2018年9月10日月曜日

パトリシア・ゲレーロ「ディストピア」

23時からセントラル劇場で『ディストピア』
前回のビエナルで『カテドラル』を初演し、最優秀作品賞を受賞したパトリシアの新作。
前作と同じく、演出とドラマツルギーはフアン・ドローレス・カバジェーロ。

ディストピアは、ユートピア、理想郷に想を得た造語だと思われ、壊れた理想郷、といったところか。追記/西和辞典にはなかったので造語かと思ったら、西西には、精神異常による悲観的な未来社会、みたいな記述がありました。なるほど

プログラムには「現実と夢想、真実と妄想の間で世界は動く」とあるので、そういうことなんでしょう。夢オチ、じゃないけどね。

幕があくと学校のように、一人がけの机が並び、その上手手前にコートを羽織ったパトリシア。
Bienal.© Óscar Romero
他の机は手だけ照らされていて顔は見えない。
昨日のファルキートと打って変わって、ちゃんと作られた照明は美しい。
のだが。
時を刻むような音で踊る。同じような振りを繰り返す。
コンテンポラリーダンス的な動きとフラメンコ的な動きが混在。
そういう意味ではエバ・ジェルバブエナやロシオ・モリーナら(二人とも観に来ていたよ)の影響もあるのかな。
でも例えば、イスラエルのような、すべての動きにコンパスを感じる、といったことも、エバのように圧倒的な力を持つソレアを踊ることもないので、観ている方としては消化不良。
長い裾を前に、反対にはいたバタでの踊り。
筋肉を見せびらかす男の踊り。
何をやっても男に元に戻されるマチズムを象徴するような、アンヘル・ファリーニャとのパレハでの踊り。
いろんな踊りを見せはするのだが、モヤモヤ感。
Bienal.© Óscar Romero

パトリシアは好きな踊り手だ。だが、この作品は彼女のいいところを生かしているようにはどうしても思えない。前作と同じだ。演出家のエゴが勝っている、という感じ。
彼女の魅力を思う存分堪能できる、そんな作品を見たいよう。
というのも観客のエゴか???


 なおこの日、12時からはサン・ルイス・デ・ロス・フランセセスでイネス・バカンと、ニーニョ・デ・ヒネスの公演が、
Bienal.© Óscar Romero
20時半からはマエストランサ劇場で、カリスト・サンチェス、ホセ・デ・ラ・トマサ、ペパ・モンテスらの公演がありました。
Bienal.© Óscar Romero



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