2016年1月31日日曜日

サラゴサでフラメンコ公演

サラゴサで、この週末、スペイン舞踊公演が行われる。
エントレドス・スペイン舞踊団は、元スペイン国立バレエ団プリンシパルの二人、エレナ・アルガドとミゲル・アンヘル・コルバチョによるカンパニー。今回上演される「ラス・マイラス」は 昨年の夏、カディスのタリファにあるローマ劇場で初演されたもので、ギリシア神話が題材。
2月26日にはヘレスのフェスティバル、サラ・パウルでも上演される。



◆「ラス・モイラス」
2/5(金)20時30分
[出]〈b〉 エントレドス・スペイン舞踊団(エレナ・アルガド、ミゲル・アンヘル・コルバチョ)
[場]サラゴサ ラス・エスキナス劇場
[問]www.teatrodelasesquinas.com

2016年1月29日金曜日

アブラセ・ラ・ティエラ

「アブラセ・ラ・ティエラ」
1/26 (火)20時
[出]ホセ・ルイス・オルティス・ヌエボ、〈b〉ヤサライ・ロドリゲス、〈g〉ペドロ・バラガン
[場]セビージャ セントラル劇場サラB

フラメンコの可能性はまだまだある、と強く実感させてくれたのがこの公演。


詩人でフラメンコ研究家、ビエナルの創始者の一人であり、長らくその監督を務めた、ホセ・ルイス・オルティス・ヌエボ。彼がに「死」をテーマに、語る一人芝居を、フラメンコギターと踊りが彩る、というもの。カンテの代わりに語り、ともとれるし、女優のかわりにフラメンコ、ともとれる。うん、面白い。
ホセ・ルイスがかつて聞き書きをしたペリコン・デ・カディスやエンリケ・エル・コホらの話やロルカ、19世紀のフラメンコ歌手殺人事件を報じる新聞記事、死に関するレトラやそれに関する話を語る。その間、ギターはブレリア・アレグリアスにはじまりソレア、タンゴ、タランタ、マラゲーニャ、シギリージャなどフラメンコの海を漕いで行く。
ヤサライはキューバ出身で、キューバ国立バレエ団でフラメンコの専門家だったそうだが、身体はよく動き、バタやマントンの扱いもきちんと基本を押さえているのだが、とくに踊り始めに少し外す感じがあったりするし、踊りにニュアンスが感じられず残念。新体操のような、といったら新体操に失礼だろうけれど、はい、右いって次左、っていう感じの踊りで、手をのばした先に、そこにないなにかがみえてくるようなことはない。動きに心の動きがうつされていない、というのかな。うーむ。なんで、彼女が踊っていてもホセ・ルイスが話しているときはそっちばっかりみていた私である。
どこの国でも死は終わりだ。そのときがきて幕が閉まる。スペインではそうじゃない。スペインでは幕が上がる。多くの人日は死ぬまで塀と塀の間に生きている。そこから出て陽の目をみるのだ。スペインの死人は世界中のどこよりも生き生きとしている。En todos los países la muerte es un fin. Llega y se corren las cortinas. En España, no. En España se levantan. Muchas gentes viven allí entre muros hasta el día en que mueren y los sacan al sol. Un muerto en España está más vivo como muerto que en ningún sitio del mundo」という言葉はロルカのもので、この作品でも、もうずいぶん前のハビエル・バロンの作品「ディメ」でもつかわれていたが、本当にその通り。スペインの死は生き生きとしている。



2016年1月26日火曜日

イスラエルとロシオ・モリーナに英国ナショナルダンスアワード!

第16回英国ナショナルダンスアワードの発表が1月25日にロンドンで行われ、
イスラエル・ガルバンがSpecial award for exceptional artistryを受賞した。
今回、イスラエルは最優秀男性ダンサー及び傑出した男性モダンダンサーの2部門にノミネートされていたが、前者はワディム・ムンギタロフが後者はBen Dukeが受賞し、イスラエル・ガルバンは、特別賞の受賞となった。
おめでとう!
やはり最優秀女性ダンサー及び傑出した女性モダンダンサーにノミネートされていたロシオ・モリーナは残念ながら賞を逃した。

https://twitter.com/NatDanceAwards/status/691624105561427968/photo/1?ref_src=twsrc^tfw



2016年1月5日火曜日

アウロラ・ポンス逝く

1月4日、マドリードでアウロラ・ポンスが亡くなった。79歳。

1936年7月10日バルセロナ生まれ。バルセロナの演劇学校、フアン・マグリーニャに学ぶ。14歳でリセウ劇場バレエ団入団。16d歳で第一舞踊手となり、「白鳥の湖」「シルフィード」などクラシックバレエや「恋は魔術師」や「ゴヤのタペストリー」などでエスクエラ・ボレーラなどを踊って成功をおさめた。師マグリーニャの相手役を長年つとめたが、1967年よりグラン・アントニオ舞踊団で活躍。またルイシージョの舞踊団や国立フェスティバル・デ・エスパーニャ舞踊団でも活躍した。
1978年スペイン国立バレエ創立時からバレエ教授をつとめ, 93年から97年まで、ナナ・ロルカ、ビクトリア・エウヘニアと3人でスペイン国立バレエ団監督を務めた。

冥福を祈ります。