2010年11月28日日曜日

ヌエボ・フラメンコの時代

昨日、マリオ・パチェーコのことで
フラメンコの、ひとつの時代を支えた人が去っていってしまった。」
と書いたのだが、そのひとつの時代について考えている。


マリオとともに、ヌエボ・フラメンコの時代も去っていってしまったのではないか、
などと。


ヌエボ・フラメンコは、マリオのレコード会社、ヌエボス・メディオスが
それまでのフラメンコの範疇に入りきれないような、
新しい潮流のフラメンコにつけた名前。
ケタマやパタ・ネグラなど、ほかのジャンルの音楽とフュージョンしているものや
ホセ・エル・フランセスなどのようにポップなもの
リケーニ、トマティートなど当時の若手ギタリストたちのソロや
ドゥケンデやポティートら若手カンタオールたち、
ホルヘ・パルドら他ジャンルのミュージシャンたちのフラメンコへの接近…
すべてをひとくくりにしてしまっていたのだから
ずいぶん乱暴な話でもあったけど。


パコ・デ・ルシアが開いた道に続く人たち、
といってもいいかもしれない。
パコとカマロン
ローレ・イ・マヌエルとトリアーナ(ロックグループ)
70年代に生まれた流れがひとつのかたちになったのが
ヌエボ・フラメンコ、だったのだろう。


パコ・デ・ルシア・セクステットのようなコンボ形式でのフラメンコ
新しいハーモニー、リズムのとりかた…
最初は新鮮だったものがいつかスタンダードとなり
“ヌエボ”、新しいという言葉がいつか古く感じられるようになってしまった。


ケタマやパタ・パタ・ネグラ、ホセ・エル・フランセスらの流れは
今、“フラメンキート”とよばれるフラメンコ風味のポップなどにうけつがれ
ギターはもちろん、カンテのリサイタルにギター以外の楽器が入ることも珍しくない。


今はかえって、伝統や古典に学んだものが新しく思えたりする。
コピーではないよ。その人なりに咀嚼したものでないとね。


時代は回る。時代は変わる。


マドリードのフラメンコ・バル、カンデーラのオーナー、ミゲルが亡くなり
マリオが亡くなり、
フラメンコのひとつの時代というものが終わり、流れていく。
そんな気がする。


舞踊にはイスラエル・ガルバンという怪物、ものすごい天才がいるわけだが、
歌やギターにも、私たちがひっくりかえるような、そんな才能が生まれてくるのは
そんなに遠い日ではないだろう。





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