2016年9月25日日曜日

ファルキート「バイレ・モレーノ」

マエストランサ劇場でファルキート。

「バイレ・モレーノ」
モレーノは褐色の、という意味で、褐色の肌をもつ人のことをさすが、ファルキートの父である歌い手、故フアン・フェルナンデスの芸名でもある。その父への思いをかたちにしたのがこの作品。

幕が開いただけで拍手がおこる、というのもファルキートの人気のほどを示している。
上手手前の安楽椅子に腰掛け赤ちゃんを抱くファルキート。その子をゆりかごにねかしつける。

舞台全体が明るくなり、中央奥の坂から馬の足取りで、バイラオール二人、バルージョとポリートがやってくる。舞台一杯にカンポ、田舎に生きる人たち。男女二人ずつの踊り手たちだけでなく、同じく男女二人ずつの歌い手たち、そしてトロンボもバストン売りで、舞台を構成する。衣装も昔の普段着風だ。

バストンを使ったシギリージャ。バルージョとの争いの場面からポリートも加わって三人でバストンの持ち手をひっかけて三人で回ったり。バストン技がこれでもかと繰り出され、最後は両手に持ってのパーカッション使い。

Archivo Fotográfico La Bienal de Flamenco. Fotógrafo Óscar Romero.

下手手前の小さなバルカウンターでのブレリア。ペペ・デ・プーラとアントニオ・ビジャールの歌で、ポリート、バルージョ、ファルキートと踊り継いで行く。それぞれにみせるのだが、やっぱりファルキート! レトラの最中におかまいなしに強く足を入れる二人とは違い、歌をレスペト、敬意をはらって、歌っている時は基本マルカールのみ。ここで締めだぞ、というポイントにきてから足をいれる。歌を知り尽くしている彼だからこそのこの、歌と踊りの関係がファルキート一番の特徴だろう。

Archivo Fotográfico La Bienal de Flamenco. Fotógrafo Óscar Romero.


上手で女たちがたき火をかこんで、火を強くしようと手に持った紙やスカートで風をおくっている。そこではじまるタンゴの宴。踊り手二人、マリナ・バリエンテとヘマ・モネオのファルキートをめぐる恋のさやあて。ヘマはヘレスでみたときより、また成長しているように思う。身体、とくに胴体の使い方など勉強すれば、もっとよくなる部分はまだあるのだが、もっている雰囲気がすごくいい。フラメンコ感覚がどんどんとぎすまされていっているというかんじ。これからも楽しみな才能だ。マリナは長い巻き毛を連獅子のように振り乱す。あまり上品ではない、はすっぱな感じがこれもまたセビージャだよね、と思わせる。

ファルキートはヘマを選び、愛のよろこびをアレグリアスで踊る。 満面の笑み。マエストランサ劇場の大きな舞台をすーっと瞬間移動のようにすべりいく。

下手より花嫁衣装のヘマが現れ、ファルキートは上手で着替えて結婚式。アルボレアが歌われ、結婚式の宴。

Archivo Fotográfico La Bienal de Flamenco. Fotógrafo Óscar Romero.

新郎新婦が上手から下手へ、赤ちゃんを抱いてやってきたとかと思うと、下手から上手へと進むとこどもーファルキートの息子フアン・エル・モレーノをーつれてやってくる。

息子を含む、帽子で顔を隠した3人がポーズ。上手の安楽椅子のファルキートも帽子。そこにながれてくるソレア。父モレーノの熱唱だ。

Archivo Fotográfico La Bienal de Flamenco. Fotógrafo Óscar Romero.

下手奥からの葬列。泣き崩れる女。
失意から救うのは子供。未来への希望。

Archivo Fotográfico La Bienal de Flamenco. Fotógrafo Óscar Romero.
父や祖父の死を乗り越えて、未来へと進む力。
最後はフィエスタ。 ここでもこども、フアン・エル・モレーノがすごかった。

4、5歳だと思われるのだが、かつての父ファルキートと同様、コンパス感がはんぱない。回転も完璧。アンコールでよばれたときも、父のところではなく、直接舞台前面中央に進む武体人ぶり。こうして血が続いていく、亡き祖父の名前をついで。


Archivo Fotográfico La Bienal de Flamenco. Fotógrafo Óscar Romero.
作品としては、よく整理されていてわかりやすい。父の故郷(ウエルバ県アルモンテ)であるカンポ、バルでのブレリア、たき火を禍根での宴、結婚…彼らのビダ、人生、生活にある一風景を切り取り、父を思う。それは父の人生でもあり、祖父の人生でもあり、彼の人生でもある。公演先のブエノスアイレスの舞台で公演中に亡くなった父を思い出し、この作品をつくることはある意味、彼にとってのセラピーだったのかもしれない。
 1時間ちょっとの短い作品だが、それだけに内容十分。みごたえはある。
舞踊、そしてファルキートの魅力を満喫するなら夏、ラ・ウニオンでみた「インプロビサオ」の方が絶対いい。純粋にフラメンコを楽しみたい人には今回の公演はちょっと残念だったと思うところもあるかもしれない。でも、これはこれでいい、と思う。
ファルキートが語りたかった父のこと。父への思いが伝わってきたせいか、録音のソレアでは涙がでた。

Archivo Fotográfico La Bienal de Flamenco. Fotógrafo Óscar Romero.





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