2017年9月29日金曜日

日本のフラメンコ「レエンクエントロ・フラメンコ・ライブ」

小島章司フラメンコ舞踊団出身の踊り手たち5人によるレエンクエントロ・フラメンコ・ライブは9月28日南青山マンダラで。


前田可奈子の企画で集まったのは、現在名古屋の萩原朋子、仙台の藤井かおる、鍵田真由美/佐藤浩希や石井智子らの公演にも出演するなど活躍中の松井知也、この中では一番のベテラン時枝典子。90年代後半から2000年ごろに同じ舞台に立っていた仲間たちによる舞台だ。

阿部真のカンテ、松村哲志のギターをバックに、セビジャーナスのオープニングのあと、萩原がティエント/タンゴ、藤井がソレア、松田はグアヒーラ、ブレリアのギターソロを挟んで、時枝のシギリージャ、前田のアレグリアス、最後は全員でタンゴ。
なめらかな動きの萩原、藤井も流麗な動きだがソレアらしい重みもある。松田のグアヒーラは中折れ帽を使って。ソロを見るのは初めてだが、以前より体幹が強くなった感じ。曲も演出で色々できそうで大切にしたい曲だろう。時枝は曲の中に自身がグッと入ってくる感じ。前田のアレグリアスもやはり動きがなめらかで軽やかに。この優美で流麗な動きが小島門下の特徴かもしれない。品がいいんだね。
皆、髪も衣装もきちんと整え、真摯にフラメンコと取り組んでいる、気持ちのいい公演だった。

だが、色々考えさせられたこともないではない。
フラメンコ曲を踊る、ということは、そのフラメンコ曲が持つキャラクターを演じることでもある、と思う。だからその曲が持つ気分、雰囲気、ソレアならシリアスに、シギリージャはソレアよりもっとシリアスで深刻でドラマチックで、アレグリアスなら楽しく明るく、といったものを、その曲を踊る者が、観ている人たちに感じさせねばならない、のではないか。
また小さい会場での目線や表情。客に全部見られるだけに、客を見るのか、その先のずっと遠くを見るのか。客とコミュニケートするべきなのか、異世界に行ってしまうべきか。日本人は全体的に無表情、ポーカーフェイスで何を考えているかわからない、とよく言われるが、踊るときの無表情はどうなんだろう。無機質なフラメンコを表現?うーん。ちょっとした細かい表情も振り付けのうち、なのかもしれない。その曲の気持ちになっていれば自然に出るものなのかな? そこらへんも色々難しそうだ。
他にも、一つの振りの最後をきちんと終えて、句読点を打つようにきちんと止まった方が、見ている方には気持ちが良いと思うのだが、次の振りを考えてか急ぎ足で行ってしまうと、ちょっと残念。構成でも起承転結というか、考えた構成が必要かも。
そういったことも含めて、演出を工夫すると、振り付けとして仕上がっていても、曲としての仕上がりは、もっと良くなるはず。上手な人たちだからこそ、さらに上を目指してほし。うん。フラメンコは難しい。そしてだから面白い。







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