2020年9月28日月曜日

ランカピーノ・チーコ『ウナ・ミラーダ・アル・パサード』

 いやあ、もうほんと、もったいない。なんでこうなるかね。

過去への眼差し、というタイトルで、歴史的な歌い手たちへのオマージュ。よくあるやつ。でも今回は構成演出が悪すぎた。なんでこうなるかね、ほんとにもう。素人としか思えない。舞踊作品が、ジャンルを超えて世界中の大劇場でも上演できるクオリティのものとなってきているのに、これは、村の夏祭り止まり。せっかくの才能がもったいない。

オープニングはマヌエル・モリーナに捧げて、舞台にいるコーラス3人、パルマ2人もギターを膝に立てて持ち、ランカピーノ・チーコは舞台前に座り、ギターを持って歌う。でもギター弾くわけでもなく、むしろ邪魔。コーラスとパルマの人が持ってたギターはすぐに回収するし、意味ないんじゃ? 

Archivo fotográfico Bienal de Flamenco. Fotógrafa: Claudia Ruiz Caro

Archivo fotográfico Bienal de Flamenco. Fotógrafa: Claudia Ruiz Caro


で、これからずっとこの調子。曲ごとに袖に入り、場所を変え、オマージュする歌い手の写真をバックのスクリーンに映し出し、その人の話す声の録音を流すのだけど、それがすぐに始まらなかったり、実際のカンテが始まるまでに時間が空いたり。無駄な時間があるのもきつい。

マヌエル・トーレのシギリージャ。マヌエルの話す声の録音はないのでマヌエルについて話す声だったけど、シギリージャは正統派で気持ちがいい。

Archivo fotográfico Bienal de Flamenco. Fotógrafa: Claudia Ruiz Caro

Archivo fotográfico Bienal de Flamenco. Fotógrafa: Claudia Ruiz Caro


アントニオ・マイレーナにはブレリア。男たちが大きなテーブルに座って、拳でリズムをとって。確かにマイレーナが歌っていたブレリアだけど、かなりスピードアップして、マイレーナの歌い方を真似するわけでもなく、でもレパートリーを受け継いでいくわけで、いい感じ。

Archivo fotográfico Bienal de Flamenco. Fotógrafa: Claudia Ruiz Caro
同じテーブルに座ったまま、後ろにコーラスがやってきてファンダンゴはパコ・トロンホに。
Archivo fotográfico Bienal de Flamenco. Fotógrafa: Claudia Ruiz Caro




コーラスのメンバーが歌うタンゴを挟んで(長い)、フアン・バルデラマのヒット曲『イミグランテ』って、おい。バルデラマ、他になかったん?あんなにいろんな曲録音しているのに、ヒット歌謡曲?

Archivo fotográfico Bienal de Flamenco. Fotógrafa: Claudia Ruiz Caro説明を追加


続くマノロ・カラコールへもサンブラなんだけど、意味なく女が横にいるという。なんだこれ?

カマロンに捧げたのもよりによっての選曲(最後のスタジオ録音cd収録のタンギージョ『ウナ・ロサ・パ・トゥ・ペロ』)だし、最後のトルタも踊りのフィン・デ ・フィエスタでもお馴染みのコロール・モレーノ。

なんでこうなる? カンシオン系の曲中心なら、チケテテとか歌えばいいのに。声質にもあうと思うよ。みんなが知ってて一般に受ける曲ってこと? 確かに村祭りなら『イミグランテ』で、じいさんばあさんに受けるかも。でもここはビエナル。みんなもっと普通にフラメンコ聴きたかったとおもよ。

変な演出なら無い方がいい。

数年前、センプティエンブレ・フラメンコで歌った時の方が数倍良かった。

歌い手自身に才能があっても、ブレーンがくそだと歌い手はその犠牲になってしまう、ってことでございますな。

どんどん先いく舞踊やギターに置いていかれているカンテだけど、カンテ自身の力をうまく見せる公演が必要。カンテそのものがすごいパワーあるんだから、こんな風にしたらもったいない。いいブレーンが、カンテの魅力を、ランカピーノ・チーコの実力を十二分に見せる作品作るの、待ってます。

Archivo fotográfico Bienal de Flamenco. Fotógrafa: Claudia Ruiz Caro


ちなみに数年前のビエナルでホセ・バレンシアの作品『ディレクト』は良かった。変な間が開く事もなく、自然な流れで歌う位置を変え、聴かせてくれたよ。歌い手も作品作るなら、それなりに勉強が必要、ってことかも。


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