2026年2月21日土曜日

ヘレスのフェスティバル初日マヌエラ・カルピオ『ライセス・デル・アルマ』

 ヘレスのフェスティバル、30周年の記念べき初日なのでありますが、いやもう予想はできたこととはいえ、うーん、なんでしょう、がっかりというか、なんというか。

バタ・デ・コーラのアレグリアス、

© Festival de Jerez/Esteban Abión

ロシオ・マリン、サライ・ガルシア、スサナ・カサスによるソレア・ポル・ブレリアに最後ちょこっと入って、

© Festival de Jerez/Esteban Abión

パルマのトロンボとンボとオルーコがマルティネーテの金床を持ってやってきて、ブレリアがあって、
© Festival de Jerez/Esteban Abión

大きな机を囲んでのゲストの歌い手たちが、アナベル・バレンシア、アンヘリータ・モントージャ、マカニータが歌い継ぐタンゴやバルージョのソレア、ホセ・バレンシアのブレリア・ロマンサーダなど

© Festival de Jerez/Esteban Abión

客席からバタで登場しバタの部分を外してソレア。

© Festival de Jerez/Esteban Abión

幕前でフアン・レケーナのギターソロがあって、マヌエル・モリーナ風に歌うホセ・ガルベスに踊り、フィン・デ・フィエスタへ。

© Festival de Jerez/Esteban Abión

ブレリア歌って踊って。盛りだくさんで全部で休憩なしで2時間以上。長い。長すぎる。こんなに気持ちが盛り上がらないフィン・デ・フィエスタも珍しい。大好きなディエゴ・デ・マルガラさえいつもの魅力が行方不明。

ソレアの後でベテラン批評家陣がこぞっと帰ってしまっただけでなく、途中で席を立つ人もかなり多かったように思います。

やはり野におけ蓮華草、って言いますが、適材適所、ってあると思うのですよ、マヌエラ・カルピオは、ムイ・フラメンカかもしれませんが、劇場で主役の作品を上演するタイプではなく、小さな身内の集まりなどでこそ魅力が発揮される、そういった方があっているタイプなのではないかと思うのです。

バタ・デ・コーラもちゃんと動かすことができていないし、振りも同じような繰り返し。豪華なゲストを持ってしても、劇場が満員じゃなかったのも結局、そういうことなのかもしれません。作品としての流れもまとまりもないし、わかったのは彼女はマヌエラ・カラスコになりたいんだろうな、ということだけ。だからエンリケ・エル・エストレメーニョに歌ってもらいそこに絡むことに命をかけてるように思うのです。でもいうまでもなく彼女はカラスコじゃない。一人では場が持たないからゲストをいっぱいよんでくるけど、使いこなせていない。劇場で、世界に通用するような作品を作るってとても難しいことなんです。

なんかほんといろいろもったいない夜でございました。

個人的にはゲストのアンへリータ・モントージャがお母さんのラ・ネグラにちょっとした仕草がそっくりでタンゴのパルマもファミリアモントージャのノリで、それがすごくよかったのとオルーコのちょっとした一振りがオレ!でありました。


ビデオはこちら



フアン・パリージャ/ベルナルド・パリージャen Puro Arte

ヘレスのフェスティバル開催1日前にヘレスに行ったのはフアン・パリージャの公演のため。

ギタリスト、マヌエル・パリージャに代表されるヘレスのフラメンコ・ファミリーの出身で、父フアン、兄マヌエルはギタリストだけど、フルートという楽器を選んだフアン、バイオリンのベルナルド。二人とも若くしてマドリードに出て、ラ・タティに始まり、アントニオ・カナーレス、ホアキン・コルテスらを伴奏。コルテスの作品の音楽監督を長年つとめ、フラメンコの新しい潮流を作ってきたフアン。カナーレスと何度も来日したベルナルド。この二人を中心に、フアンの息子マヌ・フェルナンデスがエレキベース、ニーニョ・ホセーレの息子ホセ・エレディア“エル・ガト”がキーボード、ラファエル・ラモスがパーカッション、パルマ二人というグループ。これに歌のサンドラ・リンコンがゲストで参加。

会場は駅に近いタブラオ、プーロ・アルテ。タブラオ公演が終わった22時からの公演。30分遅れで開演。




オープニングのブレリアからしてめちゃくちゃ良くて、っていうのは、やっぱコンパス感がすごい。習ったコンパス、数えるコンパスじゃなくて、身体の一部になってるコンパスという感じと言ったらいいのかな。間合いがめちゃくちゃいい。伸び縮みや止まり方の阿吽の呼吸。かっこいい。

フアンのソロはもちろん、ベルナルドのソロ、、ホセのソロ、どれもがとにかくかっこいいだけじゃなく、純フラメンコのブレリアから、情景が見てくるようなソレア、そしてジャズのテイクファイブやキャラバンなども取り入れて、と、曲ごとに雰囲気が変わるから、歌がない曲でも全く飽きることなく楽しめました。これはたぶん、フラメンコ知らない人でもとっつきやすいんじゃないかな、と思ったことでした。



またフアンの友達のフルート奏者が舞台に上がったりもあったのも良かったし、トークも上手。

最後には、公演を見にきていたフアンたちのファミリーやフェルナンド・ソト、そのお母さんたちも舞台に上がり、これぞヘレス!な最高のブレリアで魅せてくれました。





フアンとベルナルドのこのグループ、ビエナルでもディエゴ・カラスコ、ルビオ・デ・プルーナをゲストに公演するそうなのでお楽しみに。


カンテ・デ・ラス・ミーナスのプログラム発表

 2月19日、ムルシアで毎年8月初めに開催されるカンテ・デ・ラス・ミーナス国際フェスティバルのプログラムが発表されました。




◇カンテ・デ・ラス・ミーナス国際フェスティバル

7/29(水)~8/8(土)

7/31(金)

[出]〈c〉アルカンヘル、〈b〉パウラ・コミトレ『アベセダリオ・フラメンコ』

8/1(土)『クエルポ・ミネラレス』

[出]〈b〉ラ・モネータ、ラ・ピニョーナ

8/2(日)『恋は魔術師への旅』

[出]〈b〉マドリード共同体スペイン舞踊団

8/3(月)『ギターラ・コラル』

[出]〈g〉ジェライ・コルテス

8/4(火)『レシタル・イ・カンテ』

[出]〈c〉イスラエル・フェルナンデス

8/5(水)、6(木)、7(金)

コンクール準決勝

8/8(土)

コンクール決勝

[場]ムルシア州ラ・ウニオン

[問] https://festivalcantedelasminas.org/

2026年2月18日水曜日

訃報 マリア・マグダレーナ

 2月15日午後に、スペイン舞踊教授、マリア・マグダレーナが亡くなりました。

マドリードのスタジオ、アモール・デ・ディオスで スペイン舞踊の基礎やカスタネットのクラスを開講していたマリア・マグダレーナ。訃報を聞いて、記事を書くため色々検索してみたり、本を探したりしたけれど、バイオなどは全く引っかかってこないのは、表舞台で活躍したわけではなく、縁の下の力持ち的存在だったからでしょうか。スマホのカメラ/ビデオが出現するより前に引退なさったこともあるのかもしれません。

スペイン国立バレエ団創立時のスペイン舞踊教授だったというのも今回、国立バレエ団のSNSへの投稿で知りました。

アモール・デ・ディオス通りの古い建物にあった時代。カルロス・サウラ監督の『カルメン』の映画で、アントニオ・ガデスがパコ・デ・ルシアとカルメン役の候補を探して彼女のクラスを訪れるシーンがありました。

(ガデス財団がシェアしてた動画のリンク

振り付けではなく、フラメンコ、スペイン舞踊の基礎を教えるクラス。

姿勢、基本の動き。カスタネット。

マドリードでフラメンコを学ぼうとする人は皆彼女のクラスに通ったと言っても過言ではないくらいの存在でありました。彼女が教授活動から引退してからのち、マドリードの若手たちは、美しい姿勢など失ってしまい、派手な効果的な技ばかり目立つ踊りになってきたような気がする。気のせいだったらいいのだけど。

日本からの留学生たちも皆、彼女のクラスで多くを学んだといいます。

やすらかに。






2026年2月14日土曜日

ビセンテ・アミーゴ


©︎ Teatro dela Maestranza Guillermo Mendo


ソロに始まり、アンコールの『レクイエム』に至るまで1時間半。曲は新曲でも彼の文法というかスタイルは変わらない。最初のソロからアンコールの『レクイエム』まで淡々と、でも深みをもって進んでいくというのかな。リサイタル、ってこうだよね、

最初のタランタからソレアにいって最後の締めは昔ながらなのだけど、途中は昔のとは全然違うメロディなんだけど、でもビセンテにはビセンテの文法があって、その通りに行くから、一見すると、というかちょっとすると同じじゃん?って思っちゃうかもなんだけど、ところがどっこい、なんですね。これが、自分のスタイルを持つ、ってことですね、はい。

歌い手や踊り手はおらず、第2ギター(アニル・フェルナンデス)パーカッション(パキート・ゴンサレス)、エレキベース(エウン・ベルナル)のほかはパルマスとコーラスのマカリネスにバイオリン(エレス・ベジド)、チェロ(アントニオ・フェルナンデス)、フルート(フランシスコ・ハビエル・マルケス)というグループ。

©︎ Teatro dela Maestranza Guillermo Mendo

フルートもふつうの、オーケストラで使うようなものではなく、おそらくケルト音楽で使うものなどをいくつか取り替えて演奏。時に音が聞こえづらかったりもしたけど。チェロとバイオリン、フルートが入ると映画音楽的な感じも。ビセンテは昔から優れたメロディメーカーで、ホセ・メルセやレメディオス・アマジャの再ブレイクに一役買ったのも、その才能があってのことだと思う。

見事な演奏で、すごいなあ、いいなあ、と思うのは確かなのだけど、タンゴ、ルンバなどの2拍子系の曲が続いたり、ブレリア系が続いたり、と、曲順はもう少し工夫があっても良かったような気もしないではない。最初のソロこそめちゃフラメンコだったものの、タンゴ、ルンバ、ブレリア、ボレロ(と呼んでいるメロディアスな曲)が続くと、いや、他のフラメンコ曲種ももっと聴きたい、って気分にもなる。私のわがままですが。

なんかみんな同じように聞こえてきちゃうんですよ、おお、っと思うことは何度もあるんだけど、最近のアルバムは昔のもののように聞き込んでいないせいもあるのかなあ。

アンコールのレクイエムにはグッとくるものがありました。これ聞くだびにやられるなあ。パコ・デ・ルシアへの彼の思いも関係性もちょっと知ってるってこともあるのかもだけど、それだけでなく、メロディがね、やっぱグッとくるんですよ。

終わりよければすべてよし、ってことで。




2026年2月12日木曜日

フアン・デ・フアンen トーレス・マカレーナ

 フアン・デ・フアンの舞台を観るのはすごく久しぶり。

1979年セビージャ生まれのモロン・デ・ラ・フロンテーラ育ち。セビージャ舞踊学院に学び、そこにクラスをしにきたアントニオ・カナーレスの目に留まり、彼の舞踊団で長らく活躍。私が彼を知ったのもこの時期で、細身ながら、カナーレス譲り?の足の強さとファルーコファミリーにも通じるようなパワフルさとスピード感が印象的だった。あれから何年?

カナーレスから離れた後はソロで活躍。フラメンコのソロ作品はもとよりヒップホップのダンサーと共演するなど意欲的な活動を続けてきたのだけど、なぜか私はそんなには見ていなかったかも。ヘレスでの公演は見た記憶、でもビエナルのは他の公演と重なるとかだったような記憶。

日本でもお馴染みのパコ・イグレシアスのギターソロに始まり、

フアン・ホセ・アマドールとダビ・エル・ガジが舞台に上がりアレグリアス。


フアンが舞台に出てくるかな、と思うけど、出てこない。あ、これはカンテソロなのかも、と諦めかけたところ、ガジがロメーラを歌っているところでフアン登場。

姿がいい。姿勢がいい。歌を聞いてただマルカールしていく。シンプルだけどムイ・フラメンコ。



アレグリアスからシギリージャへと曲が変わっても、フアンは同じように、歌を聞いて、コンパスを感じ、フラメンコを堪能して踊る。シンプルかつナチュラル。フラメンコが大好きでいいフラメンコを聞いて感じて思うままに動く、踊ることが楽しくてたまらないという感じ。

休憩を挟んでタンゴが始まる。続いてソレア。やはり歌をしっかり聴いてマルカールしていく。ほとんど動かず、指先だけでコンパスを刻んだり。


フラメンコってこうだよね。これがいいよね。

46歳という年齢もあるのかな、落ち着いて、地に足がついた踊りで、昔の旋風のような踊りも良かったけど、やっぱ、こういうのがいいわ。

どんどこどんどこ足ばっかやってる若い踊り手も多いけど、いやいや、こういうのを学んでほしいなあと、思ったことでありました。





2026年2月11日水曜日

ラファエル・アマドール逝く

 2月8日、ラファエル・アマドールが亡くなりました。

ギタリストで歌手、一つ年上の兄ライムンド・アマドールとのグループ、パタ・ネグラで活躍。パタ・ネグラのアルバム『ブルース・デ・ラ・フロンテーラ』はスペインのロック雑誌に80年代のベストアルバムに選ばれたほど、ロックでフラメンコな、その楽曲は今も多くの人たちに愛聴されています。


1960年セビージャ生まれ。1970年代に兄ライムンドらと街中や街道筋の居酒屋ベンタなどで演奏、1977年キコ・ベネノとアルバム『ベネノ』を録音。1981年にはパタ・ネグラとしての最初のアルバムを録音。 従兄弟の従兄弟のフアン・ホセ・アマドールも参加したアルバムなども発表。そして『ブルース・デ・ラ・フロンテーラ』へ。

兄弟の対立などもあり、ライムンドと分かれ、『インスピラシオン・イ・ロクーラ』を発表。


健康上の問題などもあり、舞台に立つことは少なかったけど、天才の一人だったと思います。

トリアーナのペーニャ・エル・ボージョで、彼とリケーニがいて、ギターを弾きたいとおいうことで近所の家からおもちゃのような安ギターを借りてきて二人で弾き始めたことがありました。最初は音が出ないなあ、いいギターがあったらなあ、と思っていたのが、一度家に帰って、お昼ご飯食べて戻った時にはそのギターが鳴り始めていて、ギターは楽器でなく、弾き手が鳴らせるものなのだなあ、と感じたことでした。

弟でピアニストのディエゴ・アマドールや息子たちに見守られて眠りについたとか。

65歳、あまりにも若い。安らかに。