2015年9月30日水曜日

コルドバ出身のフラメンコ舞踊家アルバロ・パーニョスとムルシア出身のカルメン・マンサネラ夫妻によるフラメンコ公演が10月17日、コルドバのグラン・テアトロで行われます。

アルバロは1976年コルドバ生まれ。ラファエル・エステベスとコンビを組むバレリアーノ(ナニ)・パーニョスとは双子の兄弟になる。ハビエル・ラトーレ門下で、コルドバのコンセルバトリオ卒。マヌエラ・カラスコのグループやアンダルシア・フラメンコ舞踊団などで活躍してきた。

コルドバを代表する画家で、フラメンコやヒターノたちを多く描いたフリオ・ロメロ・デ・トーレスを題材にどんな舞台をみせてくれるのだろうか。
 




◆「ロメロ・デ・トーレス」
10/17(土)20時30分
[出]〈b〉カルメン・マンサネラ、アルバロ・パーニョス
[場]コルドバ ゴンゴラ劇場
[問]http://www.teatrocordoba.org

2015年9月28日月曜日

ホアキン・エル・デ・ラ・パウラ・フラメンコ祭

10月3日、セビージャ郊外アルカラ・デ・グアダイラでフラメンコ祭が開催される。
出演はエスペランサ・フェルナンデスやホセ・バレンシア、アントニオ・レジェスら実力派が顔をそろえ、舞踊にファルキートと充実の顔ぶれ。

会場のリベラス・デル・グアダイラ劇場は数年前にできたきれいな大劇場。
なおホアキン・エル・デ・ラ・パウラは地元が生んだ、伝説のフラメンコ歌いだ。


◆ホアキン・デ・パウラ・フラメンコ祭
10/3(土)21時
[出]〈c〉エスペランサ・フェルナンデス、アルヘンティーナ、ホセ・バレンシア、アントニオ・レジェス、〈g〉ディエゴ・アマジャ、マヌエル・パリージャ、ホセ・ケベド“ボリータ”、ミゲル・アンヘル・コルテス、〈b〉ファルキート
[場]セビージャ県アルカラ・デ・グアダイラ リベラス・デル・グアダイラ劇場
[料]15〜20ユーロ
[問]http://www.teatroriberasdelguadaira.com/

2015年9月26日土曜日

カニサーレス「アランフェス協奏曲」

サラ・バラスが来日中のカニサーレスを招待する、ということで電話してくれということで電話をしたら応答がなく、そのままになっていたのだけど、その後電話がかえってきたら、カニサーレス夫人の真理子ちゃんだった、という縁で、すみだトリフォニーでのカニサーレス公演に。

彼のアランフェスはベルリンフィルとの共演以来あちこちで公演しているのだけど、まだみたことがなかった私は興味津々。
トリフォニーホールはその昔、ビセンテ・アミーゴ「ポエタ」公演できました。懐かしい。
アランフェスにさきがけまずはマヌエル・デ・ファリャ曲集。
「三角帽子」のファルーカはアンヘル・ムニョスの踊りが入り、 「はかなき人生」はチャロ・エスピノがカスタネット付けての踊りで華を添える。
今年初演百周年の「恋は魔術師」から狐火の歌はギターだけだったものの、火祭りの踊りはアンヘルとチャロのデュオの踊りつき。
アランフェス。私の頭にあるのは1990年、カニサーレス初来日の時のパコ・デ・ルシアのそれ。比べることに意味はないと思いつつもどうしても比べてしまう。パコの、骨太の、スペインの大地の香りたつようなアランフェス。リズムをキープしていくフラメンコなアランフェス。カニサーレスのアランフェスはより繊細でしなやか。ただ残念なことに、音響のせいか、ギターが時々オーケストラにかくれてしまう。うーん、スペインから音響さんつれてこなかったのかな。カニサーレスの公演だから、もっと彼のギターがもっとずっと前に出て良いと思う。もっといえば私的には踊りはいらない。もっとギターが聴きたい。
踊りを前面にだすことで聴かずぎらいをもとりこもうという戦略だとは思うのだけど。

20分の休憩を挟んだ第2部のフラメンコでも、音響のせいか、カニサーレスの熱がいまひとつ伝わってこない。ちゃんと弾いている様子はみえるのだけどね。マイクの位置かなあ。音響さんの好み? シンフォニーホールでフラメンコというのは難しい。残響があるので、パルマやパーカッションがずれてきこえることがあったり。難しいのはわかるけど、あの音では納得できない。あの超絶はやびきでも音がたってきこえてこない。最後の一曲とアンコールではしっかり彼らしい、きれきれの音がきこえてきたのでやっぱり音響のせいなのだろう。残念。
その後、ほかの場所でみていた友達にきくと音響の問題なかったとのこと。ということは、私の席だけだったのかもしれません。うーん。
 
昔なつかしいルンバやレハナ。2曲とも録音中のことなど思い出す。レハナはロシオ・フラードの映画「ローラは港に行く」のサントラで、その同じ映画の曲のモチーフが隠れているのに今更ながら気づいたり。

先日のサラといい、過去をめぐる旅は終わりません。

2015年9月24日木曜日

アンダルシア・フラメンコ舞踊団

23日はアンダルシア・フラメンコ舞踊団「イマヘネス」公演。アジアツアーの一環でバンコクから到着し公演、翌日はまた中国韓国公演へと旅立って行きました。過酷なスケジュールでも明るく元気に公演をこなすのはさすが。

カンパニーを率いるラファエラは久々の日本、楽しんだことでしょう。彼女が創り出すスタイリッシュなフラメンコ、日本の皆様の目にはどううつったのでしょうか。

2015年9月23日水曜日

サラ・バラスのこと

9月21日、22日の両日、渋谷、シアターオーブで行われたサラ・バラス・フラメンコ舞踊団「ボセス」公演でお仕事をさせていただきました。

スペインでフラメンコの公演やニュースを追ってお知らせしたり、解説を書いたりのジャーナリスト/ライターとしてのお仕事とともに、フラメンコ公演やプレス取材などの通訳もしておりまして、今回はその両方でのお仕事です。

サラとはじめてあったのは1990年。彼女がホアキン・グリロとともに新宿「エル・フラメンコ」に出演していたときのこと。一時帰国中にパセオの取材で訪れたのが最初だったでしょうか。エル・フラメンコの50年の歴史の中で、おそらく最も平均年齢の低いグループで、ショーの最後には出演者の名前とともに年齢を言っていたのを思い出します。
「サラ・バラスちゃん 19歳」というように。実力はまだまだだったけど、いわゆる華がある、という感じ。ほかの子とはどこかが違っていました。パコ・デ・ルシアがトリオで来日したり、ガデス舞踊団も来日したり、と、ちょうどいいアルティスタの来日とあたり、たくさんのアルティスタとの知己をえたそうです。私も夏にビセンテ・アミーゴとエル・ペレの通訳として一緒にエル・フラメンコを訪れたのを覚えています。新宿の店で、エル・フラメンコの宿舎で過ごしたひととき。楽しかったなあ。

その後、スペインでも、何度か会う機会がありました。1992年セビージャ万博のときも、アンダルシア館のタブラオにショーをみにきていた彼女と偶然ばったり会ったように覚えています。 その頃からハビエル・バロンとコンビを組みはじめ、94年のビエナルに初出演。間もなくハビエルと再び「エル・フラメンコ」に出演するためにまた日本へと旅だっていきました。

その日本でも再会します。野村眞里子さんプロデュースのメメ・メンヒバル公演、パコ・デ・ルシア・セクステット、そしてビセンテ・アミーゴ公演と続いた94年秋から冬。日本滞在中の私はタブラオに通い詰めました。ハビエルのタラント、サラのアレグリアスなどショーのレベルもたいへん高く素晴らしく、堪能しました。すっかり仲良くなって、休みの日にはディズニーランドに行ったり、ほかのスペイン人アルティスタたちと遊んだり。
もちろん彼女の方がずっと年下だけど気分は同期。 フラメンコのアルティスタではじめて、フラメンコ以外の話、こどものときの話や家族の話などいろいろ話せた人です。
フラメンコ舞踊の腕はもちろん、90年の初来日のときとは格段に上手になっていましたが、それでも普通の感覚をもった女の子でもありました。


帰国後、マドリードに住みはじめた頃も何度かご飯を食べたり、飲みに行ったり。
一緒にカフェセントラルにジャズのライブを観に行ったり、カンデーラに飲みに行ったり。タブラオ、カルボネーラの上に借りた家に遊びに行ったこともありました。
どんどん彼女はアルティスタとして大きくなっていき、舞踊団を結成し、テレビなどでも活躍するなど、そのスターぶりはまぶしいばかり。でもたまに会うといつも通り、あの明るい笑顔で迎えてくれます。

2002年に実現した、舞踊団での来日公演も同行しました。2005年秋の来日公演でも通訳をつとめ、そして今回。通訳として一緒にスペインからやってきました。

十年ぶりの日本はサラにとって思い出をたどる旅でもありました。エル・フラメンコ、新宿、ラーメン、渋谷、劇場、友だち、キムチ、ネオン、人ごみ、居酒屋。。。
この町で知り合ったアントニオ・ガデスや親交を深めたパコ・デ・ルシアの思い出はそのまま作品「ボセス」につながります。

初日のオープニング、パコの「愛のうた」が流れてきただけで涙があふれたのは、そんな思いもあったのでしょう。シギリージャを終えても号泣。あふれる思いがとまらない。あのとき、パコはそこにいたと感じたのは私だけでしょうか。
見事に舞台をつとめあげ、アンコールでどうしても観客に話したいということで、突如袖にいた私がよばれました。通訳は裏方で舞台にでることはまずないのですが、迷わず出て行ったのは彼女の思いを伝えたいということだけで。

サラは自分のキャリアの本格的なスタートとなった国、日本に、彼女のフラメンコの精神的な師であるガデスやパコに会わせてくれた日本に、そしてフラメンコを愛してはぐくんできてくれた日本に、心からの感謝をしている、それを伝えたかったのです。

entregarエントレガールという言葉があります。渡す、ゆだねる、という意味ですが、彼女の舞台はエントレガールそのもの。自分をぜんぶ観客に差し出す、という感じ。だから言葉がわからなくても、フラメンコのことなどなんにもわからなくても、伝わってくるのです。彼女のエネルギーが、彼女の思いが。

久しぶりに一緒に仕事をすることができてとても楽しい数日間でした。











2015年9月22日火曜日

ダビ・パロマールのリサイタル


カディス出身の歌い手で日本にも何度かやってきているダビ・パロマールが、マラガでリサイタルを行う。会場は市立エチェガライ劇場。
カディスの香り高いフラメンコを満喫させてくれることだろう。


◆マラガ エチェガライ劇場のフラメンコ
10/3(土)20時「デノミナシオン・デ・オリヘン」
[出]〈c〉ダビ・パロマル
[場]マラガ エチェガライ劇場
[問]http://www.teatroechegaray.com

2015年9月21日月曜日

セプティエンブレ・エス・フラメンコ終幕エバ・ジェルバブエナ「アイ!」

第1回セプティエンブレ・エス・フラメンコは9月20日マエストランサ劇場でのエバ・ジェルバブエナ公演「アイ」で終幕を迎えた。