エバ・ジェルバブエナ舞踊団「ジュビア」
セビージャのマエストランサ劇場公演を観てきた。
去年のヘレス・フェスティバルの初日に初演されたこの作品
私が観るのは1年ぶり。
ああ、こんなんだったよな
と、たった1年前のことなのに記憶があまりさだかでない。
オープニングの群衆や灰色の壁と扉
テーブルのシーン
ユーモアたっぷりのタンギージョなど
そういえば。。。うん、うん状態。
記憶力悪いな、年のせいかな、
とも思ったのだが、
それがなぜかは最後をみてわかった。
去年秋、東京でのエバ公演二日目最後にみせた
黒いバタ・デ・コーラでのソレア
あれがあんまりすごいので
ほかの記憶がぶっ飛んでしまっていたのだ。
ボディのサイドに光る素材が使われ
スカート部分は段々のフリルになった
漆黒のバタ・デ・コーラ
「なぜ黒い服を着る
誰かが死んだ訳でもないのに
……
家族もなく
吠える犬さえいない」
エンリケ・エストレメーニョの朗唱に
ゆっくりと動き出すエバ
暗い照明の中にうっすらとうかびあがるその動きの奥深さ
この作品をつくるずっと前から
ソレアを代表曲としてもっていたエバ。
あの、いつものソレアもすごくて
もうこのソレア一曲だけで
エバの存在はフラメンコの歴史に残る、
っていうくらいのものだったけど
それにあきたらず また新しいソレアを創造した彼女のすごさ。
バタ・デ・コーラをみせびらかすのではない。
エバのバタはあくまでも肉体の延長であり
表現の幅の広がりのために
確実な技術と彼女の深い思いをこめて動くのだ。
圧倒的な迫力。存在感。
このすばらしいソレアは
観ている者の心を引き込み、ともに舞わせるのだ。
が、実はそれが彼女の問題なのかもしれない。
こんなに圧倒的な力をもつソレアがあるせいで
作品全体の印象が散漫になってしまう。
作品を観たというよりも
エバを観た。彼女のソレアを観た。
という気分になってしまう。
「5ムヘーレス5」「ラ・ボス・デル・シレンシオ」
「ア・クアトロ・ボセス」「サント・イ・セーニャ」
意欲的な作品をつくり続けてきた彼女だが
結局観客はそのソレアを渇望し
そのソレアに酔いしれる。
悪いことでは決してない。
あれだけの力をもったソレアが踊れる、
それだけでもすごいことだ。
だが、あのソレアがぶっとぶくらい
すごい彼女の作品というのも
また観てみたい気がするのである。
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