2009年10月8日木曜日

番外編 あれから23年

大学のフラメンコ入門講座ネット版開始、アンダルシア各地のペーニャでの公演の話など、ニュースがないわけではないのですが、
パセオ・フラメンコのホームページに毎日アップされる、しゃちょ日記。
その昨日の話は私のことについて書いて頂き(ちょっとこそばゆい。。。)
それを読んで思い出したことなどを今日は番外編として少々。


あれは魔がさした、のです。フラメンコの魔が。。。
アントニオ・ガデス舞踊団「カルメン」来日公演を観に行ったのは、その数年前にみたカルロス・サウラ監督の映画「カルメン」が印象に残っていたから。
公演があることを知ったのもテレビのワイドショーでのインフォメーションだったけど、それをみてすぐ電話して切符を予約したのはなぜでしょう。ほんと魔が差した、としかいいようがないのです。
高校大学時代は宝塚ファンだったし、就職してからも四季やブロードウエーミュージカルの来日公演やオペラなど観に行ったりはしてたものの、熱心な舞台ファンだったわけでもありません。
当時の私は銀行の子会社の営業所で事務をとる、ごくごく普通のOL。仕事はひまだし通勤は30分ちょっと。まっすぐ帰ると大相撲最後の一番が観られて、その後夕食。という、刺激もなにもない暮らしを送っていてフラストレーションがたまっていたのでしょうか。
一気にはまってしまったのです。
それには、舞台の素晴らしさもさることながら、アンコールでリズムをとることができなかったにぎやかな曲の存在が決め手でした。
だって、ふつうのコンサートなら最後は観客も皆手拍子で盛り上がれるじゃないですか。が、舞台の上はあーんなに盛り上がっているのに、こっちは文字通り手も足もでない。
い、いったい、これは何?

その何?が知りたくて、それからはレコード店や書店でフラメンコの文字を探す日々。
今のようにインターネットで手軽に調べられるわけでもなく、フラメンコのレコードがどこにでもある、というわけでもなく、ただただあれが何だか知りたい、それだけでした。
会社の昼休みにのぞいた書店でみつけた「フラメンコの誘い」に誘われてパセオを知り、そこからはもうまっさかさまでした。バックナンバーを全部注文し、ひたすら読みふけりました。
「フラメンコの誘い」をバイブルにレコードを探し、聴き、パセオを道案内に公演やタブラオに行き、舞踊やパルマ教室に通い…。その延長上ではじまったパセオのお手伝いだったのです。

あの頃の私は知りたい、というだけでフラメンコのことなどなーんにもわかっていなかったし、自分の人生が180度変わってしまったこともわかっていませんでした。その年末にははじめてのスペイン旅行にでかけ、翌87年秋にスペインに語学留学したのでした。

フラメンコと出会って23年。スペインに来て22年。思いがけなく仕事となってしまって20年。
今もまだ、最初の、“何?”の答えを探しているような気がします。

フラメンコが好き。
それだけで23年がたってしまいました。周りの皆さんにご迷惑をかけながらも助けられ、運よくここまできました。で、この後は?

立ち止まって考えるのは性に合いません。歩きながら考え続けます。
ただひとつ言えるのは、
フラメンコは人生を変えてしまうほど価値のある、すばらしいものだということ。
このすばらしいスペインのアートを一人でも多くの人と分かち合いたい。
それだけです。

なーんてちょっと気障ですかね。でも正直な話、
すばらしいアルテにふれた瞬間
杯を重ねながらフラメンコについて友達とおしゃべりすること
が何よりも好きなんです。

思いがけなくはじまってしまったこのフィエスタ(のような私のフラメンコ人生)ですが、マドリードのフラメンコのたまり場、カンデーラのミゲルがいっていたように
「もう帰らなくちゃ。永遠はないんだよ」
なんでしょうか。
永遠に続いてほしい、と願っているのですが。

ところでしゃちょ様、そんなに私、生意気でした?

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