンダルシア・フラメンコ舞踊団監督のルベン・オルモがつくりあげたのは、ミステリアスな作家の死の床からの夢と幻、そして狂気。1時間ほどの短い作品だがルベンは出ずっぱりでほぼ一人で踊り続ける。
© Festival de Jerez/Javier Fergo
バレエダンサーのように鍛え抜かれた肉体でしなやかに強靭に表現していく。

亡き妻の面影を追い
© Festival de Jerez/Javier Fergo
狂気にさまよう。

© Festival de Jerez/Javier Fergo
 そのテクニックの素晴らしさ。グラナダ生まれでセビージャの音楽学校に学びオーケストラなどを経て現在は作曲家指揮者 としても活躍しているブルーノ・アクセルの音楽にフアン・ホセ・アマドールの深い深いフラメンコな声がかぶさる。
アンダルシア舞踊センターの生徒たちの群舞にのみこまれ
© Festival de Jerez/Javier Fergo
 死を迎える、と話としてはシンプルなこの作品。ビデオを効果的に使っているのも印象的。
© Festival de Jerez/Javier Fergo
ミステリーやゴシック、もしくは恐怖の要素をもつスペイン舞踊/フラメンコ作品はめずらしい。

ヘレスのフェスティバル8日目その1ハビエル・ラトーレの振付

7日間、毎日2時間20分のクラスで一曲を振付けし、それを群舞で舞台で踊る、というハビエル・ラトーレの振付工房。今年は工房タジェールという名前ではなくなったけど、金曜日17時からはサラ・パウルで発表会。
それにさきがけ助教たちのソロ。
クイーンのボヘミアン・ラプソディがシギリージャのサパテアードで終わるというナンバーはアナ・マルガとマメン・ラグーナ。公演の最初にマイクをもって紹介したラトーレがいうように彼へのオマージュだろう。クイーンはラトーレの大好きなグループだからだ。ブラソの使い方がラトーレにそっくりで美しい。
続いてマリア・デル・マル・ロペスのアレグリアス。録音の曲に細かく振り付けてある。フラメンコは生が基本だけど、こういうのもおおいにありであります。日本でも地方の人とかこういう風にするといいのでは?
ラトーレの愛娘アナはファルーカ。よくある男性振りのものではなく、ブラソにも重きをおいたある意味女性的なファルーカ。だがもちろんサパテアードもしっかりしているし、回転も美しい。現在マドリードのコンセルバトリオで大学相当の勉強中とか。

そしていよいよタラント。生の歌とギターで舞台で踊る。
© Festival de Jerez/Javier Fergo

毎年恒例のクラスだから常連もいるようだし、以前ほど初心者に近いようなレベルの人はいないようだ。とはいってもオーディションをして選ばれた人たちではないのでレベルのばらつきはある。そのバランスをみながら、全員に見せ場があるようにバランスよく構成していくラトーレの手腕はお見事の一言。
ブラソをラトーレの振りそのままにする人。足が得意な人。できないけどやろうとする方向性はみえる人。いろんな人がいる。
出はけはもちろん、複数で踊るときの立ち位置、横との関係などなど、振付けを学ぶだけでなく、プラスアルファのいろんなことを実戦で学ぶことができるのはどんな生徒にとっても大きいことだろう。
踊りきった満足で全員の顔は輝いていたことはいうまでもない。



2015年2月27日金曜日

ヘレスのフェスティバル7日目その2「パコのいない1年」

21時からはビジャマルタ劇場でヘレスのギタリストたちによる「ウン・アニョ・シン・パコ(パコのいない1年)」。
ヘレスはいいギタリストが多い町。その中で6本の弦になぞらえたのか6人のギタリストが登場し、それぞれ2曲ずつ演奏するとともに、3人ずつトリオで1曲+6人のギタリスト全員登場するフィン・デ・フィエスタ、つまり15曲。トリオには舞踊のフェスティバルであるゆえ舞踊も入る。というと長くなるのは予想されたことだったけどいやあ2時間余りでございました。こんなに長いとせっかくみてくれた舞踊ファンたち、ギターソロはつまらんとひいちゃわないかな、と老婆心。
基本、各ギタリストの2曲は1曲がパコの曲でもう1曲が自分の曲、ということだったらしいのだけど原則は原則。規則は破られるためにある。なおギタリストの登場は年齢順。
なおアルティスタが変わるごとにパコのドキュメンタリーの部分が流れるという構成。

最初は最若手マヌエル・バレンシア。
© Festival de Jerez/Javier Fergo
1986年発表のアルバム「シロコ(熱風)」収録のソレア、「ニーニョ・リカルドに捧げる」。当時、ジャズでの活躍が中心のようにみえたパコがフラメンコに帰って来たと話題になったアルバム。そのソレアをていねいに再現する。
続く自作のアレグリアも見事で、若い才能が着実にでてくるヘレスの懐の深さに脱帽。

続くサンティアゴ・ララは自作のグラナイーナではじめ、98年発表のアルバム「ルシア」収録のブレリア「リオ・デ・ミエル」 。私が初めてこの曲を聴いたのはまだアルバム発表前、パリでのリサイタルだった。「失われた時を求めて」のマドレーヌではないが、ひとつのメロディが忘れていた記憶をよみがえさせる。
© Festival de Jerez/Javier Fergo
 ホセ・ケベド“ボリータ”は自作の曲と1972年発表のサパテアード「フラメンコの衝撃」。
© Festival de Jerez/Javier Fergo
記者会見で、古い曲ながらこの曲の難しさ、複雑さを語っていた彼だが、たしかにリズムを保持しながら細かく弾いて行くことは難しいようだ。

サンティアゴ、ボラ、そしてアルフレド・ラゴスの3人でシルヤブ。1990年発表のアルバムのタイトル曲であり、パコのコンサートの二部を飾った名曲だ。速いパッセージのかけあいで気持ちが盛り上がる。個人的にはアルフレドのタッチが一番パコに似ていたように思う。そこでバイレでバルージョが登場。祖父ファルーコゆずりの男らしいパソを古風な衣装でみせる。が、ちょっと長過ぎたのが残念。ヘレスのフェスティバルに出演ということで気負っていたのだろうか。
© Festival de Jerez/Javier Fergo
続いてアルフレド・ラゴスがアルバム「シルヤブ」のタランタ「サバスおじさん」 を。深い思いが伝わってくる。自作のタンギージョもきらきらしたいい作品。この人は地味かもしれないが、確実できちんとしたフラメンコをいつもみせてくるいぶし銀のようなギタリストだ。
© Festival de Jerez/Javier Fergo
続くフアン・ディエゴは自作の曲に続き、パコのシルヤブのフレーズなどもちりばめたパコのためのロマンセ。彼とはマドリード在住時代、何度もパコとの席で一緒になった。そんな夜のことなど思い出す。彼の思いがあふれてくるようなトーケ。シルヤブにこんな深い思いをこめることもできるという驚き。

© Festival de Jerez/Javier Fergo




最後はヘラルド・ヌニェス。自作の曲を2曲。パコの次世代をラファエル・リケーニやビセンテ・アミーゴらと牽引してきた彼のダイナミックな演奏を楽しみたいのだが、音響が最悪。最初から低音が少しハウリングしていたのだけど、ここにきて音量をあげたのか、よけいひどいことになって非常に残念。
© Festival de Jerez/Javier Fergo
その音の悪さは続くソレア・ポル・ブレリアでも続きフィナーレでは大きな騒音が入るといいう最悪の事態に。ソレア・ポル・ブレリアでも踊りが入ったがこれも長くて逆効果。

© Festival de Jerez/Javier Fergo
 最後は6人のギタリストでブレリア。それぞれがきかせるパコのフレーズ。思いは天へ。
マエストロ!

© Festival de Jerez/Javier Fergo

それにしても、である。せっかくのギターコンサートだというのに、この音響は許せない。終演後、音響さんに文句を言いに行ってしまいました。フラメンコはロックじゃないから、床がふるえるような低音は必要ないし、大音量も必要ない。美しい音色がそのままに私たちの耳に届くようにしてほしいものであります。


夜半過ぎのグアリダ・デ・アンヘルはモンセ・コルテス。
パコが愛した見事な声を、フラメンカな声を聞かせてくれました。





ヘレスのフェスティバル7日目その1オルガ・ペリセ&マルコ・フローレス

ヘレスに来て早一週間。あっという間だったような長かったような。でも印象に残っている公演が例年より少ないかな、と思いながら19時サラ・パウルへ。今回のフェスティバルは例年より売り切れの公演が少ないのだけれど、真っ先に売り切れとなったのがこの公演。マルコ・フローレスとオルガ・ペリセが出演する「パソ・ア・ドス」。詩人でフラメンコ評論家でもあるホセ・マリア・ベラスケス・ガステルがビルバオでの公演のために企画したもので、二人のパソ・ア・ドス、フランス語でいうとパ・ド・ドゥですね、を中心に構成されている。
昨年はいずれも自らの舞踊団を率いてビジャマルタ劇場で公演をし好評だった二人だけに人気も高く、入り口には多くの切符を求める人の姿があった。ま、たしかにこの二人ならビジャマルタ劇場でやってもそこそこの人気だったことでしょう。

オープニングはカーニャ。長年一緒に踊っている二人だけにいきがあっているけど、マルコの方が女性的曲線的にみえるのはバランス的にどうなんだろう。オルガが男性的かというとそんなわけもないのだけれど、マルコのブラソは円を描くようにまるくやわらかで、ふとみせる仕草もたおやかで、すごく女性的だ。だから凛としたたたずまいのオルガが男性的にみえてしまうのだろう。
© Festival de Jerez/Javier Fergo
 ベラスケス・ガステルが舞台に登場しナレーション。この人は歴史的フラメンコ番組「リト・イ・ヘオグラフィア・デ・フラメンコ(フラメンコの祭儀と地理)」でフラメンコたちと会話したりしてた進行役をつとめた人で、この作品でも同じ役割。たしかにこういう構成は大劇場にはちょっとむかないかもしれない。彼がパソ・ア・ドスの歴史を振り返り、ピラール・ロペスとアレハンドロ・ベガのカーニャの話をすると、二人が再び登場してマントンのカーニャを踊る。
ベラスケス・ガステルがアントニオ・ガデスとクリスティーナ・オヨスの話をすると、今度はファルーカとティエントス。
© Festival de Jerez/Javier Fergo
 その後二人もベラスケス・ガステルと舞台に登場。公開インタビューとなります。
小劇場ならではの趣向かも。

© Festival de Jerez/Javier Fergo
ここでマルコが「フラメンコは真実、誠実であること。自分はひとつの様式に縛られるのではなく自分を自分のままだしていくのがプーロだ」という旨の話をしたのが印象的。流行の、ありのままの、ですね。自分の中の女性を解放することが彼にとってのフラメンコであり、だから男性的といわれる形に縛られたくないのだ、と読むのは深読みでしょうか。偏見でしょうか。たしかに昔は男性のものといわれた超絶サパテアードを女性もくりだす今だから、女性的な腕の動きを男性がするのもありかもしれない。ユニセックスなフラメンコなのかもしれない。どうしても違和感をもってしまう私は古い人間なのかもしれない。でももうこれは趣味の問題でありまして、マルコはテクニックもあるし、その気になれば男性的な振付けでだって踊れる人なのでしょうが、彼はそれよりも女性的に踊るのをよしとしたわけで、それをどういわれようが関係ない、ってことなんでしょう。で、個人的に私はそのスタイルがあまり好みではないというだけのこと。

マルコの赤い衣装でのアレグリアスもスカートがみえてくるような振り。
© Festival de Jerez/Javier Fergo
メルセデス・コルテスのマラゲーニャに続くアバンドラオ。オルガのカスタネットのうまいこと!民族舞踊やエスクエラ・ボレーラ的な動きも非常に上手で、彼女から目が離せませんでした。彼女のボレーラとかみてみたいなあ。できればナニ・パーニョスとのパレハで。
ちなみにマルコはカスタネットなしです。

© Festival de Jerez/Javier Fergo
とここまでで8時15分。9時にはビジャマルタ劇場での公演もあり、私はここで客席をあとにしました。基本、19時からの公演は1時間から1時間10分のはずなのですが、こうして延びると困ります。21時からの公演の前にちょっとなにか食べときたいしね。

そのあとソレア・アポラ、カラコーレスと続いたようで、終わったのは30分をまわっていたとか。

2015年2月26日木曜日

へレスのフェスティバル6日目マリア・パヘス「ジョ、カルメン」

昨年バジャドリードで初演されたマリア・パヘスの新作。カルメンと名は付いているもののメリメの小説やオペラでおなじみの、あの“カルメン”ではなく、マリアがカルメンという名前をきいてまっさきに思い浮かべる彼女の叔母や隣人だったりする、スペインによくある名前のカルメンという名の女たち、すなわち女性一般をさしている。
だから音楽ではビゼーのカルメンが登場するものの、カルメンの物語が展開するわけではなく、カルメンという名前でひかれてきた観客は肩すかしにあうことになるわけだ。

© Festival de Jerez/Javier Fergo
カルメンの序曲にあわせて扇が舞うオープニングこそカルメンの物語を予感させるが、その後に続くのは、ビエナル公演でも踊られた世界の女性詩人の詩を言語で踊るナンバーだったりする。
オペラ「カルメン」の中の曲はその後もチェロやバイオリン、ギターやカンタオーラの歌声で現れる.そこにカスタネットやアバニコ、はてはほうきやはたき、ぞうきんなど小物やサパテアードで絡むマリアと6人の女性ダンサーたち。男性ダンサーが活躍するのはわずかにファルーカだけである。
タンギージョでは舞踊団のスポンサーであるロエベのバッグを手に「アンチエイジング?化粧品が何よ。ブランドが何よ。世界の半分が飢えで苦しみもう半分は痩せるためにお金を使う。私は私でいたいの」と歌い踊る。
最後は舞台上で白い衣装をぬぎすて中にきていた紫の衣装でソレア。長い腕を、身体を柔軟に動かす、彼女独特のスタイル。伝統的なフラメンコ的な美しさとはまた別ものだろう。

© Festival de Jerez/Javier Fergo”

マリアの舞台というと、華やかな衣装とホリゾントを大きく使って美しい照明でみせるという印象があるのだが、ここでは照明はずーっと薄暗い感じだし、衣装も派手さはない。それも“普通の女性”を描こうとしたゆえかも?
フラメンコとフラメンコではない曲をフラメンコのテクニックで踊るというマリアのスタイルで描く、普通の女カルメン。


オフ・フェスティバル、グアリダ・デ・アンヘルで24時から、といってもいつものように30分以上おくれて始まったアグヘータ・チーコの公演が特筆ものでありました。ドローレスの息子である彼はギタリストとしても活躍しているけれど、歌い手としても素晴らしい。ディエゴ・デ・モラオとパケーテの伴奏でソレアやマラゲーニャ、カンテ・デ・レバンテなど熱唱。それとともにかつてのケタマのような次作のカンシオンも歌い、これがまたいいのだ。その伴奏をするギターもトマティートを進化させたようだったり、パコの香りがしたり。フラメンコは着実に進歩してますね。アントニオはなにかちょっとしたきっかけでブレイクするんじゃないかな、って言う感じの実力まんたんの若きヒターノなのであります。終演後もまたディエゴらのギターで、あかぺらで、歌い続ける今が旬な彼。機会があればぜひ、お見逃しなく。

2015年2月25日水曜日

ヘレスのフェスティバル5日目ロサリオ・トレド「ADN」

5日目はビジャマルタ劇場での公演はなく、サラ・パウルでの公演。
ロサリオ・トレド「ADN」 ADNとはDNAのこと。ロサリオは彼女を彼女たらしめている遺伝子を探索しそのルーツであるカディスに、大好きな芝居に見いだしたのだろう。
カディスの香りと演劇的要素が彼女を、彼女のフラメンコを彩るのが「ADN」だ。

藤椅子に座っている彼女に電話がかかってくる。彼氏からだ。彼女の表情がみるみるくもる。どうやらいい話ではなさそうだ。それでもラファエル・ロドリゲスのギターが、パルマが始まる。舞台に出なければ! バタ・デ・コーラでアレグリアスを踊り出すロサリオ。
© Festival de Jerez/Javier Fergo”
ダビ・パロマールの歌にのってグラシアあふれる動きで舞台を闊歩する。がシレンシオになると哀しみがぶりかえす。ロサリオ、役者であります。役になりきってしっかり踊っている。寸劇じゃなくてきちんとしたお芝居の役者のようであり、かつきちんとした踊り手。
哀愁あふれるミロンガでざんばら髪となって哀しみを踊ったかと思うと白いジャケットに着替えた伊達男パロマールのルンバでクレイジーに踊りまくる。カディスならではのグラシアいっぱい!

ベテラン、フアン・ビジャールのシギリージャはニーニョ・ヘロの伴奏で。真っ当で、味わいぶかいシギリージャだ。
机を拳で叩くコンパスでソレアを歌うはパロマール。新旧カディスの歌い手の共演だ。
哀しみを再びソレアで踊る。歌うはフアン・ビジャール。彼がかつてマドリードの伝説的タブラオ、ロス・カナステーロスでマヌエラ・カラスコに歌ったような、シンプルな構成のソレア。マヌエラのソレアのようなポーズが出たりもするが、決してマヌエラのソレアをコピーしているわけでなく、ロサリオのソレアだ。
© Festival de Jerez/Javier Fergo”

パロマールのファンダンゴをはさんでホタのリズムで歌うのはパーカッションのロベルト・ハエン。フンコの弟だ。ロサリオはそのリズムに踊り出し、酒瓶をはさんで二人でかけあう。その楽しさ。カディス万歳! その昔アナ・サラサールとロサリオの二人での作品でも酒瓶もってのよっぱらいを踊ったけれど、いやあ、これは素晴らしいの一言。こんな楽しい酔っぱらいとお酒を飲みたいものであります。

ローラ・フローレスが歌って有名になった、カディスの美女というタンギージョを歌い踊るロサリオ。歌いながら衣装を脱ぎ去り最後はスリップ姿。
© Festival de Jerez/Javier Fergo”
© Festival de Jerez/Javier Fergo”

 そして舞台上で白いバタ・デ・コーラに着替えて、マントンでのカーニャ。しっかりとしたフラメンコ。伝統的な振りをいれて、マントンのフレコが美しく舞う。
© Festival de Jerez/Javier Fergo”
最後はブレリア。華やかな衣装とコンパスでカディスの宴だ。フアン・ビジャール往年のヒットソングにぐっときた人はある程度の年齢の人だろう。私も含めて。
© Festival de Jerez/Javier Fergo”
 
再びなった電話にももう出ない。そんな男のことなんて忘れて前をむいて生きて行く。
男前の女なのだ。

演劇的要素とフラメンコの融合はいろんな人が取り合いしているが、全てが成功しているとは言い難い。でもロサリオは彼女自身がもつ、演劇への愛(実際に演劇のクラスも受けたそうだ)で、ふたつをしっかり同時に演じ、自らのルーツであるカディスをベースにすることでそれをよりしっかりとした作品に仕上げている。芝居をしながらもフラメンコもしっかりしているから、どんな観客でも楽しめる作品となっていると思う。

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3月17日にはセビージャ、セントラル劇場で再演しますよ。ぜひお出かけを。








パコ!

あれから1年。
思い出すのは彼の笑顔。
初めて買ったフラメンコのレコードはパコのものでした。
1986年のこと。
当時フラメンコのレコードは全て廃盤になっていました。
職場のそばの小さなレコード店に唯一あったフラメンコのソフトが
パコのものでした。
レコードではなくカセットの「野いちご」
パコによるラテンヒットナンバー集。
これってフラメンコ?
と疑問符でながらきいていました。
なつかしい。
1987年にはスペインにやってきて
その翌年マルベージャの闘牛場で初の生パコ。
めくるめく、という言葉がぴったりのひととき。
魅了されまくりでありました。


1990年一時帰国中にあったパコの公演。
通訳でいらした高場先生に紹介してもらい
遊んでもらうようになりました。
 大阪、東京、セビージャ、マドリード、ロンドン、
ミラノ、パリ…
あちこちの公演をみにいき
打ち上げに加えてもらい移動のバスにのせてもらい
話し、笑い…
1994年のビエナルです。
マエストランサ劇場。
この日カメラをもっていた私は
沢山のアルティスタや関係者とパコのツーショットを撮影しました。
「フェリアのおもちゃの馬になった気分」
といいながらも全員の希望にこたえてたパコ。
そのあとは近くでアレハンドロ・サンスも加わり食事をし
近くのバルでサラ・バラスらアルティスタたちも加わってフィエスタ。
スペイン人の知り合いとパコの前でセビジャーナス踊ったり(恥)

映画「フラメンコ」では
撮影にさきがけ録音にやってきたパコのアテンドをしました。
空港で出迎え郊外のスタジオへ
下の写真は撮影のときトリアーナ橋のたもとにあった今はない魚のフライ屋で
昼食後の1枚。
このときまだドゥケンデはセクステットのメンバーではなく
パコたちのシーンの次に撮影が予定されていた若者シーンで
すでにセビージャにきていた彼らと合流してのもの。
パコとの写真を送ってほしいと頼まれたりしたのもなつかしい思い出。
こちらはマドリードでのプレミア上映のあと
当時ディスコだったビジャロサでの打ち上げでの1枚。
うしろにペペやパケーラも写っています。

1997年フランスはトゥールーズ
わきあいあいとしたリハーサル
実はぽろんぽんぽんをひいています。
そういうおふざけも 実はとても好き
これは同じトゥールーズか、ボルドーか。
似たようなベストをきた私がまぎれてるつー。
こんな写真あったの忘れてました。
同じ年11月ナポリでのサッカー試合。
対戦相手は地元のプロモーター

ちなみにグレーのジャージがパコ。手前の半ズボンはグリロ。
この人めっちゃサッカーうまいっす。
 当時の欧州ツアーは2ヶ月くらい続いて
上が寝台車になっているバスでの移動などもあり
たまにのせてもらいました。
バスの中での話とかも心に残ることがたくさん。

 これはフランスのフェスティバルでマノロと一緒になったとき。



ギターを飛行機移動でどうするか、という話題で
パコはジェラルミンケースをつくって預けちゃえ、私はそうしてるよ、
とマノロにすすめてたのが印象的。



アンダルシア州のニーニャ・デ・ロス・ペイネス賞の授賞式
\
レメディオス・アマジャ、パコ、フォスフォリート、ライムンド・アマドール、ポティート。

2007年マラガのビエナル。闘牛場での公演
 コンサートにさきがけベルディアーレスの楽団が演奏し
ロシオ・モリーナが踊りました。
この衣装はアラアルのフラメンコ博物館に展示されています。

 
これはウエルバでの公演後の楽屋にて。
アルカンヘル、ペレ、バルージョ、ビセンテ・アミーゴ
この日はほかにもレブリハーノらたくさんのアルティスタがきていました。



パコ!

いつもあなたを思い出す。

今日、セビージャのマエストランサ劇場では彼の甥、ホセ・マリア・バンデーラ、アントニオ・サンチェス、共演者ダニ・デ・モロン、ホセ・マリア・ガジャルド、そしてヘラルド・ヌニェス、フアン・カルロス・ロメロによるオマージュが、明日、ヘレスではヘレスのギタリストたち、ヘラルド・ヌニェス、アルフレド・ラゴス、フアン・ディエゴ、ボリータ、サンティアゴ・ララ、マヌエル・バレンシアらによるオマージュが開催されます。

2015年2月24日火曜日

ヘレスのフェスティバル4日目ラ・モネータ「パソ・ア・パソ」

ラ・モネータの「パソ・ア・パソ」には物語や台本がなく、シンプルにフラメンコをみせる構成で全体はみっつに別れている。

冒頭は黒いシンプルな丈の短い衣装にベストをきてギター伴奏でのファルーカ、マラゲーニャ、サパテアードと続く。力強く情熱的とみるか、暴力的に野 性的とみるか。マラゲーニャは歌もひどかったが叙情的な歌にこれでもか、とサパテアードを突っ込むのはどうなんだろう。昨日のイスラエルの完璧な動きがま だ目に焼き付いたままなので、どうしても採点がきびしくなってしまうのかもしれないけれど。ミゲル・ラビのカンテソロでのロマンセも音程も安定しないし、 声を無理につくってる感じなどもあってちょい残念。

Javier Fergo Festival de Jerez




ハビエル・ラトーレは初日のカナーレス、二日目のバロンと同じく、やはり舞台にでてきただけで目をひく。
Javier Fergo Festival de Jerez


ソレア。この人の美しく余韻が残るエレガントな動きは健在。腕の動きひとつ、ポーズひとつにしても段違いだ。ちょっとした構えや回転のあと腕がちょっとおくれてくるかんじにオレ!20代から見続けているけど体型は変わっても優雅さは変わらない。落ち着きも味わいとなってジェントルマンであります。
 そこに白いプリーツのフリルのついたバタ・デ・コーラでモネータが絡む。


エレガントなラトーレとのデュオは何年もの歴史を感じさせ悪くない。いやラトーレが彼女を引き立てるようにしてるのかも。少しかがんだようなグラナダぽい形での速い回転もいい、と思ったのだが、カンテソロのマルティネーテ(メロディとかかえててあまりよくない。声量はあるけどね)に続いて再び黒い衣装で登場してみせるシギリージャはやはりブルータで、力でねじふせていくかんじ。長い時間舞台にいて自分のすべてをみせようというのはいいのだが、同じような振りが多く単調か。

Javier Fergo Festival de jerez

 グラナイーナのカンテソロもおい、っていいたくなるくらいひどかったけれど、ルイス・マリアーノのギターがウードのように響くサンブラ風ティエントからタンゴへ。衣装も白いブラウスにスカートで、彼女によくにあう。

Javier Fergo Festival de Jerez
タンゴはグラナダの香りがぷんぷんしてくる感じ。 ゆっくりしたムーア人のグラナダ、洞窟のグラナダ。こればっかりは譲れない、という感じで見事でございました。ソレア・ポル・ブレリアスがあって最後は再び少しハビエルと。

メルセデス・ルイスの時と同様、ベテランに感動し(スペイン国立バレエ団万歳!) 、若手にちょっと失望という感じ。ギターはいいけど、歌い手ももっとほかにいるでしょ?って感じが正直しました。声量はあるけど音程やメロディ、きちんと正確に歌えないってどうよ。そんでまたそれに拍手をおくる観客もどうよ、ってことなんだけどね。う〜む。
フラメンコも音楽なんだから、音程、リズム、メロディ、みんな大切でございます。昔から歴史に名を残すような人はみんな、音程しっかりしてますよ。

本当はモネータらの世代、何人か一緒の舞台の方がいいところがひきたっていいのかもしれない。
大向こうをうならせるような作品は誰もが作れるもんではありませぬ。

2015年2月23日月曜日

へレスのフェスティバル3日目イスラエル・ガルバン

イスラエルはビエナルでも上演した「フラコメン」

© Festival de Jerez/Javier Fergo”


全ての動きが完璧で身体の中にあふれるコンパスがこちらにまで伝わってくる。至福のひととき。
© Festival de Jerez/Javier Fergo”
彼の作品は難しい、という人がいる。そんなことはない。動きを、リズムを感じて頼めばいいのだ。 作品は本のようなもので、いろんな読み方ができるだろう。そうやって謎解きをしていくのも面白いかもしれない。でもそんなこととは関係なくただひたすら彼を楽しむのも正解だと思う。

© Festival de Jerez/Javier Fergo”
おかしな動作に笑い、見事な回転やコンパスにオレ!とうなる。すごく難しいこともたやすいようにみえる彼の天才に感嘆すればいい。
裸足で踊ってあの足音だよ。

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2015年2月22日日曜日

ヘレスのフェスティバル二日目ルイサ・パリシオ「セビージャ」

ビジャマルタ劇場のマヌエラ・カラスコはビエナルと同じ作品ということでパスして、12時からのサラ・コンパニアへ。ルイサ・パリシオ「セビージャ」を観る。
マラガ県エステポナ生まれの彼女はセビージャのクリスティーナ・ヘーレン財団フラメンコ芸術学校でミラグロス・メンヒバルらに長年師事。現在は母校で教えている実力派。ミラグロスらが代表するセビージャ派のバイレ、エスクエラ・セビジャーナを継承する。タイトルはストレートに「セビージャ」
ローレ・イ・マヌエルの歌詞の朗読に始まり、ピアノが聖週間の名曲「アマルグーラ」を奏でる。黒い衣装。薄手の長方形のショールを手に舞う。バルコニーからサエタがうたいかけられる。

ピアノのブレリアでハビエル・バロンと踊る。 バランスがいい。ベテランが若手の公演にゲスト出演して、背中をおしてあげる、というのは前日のメルセデス・ルイスとアントニオ・カナーレスと同じなのだが、そのデュオは師弟にしかみえなかったのだが、今度は仲間にみえた。 共犯者というのだろうか、文字通り志しを同じくする同志という感じ。

© Festival de Jerez/Javier Fergo
サンブラ、カルセレーロとマノロ・カラコールのメドレー。

タンゴ、そしてタンゴ・デ・マラガ。伝統的な衣装がかわいい。品がいい。

© Festival de Jerez/Javier Fergo
 そしてハビエル・バロンのアレグリアス。これが特筆ものの素晴らしさ、だったのである。ずいぶん痩せてすっきりしたハビエル。カディスの町をいく伊達者のような粋な歩き方。
© Festival de Jerez/Javier Fergo
 次から次へと繰り出される技。サパテアードひとつ、回転ひとつにしても、とにかく間がよく美しいかたち。フラメンコな抜きもみごとのひとこと。オレ!と声がついでてしまう。天に昇っていくような高揚感。楽しんで踊っている感がすごい。こちらも思わず笑顔になる。アレグリアス冥利。幸せなひととき。いやあ、こんなすごいアレグリアスをみることができて本当に幸せ。涙がこぼれるほど素晴らしかったのであります。ありがとう、ハビエル。

バタ・デ・コーラで登場したルイサはカスタネットでピアノとからみ。セビジャーナス、そしてソレア。
水色のバタ・デ・コーラはそれだけでも美しいが、その動きの素晴らしさ。ミラグロスゆずりのバタづかいはもうそのまま文化遺産といいたくらいの見事さ。自由自在にあやつって踊る。

アンコールでタンゴをハビエルとデュオで。粋で楽しい趣向だった。

以前はミラグロス・メンヒバルのコピーという感じだったのだが、年を経て、ミラグロスの技はしっかり受け継ぎながらも、彼女自身の表現がでてきたのが素晴らしい。ミラグロスのような少女はもうしっかりと自分の足で歩き始めている。
マントンやバタ、アバニコなど小物の使い方も美しく、上体や腕の優美さとあいまって、まさに“セビージャ”な感じ。
彼女は語りたいことがその身体の中にいっぱいあるようだ。
グランドピアノがサラ・ラ・コンパニアの小さな舞台をより小さくしていたのは残念で、本当はもっと大きい舞台で思う存分バタやマントンで魅了してもらいたかったようにも思うけど、最初の一歩は踏み出した。どんどん大きな舞台でも活躍してくれることを祈ります。