2025年3月4日火曜日

ヘレスのフェスティバル11日目ルイサ・パリシオ『ペンウルティモ・クプレ』

 作品作りは本当に難しい、と再び、思わされたことでありました。

まずはビデオを見て貰えばわかることだけど、限りなく芝居に近い舞台。というか芝居の中にフラメンコが入っていて、演者は歌い踊りセリフを言う。そのセリフが説明的でしかも大量。

セリフの多いミュージカルって感じ。


舞台は20世紀初期のチェリートと言う芸名のスペイン歌謡のアーティストがオーナーの楽屋。お金がなくてろくに食べられなかったとか、儲かったお金は全部自分に使ってしまったとか、などの会話から、いまある女性の権利獲得までには彼女たちの苦労もあった、100年後にはフェミニズム、女性主義なんて言葉がないといいのに、と言う、まあ、なんと言うかちょっとプロパガンダ的なところもある作品。
© Festival de Jerez/Tamara Pastora

© Festival de Jerez/Tamara Pastora



ルイサはマラガ出身で、へーレン財団フラメンコ芸術学校に学び、今は同校教授。ミラグロス・メンヒバルの愛弟子で、バタ・デ・コーラやマントンの技術に定評のある、女性らしい優美な舞踊を得意とする踊り手。昔はミラグロをそのままなぞったミニ・ミラグロという感じだったのが、最近はミラグロに学んだ技術を咀嚼して、しっかり自分のスタイルが出てきている感じで、だから楽しみにしていたのではありますが。
© Festival de Jerez/Tamara Pastora
© Festival de Jerez/Tamara Pastora



この作品でもバタやマントンもしっかり見せてくれるし、流石の美しさなので、それはいいのだけど、お芝居部分がどうしても余計に感じてしまう。
言語の壁を超えて伝えることができるのが舞踊なのに、説明的なセリフを踊り手がいうことで、踊りが主役にならない。ガデスの『血の婚礼』や国立の『メデア』のような名作は、解説を読まなくてもあらすじが理解でき物語の世界に引き込まれてしまう。
また、リニャンが成功したからか、踊り手が歌う、歌い手が踊るのも流行りなのかもだけど、歌い手が歌だけに、踊り手が踊りだけに集中した方がいい舞台になるということもあるようにも思う。ま、これは人によるのかもだけどね。

装置や照明なども工夫して頑張っていたとは思うけど、私は踊りが生きる、踊り手がよりよく見える、そんな作品を見たいのであります。



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