アントニオ・マイレーナへのオマージュ
「アル・ソン・デ・スース・レクエルドス」(その思い出のリズムで)
いやーいい公演でした!
フラメンコの歴史に偉大な足跡を残したアントニオ・マイレーナ。
あちこちの村に埋もれていた古いカンテを追いかけ
自らの才能と個性をも加え復興させ、
カンテにひとつの流れをつくったマイレーナ。
1983年9月5日、誕生日の二日前に亡くなった彼は1909年生まれで今年は生誕百周年。
ということでCDブックが発売されるなど、それを記念する催しが数多く開催されたが
そのフィナーレを飾る、とでもいうべき公演。
アントニオの録音に続き
「フィエスタをしようとマヌエル・トーレの家に行ったら彼は病の床にいた。『俺は死ぬ。マイレーナのタベルナにる、ニーニョ・デ・ラファエルを探しなさい。(歌は)彼がいい』というトーレの言葉に従って探しにいった」
という、ホセ・ルイス・オルティス・ヌエボの言葉ではじまった作品は
セグンド・ファルコンとアルカンヘルの歌、
マイレーナの伴奏もしたエンリケ・メルチョールと、ミゲル・オチャンド、ミゲル・アンヘル・コルテスのギター、
ハビエル・バロン、ラ・モネータ、ラウラ・ロサレンの踊り、
ディエゴ・アマドールのピアノと歌で、
アントニオが生きた時代を、その生涯を振り返っていくというもの。
ラウラがマカローナら市民戦争前に活躍した踊り手たちやマイレーナと親交のあったマティルデ・コラルを思わせる、女性らしい優美なブラソをみせれば
モネータはマイレーナがかつて歌った「マリア・デ・ラ・オ」でカルメン・アマジャを踊り
ハビエルはやはりマイレーナがかつてそのために歌ったグラン・アントニオを彷彿とさせる。
ディエゴのシギリージャの弾き語りの深さとティエントのはじめに弾いたサンブラの美しさ。
オチャンドがラモン・モントージャのロンデーニャで、劇場をマイレーナの時代の雰囲気に
染めれば
エンリケも長年、マイレーナの伴奏をつとめた父メルチョール・デ・マルチェーナ譲りのトーケで華を添える。
セグンドとアルカンヘルの朗唱は、マイレーナを歌いつつもマイレーナの真似ではないところが、彼への敬愛そのものだ。
「フィエスタの最中に、マヌエル・トーレの死の知らせが届いた。それからはただ飲んで亡くだけだった」
との言葉で終わった作品。
全てのアルティスタの、アントニオ・マイレーナへの愛と敬意が感じられる。
だからだろう、劇場を後にする観客が皆、微笑んでいたのは。
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