タイトル通り、トリアーナ生まれのカナーレスが、典型的なだけではない、自らのビベンシア、人生経験や、思いを形にしようとしたのがこの作品。
カナーレスのアイデアをアンヘル・ロハスが監督になって形にした。
場内が暗くなっただけで拍手がおきたのは昨日のファルキートと彼くらいだ。
幕があくと奥に足場がくまれ、上手には土。足場から工事用のライトのような照明が舞台をてらす。工事現場のようなセット。土の上にカナーレスが座っている。下手に並んだアルティスタたちが本名をよび、ここにいます、と名乗って行く。そこでよばれるマヌエル・モレーナの名前、そのあとの静寂。亡くなったトリアネーロたちへの思い。あの日のトリアーナへの思い。
男らは仕事に汗を流し、女たちは家で縫い物をし、たまのフィエスタで歌い踊って発散する。
お金持ちにいいように扱われながらも、その宴はお金持ちの羨望の的でもある。
フェリアがくればセビジャーナス、クリスマスにはビジャンシーコ。
ティエントやシギリージャを踊ったカルメン・レデスマの、昔ながらの伝統を感じさせる、少ない動きに思いをこめて踊る、その深み。
スーツに身を固めた、お金持ちを踊るポル・バケーロとポリート。かつてカナーレス舞踊団で活躍していたポルの成長ぶりに目をみはらせられる。
エルミニア・ボルハの深い歌声。ダビ・エル・ガジの巧みなカンテ。マリ・ペーニャの土臭い歌。マエラのビジャンシーコの軽妙なたのしさ。
パコ・イグレシアスがつまびく、カナーレスの昔ながらのソレアのメロディ。が、その振りは昔のままじゃない。
rchivo Fotográfico La Bienal de Flamenco. Fotógrafo Óscar Romero. |
最も心を動かされたのはカナーレスの母パストーラが歌い踊ったセビジャーナスとカンシオン・ポル・ブレリア「ニーニャ・デ・ベンタ」だ。
自然なやわらかなブラソ。愛嬌いっぱいの笑顔。ちょっとした仕草がトリアーナそのものだ。
アルティスタではない、彼女のような普通の人に、歌い踊ることも含めた、アルテがあるのがトリアーナなのだ。
rchivo Fotográfico La Bienal de Flamenco. Fotógrafo Óscar Romero. |
へたすると足場の方が踊り手より明るかったりした照明など、細かいところをいえばきりがないが、1時間少々の短い舞台、観客はおおむね、満足していたようだ。
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