1月8日夜9時、マドリード郊外コジャード・ビジャルバの病院で、踊り手エドゥアルド・セラーノ“エル・グイト”が亡くなった。82歳だった。
1942年マドリードの下町、ラストロ地区の生まれ。幼い頃から踊り、映画に出演。
ラ・キカやアントニオ・マリンに学び、1957年、14歳でピラール・ロペスのスペイン舞踊団ロンドン公演でデビュー。アントニオ・ガデスやマリオ・マジャとともに世界の舞台で活躍した。
70年代にはマリオ・マジャ、カルメン・モーラとトリオ・マドリードとして活躍。
この、マドリードのタブラオ、カフェ・デ・チニータスでのデュオの動画は有名ですよね。
その後は、ソロで、マドリードはもとより、ビエナルやヘレスのフェスティバルで各地のフェスティバル、ファルーコらと共演したアメリカでの作品「フラメンコ・プーロ」などで活躍。マノレーテと組んだ舞台もあったように記憶している。
また1978年スペイン国立バレエ団創立時、アントニオ・ガデスに招かれメンバーとなり、その後ガデス舞踊団で、映画『血の婚礼』にも出演している。
黒っぽいつばのある帽子をかぶって茶色の上下を着ているのですが、わかるかな。
また、マドリードのスタジオ、アモール・デ・ディオスでも長らく、後進の指導にあたってきた。
日本にも1987年に小松原庸子の招きでコンクールのゲストとして,来日したのをはじめ、同年8月のは真夏の夜のフラメンコにも出演。また2001年には阿藤久子の招きで、2005年にはフラメンコ・フェスティバルで、と4回来日している。
20222年に発売されたホセ・マヌエル・ガンボアによる伝記には「ラ・カベサ・デル・フラメンコ!」と副題がついている。フラメンコの頭!というのはかしら、ボスという意味も含んでいるだろうが、その揺るぎない、完璧な頭の位置のことなのだ。
コロカシオン、姿勢。あるべきところにそれぞれのパーツがあるだけで美しい。
グイトは舞台に立っているだけで美しい。かっこいい。
柔らかで華やかな女性舞踊と対極の、抑制された、男性舞踊の粋。フラメンコらしいフラメンコ。
1996年カナルスールのフラメンコ番組でのファルーカ。
2003年、スペイン国立バレエの25周年ガラ公演でのソレア。遠くからの撮影で表情が見えないのが残念だけど構成、振り付けはよくわかると思う。
アントニオ・ガデス、マリオ・マジャ、ファルーコ、マノレーテ…グイトが亡くなり、確実に一つの時代が終わったということがじわじわと実感されてきている。ご冥福をお祈りします。
0 件のコメント:
コメントを投稿