いやいや、素敵な素敵な夜でした。
セビージャにスタジオを構え、多くのプロたちを世に送り出したマノロ・マリンが、その愛弟子である、マヌエル・ベタンソス、ピラール・オルテガとペーニャの舞台に。ベタンソスはスタジオを受け継いだ人だし、ピラールはカルロスの後(だったと思う)の代教_
通常と違って正面の椅子が少ないな、と思っているとそこから登場。マノロが舞台上で踊り始めると舞台下でジャージ姿のベタンソスとピリが後を追う。いや彼らだけではない。会場のあちこちで立ってそのパソをなぞっていく人たちが。アナ・マリア・ブエノ、イサベル・バジョン。アリシア・マルケス、ラモン・マルティネス、マルコ・バルガス、ホセ・セラーノ…
マノロのクラス!
日本人留学生が初日出来なさすぎて泣くのが普通だった、あの上級クラスが蘇る。
フアンが歌うソレア、そしてブレリア。
歌を聞いてリスペクトしてマルカールして。歌を待って歌を消すような足は入れない。フラメンコの基本。歌を踊る。
続いて登場したピリのタラントもそのスタイル。歌を踊る。タラントらしい、地に足がついた、地味でシリアスな、でも深刻すぎない、そんな曲の持つキャラクターをきちんと表現していた。
ベタンソスとのおしゃべり。アカデミアの思い出、フラメンコに興味を持ったきっかけ。
そこからタンゴ。粋と愛嬌、何よりナチュラル、自然な動き。フラメンコの根っこが見えてくる。
マヌエルはトラヘ・コルトでアレグリアス。こちらも、伸びやかな、アレグリアスらしいアレグリアス。だというのはバックの面々の表情でもわかりますよね
最後は、マノロの数ある振り付けの中から、マリオ・マジャ監督時代のアンダルシア舞踊団に振り付け国立バレエ団のレパートリーになった『シンコ・トレロ』をベタンソスとピリの二人で。マノロもじっとしていられないようで、座ったままでふりをやったり、ブレリアをちょいと。最後は一緒にちょっと。そこからマノロとフラメンコの最初の第一歩、スペイン歌謡ポル・ブレリアへ。で、おしまい。
いや、これはもうそのまま劇場作品。シンプルで品格がある。
何より、フラメンコらしいフラメンコに満ち溢れている。先に名を挙げた踊り手の他にも、タブラオでの仕事終わって駆けつけたスサナ・カサスや近郊の村在住だけど滅多にセビージャに何かを見にくるということはないというアンヘル・ムニョスとチャロ・エスピノ夫妻やら、元ガデス舞踊団のジョランダ・ゴンサレスやら、いつもにまして多くのアルティスタたちが客席にいたのもうなづける。そうだよね、私たちはみんなマノロに学んだよね、直接でも間接でも。私は踊りを習ってはいないけど、踊りを習いに行く友達との待ち合わせや、取材などで何度となくクラスを見学したし、マノロの舞台も、振り付けもたくさん見てきた。だから、見ていていろんなことを思い出したし、胸が熱くなったのも一度じゃない。
引退したマノロの近所に住んでいるので週に2、3度は顔を合わせるし、近況報告や昔話、公演の感想からつい話し込むこともよくある。いつも同じ意見というわけではないけれど、影響を受けていないわけがない。ある意味、私も踊らない部外者ながら、マノロの生徒なのだ。
おんとし88歳。もうすぐ89歳。
フラメンコを愛して、歌を聞いてそこで生まれる踊り。それまでのたくさんのクラスや舞台、生活経験がナチュラルに出てくる。マノロのフラメンコはマノロのフラメンコへの愛そのもので、だから美しいのだと思う。
やっぱフラメンコは歌を踊ってなんぼのものなんじゃ、とあらためて思いつつ家路に着いたのでありました。
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