2022年2月3日木曜日

アンドレス・マリン『身体のための三部作』

 ムシカ・コンテンポラネア、メイド・イン・セビージャ、即ちセビージャ発の現代音楽。

アルヘシラス、マドリード、そしてセビージャ生まれの作曲家たちによる現代音楽をアンドレスが踊るというもの。

ちょうど英国在住日本人現代音楽作曲家の藤倉大さんの自伝を読み終えたところだったということもあり、なんか縁を感じて出かけていったのでありました。そういうことってありますよね? で、これが正解。面白かった。とても面白かったのであります。

いうまでもなく現代音楽には全くといっていいほど馴染みがありません。でも、フラメンコ作品にも時折、現代音楽が使われているので知らず知らず、少しは接しているのですよね。例えば、ハビエル・ラトーレ振付作品の『リンコネテ・イ・コルタディージョ』や『エル・ロコ』ではスペインの作曲家マウリシオ・ソテロの音楽が使われていますし、イスラエル・ガルバンの作品でお馴染みのパーカッションとクラリネットの二人組は元々現代音楽を演奏すデュオでしたし、イスラエルの作品に現代音楽が使われることも稀ではありません。アンドレスも現代音楽を多用している一人。一昨年のビエナルでの『ビヒリア・ペルフェクタ』でもそうですし、昨年初演した『エクスタシス/ラヴェル』でもラヴェルのボレロを換骨奪胎した曲を使ったりしていました。で、『エクステアシス/ラヴェル』が思いがけなく楽しかったのでちょっぴり期待。でもよくあるちょこっと踊るコラボレーションものかも?とも思っていたのでありました。

が、いやあ、がっつり踊ってた。サパテアードとか体を打って鳴らすのとかフラメンコのテクニックだけど、そういったフラメンコのテクニックを使いながら、フラメンコのリズムではない、いや、むしろリズムが見えないような曲で、自由に踊る/表現する、という感じ。

最初の曲は舞台に近いバルコニー席で演奏されるソプラノサックスと銅鑼で静かに始まる曲(Kinah II)だったのですが、布を引きずった黒い衣装のアンドレスが客席後方から現れます。その布に色々ついているらしく、結構な音がするのですが、それは楽譜にはないはずだけど、そういうのってどうなのかな、って思ったり。いやこの場合は作曲家もホールにいたみたいだし、フラメンコを知らない人ではないだろうから、問題はないわけだけど、バレエなどと違って、音が出る踊り、パーカッション的要素もあるフラメンコというものは場合によっては色々あるかもなあ、とか思ったのでした。その奏者が舞台に降りての2曲目Transitus.

Lolo Vasco


そして3. 4曲目はピアノで。音楽だけのコンサートだったら絶対聴きには来ていない公演にアンドレスが出るから見にきて楽しんでいるという不思議。これ、多分両方のジャンルにとってプラスじゃないかな、と思います。アンドレスのいつも気になる姿勢も、この人はこういう体なんだ、と受け入れられるような感じ。イスラエルの模倣のように見えるポーズなども、私は先にイスラエルを見たからで、先にアンドレスを見てたらイスラエルが真似に見えるのかもしれない、などと考えたり。フラメンコという枠を外すことで私自身も鷹揚というか寛容になってるような。それも含めて面白い。

Lolo Vasco


最後は1985年セビージャ生まれという作曲家の作品。パーカッションと電子音楽。いやパーカッションも電子音楽だったりもする。パーカッシブなフラメンコとの相性は一番いいようにも思うのだけど、どうなのだろう。

Lolo Vasco


なんていうのかな、アンドレスが現代音楽と共演するのはより大きな自由を求めて、のように思うのだ。歌も歌うし、すごくフラメンコな人だからこそフラメンコの枠ではない表現がしたいのじゃないかな、と。

全体的に薄暗い照明は踊りの“かたち”よりも音を強調するための仕掛け? で時に客席を照らす強烈な光。どっちみち形は見えにくい。

Lolo Vasco


見慣れたフラメンコの舞台なら不満に思うところに違う可能性も考える。そんな自分の変化も興味深く、正確な靴音をフラメンコの可能性を楽しんだ宵でした。








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