本名マヌエル・デ・ロス・サントス・パストール。
1939年かディス県ロタの生まれというが、1936年ヘレス生まれともいう。
実際問題、書類が残っていないとは本人の弁。
父アグヘータ・エル・ビエホ、 息子アントニオ、娘ドローレスも歌い手で
弟たち、ルイスや故フアンらもセミプロの歌い手。
黒い音といわれる、マヌエル・トーレの流派を受け継ぐといわれ、 シギリージャ、マルティネーテ、ファンダンゴを得意とした。
70年代はじめにマドリードで録音し、77年にはヘレスのフラメンコ学会のプレミオ・ナショナルを受賞。その後も多くの録音を行っている。
上にあげたカルロス・サウラ監督の映画「フラメンコ」のほか、ドミニク・アベル監督が彼を描いたドキュメンタリー「アグヘータ、カンタオール」がある。
もう20年以上前になるだろうか。
ある夏、ヘレスの町のまんなかで、すっくと立っていた彼をみかけた。
真夏なのにもかかわらずウールの背広でびしっときめていた。
近寄り難い迫力。
無頼派で、舞台からギタリストや観客を叱りつけたりする。
野獣などともいわれたが、実は全て計算ずくだったのではないか、という気もする。
もうずいぶん前のインタビューで「カンタオールは二人しか残っていない、チョコラーテと俺だ」といっていた彼。彼の持論からするとフラメンコは今日終わったことになる。
何度も劇場やフェスティバルで聴いたけど、私はその一番すごいものをみることはできなかった。残念。
ただ唯一無比の歌い手だったことはたしかだ。彼のような歌い手は出てこないだろう。
合掌。
空の上からか、か、かと笑っているような気がする。
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