2023年7月1日土曜日

フェルナンド・ロメロ『エストレジャス・エレクトリカス・アプラスタダス・ポル・エル・タコン』

 


セビージャ市内にはなるのだけど南端、隣町ドス・エルマナスべジャビスタとの町境にあるコルティホ・デル・クアルトは昔の荘園。その後、演劇学校などとしても使われていたそうな。

その中庭に舞台を作り仮設の階段状の客席が120。イタリカ・フェスティバルのために作られた。昨年のアルカラ城跡よりはずっとこじんまりしているけれど、雰囲気はいいし、より閉じた空間になっていて舞台は見やすいかも。

フェルナンド・ロメロ、2011年、フラメンコダンサーとして史上初のブノワ賞(バレエ界のアカデミー賞的存在)受賞(2021年にはヘスス・カルモナも受賞)。クリスティーナ・オヨスやマリア・パヘスの舞踊団やアンダルシア舞踊団で活躍し、スペイン国立バレエ団ではホセ・アントニオ芸術監督のもと助監督をも務めた実力派。この作品でも振り付けで彼と名前が並んでいるマヌエラ・ノガレスはコンテンポラリーの舞踊家で、その影響もあるのだろうか、近年の作品はコンテンポラリー的な要素が強く感じられるものが多く、今回の作品も、フラメンコと思ってきたら、あれ、ってなるかもしれません。フラメンコ曲も登場はするしサパテアードをしたりもするのだけれど、 もっと自由。ピアノとマリンバを含むパーカッションで奏でられるサティがフラメンコ曲へと繋がったり、作品の主題であるピカソの詩、言葉を語る俳優はそれだけでなく自分の言葉でアーティストは食べられないと漫談をしたりフェルナンドと踊ったり。 フェルナンドも語り、踊る。

ピカソの詩、言葉を基に作られたということで、フェルナンドの最初の衣装は、画家のトレードマークでもあったマリーン風横縞のシャツに短パンだし、イーゼルも登場する。

©︎Festival Italica Lolo Vasco

言葉の後ろにある時代を見せる表現もある。例えば、タイトルにもなっている「踵で踏み潰された電気じかけの星たち」は1936年10月に書かれた、スペイン内戦時の言葉で、

その通りに?ドイツ軍服みたいな衣装(怖いくらい似合う)のフェルナンドが電球を踏み潰す。他にも言葉に傘とあると傘を出す、みたいなところもあったんだけど、

©︎Festival Italica Lolo Vasco


他にも言葉に傘とあると傘を出す、みたいなところもあったんだけど、言葉をそのままってなんか芸がないような気もするな。舞踊は言葉を形にするよりも言葉にならないものを見せてほしい、と思うのであります。

ちなみに、最近、ピカソ関連作多いな、と思ったら没後50年だそう。みんな色々考えてるんだなあ。フェルナンドの動きもフラメンコというよりもコンテンポラリーぽいところが多いかも。奥さん振り付けもあるんだろうね。それでも最後の方、語りつつ踊る、その語りのうまさ、そして言葉と動きのバランスの良さに舌を巻き、また最後スーツで踊る時見せた、完璧なコロカシオンや見事な回転に唸らされ、これが見られただけで満足。正直いえば前半はちょっと退屈な思いもしたんだけどね。

ビエナルのロシオ・モリーナやイスラエル・ガルバンもそうだけど、フラメンコのアーティストでもフラメンコの枠を超える作品を作っていて、セビージャのセントラル劇場ではフラメンコの公演シリーズではなく、舞踊シリーズで上演されたりしてたけど、うーん、それだけフラメンコが世界に向かって開いている、ということなのかな。

昔ながらのフラメンコもいいけれど、いろんな試みもあっていい。

©︎Festival Italica Lolo Vasco

ただ、演劇、舞踊、パフォーマンス、音楽、いろんな要素で、ピカソ、言葉、時代…盛りだくさんすぎて、何が伝えたかったのかがちょっとぼやけてしまっていた感はあるし、またどういう観客を想定しているのかも見えてこないような感じも。

終演後スタンディングオーベーションにならなかったのもそういうことなんだろうと思う。関係者も多いだろう初演にもかかわらず。なんかわからなくてもすごいものを見た時思わず立っちゃうと思うのですよ。難しい



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