ラベル スペイン フラメンコ ニュース、 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル スペイン フラメンコ ニュース、 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2026年7月10日金曜日

マノロ・マリン伝記『ソロ・キエロ・バイラール』

 7月8日トリアーナにあるクリスティーナ・ヘーレン財団、トリアーナ・フラメンコ劇場においてフランス人作家クリスティーヌ・ディジェによるマノロ・マリンに伝記、『ソロ・キエロ・バイラール(ただ踊りたい)』の出版発表会が行われました。


元々2017年にフランス語で出版されたのですが、スペイン語でもぜひという声に応えて出版されたのがこのスペイン語版。この日は、壇上に、マノロのスタジオを受け継いだマヌエル・ベタンソス、クリスティーナ・ヘーレン、マノロ、クリスティーヌ(赤い服)、ABC紙の舞踊評論家マルタ・カラスコ、元ビエナル監督で舞踊評論家ロサリア・ゴメスが上がりましたが、客席にはよくマノロと劇場で一緒にいるのも見かけるホセ・アントニオとアナ・マリア・ブエノ、子供が産まれて仕事ができなくて大変だった時マノロに助けてもらったというカルメン・レデスマ、そしてマノロの教え子たち、イサベル・バジョン、ヘスス・トーレス夫妻、フェルナンド・ロメロ、マノロのスタジオで代教を務めていたピラール・オルテガをはじめ、トリアーナ出身ロシオ・コラル、マルコ・バルガス、ピラール・アストラをはじめ、ホセ・セラーノ、ホセ・オルテガ、クロエ・ブルーレ、カルメン・セグーラらたくさんの踊り手たちや関係者の姿がありました。それだけ皆に愛されているのだなあ、と改めて。

マノロ・マリンとマティルデ・コラルがセビージャのフラメンコ舞踊の規範でした。そして、私の舞踊観も彼らの舞踊に基づいているのだなあ、と最近改めて思います。女性らしい柔らかな動き、歌を踊るということ。

本では物語のようにして、彼が生まれ成長していった時代背景にも触れながら映画のように描いていきます。セビージャからバルセロナへ、バルセロナやロンドンでクラシックバレエも学び踊り、パリではサルトルやボーボワールとも交友があり、また海岸地帯のタブラオでも長らく活躍し、やがてセビージャに帰ってスタジオを開き…多くの教え子たちがプロとして活躍し、アンダルシア舞踊団やクリスティーナ・オヨス舞踊団への振り付け、マリア・パヘス舞踊団作品『ティラーナ』に出演し…

多くの日本人も彼の教えを受けました。

会の終了後はロビーでサイン会が始まり、その後は近くのバルで楽しいひと時を過ごしたのでありました。マエストロ、いつまでもお元気で!








2026年6月11日木曜日

アリシア・モラーレス『モチュエロ』

グラナダ出身の歌い手アリシア・モラーレスの新譜『モチュエロ』の発表会見。

アリシアはグラナダ出身でグラナダやマドリードのタブラオなどを中心に、ギタリスト、アントニア・ヒメネスのグループなどでも公演。3枚のアルバムを発表している実力派。

モチュエロとは蝋管レコードにもその声を残す、フラメンコ草創期のカンタオール。1868年セビージャ生まれで、セビージャやマドリードにとどまらず中南米などでも活躍しました。フラメンコ以外のホタなども含め、多数録音があります。ギタリスト、ホセ・ケベド“ボリータ”とともに曲を選び、録音し、アルバムにまとめたとのこと。

古いカンテを当時そのままに再現するのではなく現在のものとして再創造していったとのこと。

その場で歌ってくれた3曲をシェアします。







存在感のある、パワーを感じる声ですね。
彼女のwebはこちらです。


2011年8月30日火曜日

マレニ・ロレートが亡くなった

マレニ・ロレートが亡くなった。

っていってもその人誰?
って思う人の方が多いだろう。
私も知らなかった。
友達の知り合いで紹介してもらい
フラメンコ公演でいっしょになったり
ビールを飲んだりしたのは
かれこれ20年近くも昔のことになる。
第一印象は金持ちのおばさま。
いつもスーツとか、きちんとしたブラウスにスカートとか
わりとフォーマルな格好。
金のブレスレットやピアスも素敵。
褐色の肌に青い瞳。
最初はフラメンコ好きなお金持ちのおばさまなのだろうと勝手に思っていた彼女が実は
フラメンコの歴史に残る舞踊手ラ・マレーナの姪のバイラオーラで
闘牛士の妻で闘牛士の母だった。

そう。
実は小説のヒロインのような人だったのである。
叔母や
 先年亡くなったアルトゥーロ・パボンの母エロイーサ・アルベニスに学び
ペペ・ピント一座で活躍し
ニーニャ・デ・ロス・ペイネスらとも共演し
闘牛士フリオ・アパリシオと結婚し引退。
同名の息子も闘牛士となり
私が会った90年代は
再びフラメンコの血が騒ぎはじめていた頃だったのかも。


1929年生まれの82歳だったそうだ。
ってことはあの頃でもう60過ぎてたわけだ。
でも、もっとずっと若くみえたよ。
老いても美人。
もっといろんな話聞いとけばよかった、なんて後悔ばかりだな、最近。


あ、
9月以降にスペインにおこしになる方
参考になれば幸いです。




2011年4月29日金曜日

プレミオス・デ・ムシカはエンリケ・モレンテに

プレミオス・デ・ムシカの
フラメンコ部門賞は
エンリケ・モレンテ「モレンテ+フラメンコ」に決定


元バイラオーラのラ・シーカも
新人賞と新人作家賞を受賞!
おめでとう!






2011年4月25日月曜日

フラメンコ・アーティストから日本へのメッセージ1 de flamencos a Japón.


3月に行われた
マドリードでのフラメンコ・オイ賞授賞式
セビージャでのふたつのフラメンコ支援イベント
そして記者会見などのときにフラメンコ・アーティストから
スケッチブックに書いてもらったメッセージと
日の丸との写真をYouTubeにアップしました。

スペインのフラメンコたちも
日本を応援しています。

100年近い日本とフラメンコの歴史
このビデオにでてくるアルティスタたちも皆
日本公演をしたり日本人の生徒がいたり、と
日本との関わりが深く
誰もが皆、日本に
心を寄せています。

スペインからのエールが日本に届きますように。

フラメンコはひとつの家族です。

2011年4月12日火曜日

アントニオ・ナハッロが国立バレエ団芸術監督に


アントニオ・ナハッロが
次期スペイン国立バレエ団芸術監督に
決定しました。

9月1日から
現監督のホセ・アントニオに代わり、
5年間
国立バレエ団を率いていくことになります。

1975年11月22日生まれの35歳。
マドリードのコンセルバトリオを優秀な成績で卒業し
ラファエル・アギラールらの舞踊団で経験を積み
1997年国立バレエ団入団。
2002年まで在団し第一舞踊手として活躍。

日本ではフィギュアスケートのステファン・ランビエルへの
振り付け家としての方が有名かもしれません。

スペインのさまざまな舞踊を取り上げ
若い観客を獲得していきたいというプランが
ほかの15人の候補者よりも認められたのでしょう。

新しい国立バレエ団に期待したいものです。

2011年4月10日日曜日

メルチェ・エスメラルダ美術功労金章

スペイン文化省がおくる
メダジャ・デ・オロ・アル・メリト・エン・ラス・ベジャス・アルテス
美術功労金章の今年度の受賞者の一人に
メルチェ・エスメラルダが選出された。

歌手や俳優、作家、画家、建築家、
漫画家、舞踊家、シェフ、闘牛士、
作曲家、音楽家、映画監督、画廊経営者、
ファッションデザイナー、脚本家、
振付家、写真家、編集者、劇団、美術館など
幅広い分野から
文化芸術に功労があったとされる受賞者を選出している。

フラメンコ関係ではこれまでに
1981年マリエンマ、
1982年ピラール・ロペス、
1983年アントニオ・ガデス、
1988年マリア・デ・アビラ、
1989年ホセ・ウダエタ、
1991年グラン・アントニオ、
1992年パコ・デ・ルシア、
1994年にロサリオ
1996年ホセ・グラネーロ、
1998年ニーニャ・デ・ラ・プエブラ、
2003年パコ・セペーロ、パケーラ・デ・ヘレス、
2004年ホセ・アントニオ
2005年カルメン・リナーレス、エンリケ・モレンテ、マヌエラ・バルガス、
2006年マティルデ・コラルとフォスフォリート、
2009年ホアキン・コルテス
らが受賞している。

2011年3月16日水曜日

ヘレス・フェスティバル 観客賞はジェルバブエナ

ヘレス・フェスティバル
劇場に来た人たちに配られるアンケート用紙での
観客の投票によって選ばれる観客賞

今年はエバ・ジェルバブエナ
「クアンド・ジョ・エラ」に決定しました。


昨日の賞同様
賞金とかはないけれど
それでも観客の高い評価は
エバもきっとうれしいはず。
おめでとう。

2011年3月15日火曜日

ヘレス・フェスティバル 批評家賞はメルセデス・ルイス

ヘレスのフェスティバル
新人賞と批評家賞の各賞が発表された。

新しい才能におくられる新人賞は
レオノール・レアル
写真; Javier Fergo

そして最も優れた作品におくられる批評家賞は
メルセデス・ルイス「ペルセクスティーバス」

写真; Javier Fergo

どちらも地元ヘレスのアルティスタ。
これははじめてのこと。