ファルキート自作であろう歌を歌いながら登場したフアン・エル・モレーノ。伴奏は父ファルキート。で彼も弾き語り、というオープニング。
パコ・デ・ルシアの『シルヤブ』風のファンダンゴで、フアンが踊り、女性舞踊手二人(クリスティーナ・ソレールとアウシ・フェルナンデスが踊る。
©︎Tamara Pastora/Festival de Jerez |
歌は昨日のアルフォンソ・ロサの公演にも出演していたイスマエル・ボラと地元ヘレスのマヌエル・デ・ラ・ニナ。二人の若手が熱演、好演。ギターもヘレスのマヌエル・バレンシアでいいのだけど、どこか昔っぽくダサいキーボードの演奏と女性の叫ぶような歌声が耳につく。
ファルーカをファルキート、フアンと踊りつぐけど、ファルーカのアイレが希薄なような。
女性二人の白いバタでのアレグリアス
©︎Tamara Pastora/Festival de Jerez |
そこからファルキートへ。
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クリスティーナのタラントに
©︎Tamara Pastora/Festival de Jerez |
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そしてソレア
©︎Tamara Pastora/Festival de Jerez |
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フィン・デ・フィエスタでは恒例、ファミリアも登場。
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ファルキートの、息子フアン・エル・モレーノとの新作で、代表作『アルマ・ビエハ』から20年と言うことで制作、とプログラムにはある。古い心が新しい心に。新しくなったものはなんだったのだろう。息子の存在? ムービングライトも使った照明? 合間にビデオを挟んでいること?
ここ20年間でのフラメンコ舞踊の変化は大きい。世代交代が順調に進んでいると言うだけでなく、作品の作りも大きく進化してきた。昔ながらの、伝統的な味わいの踊り手も健在だし魅力的だけど、従来のフラメンコの枠に縛られず作品を作る踊り手たちも多く活躍している。私はどちらのタイプも好きで、踊り手の好みを聞かれるとファルキートとイスラエル・ガルバンの名前をあげていた。ビエナルが、アーティスト自身に作品を作り主催側にオファーすることを求めるようになって以降、踊り手たちも踊るだけではなく、作品を企画制作せねばならなくなった。そのことの功罪についてはまた別の機会に考えてみたいと思うが、昔の、カンテフェスティバルで、1、2曲踊るだけ、ではすまないと言うのが現状。舞台作品制作ということを考えると、アーティスト本人のイメージ、そしてそれを形にするためのスタッフが必要になる。最初のイメージのベースになるのはやはりその人がそれまでにみてきたものであり、考えることなのだと思う。1990年代のホアキン・コルテスやアントニオ・カナーレスの時代には新しかったものも今は古臭く感じてしまう。それが時代の移り変わりというものなのだろう。そんな中で古典としていつまでも古臭くならないものもある。それを見極めて、今の時代にあった形で見せることが必要なのだろうな、などと考えさせられた公演でありました。難しいですね。
こんなことを考えたのは多分に前日の洗練されたフラメンキシモな作品とつい比較してしまったということもあるのかもしれませんな。
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