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3月4日朝、ヘレスの自宅でマヌエル・ソト・バレア“エル・ボー”が亡くなりました。
1992年セビージャ万博アンダルシア館 |
歌い手マヌエル・ソト、ソルデーラの三男として1957年12月9日、ヘレスのサンティアゴ街に生まれ、家族とマドリードへ。カナステーロスやベンタ・デル・ガトなどのタブラオで舞踊伴唱の歌い手として活躍しました。
ボーという名前はテレモート・デ・ヘレス(マリア・テレモートの祖父)が名付けたのだとか。
が、「椅子に座って歌うことへの敬意がありすぎて」歌い手をやめ、パルメーロに。
パルメーロとしての最初の録音は兄ビセンテのレコードで、エンリケ・パントーハと一緒に叩いたのだと言います。
チチャリート、グレゴリオ、ラファらと、ヘレスならではの抜群のコンパスで、さまざまな人の公演、レコード/CDなどに参加しています。
モライートやホセ・メルセ、マカニータなどヘレスの仲間はもちろん、
ビセンテ・アミーゴやミゲル・ポベーダ、 エストレージャ・モレンテ、ラ・タナなど数多くのアルティスタたちのアルバムに参加、また共演してきました。
映画、カルロス・サウラの『フラメンコ』オープニング撮影後 |
妻はディエゴ・カラスコの妹、息子は日本でも活躍したマロコ。
サンティアゴ街でのフェスティバルでひと踊り |
細身の彼が歳とともに貫禄が出て、父に顔がどんどん似ていきましたね。
同じフェスティバルで長兄エンリケのパルマを務める |
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