2009年8月11日火曜日

フラメンコのメッカでフラメンコをみる その2




「今日、昼間会ったときに、この学校で歌うのは50年ぶりだ、といってました」
とのアグスティンの紹介で舞台に登場したエンリケ・ソト。
「いつもこの学校のフィン・デ・クルソ(学年末に行う学芸会)で弟ビセンテと歌ってました。
またここで歌うとは…」
とあいさつしてから歌いはじめたエンリケ。
伴奏はマヌエル・モラオの孫、ペペ・デル・モラオ。ギターを慈しむように寄り添ってファルセータを弾き始める。カンテ・デ・レバンテ。
エンリケはヘレスはここ、サンティアゴ街の生まれ。父はマヌエル・ソト“ソルデーラ”。
弟に歌い手のビセンテ・ソト、パルメーロのボー、元ケタマのホセリート・ソトがいる。
父と、家族とともにタブラオなどでの仕事のためマドリードに移り、そこでアルティスタとしてのキャリアをはじめた。現在は元踊り手だった妻の故郷であるセビージャ在住。
エバ・ジェルバブエナらへの伴唱でおなじみだ。
「カディスへ行こう!」
との声ではじまった、アレグリアス。舞踊伴唱で鍛えたコンパスは鉄壁。自然にカンティーニャへと続く。
舞台横にはいつのまに来たのかモライートが、エンリケの末弟、ホセリート・ソトと座って舞台をみつめている。

公演している間はバルもお休み。ほとんどのこどもたちも静かに舞台に見入っている。
ソレア。
ヘレスらしい深みをもって胸にせまってくる。ペペはふだんからエンリケの伴奏をしているわけではないが、そこは同じヘレスのヒターノ。あうんの呼吸できまる。
最後はもちろんブレリア。弟ボーがカンタローテのファミリーと舞台に上がりパルマをつとめる。
最前列にいたこどもが踊りはじめる。パルマこそたたかないものの、あちらこちらのヒターノからだがコンパスにゆれている。さすがフラメンコのメッカ。
アルティスタに敬意を表し、舞台の邪魔は決してしないが、コンパスのうねりに身を任せ、心から楽しんでいる。

これでおしまい、と思ったら最初のペーニャのグループが再び舞台に上がり、ブレリアがはじまる。
女たちもこどもたちも舞台に上がる。歌をききつつウナ・パタイータ。
ちょっとてれて、小さく小さく、踊っている男の子。が、コンパスははずさない。
堂々と踊った6歳くらいの女の子。が、この夜、一番のブレリアはまだ2歳だという女の子。
タン、タタタン。スカートをちょっとつまんでほんの少し腰や腕を動かすだけなのだがこれがまたなんともフラメンコなのだ。
こどもたちのフラメンコはいつ観ても楽しいけどときにはやりすぎ、というのか、受け狙いというのか、ちょっと痛々しい思いをすることがある。が、この子たちのブレリアは、こどもたち自身が楽しいから踊っている、というブレリア。無比のコンパスに乗って、ちょいちょいと、足をふんで、ひっこんでいく。生活の中にフラメンコが息づいているヘレスならではのブレリアだ。きっとこの子は大人になっても、結婚式や洗礼のフィエスタで、パルマにのってちょこちょこっとブレリアを踊っていることだろう。

ヘレスはやっぱフラメンコメッカ。あのパルマにこの観客。
フラメンコをまったく知らない人があの場にいたとしても私と同じように、いやひょっとすると私以上に楽しんだことだろう。
ヘレスのサンティアゴ街にはまだ、空気のように取り立てて意識もしない自然なフラメンコが残っている。
フラメンコを愛するものにとっての極楽、それがヘレスなのかもしれない。

2009年8月9日日曜日

フラメンコのメッカでフラメンコをみる その1


いやー楽しゅうございました。
昨晩はともだちとヘレスはサンティアゴ街のペーニャ、ルイス・デ・ラ・ピカ主催の
フラメンコ公演シリーズ「ノーチェス・デ・コリント」のエンリケ・ソトのリサイタルへと
でかけてきたのですが、いやーこれがほんと文句なく楽しかったんですよ、これが。

開演予定は22時半ときいていたのでそれにあわせてでかけたのですが
22時過ぎでもまだ会場はがらーん。。。あ、この会場というのが、サンティアゴ街のまんなかにある元小学校。その校庭に仮設舞台がもうけられて、椅子が並んでいるわけですね。

ん?と思いつつもバルコーナーへ。
はい。夏の夜のフラメンコはやっぱり一杯やらないと。
ビール1杯1ユーロとめちゃ良心的なお値段。
おつまみは魚の唐揚げ。イカとアドボ(鮫とか白身の魚をころころっと切ってお酢で下味をつけあげたもの。アンダルシアの揚げ魚やサン、フレイドゥリアの定番。おいしいよん。いわしでやってもうまいです。)がたっぷり盛り合わせられて6ユーロ。うまいっ。

ふとみると、カウンターの中にヘレスの歌い手、エル・キニ。モンタイート(小さめのパンのサンドイッチ)をほおばっている。
え?なに、今日はカマレーロ(ウエイター)なの?、ときくと笑顔で
「いや歌うんだよ」
リサイタルの前にペーニャのメンバーが歌うんだそうだ。
ペーニャのメンバーというと普通はアマチュアが多いのだがこのペーニャのメンバーは
アルティスタの家族でこどものころからフラメンコに親しんだ者ばかりで、
アルティスタとして活躍している人が多いのですね。
サンティアゴ街の若手フラメンコ・アルティスタのほとんどがこのペーニャの会員といってもいいくらい。うーん期待倍増。
魚をつまみにビールを飲んでいるとちらほら知った顔がやってくる。
昔、長嶺ヤス子さんの公演で日本に行ったこともあるという歌い手のペペ・デ・ラ・ホアキーナ。孫娘に鼻の下をのばしている。
白いシャツに黒いネクタイできめているのはパーカッショニストのルイス・カラス
ギタリスト、ペリキンことニーニョ・ヘロの末っ子で私はこどもの頃から知っている。フェリアでカセータの仕事のあるペリキンに代わって遊園地へ連れて行ったこともあるという。。。今やレメディオス・アマジャの娘サマラと結婚して一児の父。私が年をとるわけだ。。。
バルのキッチンから顔をだしたのはその兄ノノ。ひょろっと背の高い彼もルイス同様、ペーニャのメンバー。歌も歌うしギターも弾くが今日はキッチンで活躍中。
ひょっこりやってきたのは、彼らよりも少し若いマルーコ。ふだんは地元のタブラオで歌う歌い手だが、今日は休みとか。
彼の父はパルメーロのボー。つまりソルデーラの孫、今夜の主役エンリケの甥である。
ついでにいえば母の兄がディエゴ・カラスコという、血統書付きのフラメンコだ。
映画「フラメンコ」のファーストシーンにもちらっと登場している。あのときは5歳くらいだったのかな。
サンティアゴのバル、アルコ・デ・サンティアゴの主人アグスティンも白地に刺繍のシャツでばっちり決めている。
「いや、司会をしなくちゃ、なんだよ」

23時。ようやく人が集まって来たので席を探す。そこでラ・ベンタに遭遇。その昔、「メ・ドゥエレ・コラソン・デ・ケレール・タント」というルンバでヒットを飛ばした歌い手。
昔彼女とレメディオス・アマジャとエンリケ・ソトと、スペイン版お盆みたいな死者の日になーんにもない野原でフィエスタしたよねえ、と懐かしく話す。
その隣には彼女の妹でディエゴ・カラスコの奥さん、マヌエラ。
ふとみるとむこうにはモライートの奥さんフアナの顔も。
フラメンコの世界はまだまだ男尊女卑、ではないけれど、男性が圧倒的に多い。
で、たいていは奥さんは家で留守番というか家事に忙しくあま出歩かない、というのが定番なんだけど、こういう地域の催しには皆おしゃれをしてやってくるんですね。
ヒターナたちのおしゃれをみているだけで楽しい。
一言でいえば派手、なんです。それもにぎやかな感じ。
ミニマリズムとか、シックとかでは決してない華やかさ。
原色が褐色の肌によく似合う、っていうのもあるかもしれない。
体型に関係なく身体のラインを強調した、いわゆるイケイケのボディコン(死語)が多いのは女性らしさを強調するためかな。そ、体型にNGはない。太っていても魅力的なグアパが多いのがすばらしい。。。とスペインで20キロ太った私は感じ入るのでありました。
そのヒターナたちはたいてい、こども連れ、孫連れでやってきている、というのも楽しい。
地域のお祭り、的感覚なんですね。お子たちもそれぞれにおしゃれ。
細かい花柄のワンピースにサテンのリボン、50年代?っていうようなクラシックなファッションの子もいれば、イケイケのおかーさん好みか、太いベルトでばっちり決めたラメの入ったズックの女の子も。男の子たちも髪の毛をぴんぴん立てた今風の子もいれば、七三になでつけた髪にポロシャツという優等生風ファッションも。
そのこどもたちが会場中を走り回っている。なんとも幸福な風景だ。
ヒターノたちにまじって、フラメンコ留学生らしき外国人もちらほら。
またフラメンコ好きなヒターノでないスペイン人たちも。
この場では、人種も、世代も、男女の差もなーんにも関係ない。
ただ、夏の一夜をフラメンコで楽しく過ごしたいだけ。
これってひょっとするとパライソ、極楽かもしれない。
いや、フラメンコ好きにとっては天国に違いない。

23時半。アグスティンの紹介でようやくはじまったコンサート。
さっきバルにいたエル・キニのブレリアが幕開け。
舞台にずらっと並んだ中にはキニやマルーコ、その父ボーのように昔からの知り合いもいれば、顔だけ知ってる人も、知らない顔も。が、そのパルマは天下無敵。
ヘレスのパルマは歩くように自然なリズム。緊張感に満ちたマドリードのそれとは一線を画す。ヘレスのパルメーロはたいてい、膝を軽く曲げて、足でアクセントをとりながらパルマをたたく。実際に足踏みするように両足でリズムをとることもある。呼吸のように、超ナチュラルなリズムはこうして生み出されているのだ。本人たちにはその自覚はないかもだけど。
エル・キニが歌って踊ってきめるとお次はマルーコ。ケタマ風のタンゴをやさしく歌う。
続いてマヌエル・デ・チョチェーテ。こどもの頃テレビのスター誕生的番組に出演していた彼も今や少年。まだ若いのにヘレスのおやじ風のパソできめるのがまたうれしい。
バルでときたまみかける青年が、なんともいえないフラメンコなしゃがれ声でブレリアをちょっときめれば、黄色のぴたっとしたジーンズに黒シャツの胸を大きくはだけ、髪はぴんぴんに立てた一目をひく出で立ちの青年がブレリアをうたいはじめる。おどけた歌詞に場内がわく。あとできいたらフェルナンド・デ・ラ・モレーナの息子、フアンとのこと。なるほど、父の得意の歌詞もでてくるわけだ。
フィン・デ・フィエスタはボーとパーカッション奏者でもあるフアニート・グランデがみごとなパタイータ、一振りを決める。男ばかりで色気はないが、それもまた楽しい。

いつのまにかパティオは満員。そんな中でもあちこち知った顔がみえる。
休憩時間にはミゲル・ポベーダのパルメーロでホアキン・グリロの弟、カルロス・グリロルイス・カンタローテ、アントニオ・ガデス舞踊団の歌い手フアニャーレス、エンリケ・ソトのすぐ下の弟でマドリード在住の歌い手ビセンテ・ソト、歌い手カプージョのギタリストで、さっき会ったルイス・カラスコやノノの兄、マヌエル・ヘロなどに挨拶しながらバル・コーナーでビール。一息つくといよいよエンリケのリサイタルだ。(この項続く)





2009年8月8日土曜日

マドリード ララ劇場のフラメンコ

マドリードの夏はフラメンコ公演がめじろおしという話を前にかきましたが
もうひとつありました。
ララ劇場のフラメンコ公演でございます。

プログラムは以下の通り。すべて21時開演です。
13日(木)〈c〉セリア・フローレス(アントニオ・ガデスの娘でルンバ系のCDをだしてます)
14日(金)〈piano〉ラウラ・デ・ロス・アンヘレス
17日(月)〈c〉アウロラ(その昔、「ベソス・デ・カラメロ」というヒット曲だしました)
18日(火)〈b〉ミゲル・カーニャス(エル・フラメンコにもきてましたね。カナーレス門下)
19日(水)〈g〉ラファエル・リケーニ(トリアーナ出身の天才ギタリスト)
20日(木)21日(金)〈b〉マリア・カラスコ舞踊団「フラメンコ・リブレ」
22日(土)〈c〉モンセ・コルテス
24日(月)〈c〉マリア・バルガス(パコ・デ・ルシア伴奏での録音もあるベテランカンタオーラ)
25日(火)〈c〉エンリケ・ベルムデス“エル・ピクラベ”(注目の若手カンタオール)
29日(土)パタ・ネグラ(ご存知セビージャのフラメンコロック。ラファエル・アマドール)

こうみてくると個人的にひかれるのはリケーニとパタ・ネグラかな。
どちらも久しぶりの登場なんでみてみたい気が。。。

2009年8月6日木曜日

エバ・ジェルバブエナのクルシージョ

エバ・ジェルバブエナといえば現代フラメンコを代表するアーティスト。
この秋の日本公演も楽しみです。

がそれにさきがけ9月7日から13日までセビージャのドス・エルマナスでセミナーが開催されます。
ドス・エルマナスはセビージャからバスで20分くらいの町。電車だと15分ほどです。
ここの市立フアン・ロドリゲス・ロメーロ劇場で午前、午後とみっちり開催されます。
このセミナーがふつうのクルシージョとちがうのは講義。
フラメンコ作品制作の実際をまなぶため、エバの作品の制作にたずさわる演出家や照明デザイナー、衣装デザイナーなどがやってきて、どのようにして作品をつくるのか、を学ぶわけなのです。
実際のプログラムは、といいますと、
午前中は月曜から日曜までの7日間、10時から2時間舞踊のクラス。身体のつかいかたやテクニックをソレア、シギリージャ、アレグリアス、タンゴ、ブレリアといったフラメンコ曲への振付けを通して学んでいきます。
午後は18時から1時間専門家による講義のあと、エバも話に加わって演習で終了は21時。
講義は
月曜に演出家がアイデアを実際にどう構成して作品にするかを話し、
火曜は舞台美術家と照明デザイナーが登場
水曜は衣装デザイナー3人がやってきて
木曜はギタリスト、パコ・ハラーナがギターについて
金曜は歌い手、セグンド・ファルコンが舞踊とカンテについて話し、
土曜はエバがフラメンコの表現力について話します。
そして日曜の午前の舞踊のクラスで終了。

もうしこみはこちらから。
講義はすべてスペイン語ですので、そちらの方の実力も必要ですね。。。
興味のある人はといあわせてみてください。
私も午後のクラスをのぞきにいきたいかも。。。

2009年8月5日水曜日

ヘレス 夏の夜のフラメンコ映画とペーニャ

なんかまたヘレス?
といわれそうですが、昨日からヘレスのアンダルシア・フラメンコ・センターでフラメンコ映画の上映会がはじまりました。8月中の毎週火曜、22時からの上映です。
今年はドキュメンタリー
(そう、これがDVDとして購入できるのはなんと日本だけ、なのです)
来週以降は
8月18日「エスパーニャ・オトラ・ベス」(1969年スペイン)
8月25日「トリアーナ、パライソ・ペルディード」(2008年スペイン)

昨年のビエナルでスペイン初公開された「フラメンコ・ミ・ビダ」は未見ですが、マティルデ・コラルやジェルバブエナ、ソラジャ・クラビホ、ディエゴ・デ・モロンらスペインのアルティスタたちが出演しているようです。また日本でも撮影し、遠藤あや子さんや北島歩さんなども出演してるとか。。。
市民戦争の人民戦線で戦ったアメリカ人が会議でスペインにやってくるという物語の「エスパーニャ・オトラ・ベス」にはマヌエラ・バルガス、フォスフォリート、マノロ・ブレネスらも出演しているそうです。
25 日の「トリアーナ」はテレビ用のドキュメンタリーで、これはテレビ放映されたのをみましたが、トリアーナのヒターノたちの話がとても興味深いものです。。。

また、サンティアゴ街のペーニャ、ルイス・デ・ラ・ピカでは毎週土曜日にライブを開催。
8月8日 〈c〉エンリケ・ソト,〈g〉ペペ・デル・モラオ
8月22日 〈c〉 ルイス・モネオ、〈g〉フアン・マヌエル・モネオ
8月29日 〈c〉ホアキン・エル・サンボ、〈g〉ニーニョ・ヘロ
(15日は祝日でお休み)
と、これまた地元のアルティスタたちが登場予定です。

というわけで、8月のヘレスの夜は
火曜は映画、金曜はシネ・アストリアでのライブ、土曜はサンティアゴ街のルイス・デ・ラ・ピカのペーニャでのライブ、とフラメンコを堪能できそうです。

2009年8月4日火曜日

トリアーナ 国際フラメンコ・ミーティング

なる催しが9月25、26の両日、セビージャはトリアーナで開かれます。
これから2年ごと、ビエナルのない年に開催予定とか。
うん、それでここ数年毎年6月に開催されていたトリアーナのフラメンコ・フェスティバルが今年はなかったんですね。。。

プログラムは
9月25日18時 フラメンコ研究家エミリオ・ヒメネスによるソレア・デ・トリアーナについて       の講演
    23時 ソレア・デ・トリアーナの公演(出演者未定)
9月26日11時 クリスティーナ・オヨス、マヌエル・ベタンソとフラメンコ批評家マヌエル・       マルティン・マルティンによる座談会
    18時 「女性 トリアーナの大使」マティルデ・コラル、アウロラ・バルガス、ペパ・       モンテス、ミラグロス・メンヒバル、フアナ・ラ・デル・レブエロ
    23時  ピラール・アストラ「タルドンのバイレ」公演

という予定。講演はホテル・アバ・トリアーナで、また公演は川沿いのパセオ・デ・ラ・オで行われるということです。
こうしてみるとトリアーナゆかりのアルティスタっていっぱいいますねえ。あ、クリスティーナ・オヨスはトリアーナにかつて事務所をかまえていたけど、この町の出身ではないはず…。

国際とうたっているのは、おそらく国外からの参加者をみこしてのことでしょう。
国際色そえるために私も顔を出そうかな。。。

2009年8月3日月曜日

ペガラハルのフェスティバル



8月1日土曜日はハエンのペガラハルのフェスティバルに行ってきました。
ペガラハルは、ハエンから20キロほどグラナダ方面に行ったところにある人口3千人の町ですが
この町のフラメンコ・フェスティバルは今年で41回という歴史のあるもの。
かつてはカマロンやファルーコなども出演したといいます。
今年の出演はカンテが、マヌエル・ヘレーナ、ナノ・デ・ヘレス、マリアーナ・コルネホ、アントニオ・レジェス、ラ・タナ、そしてバイレがエル・ミステーラというなかなか渋い面々。
また、71年にこの町のカンテコンクールで優勝したベテラン・カンタオール、マヌエル・ヘレーナに捧げられました。

マヌエル・ヘレーナはセビージャ県プエブラ・デ・カサージャという、多くの歌い手たちを世におくりだしている町の生まれで、23歳からプロとして活動。自由な表現活動ができなかったフランコ独裁政権下で自由をうたうなど、社会的な歌詞で何度も逮捕されたりしましたが、70年代の人気カンタオールの一人です。

フェスティバルの開幕は23時半。実際にはじまったのは24時過ぎでした。
カディスの明るい光をはこんできたようなマリアーナ・コルネホ、年をへてだんだんお父さん(鍛冶屋兼歌い手のティオ・フアネ)に似てきたナノ・デ・ヘレスら、ベテラン勢がブレリアなどを中心に楽しくきかせてくれました。
というのも折から町はお祭りで、すぐ近くにある移動遊園地やディスコのにぎやかな音楽がきこえてくるので、マルティネーテなどをじっくり聴く雰囲気ではないからでしょう。
バイレのミステーラは十八番のソレアで観客を総立ちにしました。

私は一部が終わった3時すぎに帰ったのですが、うーん、きっとこの分だと全部終わるのは朝方6時ぐらいだったのではないでしょうか。。。

昔ながらのフェスティバルも楽しいものですが、ほんと体力がいりますね。