2018年11月18日日曜日

森田志保「はな9」

一軒家の大きな居間のような、小さな会場で、
とてつもなく大きな、すごいものを見てしまった。
森田志保の「はな9」

杉並の、閑静な住宅街にある会場、ソノリウム。
マイクはない。
観客の間を通って前に出た森田は白いブラウスに黒いスカート。
スカートの上にエプロンのようなものを後ろ前につけている。
三つ編みに結った髪を後ろに垂らしているその姿は、メキシコ風のようでもあり、三つ編みのせいか、ネイティブアメリカンのようにも見える。

彼女がふっと見上げると、そこには天へと続く空が広がっていくようだ。
すっと手を伸ばすとそれは永遠へと繋がっていく。
なんなんだろう、この感じ。

物売りの口上の歌、プレゴンを歌いながらダビ・ラゴスが登場。
息遣いや、声の細やかなビブラートまで間近に感じられる。
空気が震える。
言葉の一つ一つがはっきりと耳に入っていく。
声の力。

タラント。

声に、歌に呼応するように動く森田。
その動きは、すごく日本的でもある。
だけどムイ・フラメンコなのだ。
森田にしか踊ることができない、彼女だけのフラメンコ。

歌を踊る。
歌を聴いて、すぐさまそれに反応して、応えるようように踊る。
歌のセンティードを明確に捉え、その通りに踊っていくのだ。
それがどれだけすごいことであるか。

スペイン人だって誰もができるわけじゃない。
いやプロだって、できない人が大半だ。
なんだってそれを彼女はこんなにたやすく、自然にやってのけるのだ?

グラナダなど、いろんなエッセンスを感じさせるタンゴで締める。
タラントのタンゴらしい、それまで抑圧されていた感情の解放、
アレグリア、嬉しさや、コラへ、悔しいようなやるせない気持ち、などがカタルシスへと繋がっていく。
緩急自在。
どんどん引き込まれていく。

シギリージャ、ブレリア、ブレリア・ポル・ソレア。

朗々と歌い上げられるロマンセ。

時としてカンテやギターのリサイタルにもみえるのは
主役は踊りだけではなく、フラメンコそのものだからなのだろう。

彼女の踊りに呼応して、歌もギターもどんどん凄みを増していく。
スペイン人一流アルティスタたちに火をつけてしまう。
音と音の間にスペースをとって弾くアルフレドのギターの美しさ。
ダビの伝統に学び現代を生きる暖かな声。
その二人が森田の踊りに夢中になっている。

アレグリアス!
ブラソが描く軌跡の美しさ。強さと優しさ。
胸を開き、風を胸に、宇宙とつながる。

白い羽。
詩的であり、哲学的であり、
でもシンプルにフラメンコだ。
濃厚で、極上のフラメンコだ。

これはもう、本当に、スペインでスペイン人たちに見てもらいたい。
いいものはいいんだ。
わかる人にはわかるはず。

フラメンコの日である11月16日にふさわしい、美しく感動的な公演でありました。
















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