2026年4月11日土曜日

ロシオ・モリーナ『カレンタミエント』

いやもう本当に何から話せばいいんだろう。とにかく最高、とにかくすごい。天才。

作品って、本と同じで、そこにあるものをどう読むか、読み解くか、感じるか、は読み手次第。人生経験や知識、はては精神状態や身体のコンディション、全てが関わってくる。

ロシオの新作はマドリードの初演見た人みんながとにかくすごい、とにかくいい、っていい話しか聞かなかったし、前日の記者会見とお話会でネタバレもだいぶありながら、色々前知識も入れてはいたんだけど、それでもやっぱり驚嘆、感嘆、感動、称賛、感服…で、最高のものを見たという高揚感、天にも昇る心もちというか、ニヤニヤとふわふわ。

開場したばかりの劇場から大音量で聞こえてくるラス・グレカスやマレルー のルンバ。それに誘われて座席に着くと舞台にはすでにロシオがいて軽く足ならし中。その後ストレッチというか体操というか、準備運動的な動きを次々に。カレンタミエントのためのカレンタミエント、ウォームアップのためのウォームアップ。前日に、家で朝起きて、掃除したりするのもウォームアップのためのウォームアップになっているって言ってたことを思い出す。踊りが中心の生活というのか生活の中に踊りがあるというのか。踊りなしの人生生活は考えられないといえばいいのかな、そんな生き方。

「ハビエル音量下げて」と音響さんに声をかけるのが作品のスタート。でもロシオは言う「始まりがないから終わりもない」。ずっと基本の足をやりながらあれこれ話し続ける。お芝居?ではあるのだろうけど、もともと彼女の中から出た言葉なので(あろうから)とてもナチュラルで心に響く。熱。汗。痛み。身体。踊ることで自分を知る。踊りに直接関係のある話だったり違ったり。アドリブで客席にいるアンドレス・マリンの名前が出たり。記者会見の時に今後の予定を聞いた時2年後まで予定が入っていると言っていて、日本にもぜひと言った時、日本語話さなくちゃ、と笑っていたわけがわかった。膨大なセリフにアドリブ。これは字幕も難しいし、同時通訳も難しい。舞踊や音楽公演は通常、セリフはないし、語りがあっても決まっているから問題ないけど、これは難しい。でもフラメンコ好きな、特に踊る人には聞いてもらいたいこともいっぱい。

バッハ?で上体の動きを少しやったり、スペインのバルのテラスによくあるような金属製の椅子と踊ったり、その椅子でいっぱいの上手にある箱のなかで歌い踊る4人のフィエスタや、その箱の前面がミラ〜になっていて、それ見ながらのオルーコとのクラス(すごいスピードでトリプレとかしちゃうのであった)だったり、オルーコと向かい合っての椅子に座ったままの激しい誘惑の踊りだったり、いろんな場面が展開していくのだけど、その一つ一つに意味がいくつもあるように見え、しかも全てがすごくリアルで。フィエスタのぞきながら入れないとことか、フィエスタの終わりに出れなくなっちゃう子がいて助けに行くとことか、オルーコの値踏みするような感じとか厳しい声とか。入れないなら、ってドラム叩いたり。もう色々あって、なんか全部は思い出せないし、書いてる順番もぐちゃぐちゃなんだけど、とにかくいろんな要素が全部、色々考えさせるから、こっちも熱くなってくる。終わってもずっと彼女は足踏んでいて、いやこれw足しらいたら永遠にやってるから帰らなくちゃ、ってなるという。完璧な作品。

終演後友達と喋っている時、箱は頭の中じゃない?っていうのを聞いて、そういうふうにも考えられるかと思いつつ、私的には閉鎖的なフラメンコ界のことじゃ?と思ってたり、うがった見方をすればどんどん妄想的に膨らませられるし、素直に凄技を堪能してもいいし、どんな風にも見ることができるわけで。

いやあ、もう本当に、頭一つも二つも抜きん出てる。こちらに色々考えさせるってのがすごい。いや、もちろん技もすごいけど。

多分彼女は何がしたいか、何が好きか嫌いかが自分ではっきりわかっている人なんだと思う。だから凄腕演出家の力を借りてこんなふうにすごい作品ができちゃうんだろう。

フラメンコです。めっちゃフラメンコです。で、フラメンコってなんだろう、ってまた考えさせてくれる。そんな作品。グラナダまでもう一度見に行ってしまおうかな。



開演前



バルセロナ公演の予告ビデオありましたので貼っておきますね。ライブで見るともっとずっとすごいよ。












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