病気療養中だったフェルナンド・テレモートが亡くなった。
40歳。
若すぎる。
父テレモート・デ・ヘレスゆずりの、深い響きをもった声。
こちらの心にまっすぐとびこんできて
奥底まで染み込んでいく、そんな声。歌いっぷり。
あたたかく、力強く、やさしく、まっすぐで、
ムイ・フラメンコ。
フェルナンドの声が今、私の中でこだましている。
最初、ギターを弾いていた彼を、叔母マリア・ソレアの伴奏でみたことがある。
巧みというよりも朴訥とした、でも太いしっかりとしたフラメンコの幹を感じさせた。
歌い手としてのデビュー公演は1989年、
ペーニャ・ドン・アントニオ・チャコンでだった。
あの広いペーニャが超満員。
その期待たがわず
親父譲りのうたいっぷりに、
テレモートが帰ってきた!と観客は大興奮。
一声ごとにオレ!の声。
あの場に居合わせたことは幸せだった。
その同じ年にペペ・デ・ルシアのプロデュースで初のソロアルバムをリリース。
96年にビエナルの若者コンクールで優勝。
舞踊部門のイスラエル、ギター部門のニーニョ・ホセーレと、
今のフラメンコをリードする才能を輩出した年だった。
98年にはコルドバのコンクールで3部門に優勝。
昼から夜まで毎日続くコンクール準決勝を見続けることに疲れ、
自分のフラメンコへの愛を疑いそうになるとき
彼が登場しただけでほっとしたものだ。
ひとつひとつのレトラが、コンパスがゆるぎない。
まっとうな、質のいいフラメンコなのだ。
近年はイスラエル・ガルバンとの「ラ・エダ・デ・オロ」が印象深い。
舞踊との競演でも、ソロででも、フェルナンドはあたりをフラメンコに染め上げる。
若いときから風格のある、歌い手だった。
ソレア、シギリージャ、そしてマラゲーニャ。
昨年秋、病を克服しての復活公演 できかせてくれたマラゲーニャはまさに絶品で
思い出すだけで鳥肌が立つ。
この春には新しいアルバムを出すよ、と語っていた彼がもういない。
神様は残酷。
あんなにもフラメンコを愛し
フラメンコを愛する人々を幸せにしてくれたフェルナンドを連れて行ってしまうなんて。
涙が止まらない。
彼の声が、微笑みが頭の中を満たしている。
いつまでも彼のことを忘れることはないだろう。
フラメンコを愛する人たちみんなが。
0 件のコメント:
コメントを投稿