2015年3月1日日曜日

パコのお葬式のときのこと

今からちょうど1年前。
 そのときは自分に力がなくて書けなかったことをここに覚え書き。

ニューヨーク経由で28日朝マドリードに到着した棺は
国立音楽堂に安置されました。
ヘレスにいる私は行きたいけど行けなくて悶々。
インターネットで皆が彼に別れを告げている様子をみながら
無理しても行けばよかったと後悔したり。 

棺はマドリードに別れを告げ
生まれ故郷のアルへシラスに向かいました。
その様子がテレビ中継されます。

行きたい。会いに行きたい。
マエストロとその友達に。

そう思いながら行ったビジャマルタ劇場で
ホアキン・グリロに会いました。
パコのグループで7年間に渡り活躍。
それだけ思いも深いはず。
思い出話に夜は更けて
翌朝8時
友達と一緒にアルへシラスに向かいました。

アルへシラスにくるのはパコのコンサート以来。
到着したのは朝9時半頃だったでしょうか。
 旧市役所近辺は車が通れなくなってはいたものの
それほどの混雑もなく
すんなりと中に入ることができました。


階段を上るとパコのアルへシラスの旧友キロや
ラファエル・デ・ウトレーラに会いました。
2001年のツアーのカンタオール。
朝4時に到着したといいます。
その横にはギタリストのミゲル・アンヘル・コルテス夫妻と
パーカッションのパキージョ・ゴンサレス。
パキージョはパコの最後のアルバムに参加しています。 

サロンに入るとそこにスペイン国旗とアンダルシア州旗、
アルへシラス市旗におおわれた棺がありました。
その左手に遺族席があり
そこにいたパコの兄ラモンの息子ラモンシートにベシート。
その横にいたパコのこどもたち、
カシルダ、ルシア、クーロにも目で挨拶。
棺はあっても実感はなく
でもなぜか涙がこみあげてきます。

いったん外にでて
時間をつぶします。
その間にも弔問客は次々に訪れ長い列ができます。
時折みえるアルティスタたちや政治家、マネージャーたちなどの顔。

前日のマドリードにも出席し
アルへシラスまでやってきた家族や友人たちもやってきました。
パコのグループで共演した甥二人
ホセ・マリア・バンデーラ、アントニオ・サンチェス。
 パコと仲のよかったギタリストたち。
トマティート、カニサーレス、ビセンテ・アミーゴ。
プロデューサーのハビエル・リモン

カニサレス夫人の真理子さんがよんでくれて
ホセマリやカニ、トマテ、ビセンテたちと小部屋に
四方山話
エピソードに笑いもこぼれる。
お葬式はその人だけがいないフィエスタのようなもの。

棺が教会へとむかう
数千もの人々がそれを見守る。

教会でのミサでレメディオス・アマジャが歌いだす。

教会を出る棺に膝崩れるほどに号泣するビセンテ
墓地へと向かう彼らを見送る。

今思い出してもこみあげてくるものが。





  
      





 

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