2025年1月16日木曜日

さよならホセ・ルイス・デ・ラ・パス

 1月14日、マイアミ在住のギタリスト、ホセ・ルイス・デ・ラ・パス、本名ホセ・ルイス・ロドリゲスが亡くなった。57歳。

©︎ Kyoko Shikaze


1967年セウタ生まれ 3歳からウエルバ育ち。地元ウエルバでギターをはじめ、9歳からペーニャで学ぶ。後、15歳からセビージャでマリオ・エスクデーロに師事。1990年ビエナルのヒラルディージョのコンクールに出場。翌年、マノロ・マリン舞踊団に、1995年からはクリスティーナ・オヨス舞踊団のギタリストとして活躍。1995、1997、 2002年の日本公演にも参加している。オヨス舞踊団では音楽監督として、作品『ティエラ・アデントロ』(2002年)『イエルマ』(2003年アンダルシア舞踊団)などを作曲。また、ベレン・マジャやイサベル・バジョンを始め多くの舞踊家を伴奏した。

 

2009 en Sevilla©︎ Kyoko Shikaze

2010年頃にアメリカにわたり、ソロ活動を中心に、彼の地の踊り手たちとも共演していた。

11月、胃の手術のため入院したところ、進行した腎臓がんが見つかりそのまま入院、闘病中だった。病院費用は入っていた保険で賄えたものの、仕事ができないということで、アメリカのフラメンコ舞踊家シウディ・がリードが立ち上げたクラウドファウンディングを昨日、見かけたばかりだった。


心からご冥福をお祈りします。



2025年1月10日金曜日

ミゲル・オチャンド亡くなる

 1月10日明け方、グラナダのギタリスト、ミゲル・オチャンドが亡くなった。

1965年生まれというから、まだ五十代。早すぎる。

本名ミゲル・モリーナ・マルティネス。グラナダ、レアレホ地区の生まれ。まだ10歳になるかならないかという時に、地元のペーニャ、ラ・プラテリアで演奏。1984年にはラ・ウニオンのコンクールで準優勝。

その後は、エンリケ・モレンテやカルメン・リナーレスなど主に歌伴奏で活躍していました。

知る人ぞ知る、伴奏の名手だったといえると思います。

Málaga en Flamenco 2007 ©︎ Kyoko Shikaze 

カルメン・リナーレスと。Málaga en Flamenco 2007 ©︎ Kyoko Shikaze 



マリア・ホセ・ペレスと。Málaga en Flamenco 2007 ©︎ Kyoko Shikaze 

1983年のフラメンコとアラブ音楽の出会いの作品『マカマホンダ』やマリオ・マジャの作品にも参加。2007年にはニーニョ・リカルドやサビーカスなど先人たちの名曲を演奏したソロアルバムも発表している。

早すぎる旅立ちをまだ信じられない。

追悼エル・グイト

 1月8日夜9時、マドリード郊外コジャード・ビジャルバの病院で、踊り手エドゥアルド・セラーノ“エル・グイト”が亡くなった。82歳だった。

1942年マドリードの下町、ラストロ地区の生まれ。幼い頃から踊り、映画に出演。


1952年公開の映画『エル・マセテーロ』から

ラ・キカやアントニオ・マリンに学び、1957年、14歳でピラール・ロペスのスペイン舞踊団ロンドン公演でデビュー。アントニオ・ガデスやマリオ・マジャとともに世界の舞台で活躍した。

70年代にはマリオ・マジャ、カルメン・モーラとトリオ・マドリードとして活躍。

この、マドリードのタブラオ、カフェ・デ・チニータスでのデュオの動画は有名ですよね。



その後は、ソロで、マドリードはもとより、ビエナルやヘレスのフェスティバルで各地のフェスティバル、ファルーコらと共演したアメリカでの作品「フラメンコ・プーロ」などで活躍。マノレーテと組んだ舞台もあったように記憶している。

また1978年スペイン国立バレエ団創立時、アントニオ・ガデスに招かれメンバーとなり、その後ガデス舞踊団で、映画『血の婚礼』にも出演している。


黒っぽいつばのある帽子をかぶって茶色の上下を着ているのですが、わかるかな。

また、マドリードのスタジオ、アモール・デ・ディオスでも長らく、後進の指導にあたってきた。

日本にも1987年に小松原庸子の招きでコンクールのゲストとして,来日したのをはじめ、同年8月のは真夏の夜のフラメンコにも出演。また2001年には阿藤久子の招きで、2005年にはフラメンコ・フェスティバルで、と4回来日している。

20222年に発売されたホセ・マヌエル・ガンボアによる伝記には「ラ・カベサ・デル・フラメンコ!」と副題がついている。フラメンコの頭!というのはかしら、ボスという意味も含んでいるだろうが、その揺るぎない、完璧な頭の位置のことなのだ。

コロカシオン、姿勢。あるべきところにそれぞれのパーツがあるだけで美しい。

グイトは舞台に立っているだけで美しい。かっこいい。

柔らかで華やかな女性舞踊と対極の、抑制された、男性舞踊の粋。フラメンコらしいフラメンコ。




1996年カナルスールのフラメンコ番組でのファルーカ。


2003年、スペイン国立バレエの25周年ガラ公演でのソレア。遠くからの撮影で表情が見えないのが残念だけど構成、振り付けはよくわかると思う。


アントニオ・ガデス、マリオ・マジャ、ファルーコ、マノレーテ…グイトが亡くなり、確実に一つの時代が終わったということがじわじわと実感されてきている。ご冥福をお祈りします。


2025年1月6日月曜日

ラ・チュンガ逝く


2025年、フラメンコ界は悲しいニュースで幕を開けました。

1月3日、ミカエラ・フローレス・アマジャ“ラ・チュンガ”がなくなったのです。
87歳でした。

1938年フランスはマルセイユでスペイン人ヒターノの両親のもと生まれ。1歳でバルセロナへ。子供の時から踊り始め、 道端で踊る裸足の舞姫として注目され、画家ダリら、カタルーニャのインテリたちのミューズとなったそう。
映画にも出演しました。


これはグラン・アントニオと共演した映画のワンシーン。




マドリードのタブラオ、カフェ・デ・チニータスのフィグーラ、看板スターとして長年活躍し、筆者も見ています。ぼんやりとした写真ですが、赤い衣装がチュンガ、その人です。
カルメン・アマジャの後継者のように見られたこともあるようですが、カルメンのようにたくさんのレパートリーを持つわけでも、正統派フラメンコの舞踊家というわけでもなく、ルンバやブレリアを持ち前の激しい気性、テンペラメントで見せる、という感じだったと記憶しています。ただその彼女ならではの雰囲気がすごい、というタイプ。




 その後、画家として個展を開くなどもしていました。

国営放送のニュースのリンクを貼っておきますね。

ご冥福を祈ります。


2024年12月27日金曜日

クーロ・フェルナンデス生家に記念碑


12月20日、セビージャはトリアーナ地区、ファビエ通り7番に
歌い手クーロ・フェルナンデスがこの地で生まれたという記念碑の除幕式が行われました。
セビージャ市長やビエナル監督も列席し、長男でギタリストのパコ、長女で歌い手のエスペランサのほか、
パコたちのいとこに当たるアメリカ在住の歌い手、イスマエル・デ・ロサや、ドランテス、ペドロ・マリア・ペーニャ、ご近所のマノロ・マリンらも顔を見せていた。





当日のビデオも貼っときますね。エスペランサとパコ、市長の挨拶など。パコ、最後ちょこっと歌ってます。
 


なお、実はここに最初に記念碑ができたのは2002年7月。

その数年後、雨が続いた時にこの石とレンガの壁が崩れ落ちてしまい、その後なかなか再建されなかったのであります。それがようやく。



クーロ父ちゃんもペパ母ちゃんもお空に行っちゃったけど、その名前がこう言う形で、生まれた家のあとにあるのは悪くないことですね。
ちなみにここは昔は5番。なお、この通りは歌い手ナランヒートが生まれた通りでもあり、少し先にはその記念碑も。またギタリスト、ラファエル・リケーニもこの通りの生まれで、カジェファビエというソレアもあります。

個人的には昔ここにあったペーニャ・エル・ボージョでたくさんのフラメンコたちに出会ったのが思い出深い。



2024年12月14日土曜日

マリコ・ドレイトン/ アドリアン・サンタナ『ビスナガ』

 『ビスナガ』を知っている人はかなりのスペイン通、いやマラガゆかりの人だろう。

てっぺんが放射状に広がっているセリ目の植物が乾いたもののてっぺんの放射線状に広がる茎状のところに、朝摘みのジャスミンの蕾を手作業で一つづつ刺していったものを、夏の夕方、マラガの海沿いや街中で、売っているのを見たり、買ったりしたことがあるという人がいるかもしれない。夕方から夜にかけてジャズミンの花が開くと、大きな半球状になり、うっとりするほどに香りも高い。

セビージャの街でジャスミンの花の蕾を束ねたモーニョ・デ・ハスミンを売り歩いているのを見た人がいるかもしれない。マラガのビスナガはこれの豪華版で、マラガにしかない。

その『ビスナガ』をタイトルに、マラガ出身のアルティスタを揃えた作品は、マラガゆかりのベルディアーレスで始まる。12月28日にマラガの山間部で行われるベルディアーレスの祭では色とりどりの造花やリボンでいろどられた帽子を被った人もいるパンダと呼ばれるグループで、バイオリンとギター、タンバリンの音楽で歌い踊るのだが、その帽子からヒントを得たのだろう、造花のベストに、リボンを垂らしたスカートのマリコとアドリアンが大きなタンバリンを小道具に見せるオープニングが良かった。ポーズの美しさ。民謡としてのベルディアーレスとフラメンコでのベルディアーレスはちょっと趣が違うのだが、マラガのアーティストらしく、朗々と歌い上げる。続いてマラゲーニャ。近頃、マラゲーニャの締めにベルディアーレスを歌うことが多く行われるが、いわばその反対。(ここは、カディスの歌い手、メジーソのスタイルを歌うのではない方が良かったようにも思うけど)そしてロンデーニャへ。

カンテソロのファンダンゴを挟んで、マリコのソロでソレア。黒地にレースの赤の花の衣装で渾身のソレア。マノがきれい。ていねいに、大切に踊っている感じ。これまでずっと真摯に好きなフラメンコと取り組んできたのだろうな、というのがわかる踊りだ。

この日から初めてのソロアルバムの配信が開始になったというフランシスコ・ビヌエサのギターソロを挟んで、アドリアンはタラント。このタラントが良かった。抑制された中にも熱を感じる、タラントらしいタラント。ただ中に着ていたキラキラの飾りいっぱいのシャツブラウスがその味わいを損なっていたのがなんとも残念。丈の短い上着には白いブラウスでサッシュを締めて、の方がいい。タンゴはどことなくアントニオ・カナーレス風な味わいもあったように思う。

最後、フィン・デ・フィエスタがなかったのは残念だけど、心地よき作品でありました。

この作品は明日日曜日12時30分から、ソロの曲をかえて上演されます。

また普段は香港で教授活動などを行っているマリコさん、3月3日はヘレスの、オフ・フェスティバルにソロで出演予定だそうです。

https://laguaridadelangel.com/calendario-off-festival/


ちなみにタイトルとなったビスナガの作り方など紹介しているビデオ



ベルディアーレスのビデオ(マラガ県アルチドーナのフラメンコ祭で上演された同タイトルの作品でのもの)


貼っときますね。


2024年11月16日土曜日

ヘレスのフェスティバル プログラム発表

 


29回ヘレスのフェスティバル

221(金)2030  『ピネーダ』

[出]〈b〉アンダルシア舞踊団

[場]ヘレス ビジャマルタ劇場


222(土)15

[出]〈b〉マリソル・ヒメネス

[場]ヘレス ペーニャ・エル・ペスカエロ

222(土)1830分「ソロ・エコ・デ・ノチェ』

[出]〈b〉ジョアン・フェノジャル

[場]ヘレス  サラ・コンパニア

222(土)2030分『ジェルバグエナ(オスクロ・ブリジャンテ)

[出]〈b〉エバ・ジェルバブエナ舞踊団

[場]ヘレス ビジャマルタ劇場

222(土)23時『イストリアス・デ・ウン・フラメンコ』

[出]〈g〉アントニオ・レイ

[場]ヘレス ボデガ・アポストレス


223(日)15

[出]〈c〉ペドロ・モントジャチャンキタ

[場]ヘレス アソシアシオン・クルトゥラル・フラメンカ・ルイス・デ・ラ・ピカ

223(日)15

[出]〈c〉ペリーコ、パニェロ

[場]ヘレス セントロ・クルトゥラル・フラメンコ・フェルナンド・テレモート

223(日)1830分『デ・ビダス』

[出]〈b〉ロシオ・ガリード

[場]ヘレス セントロ・ソシアル・ブラス・インファンテ

223(日)2030分『メモリアス』

[出]〈b〉カルメン・コルテス

[場]ヘレス ビジャマルタ劇場

223(日)23時『オロ・モリオ』

[出]〈c〉ラ・マカニータ

[場]ヘレス ボデガ・アポストレス


224(月)1830

[出]〈b〉ぺぺ・トーレス

[場]ヘレス サラ・コンパニア

224(月)2030分『ルシア、エン・ビボ』

[出]〈b〉ルシア・ラ・ピニョナ

[場]ヘレス セントロ・ソシアル・ブラス・インファンテ

n

225(火)1830分『コンプリセス』

[出]〈b〉マルタ・ガルべス

[場]ヘレス セントロ・ソシアル・ブラス・インファンテ

225(火)2030分『ラ・アルヘンティーナ・エン・パリス』

[出]〈b〉アントニオ・ナハーロ舞踊団

[場]ヘレス ビジャマルタ劇場



226(水)1830分『コントラクエルポ』

[出]〈b〉ミゲル・アンヘル・エレディア

[場]ヘレス セントロ・ソシアル・ブラス・インファンテ

226(水)2030分『クレアビバ』

[出]〈b〉ラファエラ・カラスコ

[場]ヘレス ビジャマルタ劇場


227(木)1830分『アナグラマ。カンビオ・エン・エル・オルデン・デ・ラス・レトラス・ケ・ダ・ルガル・オトラ・パラブラ』

[出]〈g〉マヌエラ・カラスコ・イハ

[場]ヘレス サラ・コンパニア

227(木)2030分『オルビダダス』

[出]〈b〉メルセデス・デ・コルドバ

[場]ヘレス ビジャマルタ劇場

227(木)23時『サングレ・スシア』

[出]〈c〉アンヘレス・トレダノ

[場]ヘレス ボデガ・アポストレス


228(金)1830分『ブリヒイ』

[出]〈b〉エル・トゥルコ

[場]ヘレス サラ・コンパニア

228(金)2030分『タララミア』

[出]〈b〉マリア・ホセ・フランコ

[場]ヘレス ビジャマルタ劇場

228(金)23時『ネルハ』

[出]〈c〉へスス・メンデス

[場]ヘレス ボデガ・アポストレス


31(土)15

[出]〈c〉ラモン・デ・マテオ、エンリケ・レマチェ

[場]ヘレス ペーニャ・ラ・ブレリア

32(土)15

[出]〈c〉マレナ・カラスコ

[場]ヘレス ペーニャ・ティオ・ホセ・デ・ラ・パウラ

31(土)1830分『プレンデル』

[出]〈b〉エル・チョロ

[場]ヘレス セントロ・ソシアル・ブラス・インファンテ

31(土)2030分『ムエルタ・デ・アモール』

[出]〈b〉マヌエル・リニャン

[場]ヘレス ビジャマルタ劇場

31(土)23時『アルパオラ』

[出]〈ハープ〉アナ・クリスマン

[場]ヘレス ボデガ・ゴンサレス・ビアス


32(日)15

[出]〈b〉ラ・ジュンコ

[場]ヘレス ペーニャ・ブエナ・ヘンテ

32(日)15

[出]〈b〉マリナ・エレディアラ・ネグラ

[場]ヘレス ペーニャ・ぺぺ・アルコンチェル

32(日)1830分『アル・スール・デ・ラ・リベルタ』

[出]〈c〉ミヒータ

[場]ヘレス サラ・コンパニア

32(日)2030分『エル・マント・イ・ス・オホ』

[出]〈b〉エドゥアルド・ゲレロ

[場]ヘレス ビジャマルタ劇場


33(月)1830分『エル・ペンウルティモ・クプレ』

[出]〈b〉ルイサ・パリシオ

[場]ヘレス サラ・コンパニア

33(月)2030分『コントラプント』

[出]〈b〉カリメ・アマジャ

[場]ヘレス セントロ・ソシアル・ブラス・インファンテ


34(火)17時『メディオ・シグロ・エン・エル・カンテ』

[出]〈c〉マテオ・ソレア

[場]へレス パラシオ・ビジャビセンシオ

34(火)1830分『バイランテ』

[出]〈b〉ラファエル・ドゥエンデ

[場]ヘレス セントロ・ソシアル・ブラス・インファンテ

34(火)2030分『カルメン』

[出]〈b〉アントニオ・ガデス舞踊団

[場]ヘレス ビジャマルタ劇場

35(水)1830分『イホス・デル・コンパス』

[出]〈c〉マヌエル・フンケラ、ベルナルド・ルビチ、エンリケ・デ・レマチェ、ルイス・モントージャチャンキータ、〈g〉マヌエル・ルビチ、アントニオ・モラオ、クーロ・カラスコ・イホ、〈b〉アントニオ・エル・ピパjr、コラル・デ・ラ・マヌエラほか

[場]ヘレス サラ・コンパニア

35(水)2030分『ティエラ・ビルヘン』

[出]〈b〉マルコ・フローレス

[場]ヘレス ビジャマルタ劇場


36(木)1830分『デ・トゥ・マノ』

[出]〈b〉グロリア・デル・ロサリオ

[場]ヘレス セントロ・ソシアル・ブラス・インファンテ

36(木)2030分『ラ・エダ・デ・オロ20周年』

[出]〈b〉イスラエル・ガルバン

[場]ヘレス ビジャマルタ劇場


37(金)15

[出]〈c〉マヌエル・ヒメネス

[場]ペーニャ・ティオ・ホセ・デ・パウラ

37(金)1830分『ア・ミ・マネラ』

[出]〈b〉エステラ・アロンソ

[場]ヘレス サラ・コンパニア

37(金)2030分『アクアレラ・コン・サル』

[出]〈b〉カディス・フラメンコ舞踊団

[場]ヘレス ビジャマルタ劇場


38(土)15

[出]〈c〉フェルナンダ・ペーニャ

[場]ペーニャ  セントロ・クルトラル・フラメンコ・ドン・アントニオ・チャこん

39(土)15

[出]〈c〉フアニャリト

[場]ペーニャ・ラ・スア

39(土)17時『ハビエル・ラトーレ振付工房ファイナル』

[出]ハビエル・ラトーレのクラス受講者他

[場]ヘレス ラ・アタラジャ博物館

38(土)1830分『カミノ』

[出]〈c〉マヌエル・モンヘ

[場]ヘレス パラシオ・ビジャビセンシオ

38(土)2030分『シエンプレ・マヌエラ、ヒラ・デ・デスペディダ』

[出]〈b〉マリア・デル・マル・モレーノ

[場]ヘレス ビジャマルタ劇場

[問]https://www.festivaldejerez.es