2015年4月25日土曜日

サラ・バラス「ボセス」

カディスのファリャ大劇場でサラ・バラスの新作「ボセス」アンダルシア初演。
昨年12月パリで初演となったこの作品、道半ばで亡くなった巨匠たちに捧げた作品。
パコ・デ・ルシア、カマロン、アントニオ・ガデス、エンリケ・モレンテ、モライート、そしてカルメン・アマジャ。カルメンだけは彼女が生まれる前に亡くなっているので直接のコンタクトはなかったが、カマロンとは同じサン・フェルナンドで子供の頃から知っていたし、モライートとも「エサ・フォルマ・デ・ビビール」という作品で共演した。パコとは1990年、新宿「エル・フラメンコ」出演中に知り合い、後に五輪誘致関係の公演やビール会社のテレビCMで共演している。ガデスに知り合ったのも90年、やはり日本でタブラオに出演してたときで、 まだ十代の彼女に助言をしてくれたという。エンリケとも特にマドリードに住むようになってからは何度も会っているという。

「ボセス」とは声。映画やインタビューなどから抜粋した彼らの声に導かれるようにして綴られたこの作品にはサラの思いがあふれている。一時代を築いた巨匠たちとサラの声が交差する。サラの声は言葉ではない。彼女の踊りそのものが彼女の声なのだ。

オープニングのパコ・デ・ルシアの「愛のうた」から最後のブレリアまで、サラは自らをさらけだして、彼らへの思いを踊り続ける。その心がストレートに伝わってくるのだ。
サラの超絶サパテアードも華やかな回転もちろん健在で、それももちろん魅力だけれど、今回の作品ほど、ありのままの“サラ”自身をみることができたことはなかったように思う。


オープニング。舞台の前に椅子が積み重ねられ、真ん中には火がともったカンテラ。パコの愛のうたが流れる中、下手よりゆっくりと歩いてくるサラ。男装に白いジャケット。舞台奥には6人の肖像を描いたパネルがあり、それにひとつずつライトがあたっていく。
同じサン・フェルナンド出身のニーニャ・パストーリの夫でパーカッショニスト/作曲家のチャボリ作曲のブレリアが流れ、サラのソロ、そして群舞で、リズムを刻んでいく。

波の音の上にパコの声がかぶさる。ミュージシャンたちが登場しそれぞれ座っていく。
上手からホセ・セラーノ、下手からサラが現れる。サラは黒地に白水玉の衣装。
早いリズムのシギリージャ。伝統的なパレハのように、ホセは常にサラを見守り、すっと少し後ろに控えているのが美しい。サラは得意の早く正確で美しい音のサパテアードももちろんきかせるが、美しいブラセオ、腕の動きでも魅了する。彼女の靴音は音楽のよう。語りかけてくるように聞こえる。

町の音となりカマロンの声が響く。
タランタのギターソロからカンテ・デ・レバンテ。ここでも腕の動きでみせるサラ。白い衣装だ。そこに群舞も加わりテンポが早くなり、舞踊団員一人一人のソロもみせる。

映画「カルメン」でアントニオ・ガデスがカルメン役を踊る踊り手を探しマドリードのフラメンコスタジオ、アモール・デ・ディオスのマリア・マグダレーナのクラスにいくシーンがあったが、その場面の、マリアによるカスタネットをつかっての上体の動きのレッスンシーンの音が流れ、「カルメン」のイメージが群舞とホセ・セラーノによって踊られる。赤い衣装の3人のカルメン。マントンやアバニコを使ってみせていく。
そしてパネルを裏返しにした鏡に囲まれてのファルーカ。ガデスの舞台版「カルメン」でも鏡に囲まれドン・ホセの牢獄の場面をつくっていたのを思い出させる。サラのファルーカ。映画の中のガデスのように黒のタートルネックにズボン。ファルーカは以前もほかの作品で踊ってきた曲だが、その時とは全く違う振り付け。以前のものは、伝統的な振り付けに基づいていたもので、ガデスが踊っていたファルーカに近いけれど、ギター一本の伴奏で踊るこのファルーカはもっと独創的。そこここにガデスのような“かたち”をみせるものの、サラが自身の言葉で語っているという感じだ。最後、パーカッションの二人がタンバリンと壷で伴奏していく。アラブ風にも響く音との掛け合いが楽しい。

ティエント/タンゴは群舞で。ショーアップされた群舞だ。
エンリケの声。鳥の声。下手奥のテーブルを囲む歌い手3人とホセ。テーブルを叩きコンパスを刻み、歌が始まる。ホセのソレア。ルビオ・デ・プルーナ、ミゲル・ロセンド、イスラエル・フェルナンデス。三人の歌声を縫うように踊るホセ。歌の見事さは特筆もの。声の色が違う三人それぞれの魅力が際立つ。自由に歌われる歌に反応して踊るソレアは地にしっかりと足がついた、深みのあるもの。

モライートの声でギターが流れ、ソレア・ポル・ブレリア。
緑色の衣装のサラ。サパテアードで語る。マシンガンのような熱いサパテアードだが、そこここに、コンチャ・バルガスやカルメン・レデスマのような。伝統的なフラメンコのかたちがみえかくれする。その昔共演したコンチャのかたちが彼女の心の奥底に残っていてでてくるのだろう。サラとコンチャ。全くタイプの違う踊りなのだけど、奥底でつながっているというのが面白い。

ホセが上着をさしだしサラがそれを切るとサパテアードのソロ。カルメン・アマジャに捧げたサラの足のソロ。
それがフィナーレのブレリアへとつながっていく。


観客の熱狂も頂点に達する。満員の観客が総立ちで拍手をおくる。
先人たちへのサラへの思いは作品となり、観客の心をたしかにとらえた。




サラが舞台にひざまづいた瞬間、涙がこぼれそうになった。
今はもうここにいない巨匠たちへのサラの熱い思いがそのままに飛び込んで来たのだ。
サラの思いに私の思いも重ねてしまおう。

オマージュといっても直接的に使われていtるのは最初のパコの曲と、パコがカマロンの死を悼んで歌った「カマロン 」くらいで、カマロンの場面でもカマロンが歌った歌詞を使うわけでも、モレンテの場面でもモレンテ風に歌うわけでもない。それでもサラの記憶の中にある彼らが、後進のアルティスタたちを導いていくような気がする。サラの中に残る巨匠たち。フラメンコはこうやってつながれていくのかもしれない。





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