2010年12月20日月曜日

エンリケのこと

が頭から離れない。
マドリードでは、エンリケを知る人々と思いを共有し
何年も会っていない人たちと会えたりもし
(ヘラルド・ヌニェスがそれを、フェイスブックのよりも前に彼は
ネットワークをつくっていたのだ、と書いていた)
ある意味、エンリケが主宰するフィエスタのようでもあり
エンリケといっしょにいるかのような気持ちになって
悲しみ、寂しさとともにある意味落ち着いた気持ちに少しなれたのだけど


フラメンコワールドのシルビアと話していて気がついた。
私はエンリケにインタビューしたことがない。

最初にライブを観たのはマドリード。
カハ・マドリードのフェスティバルではなかったか。
こうくればこうくるだろうという予想を裏切るメロディに
抵抗を覚え、これもフラメンコ?と頭の中がクエスチョンマークで一杯になった。

そうエンリケはフラメンコの古典に学びつつ
それを解体し、新しい古典をつくりあげた。
岡本太郎が芸術は壊しつくるものといったが
その意味で彼は本物のアルティスタだ。
パコ・デ・ルシアやイスラエル・ガルバンとともに。

初めて話したのは最新盤「モレンテ+フラメンコ」の1曲目を録音した、
グラナダはアルハンブラでのコンサートだった。
ビエナルの「オスクーラス」の楽屋。
映画「フラメンコ」の撮影現場。
コンサート。打ち上げ。フェスティバル。
それから思い出せないくらい何度も会ってきた。
いつでもにこやかで、とりとめもない話をして笑っていた。
私の親友が彼の親友であり、
エストレージャのビエナルでのリサイタルを一緒にみたこともある。
父として、プロデューサーとして、先輩として
舞台を見守るエンリケの真剣な顔も忘れられない。

最後に会ったのは今夏のラ・ウニオンのフェスティバル。
コンサートの後、会場外のカセータで一緒にのんだ。
そのコンサートはリケーニも伴奏していたのだけど
なぜ病み上がりでかってのようには指も動かない彼をつかうかという話になって
エンリケがいった。
「でも瞬間、すごい音を出すだろう、あれだけで十分だよ」
うわっ、と思った。
というのはその日のコンサートでリケーニが、
エンリケの歌にこたえて
それこそ、うわっとうなりたくなるような音をきかせたのだ。
あ、あの音!と思わず口走った私と目があったとき
ちょっと驚いたような顔をしたあと、
うん、とうなずき、微笑んだ。

いろいろと聞きたかったこともあるけれど
言葉にならないいろんなものを彼のカンテにもらったような気もする。

2 件のコメント:

  1.  頭から離れないのは、良い事かつらい事かどちらでしょうか。
    葬儀の様子・エストレジャの切ない歌・アランブラ宮殿の門をくぐるエンリケ・・・一週間涙々でした。
     出会いは、アルバム「オメガ」で驚き、その後コルドバのグランテアトロで感動し、プエンテヘニルのカンテフェス・デディカード・ア・エンリケ・モレンテ。残念ながら以後CDです。
     家族でなく知り合いでもない人がいなくなり、こんな気持ちになるとは思いませんでした。
     ありがとう・・・・・
     エンリケ・モレンテ

    返信削除
  2. Noriさん コメントありがとうございます。
    私もなぜこれほどまでに、という感じです。久しぶりでかたっぱしから彼のアルバムを聴きかえしています。それにつれても。。。です。

    返信削除