2018年1月20日土曜日

ニームのフラメンコ祭 イスラエル・ガルバン「フィエスタ」

昨年、初演されたイスラエル・ガルバンの最新作「フィエスタ」
これを観るためにニームにやってきた。

客席に入ると幕は開いている。
舞台のバックヤードも袖も、幕もなしにそのまま見せる、裸の舞台。
その上に幾つかの台が並び、舞台の両端、奥には椅子が並ぶ。

薄暗い舞台にウチとニーニョ・デ・エルチェが登場し、ウチのハレオで、エルチェはア、ウ、オ、などの声を発し、フラメンコのような、そうでないような、不思議な雰囲気が生まれる。

イスラエルがこよなく愛するサッカーチーム、ベティスのユニフォームを着たラモン・マルティネスとボボーテが登場。パルマを打つ。
すると客席後方からイスラエルが階段を座って降りてきて、舞台へ上がる。
座ったまま、もしくは芋虫のように寝転がって踊る。

© Jean-Louis Duzert

二次元で踊っているような、不思議な感じ。
でもその動き、その音、すべてがコンパスなのだ。
膝でサパテアード、正座してポーズ。

© Jean-Louis Duzert


いつも見慣れているフラメンコを期待してやってきた人は、なんだこれ、となることだろう。アビニョンのフェスティバルの公演で席を立って出て行った人がいるというのも理解できないわけではない。
でも、楽しい。

普通のフラメンコの舞台からレトラをなくすとどうなるか。
なぜフラメンコは立って踊るのか。座ったままではダメなのか。じゃ寝てでは?
いつもこれが当然と思っていること、いわばフラメンコの常識を疑うことで始まっている、実験室/研究所のような感じ。

ジャジーなボーカルとコンパスは合うのか?
オペラ的な歌ではどうか。アラブのメロディでは?
意味のない音では踊れないのか。
歌い手が踊ってはいけないのか、踊り手が歌うのはどうだ。
次々と命題が示されるような感じ。
誰がリミットを作るんだ?

聖週間やフェリアやお葬式、テレビ、テレビ牧師などを茶化すような感じの場面もあるけれど、本当にそうなのか、何が正解なのか実際わからない。
その意味では前作、「フラコメン」よりも複雑かも?
でも、楽しい。

生ハムの骨で作ったギター。

© Jean-Louis Duzert

ズボンを脱いでパンツにサポーターで踊りまくる。
ポテトチップ。
動く台。
© Jean-Louis Duzert

壊れたピアノ?の上でのダンス。
歯を指で叩き、口の開け締めで、または靴を引きずって、と様々な音で踊り狂う。

人生はフィエスタ。
踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損。
ではないけれど、
私たちはフィエスタの真っ只中にいる。
楽しまなきゃ、ね。
楽しんだ者勝ちである。


楽しかった。
終演後、笑みが消えない。
それでもって、いろんなことを考えさせる。
何が正しくて何が間違いなのか。

© Jean-Louis Duzert


その後、イスラエルと話していたら
「作品はできている。あとはどう見るかは観客次第」
とのこと。
なるほど、なのである。

自由だな














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