2016年12月19日月曜日

さよなら ラモン・アマドール



12月19日朝、ラモン・アマドールが亡くなった。
あまりに突然のことで言葉もない。

太いフラメンキシモな音。踊りや歌を見事にサポートする。
いつも静かに微笑んでいる。

セビージャのタブラオで長くひいていたし、マティルデ・コラル、アンヘリータ・バルガスの伴奏でも来日して、日本にもファンが多い。
2015年にパセオに掲載された私が彼について書いた記事をコピーして彼へのオマージュにしたい。

追記/
心臓病のため、約1年間、表舞台から遠ざかっていたそうだ。その心臓病で亡くなったとのこと。


本物のフラメンコだけがもつ深く太い音。きらびやかな装飾や派手な仕掛けなどとは無縁な実直そのものといった感じがいい。強くたくましく、それでいて優しく暖かく包み込んでくれるような音。そんな音を出すギタリストがラモン・アマドールだ。いやギタリスト(スペイン語ではギタリスタ)というよりも、スペイン語のトカオールといういささか古風な響きの言葉の方がしっくりくる存在である。
 舞踊伴奏を得意とし、マティルデ・コラルやアンヘリータ・バルガスとともに来日したこともあるベテラン、ギタリスト、ラモン・アマドール。本名ラモン・アマドール・モレーノは19553月セビージャに生まれた。アマドール家はアルメリアからきたヒターノだという。パタ・ネグラという名前のデュオでスペイン・ロックの80年代を代表する存在ともなったライムンド・アマドール(1959年セビージャ)、ラファエル・アマドール〈1960年セビージャ〉、ピアノのディエゴ・アマドール(1973年セビージャ)の兄弟や、舞踊伴唱 で有名なフアン・ホセ・アマドール(1960年セビージャ)は父同士が兄弟という従兄弟、スペイン語でいうプリモ・エルマノにあたる。このアマドール一家は今やセビージャを代表するフラメンコ一家のひとつで、それぞれの息子たちも皆、フアン・ホセの息子のフアン・ホセ・アマドール(1977年セビージャ)は歌い手をはじめとしてアルティスタとして第一線で活躍している。ラモンの父もギタリストであり、兄ディエゴもギタリスト。そんなこともあって幼い頃からギターを弾きはじめ、若いうちからプロとして、主に歌伴奏で舞台に立っていた。元歌い手のサルバドール・タボラ(1934年セビージャ)が立ち上げた1971年にたちあげた劇団クアドラで演奏したこともある。22歳のときは、今もセビージャの闘牛場の並びにあるタブラオ、“エル・パティオ・セビジャーノ”のこけら落とし公演にも出演している。そのほかにも、今はなき“ラ・コチェーラ”やサンタ・クルス広場の老舗“ロス・ガジョス”など、セビージャのタブラオを中心に活躍するとともにフェスティバルや劇場公演でも主に舞踊伴奏で活躍。マリオ・マジャ(1937年コルドバ〜2008年セビージャ)、マヌエラ・カラスコ(1958年セビージャ)など一流の舞踊家と共演した。とくにアンヘリータ・バルガス(1946年セビージャ)とエル・ビエンカサオ(1951年セビージャ〜200?セビージャ)夫妻の伴奏を長くつとめ、ビエナルやヘレスのフェスティバルなどにも出演している。
 1995年、日本フラメンコ協会の招きで来日したマティルデ・コラルに娘のロシオ・コラル、歌い手のクーロ・デ・トリアーナとともに付き添っていた。通訳として彼らに同行したが、いつも笑顔で落ち着いていて、着々と仕事をこなしている誠実な印象がある。同じ年の映画「フラメンコ」(カルロス・サウラ監督)ではマティルデではなく、ファルーコ(1935年マドリード圏ポスエロ・デ・アラルコン〜1997年セビージャ)とファルキート(1982年セビージャ)のソレアを伴奏している。歌うのはファルキートの妹の旦那であるアントニオ・ヌニェス“エル・チョコラーテ”(1930年ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ〜2005年セビージャ)。プーロの中のプーロ、純粋なフラメンコの上澄みの一番おいしいところをあますところなく伝えるこのシーンを真の意味で支えているのは実はラモンなのではないだろうか。歌い手が歌いやすいようにしっかりサポートし、踊り手のテンションに寄り添う。決して前にしゃしゃりでることなく、一歩下がって彼らを支える。縁の下の力持ち。古風でシンプルなトーケだが、主役たちを支えるその力は大きい。2006年のビエナルでは「アマドール・アマドール」でフアン・ホセらファミリーと共演した。フアン・ホセがギターも弾いて踊るように、ラモンが渋い声で歌うカンテもいい。
 最近では、パストーラ・ガルバン(1980年セビージャ)の伴奏が印象的だ。彼がいるだけで舞台が引き締まる。昔ながらのフラメンコの雰囲気が感じられる。そんなアルティスタは本当に数えるほどだ。
 息子のラモン〈1985年セビージャ〉もギタリストとして、クリスティーナ・オヨスやエバ・ジェルバブエナの伴奏を経験。アンダルシア舞踊団やタブラオなどでやはり主に舞踊伴奏で活躍中だ。彼の演奏は父に比べるとモダンかもしれないがそれも時代だろう。フラメンコ一家の血筋は続いていく。


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