舞台に白い床。椅子。その横にギター。
舞台に出てきたラファエル・リケーニが椅子に腰掛ける。
舞台奥に幽霊のように浮かび上がるロシオ。リケーニの爪弾きに反応して動く。
最初は手首の先だけ。それが腕へと広がる。
白い透ける布をまとい、一つ一つの音をそっとすくいあげるように、音を形にするように動く。
リケーニの演奏は、アルバム『パルケ・デ ・マリア・ルイサ』の曲。クラシックよりの、美しい曲を、なぞるように踊っていく。
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フラメンコ?コンテンポラリーダンス? どっちでもいい。音も動きも美しい。
くるくる回るロシオはスーフィー舞踊のようでもある。ところどころの表現にエバみたいな感じもあったり。(エバ夫妻も来てたよ)
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アバニコを使ったり、アバニコを2本にしたり、それを水を浸したり。薄い上着を脱いで袖がまっすぐでどこか拘束衣を思わせる白いブラウスに着替えたり。小物で変化をつけるものの基本は変わらない。二人だけの舞台。
Bienal de Flamenco©︎ Claudia Ruiz Caro |
リケーニの音は一つ一つに重みがあり説得力がある。なんだろう、この感じ。包み込まれるよう。身体がリラックスしていくのがわかる。目でロシオを耳でラファエルを聴きながら、セラピーをうけているような。
二人の信頼関係。ラファエルはほとんどロシオを観ない。でも大きな絆があるような。ロシオが吹く口笛をそっとギターで追うところなど、微笑ましい。年で言ったら親子くらい?でも親子というのとは違う、叔父とめいみたいな感じかなあ。
ロシオが舞台を去り、演奏したソレアの深み。内包する哀しみは大きすぎて暖かい。
再び舞台に出たロシオは床を覆っていた白い布のマジックテープを外し、ラファエルを下手の隅へと連れていく。二人の歩みはどこかユーモラス。
聖週間の行進曲『アマルグーラ』を演奏するリケーニ。床の白い布をまとい、聖母の後ろ姿のように装うロシオ。
Bienal de Flamenco©︎ Claudia Ruiz Caro |
だったのに最後は死んだゴキブリのように床に転がって手足を上に。謎。きっと意味があるのだろうけど私にはわからなかった。写真見たら、あれ、これは赤ちゃんかもとか思ったけど。その後、それまでとは打って変わってサパテアードも聴かせるしね。
Bienal de Flamenco©︎ Claudia Ruiz Caro |
でもとにかく心を動かすものがあったのはたしか。
これが21時からの公演とどうつながるのかつながらないのか。その後どういう風に展開して3部作が完結するのか。期待しかない。
後記
セビージャの新聞ABCのマルタ・カラスコ評の中に演奏曲が掲載されていました。それによると以下の通り。
Aquel día, Estanque de los Lotos, Costrurero de la Reina, la Isleta de los Patos, Tiempo Pasado, Jazmín azahar, Trinos, Amaruguras, Los Quintero, Cogiendo Rosas
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