2018年9月17日月曜日

アンドレス・マリン「ドン・キホーテ」、マリア・テレモート

Bienal Óscar Romero
不可解な不可解なを通り越して不快ですらある公演でございました、私には。

1時間半ただただ退屈。
アンドレスのすごい音感のサパテアードも
パトリシア・ゲレーロのめっちゃフラメンカな身のこなしも輝くことなく、とってつけたような“現代”の中に埋もれてしまう。

“現代”は、電動一輪車やスケートボード、変化する映像。
舞台下手にはスケートボード場にあるようなハーフチューブ。その上に画面。
下手にはさらに大きな画面広告板。その下にテント。

フラメンコにストリートカルチャーを組み合わせてドンキホーテってタイトルにすれば売れんじゃね?、的な。

サッカーのスパイクでサパテアードしたり、ボクシングのグローブはめたり、フェンシングの剣を持って踊ったり、アイデアは満載。
でもそれって長々繰り広げるようなもの? 
どこへ向かっているんだ? 
全裸になる必要はあったの?
ドンキホーテが夢を追う人のイメージで使われているなら髭も兜もいらないのでは?

ドラムスとチェロらによる音楽が唯一の救いかも。
トレメンディータは熱唱するも口跡のせいか、よく聞き取れない。
だから、レトラが画面に映されるのは助かる。

客席に出て行ったり、客席にサッカーボール蹴り込んだりも、
客いじりのテクニックにしか見えない。

好きな人は好きなのかも。
でも私には苦痛でしかありませんでした。

だいたい姿勢が悪すぎる。
今回は上半身裸になることが多く、それで余計目立つのかなあ、肩を引いて首を前に出す、鳥のような姿勢。体の芯はどこにあるんだ?
フラメンコ的に美しくない。

でも、結構みんな好きだったみたいで、その理由が知りたい。
それぞれの好みだと思うんだけど、聞いてみると、ああ、そうかな、と思うことがあるかもしれないし。



12時からはアラメーダでマリア・テレモート。
新譜発表を兼ねてのコンサート。
新譜だから、か、カンシオンぽい曲もいくつか。
Bienal Óscar Romero
あの声! そして音程の良さ。
全身で伝えようという心意気。
舞台での存在感。
これに細部の表現が加わったら凄いに違いない。
まだ若いのでこれからに期待。
Bienal Óscar Romero



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