2023年3月11日土曜日

追悼ニーニョ・ヘロ

 へレスのギタリスト、ニーニョ・ヘロが3月10日亡くなった。

1989年カジェ・ヌエバで。

本名ペドロ・カラスコ・ロメーロ、1954年へレスの生まれ。 ペリキンという愛称でも知られた知られた。父はフェステーロとして伝説的なフラメンコ番組『リト・イ・ヘオグラフィア・デル・カンテ』にも出演しているヘロ、母は歌い手ロメリート・デ・へレスの姉妹というフラメンコの血筋、息子たちも長男マヌエルはギタリストで、次男アントニオは歌ってギターも弾くし、三男ルイスはパーカション奏者でプロデューサー、長女マヌエラも歌ってルイスのプロデュースするサンボンバの公演などで歌ったり踊ったり、またその子供たちも歌ったり踊ったりでテレビや舞台に出演するなどしている。

1990年ビエナルでのバンダ・デ・ニーニョ・ヘロで一家揃って出演した。私が劇場で大声ではレオをかけまくった唯一の公演かも。

私が知り合ったのは、スペインに来て初めてのフェリアで、へレスのアーティストたちが主に出演しているカセータに入った時だった。その後もへレスでサンティアゴ街はカジェ・ヌエバのお家によんでもらってご飯をご馳走になるなどお世話になった。へレスのフェリアで彼が仕事をしている間、子供達を遊園地で遊ばせてきて、とベビーシッターみたいなことをしたこともある。ニコニコして、冗談を言ったり、車のドアが壊れていても俺は窓から入れるからとそのまま乗っていたりもしたな。面白い人だった。

舞台でもニコニコと演奏していることもあるけれど、ドゥエンデというか、魔に乗り移られたように、これはもう本当に悪魔的としか言えないような演奏を聴かせることがあった。人間の想像力を超えるものすごいフラメンコが怒涛のようにやってくる。そんな感じ。

1987年アグヘータのオメナへで

歌伴奏では最近までフアン・ビジャールの伴奏をしていたし、カプージョとも長い。意外なところではセビージャのファミリア・モントージャやローレ・イ・マヌエルなどとの共演も多い。

最近は具合が悪いということで今年のフェスティバルでは見かけなかったが、毎年のようにどっかで会っていた。

18日にはカディスでオメナへが開催予定ということだった。

心より御冥福をお祈りします。

思い出は尽きない。聖週間、サンティアゴのプレンディを一緒に追いかけ、プレンディとともにカテドラルの中にまで連れて行ってくれたのこともあったなあ。へレスのフェスティバルの時、劇場側のバル、レハであって、歌ってくれたのは去年だよ。 


悲しくて寂しくてどうしようもない。



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