2026年9月29日火曜日

ファルキート『セラ・ファルキート エル・ムシカル』

 

「ファルキート観に行く、ってワクワクするんだよね」って友達が言った。わかる。わかりすぎる。ファルキートは特別。彼の作品にどれだけ期待裏切られても、またウキウキした気分で公演の日を待ってしまうのであります。正直、彼の“作品”に感動したことは無い。でも彼の踊りに感涙したり、ほんのちょっとした動きに悶絶したりしたことは山ほどある。たとえば2016年のラ・ウニオンでの公演。今でも思い出す、あの鳥肌感。でもね、劇場公演のために制作した作品は、その中にいい踊りやはあとさせられるいい瞬間はあっても作品としてはどうもなあ、というものばかりな気がする。

今回も、作品としてはなんだかなあ、という感じしかないけれど、一瞬、おっ!と思った瞬間はあったのでそれでよし、と自分で自分に折り合いをつけるのでありました。

開演前から幕は空いていて舞台の上を出演者たち、主に群舞の女性たちが行き交う。どういう意味があったかは不明。今回の公演は踊りでみせる自伝的作品ということで(以前も似たようなものがあったな)、タイトルも自身のドキュメンタリー映画からきているのだと思う。開演してすぐは歌無しで彼女たちのブレリア。そこに息子フアンも参加。これがプログラムにある”第一幕サングレ、血筋”で、子供の頃からフラメンコに囲まれてたってこと?

”第二幕学び”なのでしょう、バックにファルーコが教える様子のビデオが流れて、ご本人登場。ソレア。でもなんだかいつもの調子が出てない?そこからお得意、カンシオン風へ。副題のミュージカル、っていうのはそういうことなん?うーむ。ファルキート、自作のフラメンコ風味のカンシオン歌うのも踊るのも好きだもんね。テーブルの上で踊るのもなんかよくやっているイメージ。

Archivo Fotográfico de La Bienal de Flamenco / ©Laura León

ハーモニカの音楽、ニューヨークの風景で、旅行鞄持って息子と二人で踊り、”第三幕世界”へ。帽子かぶってキラキラのジャケット着てマイケル・ジャクソンなファルキート。

Archivo Fotográfico de La Bienal de Flamenco / ©Laura León

踊りの途中で舞台前面に行って止まって拍手待つところとか、派手な照明とか、なんか色々ホアキン・コルテスで(小名さんはコルテスのやってた人みたい)、たぶん、彼は自分のファミリーとホアキン・コルテス、パコ・デ・ルシアのステージくらいしか観ていないんじゃないかな、と思う。コルテスが世界的人気で日本でも東京フォーラムのホールAとか大阪城ホールとかでやってたのはほんと今考えてもすごいことだったと思うけど、前世紀のお話。あれからフラメンコは見せ方も踊りも色々変わってきているのだけどきっとそれを少なくとも生では観ていないんじゃないかと。いや、各自それぞれの好みややり方でいいんだけど、今の観客に、こういう作品、どううつるんでしょうね。

”第4幕影”は座って頭を抱えるというわかりやすい仕草から、シギリージャで。映画でも扱った轢き逃げ死亡事故とその後の服役などのイメージなのでしょう、なんかちょっとレブリハーノの歌ったガレーラ(囚人が漕ぐ船)ぽい音楽とかもあって微苦笑。

Archivo Fotográfico de La Bienal de Flamenco / ©Laura León

赤いジャケットでのファルーカを父、息子と踊りついだあと、突然客席に向けた光の洪水の中、歌うファルキート。はいはい、ミュージカルですね。神様になったんでしょうか。


Archivo Fotográfico de La Bienal de Flamenco / ©Laura León

でこの後結婚式の場面になり、ここで冒頭でお話した一瞬が訪れたのでありました。

Archivo Fotográfico de La Bienal de Flamenco / ©Laura León

ちょっとした足運びの間合いの良さ、かっこよさに悶絶し、もう他はどうでもいいやとなったのでありました。アルボレアにセビジャーナス、で幕、だったかな、いやもうあの瞬間見られたら私のとってはあとはどうでもいい。
Archivo Fotográfico de La Bienal de Flamenco / ©Laura León

どうでもいいんだけど、やっぱ気になったことひとつ。彼は伝統的な男性用のフラメンコシューズ、ショートブーツではなく、甲が覆われて踵が高めの靴を履いて、靴下も見えないので、パンタロンと靴の間に肌色が見えちゃうんですよね、これ、流行りなのか、他の人でもいるけど、見た目良くないと思うんですけど。足と脚がバラバラになってるというか、腕輪ならぬ足輪しとるんかい?って感じで。今の感覚だと、これがオシャレになるんでしょうか。わかんないわ、その感覚。




2026年9月28日月曜日

ダニ・デ・モロン『クアドロ』、エステベス&パニョス『ドンセジャス』

 19時からはダニ・デ・モロンをサラ・トゥリナで。


Archivo Fotográfico de La Bienal de Flamenco / ©Laura León

一曲目のブレリアから、下手にパルマのロス・メジ、上手にイスマエル・エル・ボラ、アンパロ・ラガレス、セルヒオ・コロラオが並んで、パルマでサポート。ギター公演だけど、ソレアやカンティーニャス(ボラ最高1)、ロマンセ、ファルーカなど歌い、トナとタンゴでクラウディア・ラ・デブラが踊り、と盛りだくさんで、2時間。全くのギターソロというのは一曲もないし、変化はあるから楽しめたけれど、でも2時間はやはり長すぎた。特に後半のタンゴ、最初、ギターなしで踊り途中からギターや歌も入ってとなるのだけど、同じような振りの繰り返しが多く、そんなにも長く続ける意味がわからない。

ダニのギターは、伝統的なメロディから遠く離れているようなのに、しっかりフラメンコ。すごくオリジナル、ということなんだけど、たとえば伝統的なメロディを歌うカンテの伴奏にこういう演奏が来ると、最初は耳が慣れていないから最初ちょっと抵抗があるんだけど、聴くと嫌、これすごくあっているじゃん?なんで?ってなるのであります。

ティエントやファルーカはアンダルシア舞踊団『ピネーダ』のだと思うけど、ダニは作曲家としても素晴らしい音楽で様々な作品を彩ってきていることを思い出したり。最後、感極まって本人涙ぐむなどもあり、暖かな気持ちで(お尻は痛いけど)劇場を後にしたのでした。

Archivo Fotográfico de La Bienal de Flamenco / ©Laura León

22時半からはセントラルで、エステベス&パーニョス・イ・コンパニアの『ドンセジャス』。今年のヘレスのフェスティバルでの初演を観て気に入ったので再見。

フラメンコギターのソロを確立した人としても知られるギタリスト、ラモン・モントージャの人生と音楽を、フエルガで描いていくもの。

舞台奥でラモン・モントージャの代表曲ロンデーニャを生演奏するアレハンドロ・ウルタードを聴いて、それぞれに反応するオープニングから、ギタリストが舞台手前に後ろ向きに座り、ダンサーたちが客席を向いて同じように踊るエンディングまで、

Archivo Fotográfico de La Bienal de Flamenco / ©Laura León

舞台で繰り広げられるフィエスタは祝祭的に踊ったりはもちろんのこと、酔っ払ったり、らりったり、ケンカしたり。それが全て舞踊で描かれる。モントージャが伴奏したアントニオ・チャコンの録音が登場したりもするけれど、9人のダンサーはそれぞれにバレエやコンテンポラリー、スペイン舞踊、フラメンコと得意種目を持ちながらも基本何でも踊れるから、舞台はものすごいことになる。

Archivo Fotográfico de La Bienal de Flamenco / ©Laura León
終演後、話してた友達が、アスリートだよね、って言っていたけどほんと、その通り。飛んだり跳ねたり、回ったり、すごすぎた。

で、ラファエル・エステベスのフラメンコがこれまたすごくて。病気もあって太ってしまっても、体型とか関係なく、この美しいコロカシオン!間合いとかもオレ!

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とにかくフラメンコオタクなラファエルのことなので、いろんな情報(時代をイメージさせる、ちょっと暴力的なシーンや当時流行りのチャールストンなど)が盛り沢山だし、みんなめっちゃ踊るので、見ているこちらもまるで一緒に踊ったかのように疲れた気もするけど、心地よい。

なお、私が一番好きなのは最初の方にある、民族舞踊を組み合わせた場面。男ばかりの群舞、やっぱ大好物。宴に女が入ると違う方向へ話が進んでしまうから男だけにしたんだろうけど、だから純粋に酔っ払い楽しみつくす宴となったのでありましょう。

あー面白かった。

なお注目の公演だけあって、ロシオ・モリーナ、ラファエラ・カラスコ、アナ・モラーレス、ピニョーナ、イニエスタ・コルテスら踊り手たちもたくさん見に来ていました。



2026年9月27日日曜日

イスラエル・ガルバン『ボレロ・デ・ブランコ・イ・ネグロ』、パストーラ・ガルバン『トリブース』

うーん、ガルバン兄妹、いったいどこへ行ってしまうんだろう。

いや、いいんですよ、個人の自由、表現の自由。でも、切ない。

Archivo Fotográfico de La Bienal de Flamenco / ©Laura León


前回のビエナルで『カルメン」、そして今回は『ボレロ』。すでに国際的名声を獲得した彼が国際的な興行の鉄板ネタをどう料理するかと注目を集めていただろうことは想像に難くない。『カルメン』は小ネタ満載で、その中にはフラメンコ魂をくすぐられるものもあったのだけど、今回はフラメンコ的なものを自分が表現することを徹底的に避けている?と思われるような内容。フラメンコ好きが嫌がることをわざとやっているんじゃ?と思わされるほどで、彼が思いついただろう二つのボレロネタで2時間引っ張ったという感じ。ネタの一つはラヴェルのボレロのリズムを靴音やパルマで再現する、もう一つはラヴェルのボレロのリズムをラテンバラードであるボレロに放り込む、ということ。

Archivo Fotográfico de La Bienal de Flamenco / ©Laura León

幕開きに、エプロン(2020年『ガトマニア』の時からなんでも出てくるドラえもんのポケットのように使ってる?)から取り出した小さなマラカスで、続いて靴音で、ラヴェルのボレロのリズムを刻みはじめたのには、おっ、と思わされ、フアン・ホセ・アマドールが歌うラテン・バラード『プロクロ・オルビダルテ』にもそのリズムをぶっ込んできて、なるほど、と思ったのだけど、驚きはそこまで。『テ・エストラニョ』や『ベサメ・ムチョ』にもルンバにもタラントにも全部リズムをぶっ込む。ここまではホセ・カラスコのカホンとフアン・ホセの弾き語り。

舞台中央の幕が開いて2台のピアノが現れ、ラヴェル作品を演奏。


Archivo Fotográfico de La Bienal de Flamenco / ©Laura León

この写真ではちょっと踊っているけど、いやいや、おおかたの時間は上手に座ってただ見てるだけ。

イスラエルと似たような格好をした少女が登場して司会したり歌ったり。これはなんのショー?って思ってたら女優がボレロについて語り叫ぶお下品なパフォーマンス。幕降りて、え?と思っていたら幕前でフアン・ホセがソレアを弾いて少女がフラメンコの歌詞を朗誦。歌わずに語る。で、最後に少女が「これから『ボレロ』です」え?もう1時間半だよ、こっから17分? で幕上がると、2台のピアノの演奏によるボレロを、白い衣装に長いエプロンという姿に着替えたイスラエルが踊った、踊ったというか、フラメンコ舞踊手のパーカッション奏者としての点にスポットを当ててるというか、ひたすら同じ動きを繰り返すのだけど、その姿も客席に照明が当たり彼にはうっすらとしか当たってないからよく見えない。私の席からはピアノで足が隠れる。舞台奥からだんだん前に出てきて、最後は客席の方にちょこっと突き出たヘソ舞台みたいなとこでフィニッシュ。最後またパルマでリズムを再び、そしてべサメムーチョと、ネタをしがんでルような感じもなんかいや。で、隣の人の足踏んづけながら(ごめんなさい)さっさと帰ったのでした。

で22時半からのアラメーダ劇場のパストーラ。お金持ちのお兄ちゃんは2台のピアノ、妹はそこまでお金ないから2台のドラムス、ってことですかね。はい、この作品の芸術監督はお兄ちゃん。振り付けは妹だけどね。

Archivo Fotográfico de La Bienal de Flamenco / ©Laura León

ドラムのリズムだけで踊る、ブレリア、ソレア、タンゴ、シギリージャ。パタ・ネグラの『ブルース・デ・ニーニョ』を、『ソロンゴ』を、アンダルシアロックのアラメーダの『ノチェ・デ・アラメーダ』を歌う、息切れしつつ。ボレロを踊り出した時は「お願い、やめて」となったのはいうまでもありません。

お兄ちゃんと色違いでお揃いの靴だけど、パストーラはコンパスでフラメンカに踊っていたから、オレ!な瞬間もあったんだけど、心から楽しみ幸せになったかというと、うーん。

いろんな試みがありますな。

Archivo Fotográfico de La Bienal de Flamenco / ©Laura León

古典だけがいいとも、昔は良かったとは言わないけど、フラメンコを愛し、ささやかながらフラメンコを人生の芯とする、フラメンコに携わる者として、やっぱフラメンコな、フラメンコに敬愛を感じる作品が好きだな。パフォーマンス自体はフラメンコ曲やコンパスを直接使っていなくても、フラメンコのテクニックや、広い意味でのコンパス感を感じる作品、たとえばロシオ・モリーナの『カルナシオン』には脱帽だったし、大好き。イスラエルも、昔、散々に言われた『ガルバニカ』や『フィエスタ』だって、至る所に彼の超絶コンパスが感じられて、幸せだったんだけどね。イスラエルは新しいフェーズに入ったってことなのかも。遠いところに行っちゃったのかな、帰ってこないのかな、って悶々しているのであります。


2026年9月26日土曜日

ディエゴ・デル・モラオ『マス・モラオ』

いやあ、良かった。幸せいっぱいになるそんなコンサート。

Archivo Fotográfico de La Bienal de Flamenco / ©Laura León
6月にカハソルでのディエゴは全くの一人での公演だったけど、今回は、カホンにアネ・カラスコ、パルマにフアン・グランデとフアン・ディエゴ・バレンシア、カンテにマロコ、エレアコでフェルナンド・カラスコ(フェルナンド・デ・ラ・モレーナの息子)と、ヘレスの仲間に囲まれて、より一層生き生きと、フラメンコな時間をプレゼントしてくれた。


Archivo Fotográfico de La Bienal de Flamenco / ©Laura León

タランタ/ミネーラのソロから始まり、ブレリアになるとアネとパルマ隊が加わり、リズムを補強、パコ・デ・ルシアのファルセータも引いたりするんだけど、ヘレスのアクセントが加わっていい感じ。他の誰の曲にも似ていない、シギリージャ。モダンだけどシギリージャの曲の本来の性質を失っていないのがかっこいい。

ソレア・ポル・ブレリアはマロコが加わる。マロコは伯父ディエゴ・カラスコや叔父ホセ・ソトの影響が強い。

パコへのブレリア。以前のディエゴはパコよりビセンテの影響が強かったように思う(今でもソレア・ポル・ブレリアの最初のとことかちょっとビセンテが見える気がした)けど、最近はパコの方が強いってのも面白い。こうしてみていくと曲目は6月とそんなに変わらないのだけど、リズムが加わるだけで、かなりイメージが変わる。

フェルナンドがエレアコで参加してタンゴ。今っぽい。マロコの歌うブレリアでの、コンパスの回し方パコとモラオが混ざり合うなんてむかしゃ考えられなかった。それだけ異なったスタイルのギターだったのに。再び、タンゴでマロコが歌い、最後は父モラオのファルセータ満載のブレリア。ヘレス、ヘレスなフラメンコ、フラメンコで気分が上がる。最高!

なおこの日、ロペ・デ・ベガではフアナ・アマジャとアウロラ・バルガスのジョイント公演もあったのだけど時間が重なっているので行けず。こちらも素晴らしかったようです。

Archivo Fotográfico de La Bienal de Flamenco / ©Laura León

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ちなみに22時半からはセントラルでアンドレス・マリン新作も。ただこの日、夜マラソンがあって交通遮断されていたのでそちらにも行けず。

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2026年9月25日金曜日

エスペランサ・フェルナンデス、ドゥケンデ、ホセ・バレンシア『ア・カネラ・イ・クラボ』

フラメンコに”作品”が求められるようになったのはビエナルからと言われます。ビエナル以前は、舞踊団公演以外は、歌やギターは一人または二人でジョイントリサイタルみたいなのはあっても、歌い手は歌うだけ、踊り手は踊るだけでよかった。フェスティバルでも順番に歌い、踊り、で最後にフィン・デ・フィエスタという形。それがビエナルで、初代監督ホセ・ルイス・オルティス・ヌエボが出身地や年代などをテーマにアーティストが集めて順にパフォーマンスしていくなどの公演を多く実施、その後、監督から代わるとアーティストサイドから企画を提案するのが常態となり、それが他のフェスティバルにも波及した、という感じ。

でも誰もが簡単に作品制作ができるわけじゃありません。アイデアとそれを実現するためのスタッフと資金が必要。で、演者としてはすごくいいけど、あまりフェスティバルには出演しない、目立たない、といった人も出てきたりするわけです。またいいアーティストといいアーティストを組み合わせても全部がうまく行くとは限らない、というのは今年のビエナル開幕ガラでも明らか。

なんでこんなことをつらつら書いたかというと、はい、『カネラ・イ・クラボ』が、よく考えられたテーマのある作品だったからであります。

テーマはヒターノ。

Archivo Fotográfico de La Bienal de Flamenco / ©Laura León

オープニングはエスペランサ・フェルナンデスによる、ヒターノ/ロマの国歌ならぬ民族歌『ジェレムジェレム』。見事に歌い上げ、セビージャのオペラハウス、マエストランサ劇場を熱で満たします。

ホセ・バレンシアはソレアを熱唱。オペラ歌手のような堂々とした歌いっぷり、場を圧する力がいつも以上に発揮されていたかも。

Archivo Fotográfico de La Bienal de Flamenco / ©Laura León

セビージャは本当にお久しぶりなドゥケンデはタランタ/カルタヘネーラからのカマロンが歌った『カナステーラ』。あの声、抜群な音程、フラメンコ性、全て健在。これを機にもっとセビージャでも歌ってほしい、と切に願う。

Archivo Fotográfico de La Bienal de Flamenco / ©Laura León

エスペランサはペテネラとブレリア。豪華なマントンが場を彩る。

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アーティストの入れ替わりにはギター(フアン・レケナ、ジョニ・ヒメネス、素晴らしい!)やコントラバスなどの短いソロがあって、無駄がない。ちなみにコントラバス、バイオリン、フルートの響きもムイ・フラメンコで歌を邪魔せずエレガント。さすがはフアン・パリージャのアレンジ。

Archivo Fotográfico de La Bienal de Flamenco / ©Laura León

ホセが歌うレブリハーノの『カラバナ(リブレ・コモ・エル・ビエント)』こそスペインのヒターノたちの、フラメンコたちのテーマソングであるべきだと思う。ドゥケンデはセラットの『サエタ』を歌い、ロマンセへ。エル・ガジが歌い、ナサレ・レジェスとお待ちかね、ぺぺ・トーレス。やっぱ、ぺぺはいい。派手さはないけど、思わずオレが出てしまうようなデタジェ、ちょっとした小技が満載で、唸らされる。エレガントなのだ。若いナサレの粗さが余計に目立ってしまうのも致し方ない。

歌い手3人も登場したのえここで終わりかと思いきや3人によるシギリージャ。そこで、『ア・カネラ・イ・クラボ』の歌詞がうたわれ、最後は、ペラータ系一家がよく歌う『カンタ・ヒターノ』で幕。

2時間近い上演時間はやっぱちょっと長すぎるし、客席に光を向ける照明はいただけない(踊っている表情も見えにくい)、音響もボリューム大き過ぎだったけど、作品としてはわかりやすくよくまとめてあったと思う。こういう形の作品にすると、フラメンコをよく知らない、他国の劇場などのプログラムにも張り込みやすいだろうし、フラメンコにとってプラスだと思うのであります。

終演後、ホセが、仲間と一緒だとライバル意識じゃないけど、刺激されていつも以上の実力が出る、みたいなこと言ってたのも印象的。それぞれ、リサイタルでも集客力も実力もあるアーティストだけど共演することで1➕1が3にも5にも10にもなるという感覚。企画したペドロ・マリア・ペーニャの功績もありますね。



2026年9月24日木曜日

フアン・トマス・デ・ラ・モリア&アゲダ・サアベドラ『テ・アトレボ』

 ビエナルも半分過ぎて、観ているこちらの疲れもあるのかな、うーん、なんだかよくわからん、彼らが伝えたいことがよくわからない、入ってこないのでありました。ただフアン・トマスの、まっすぐなフラメンコを楽しむ心だけが印象に残ったのでありました。

幕が上がる前から『アルハンブラの思い出』のトレモロが聞こえる。ん?

幕が上がると下手にアゲダ。『アルハンブラの思い出』やアンダハレオなどが登場しスペイン舞踊風に踊る。上手にフアン・トマス。ブレリア。スペイン舞踊とフラメンコの対比? でも、アゲダのスペイン舞踊はスペイン国立やアントニオ・ナハーロのキッレキレのスペイン舞踊を見慣れた目には物足りない。かなりフラメンコ寄りな気もする。そのせいか、対比がそれほど明確に見えてこない。見つめ合う二人を残し、ミュージシャンたちは客席に背中を見せて座る。

Archivo Fotográfico de La Bienal de Flamenco / ©Laura León


アゲダはカスタネットを使って踊り、フアン・トマスは寝っ転がったままファルーカを踊ったかと思うと、バンビーノのヒット『ラ・パレ』を歌い(つまり、二人の間には壁があるということなんですかね?)ベルディアーレスを二人で踊るのだけど、ここ、影だと思っていたホリゾントに移された姿が勝手に?一人で踊り出したり、の工夫は面白い。

映画で見るアメリカの囚人服のようでもあるオレンジ色のシャツ、ズボンで踊るフアン・トマスのソレア。

Archivo Fotográfico de La Bienal de Flamenco / ©Laura León

アゲダのブレリア・ロマンサーダに昨日のリニャンの公演が思い出される。はい、この公演もリニャンが演出でございました。

最後はカンティーニャ。アゲダのバタ・デ・コーラとフアン・トマスの白いスーツを舞台上d絵とっかえっこするというのはリニャンぽい。

Archivo Fotográfico de La Bienal de Flamenco / ©Laura León

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面白い? いや、でも意味がわかんない。このバタの上に乗るの、最初、アゲダがバタの時もやってフアントマスでもやって。意味なんかなくて面白そうだから、ってことだけなのかもだけど、うーん。私には面白くは見えなかった。


Archivo Fotográfico de La Bienal de Flamenco / ©Laura León

ただ、フアン・トマスの、フラメンコを心から楽しそうに踊る姿はこちらの心まで暖かくしてくれる。そのまっすぐさがあまりにも魅力的で、アゲダが何をやってもいいと思えなかったのかも。なんというか、秀才と天才の違いというか。ちょっと考えてしまいました。他の人がどう見てたのか、色々聞いてみたい気がします。


2026年9月23日水曜日

マヌエル・リニャン『Bailaor@』

いやーすごかった。事前に名前の告知のなかったゲストアーティストも豪華で脱帽。また作品としてもよく考えて作ってあるから、多分、ゲスト無しでも十分成立するし、プロデューサーとしても敏腕。

幕あきは昔舞踊団のように白いシャツ、黒いパンタロンにベストという姿の4人の歌い手たちがギタリスト、フランシスコ・ビヌエサとともに並び、紫のバタ・デ・コーラ、ピンクの薄手のマントンで。リニャンのバタはもう彼のアイデンティティだと思うけど、その扱いは伝統的な”アルテ”で見せる形ではなく、男性らしい力技で、スポーツのようだといつも思う。特にマントン、新体操のリボンとか、ああいう感じ。より早くより派手に、というか。バタにしてもマティルデのような女性的な優美さの扱いではなく、力強く足もグッと開き、大股でいく感じ。多くの若手も男女関係なくバタとマントンを使うようになったことは悪いこととはおもわないけれど、女性がこういう早技をするのは私はあまり好きじゃない。あと、せっかく男性の力があるのだから、もう少し刺繍もフレコも豪華なマントンでもできるんじゃないかな、そっちがみたいな、と思ったことでした。

Archivo Fotográfico de La Bienal de Flamenco / ©Laura León

リニャンスタイルのバタマントンは伝統のバタマントンとは別物ですな。

ミゲル・アンヘル・エレディアがパレハ・オブレゴンのセビジャーナスを歌い上げ、

女性の装い、ただしかつらを取ったリニャンがアバニコでのグアヒーラ。

歌で登場したのはなんとミゲル・ポベーダ!で客席から歓声が上がる。いやいやほんとに、それはそれは素晴らしい歌いっぷりでございました。2年ぶりくらいかな。最近のロルカやコプラなど企画ものを歌うことが多かったけど、こういうどストレートなフラメンコがもうほんと、やっぱ実力ナンバーワンというか、見事というしかない完璧な歌いっぷり。昔、パコ・デ・ルシアがカマロンの音程の良さについて、音程があっているとかじゃなく、その音の真ん中を射抜いていくということを言っていたのを思い出すくらい完璧。もう聞き惚れてしまい踊りに目がいかない。


Archivo Fotográfico de La Bienal de Flamenco / ©Laura León

いやいやこちらの振り付けはそのまま全部だと大変だしちょっとうるさいかもだけど、色んなアイデア、借りてみんな使えるんじゃないかな、って思うような感じ。すごいね、この人。

ギターソロの後はタンゴ。ゲストで登場のラファエル・カンパージョの、セビージャらしい粋、トリアーならしいグラシア溢れたタンゴとズボンの上に巻くスカートつけたリニャンのグラナダらしい単語の対比が面白い。カンパージョの見せるほんの小さな動きにまでアルテが溢れていて悶絶。

ファンダンゴのカンテソロがあって、ブレリア・ロマンサーダはフアン・カンパージョもギターで加わり、パルマでフアン・トマス・デ・モリアらも加わり、ダイナミックに見せたかと思うと、9人の稽古着姿の踊り手たちが登場し、マリオ・マジャの作品『カメラモス・ナケラール』を。名作は何年たっても名作。

そこから白いパンタロンにベストという衣装で、リニャンがマリオのアレグリアスを!

マリオらしいパソがたくさん出てきてうなる。そうだよね、彼の世代は故郷の先輩で英雄、マリオに憧れたはず。白い衣装はちょっと太って見えたので黒い方が良かったかなとは思うけど。とにかくマリオへの敬意に感謝。

最後はトマシート登場。ラップのように、男でも女でも女装でも踊る自由を歌い上げ幕。




2時間近くの公演だったけど満足満足。