2021年1月9日土曜日

新年早々悲しい知らせ

 新年のご挨拶もしないうちに、悲しい知らせが飛び込んできました。


1月7日に亡くなったのはアルフォンソ・エドゥアルド・ペレス・オロスコ。文化畑のジャーナリストで、全国的には国営放送の映画紹介の番組で有名で、新聞の追悼記事でもそのことを主に書いています。が、ラジオでフラメンコ番組を持っていたこともあり、1986年の第4回ビエナル監督を兄ホセ・マリアとともに務め、後年、フラメンコ・オイというビデオマガジンを発刊。ビデオ自体は短命だったけれど、その名を冠した賞、プレミオ・フラメンコ・オイは2016年、第17回まで続いていました。もっとも後半は彼は表舞台から遠ざかり、他の人が仕切っていましたが。

2009年の授賞式の写真に彼が写っていました。

エル・ペレと

ロシオ・モリーナ、ファルーと。

1940年セビージャ県、モンテジャノの生まれ。1960年にラジオで音楽番組を始め、1974年から81年まで国営放送で映画についての情報番組で名をあげ、映画雑誌を作ったり、セビージャ映画祭の初代監督をも務めました。音楽、映画、フラメンコ、と多方面で活躍したアルフォンソ・エドゥアルド。フラメンコ・オイの賞は、アカデミー賞をなぞり、フラメンコ関係者が投票。若手のバイオグラフィーに1行を加えることとなり、フラメンコのプロモーションに役立ったことは確かです。ご冥福を祈ります。


そして今日、8日届いたのはギタリスト、マノロ・ブレネスがなくなったという知らせ。1928年セビージャ県ブレネス生まれ。本名マヌエル・デルガード・ララ。母は歌い手、ニーニャ・デ・ブレネス、父はギタリスト、ホセ・カルモナ。歌い手としてキャリアを始め(レコードも録音しているそう)、後、ギタリストに転向。アントニオ・マイレーナやホセ・メネセやベニ・デ・カディスら数多くの歌い手たちを伴奏しました。

1988年ベニ・デ・カディスの伴奏で




安らかに。


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