2021年3月4日木曜日

追悼エル・ボー


3月4日朝、ヘレスの自宅でマヌエル・ソト・バレア“エル・ボー”が亡くなりました。

1992年セビージャ万博アンダルシア館


歌い手マヌエル・ソト、ソルデーラの三男として1957年12月9日、ヘレスのサンティアゴ街に生まれ、家族とマドリードへ。カナステーロスやベンタ・デル・ガトなどのタブラオで舞踊伴唱の歌い手として活躍しました。
ボーという名前はテレモート・デ・ヘレス(マリア・テレモートの祖父)が名付けたのだとか。

が、「椅子に座って歌うことへの敬意がありすぎて」歌い手をやめ、パルメーロに。
パルメーロとしての最初の録音は兄ビセンテのレコードで、エンリケ・パントーハと一緒に叩いたのだと言います。

チチャリート、グレゴリオ、ラファらと、ヘレスならではの抜群のコンパスで、さまざまな人の公演、レコード/CDなどに参加しています。
モライートやホセ・メルセ、マカニータなどヘレスの仲間はもちろん、
ビセンテ・アミーゴやミゲル・ポベーダ、 エストレージャ・モレンテ、ラ・タナなど数多くのアルティスタたちのアルバムに参加、また共演してきました。

ルイス・エル・サンボのパルマをチチャロ、グレゴリオと。

今は他の人も使う、「ウジェ」などをハレオで入れるのを始めたのも彼です。


映画、カルロス・サウラの『フラメンコ』オープニング撮影後



妻はディエゴ・カラスコの妹、息子は日本でも活躍したマロコ。

サンティアゴ街でモライート、ディエゴ・カラスコと

パルメーロが本職でも、歌って踊ってのフェステーロでもあり、

サンティアゴ街でのフェスティバルでひと踊り

細身の彼が歳とともに貫禄が出て、父に顔がどんどん似ていきましたね。

同じフェスティバルで長兄エンリケのパルマを務める

病気をしたりもあったけれど、いつ会っても変わらない、明るい人柄で楽しくおしゃべりできました。




もう会えないのはとても悲しいです。心からご冥福を祈ります。
 











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