2017年1月21日土曜日

ニーム・フラメンコ祭講演エンリケ・モレンテについて

ニームのフェスティバルは、公演だけでなく、映画上映や講演なども充実している。

20日12時半からはホセ・マヌエル・ガンボアによる、エンリケ・モレンテについての講演が、劇場のバーにおいて行われた。


ガンボアはフラメンコの歴史などの著書のあるフラメンコ研究家だが、スペイン著作権者協会のフラメンコの担当者でもあり、若き日はタブラオのギタリストでもあった、という人。だから、他のフラメンコ学者とは一味も二味も違った切り口で、フラメンコを語る。
前日はニームの高校で、フラメンコ・ギターについての講演を行い、これも好評だった。
フラメンコ・ギターの歴史をたどり、その変遷を平易な言葉で説明するのは彼ならでは。

このエンリケ・モレンテについての講演も、他の誰もが語ったことのない切り口で、エンリケの功績を述べた。

エンリケはアンダルシア中を回り、低アンダルシアとよばれる、カディス、ヘレス、セビージャなどのフラメンコと、東部のフラメンコの、タラントに代表される調を融合させたのだ。
それ以前に、エンリケはぺぺ・デ・ラ・マトローナをはじめ、ティオ・パリージャ、アウレリオ・セジェスなど、当時の長老たちの薫陶を受け、ヘレスやカディスにも足を運び、生のフラメンコに触れ、当時のカディス県のアルティスタたち、パコ・デ・ルシアやマノロ・サンルーカル、カマロン、ランカピーノ、フアニート・ビジャール、パンセキートらとも交流し、知見を高める。
そうするうちに、彼自身の、オリジナルのカンテが生まれてきたのだが、当時は、自分のオリジナルなどはもってのほか、という時代。ただ、彼より先に、カマロンがモレンテのスタイルで録音したように、知るひとぞ知る、であったのだ。
それがメキシコに滞在中、とやかく言う物知りなどの、しがらみから解放され、自由を勝ち取り、 その創造は花開いていくのだった。


講演の最初に、 ロシアの、スペイン語が全くわからない人が、エンリケのマラゲーニャを聞いて、その感想を述べると歌詞の内容は分からないはずなのに、エッセンスとしてしっかり受け止めている、というビデオを見せた。エンリケも、スペインの人たちが「外国ではカンテはわからなだろう」と言ったりすることを非常に嫌っていたというエピソードも、外国人である私には刺さる。
そういえば、エンリケに外国人扱いされたことは一度もなかった。いつでも、どんな初心者的な質問にも笑顔で答えてくれた。アフィシオンへのリスペクトを体現している人だった。

エンリケに会いたいなあ。


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