2026年5月31日日曜日

マルコ・フローレス『ベンゴ・ホンド』

 いやあ、楽しかった。

そうだよ、こういうフラメンコが見たかったんだよ。

1時間ちょっと、ずっと踊っていた印象。エンリケ・レマチェ、マヌエル・デ・ラ・ニナというヘレスの若手コンビが歌うトリージャ、アリエラという通常踊られない労働歌をシギリージャへ。

リズムを、歌を楽しむように踊るマルコ。フラメンコ愛がそのまま観ているこちらに伝わってくるようで、そしてその感覚は最後まで続いたのでありました。

小さなカスタネットみたいなものでリズムをとりつつ、スペイン舞踊基本の形をさらうようにしたかと思うと、ギターでのセビジャーナスで、椅子に座ったまま踊ったり、と、曲はセビジャーナスだけどお決まりの振り付けではなく自由に踊るのがかっこいい。ホセ・トマスが歌い出し、うまいのにびっくり。

帽子を使ったファルーカ、昔ながらのファルーカのパソも入れて再構築した感じ、カンティーニャも思わずオレが出てしまうようなディテールに溢れてた。最後は、詩人ロルカによるフラメンコ草創期の歌い手、フアン・ブレバやシルベリオ・フランコネティの描写をラップのように歌うのに合わせて踊り、閉幕。



舞台に飛び出してきた姪っ子ちゃんも舞台に上がってフィン・デ・フィエスタ。

14年ぶりという(!)マルコの舞台は、客席にいたマノロ・マリンやマヌエル・ベタンソス、アリシア・マルケス、ラモン・マルティネス、マルコ・バルガスらも、40年以上、舞踊の舞台を見続けている批評家の面々もみんな、ニコニコ、口角上がりっぱなしとなったのでありました。

あー、また観たい。ヘレスでもぜひやってください。


ロシオ・マルケス『イムノ・ベルティカル』


すごく久しぶりに観たロシオ・マルケス。観客席はいつものフラメンコファンじゃない感じの人が多く、ん?って感じ。カハソルでレラ・ソト公演があったからかも。結果、そっちに行けば良かった、と激しく後悔。

彼女の最新盤を舞台に上げたらしいのだけど、舞台装置使ったり、照明に凝ってみたり、ミュージカル調。プログラムにスタッフの名前載せていないけど、ネットで調べたら演出家とか関わっているみたい。CD聴いていないのだけど、作り声で囁くようにしたり叫んだり、と、全体的に芝居がかった表現で、フラメンコのメロディやリズムを使っていても、フラメンコには全く聴こえない。また舞台で女優のように動く訓練も足りない感じ。ギタリストともども、近しい人を亡くして、死を考え故人を悼むレクイエムとのことだけど、うーん、彼女の思いは私には伝わらない。伴奏のペドロ・ロハス・オガジャルはフラメンコも弾くけどフラメンコギタリストではない。エフェクターは彼が操作してたのかな?音響さん?

アンダルシア・フラメンコといっても、フラメンコ色薄いものが登場するのはあるあるなのだけど、うーん、個人的にはフラメンコへの敬意や愛がない感じがしていたたまれない気がして、途中で退席したいほどだったけど、満員でそれもできず、耳栓突っ込んでひたすら耐えたのでありました。でも好きな人は好きなようで、ほぼ全員スタンディングオーベーション。それを利用してさっさと帰ったのだけど、外国から来た私がいうのもなんだけどいわゆる「文化の盗用」感、感じてしまったのであります。気持ち悪い。でもそれが多くの人に支持されている、ということに混乱して、帰ってからも悶々としていたのですが、なぜかスペイン語で公演のことを書いているうちにだんだん落ち着いてきたのであります。

結局は単に好みの違いなのでしょう。

フラメンコを普通に歌うことに限界を感じ、色々挑戦しているのかもしれません。実際、それが功を奏し、フラメンコ以外の観客を獲得しているわけで。でも私が求めているフラメンコと彼女の方向性が合わないわけですね。フラメンコで物語や世界観などを語ろうとする作品は舞踊ではよくありますが、カンテが主役の作品はそれほど多くありません。パッと思い出すのはレブリハーノのヒターノの迫害を扱った『ペルセクシオン』や『ベン・イ・シゲメ』『ティエラ』でしょうか。彼はガルシア・マルケスの作品をモチーフにしたものもありますし、アンダルシアのアラブ支配時代ゆかりのアル・アンダルースとよばれる音楽との共演など、多彩な作品を残しています。また詩人の作品で言えばエンリケ・モレンテには『オメガ』などロルカの作品を歌ったCDがありますし、サン・フアン・デ・ラ・クルスを歌ったり、ピカソをテーマにしたアルバムがあったりします。詩人を歌うで言えばビセンテ・ソトのペッソアを歌ったアルバムや、マイテ・マルティンがマヌエル・アルカンタラを歌ったものなどもあります。でもどれも、歌としてちゃんとしている、というか、普通のカンテとして、たとえばリサイタルで一曲、伝統的な歌詞のものと混ぜて歌ったとしても違和感がないカンテ、なのだけど、彼女の語りのようだったり、の曲は多分、そうならないという感じ。なんか、純粋主義者みたいなこと言っているなと自分でも思うけれど、新しい試み、新しい歌詞、新しいメロディにトライすることがいやなのではなく、そこにフラメンコへの敬愛が感じられなかったのが嫌なんだと思う。フラメンコを普通に歌ってもカンシオンに聴こえてしまうのですよ。これってなんなんでしょうね。声質もあるのかなあ。

女性版ニーニョ・デ・エルチェ狙ったのかなあ、でも彼はちゃんとフラメンコに聞こえるんだよ。

プロモーションビデオがありました。やっぱ趣味じゃない。



2026年5月28日木曜日

ウーゴ・アギラールen トーレス・マカレーナ

いやあ、良かった。うん、とても良かった。

今年の2月、ヘレスのフェスティバルでスペイン国立バレエ団の兄ディエゴと素晴らしい公演を見せてくれたウーゴがソロで踊るというので、セントラル劇場ではコルドバのコンクール優勝者公演、カハソル劇場ではホセ・バレンシアが公演しているけれど、あえてやってきたペーニャ。客席にいつもの顔ぶれが少ないのは公演が重なっているせいかも。

最初はヘスス・ロドリゲスのギターソロ。グアヒーラというのは珍しい。


カンテ・ソロはリカルド・アンギータ。若いがすでにタブラオなどで活躍しているよう。マラゲーニャ一つ歌って後はアバンドラオ。流行りなのだろうけど、個人的にはマラゲーニャはマラゲーニャで聴きたい。



舞踊はソレア・ポル・ブレリア。


緩急の間合いがいい。開店の後の頭の処理とか、パトリシア・ゲレーロぽいかも。細かい足とかもあるのだけど足だけ追い込んでいくとかではなく、巧みな回転やマルカへなどとうまく組み合わせてる。エレガントで男性的。かっこいい。


休憩を挟んで二部のオープニングはヘスス・フローレスのアレグリアス/カンティーニャス。


そして踊りはタラント。楽屋から舞台へと歩いていく姿がすでにタラント。ドラマチックでさえある。インテルプレタール、演じる、という言葉があるが、すでに彼はタラントの中に入り込みドラマは、踊りは始まっている。芝居じみたことをする必要はないのだけど、曲の中に入り込み、曲の持つキャラクターを踊るというのは重要だと思うのですよ。それができてる。先週のノエリア・ルイスもそうだけど、こういうフラメンコを私は観たいのであります。



歌に足入れるの好きじゃないんだけどなあ、と思いつつ、でもこれならいい、って思うのはなぜでしょうね。それすら気にならないくらい、いいってことなんだろうな。細かいことが気になるってことはその踊りに魅了されてないってことでもあるわけで。



昔ながらの衣装も文句のつけようがなく、とにかく満喫させていただきました。


2003年バジャドリード生まれの23歳。アンダルシア舞踊団在籍。今後、どんな展開を見せていってくれるのか楽しみな若手であります。

フィン・デ・フィエスタにも若手たちが多数舞台に上がってます。フアン・トマス・デ・ラ・モリアもいるよ。うん、フラメンコ舞踊の未来は安泰。






2026年5月27日水曜日

ロシオ・ガリード『1405エコス・デル・ティエンポ』

暗闇の中で忙しくもがき続ける。それが彼女のフラメンコなのだろうか。自らの誕生日をタイトルにしたこの作品で見せたのが、詰め込むだけ詰め込んだ足中心の振りと恨みつらみのような怖いフラメンコだったのは悲しすぎる。

技術はあるし、2023年ラ・ウニオン優勝もだてじゃない。24年に。24年にラ・ウニオンで前年優勝者ガラみて、うまいなあ、足強いなあ、とびっくりしたのも嘘じゃない。あの時も踊っていたタラントとソレアを今回も。でもタラントは歌の部分がディエゴ・ビジェガスがハーモニカなどで歌うというのが新しいといえば新しい。またジャケットが赤から茶色に黒刺繍、きらきら付きになっていた。男装はいい。でもタラントにきらきらは必要ないって。

©︎ Remedios Malavárez/Fundación Cajasol



ダビ・カロギターソロのシギリージャ、と思いきや、ペペ・デ・プーラ登場でマルティネーテに。シギリージャ。黒い衣装で猛スピードで踊るシギリージャのどこにシギリージャの深み重みを感じろというのだ。

©︎ Remedios Malavárez/Fundación Cajasol



カンテソロのティエント/タンゴを挟み、最後はえんじ色のバタ・デ・コーラでのソレア。バタなのに、優雅さが全くない。手の動きに癖がある。なんというか、柔らかい円を描くような流れではなく、パッと手開いて場所を移動するようなデジタル感。よく見ると両手に指輪してるしブレスレットも。物語のあるもので指輪しているのを見たことがあるような気もするけど、普通のフラメンコ舞踊で指輪しているのに気がついたのは初めてかも。爪も付け爪なのか長いし。美しくない。


©︎ Remedios Malavárez/Fundación Cajasol

せっかくの一人舞台、それもセビージャでは多分初めてなのだから、もっと、色々な面を見せるべきだったのではないかと思うのでありますよ。暗い曲が得意なのだとしても、明るい曲も挟むことによってコントラストで暗さに深みが出て際立つということもあるのではないかとか考えてしまう。

ま、フラメンコ感は人それぞれだから彼女の暗く強く忙しく、ってフラメンコも好きな人はいるのかもですが、私はもっと多彩な魅力を見せるフラメンコが好きだなあ。


2026年5月25日月曜日

ラファエラ・カラスコ『ウモ』

ウモとは煙のこと。タバコ工場で働く女工たちを描いたラファエラの新作は今年、マドリードで初演されたばかり。

オペラやバレエで世界に知られる『カルメン』はセビージャのタバコ工場の女工だったという。男を破滅させる奔放な女賭して描かれたカルメン。実際の女工たちは、男尊女卑の時代に、治安警察に見張られながらも、待遇改善を求めてストをしたり、職場に託児所を作ったり、という女性労働者の草分け、先駆者。想像上の人物であるカルメンと、実際に工場で働いていた女たち。ビゼーの音楽を換骨奪胎し、元の音楽がわかるけれど微妙に違うメロディになっていたり、後半で闘牛のイメージを踊ったりなど『カルメン』的なものもあるのだけれど、胸が熱くなるのは、女たち、ラファエラと6人のダンサーたち、カンタオーラ、ヘマ・カバジェーロとクラシック歌手たちが一緒に手を動かしながら歌う場面。これはスペイン、カスティージャ地方に伝わる、手や机を叩いてリズムを取りながら歌われるパネデーラス、女パン職人たち、と呼ばれるものをアレンジしたもの(だと思う)や、


©︎ Guillermo Mendo/Teatro de la Maestranza

最後の最後、ヘレスのクリスマスソング『ロマンセ・デ・レレン、レレン』のメロディで全員で歌うところ。シスターフッドというか、女性たちの連帯が伝わってくる場面だと思う。

ラファエラの高い美意識と、長年彼女の作品の照明を担当するグロリア・モンテシノの腕前で、とにかく全ての場面が美しく、雰囲気がある。床の模様、天井の高い建物というのがわかる大きな格子窓、

©︎ Guillermo Mendo/Teatro de la Maestranza

女工たちが愛用したというマントン、

©︎ Guillermo Mendo/Teatro de la Maestranza



葉巻…

©︎ Guillermo Mendo/Teatro de la Maestranza

といったタバコ工場ゆかりのイメージはそこかしこにあるし、音楽でもビゼーの曲だけでなく、タバコの産地キューバゆかりのグアヒーラが歌われるなども。フラメンコ、クラシック、民謡、機会音のようなものなど音楽も入り組んでいれば、踊りもコンテンポラリー的な要素もあれば、純フラメンコ的なものもあるという複雑な構造で、いろんな要素があるので全部をちゃんと理解していたかというと自信がない。『カルメン』のような明確な物語があるわけではないというのもあるだろう。ラファエラが椅子の上に立って、女工たちに関する当時の新聞記事をメガフォンで読み上げるシーンとか、カルメンのイメージでの闘牛のところとか、わかりやすい部分もあるのだけれど。彼女の他の作品に比べてもそれぞれの場面の意味など考え出すとわからなくなる。いや考えずに踊りを楽しめばいいだけなのかもしれないけれど。


©︎ Guillermo Mendo/Teatro de la Maestranza


6月10日からarte.tvで観ることができるようなので観て確認するつもり。

あとタバコ女工を語る上では避けて通れなかったのかもしれないけれど、カルメンは音楽もその要素も全て無視でも良かったようにも思ったりしたことでした。

とにかく美しい作品なのでWEB公開されたらまたお知らせしますね。



2026年5月24日日曜日

アンダルシア・フラメンコ『バイランド・アル・カンテ』

 アンダルシア州のフラメンコ公演シリーズ。金曜にエバ・ジェルバブエナで開幕。そして土曜はピニョーナ、ペペ・トーレス、アデラ・カンパージョ、ラファエル・カンパージョと4人の踊り手が出演する、ガラ的な作品。ピニョーナ以外の3人は作品作りが得意とは言えないけ実力派。90年代以降、自分で作品を作らないとフェスティバルなどへの出演の機会がない、という傾向が顕著になっていて、踊りはすごいんだけど作品作りに意欲的ではない踊り手達が影に隠れがちになるという状況が続いている今、そんな踊り手たちを集めて一つの作品にまとめる、というのは意義があることだと思います。

幕が上がると後ろ姿の4人の踊り手と3人の歌い手がそれぞれに上からの照明があたり、歌に合わせて、踊り手が順番に前を向き向き、一人づつ踊り継いで行く、という、かっこいいオープニングと、最後、全員が半円に座ってフィエスタのように踊るブレリア以外は、それぞれのソロというガラ公演的な構成なのですが、トップバッターのアデラは下手、ラファエルは上手、ピニョーナは舞台全体を大きく使い、ぺぺは真ん中と、踊る位置、歌い手の位置も変わり、また、曲から曲へのつながりもスムーズで“作品”の形がちゃんとできているという感じ。また舞踊を支える歌い手3人、ペチュギータ、マヌエル・デ・ラ・ネナ、イスマエル・デ・ラ・ロサも若手ながら実力派。ギターはヘスス・ロドリゲスとホセリート・ペレス。

アデラのソレア・ポル・ブレリアはセビージャ的。マティルデ・コラルの女性らしい優雅さではなくホセ・ガルバン系というか、もっと雄々しいというか、仄暗く、どうだ!っていう強さがある。ラファエルのティエントは抜きが絶品。タンゴではトリアーナ感満杯のマノロ・マリン系。ピニョーナはタラントを舞台いっぱいに踊る。タブラオが主な舞台である3人よりも劇場公演が得意なのだろう。ぺぺはソレア。彼の踊りにも、ラファエル・エル・ネグロのようなセビージャのヒターノたちの舞踊の系譜が感じられる。それぞれ個性が違うから見飽きない。

最後のブレリアで、踊り始めたアデラにラファエルが加わり、ラファエル一人のところにぺぺが加わるというブレリアも良き。最初の二人のソロの繋ぎのところもそうだけど、この兄妹の絡み、すごくいい。またラファエルとぺぺ、二人で踊るのはグイトとマリオを彷彿とさせてこれもかっこいい。



終演後、劇場のバルでは誰がいいとか好きとか話も弾んだのでありました。

またヘレスのフェスティバルとかでやってくれないかな。でもギターはフアン・カンパージョがいいな。(この日は他の仕事だったらしい)


2026年5月23日土曜日

ノエリア・ルイスen トーレス・マカレーナ

 いやあ、良かった。行って良かった。5月のセビージャはフラメンコ公演が目白押しで、22日金曜はセントラル劇場でエバ・ジェルバブエナ公演があったのだけど、エバの同タイトルの作品はヘレスでも観たし、それよりセビージャでソロで踊るのを観る機会がない、ノエリアを観たいと思ったのでありました。

2021年劇場の客席も1席開けて座るようなコロナ禍の中、セビージャのマエストランサ劇場で初演された『エスタンパス・フラメンカス』の中のバタ・デ・コーラにマントンでのカラコーレスの中でソロを踊っていたダンサーが素晴らしく、でも誰かわからず、マリベル・ガジャルドに名前を聞きに行ったのが、彼女を知るきっかけでした。

1997年マラガ生まれ、地元のコンセルバトリオで学び、国立入団は2019年、ルベン・オルモ監督になってのオーディションで、というほぼ新人にも関わらず立派なソロを踊っているということにびっくり。かたちの美しさ、バタをはじめとした確かな技術、押し出しの良さ、とどれをとっても一流だったのです。

2021年4月のスペイン国立バレエ団公演でのノエリア

その後も、国立バレエ団公演で、プリンシパル、エステル・フラードが踊っていた役や、ゲストプリンシパルを務めたパトリシア・ゲレーロが主演した『ラ・ベジャ・オテロ』を踊るなど、フラメンコ作品に欠かせない存在として活躍しています。マドリードではタブラオにもよく出演しているようですが、セビージャでこれまで彼女のソロを観る機会は私が知る限りありませんでした。

公演は日本でもお馴染みパコ・イグレシアスのギターソロでのマラゲーニャに始まり


国立バレエの歌い手でもあるガブリエル・デ・ラ・トマサのカンテソロでソレア。これが良かった。トリアーナのそれあの難しいメロディラインを正確にしかも感情を込めて辿っていくのに引き込まれる。

これまで何度も、舞踊伴唱で、ソロで、と聴いているんだけど、一番良かった。

舞踊はタラント。シンプルな衣装(茶色系とかならより良かったかも?)で抑制されたタラントらしい表現を最初から最後まで筋を通す。芝居がかっているというわけじゃないのだけど、彼女自身がタラントという曲の中に入り込んで踊っているという感じ。

そう、これこそタラント!私が観たいのはこういうタラント。オーソドックスで形の美しさが天下一品。




休憩を挟んでの二部はカンテソロでファンダンゴから

一曲づつ歌い、フアン・ホセ・アマドール“ペッレ”がギタリストに調性を変えて歌った後、客席からガブリエルの父、ホセ・デ・ラ・トマサがひとふし。豪華な飛び入り出演。


そしてアレグリアスはバタ・デ・コーラで。



バタのコントロールも絶品。




ペーニャの楽屋は下手側にあって、そこから客席の通路を通って舞台に出ていくのだけど、その舞台に向かう足取りからもう舞踊になっているのが素晴らしい。おp取手によってはつかつかと普通に歩いてきて舞台に上がってから踊りが始まるのだけど、舞台へあがる足取りもタラントならタラント、アレグリアスならアレグリアスのアイレになっている踊り手は本物のアルティスタだと思うのであります。

この日はいつもより観にきている踊り手が少なかったのは本当に残念だったけど、フィン・デ・フィエスタには水曜日の主役マヌエルが舞台に上がりました。


あー、昨日のマヌエラといい、やっぱいいフラメンコ観ると元気になりますね。