2026年6月7日日曜日

ホセ・バレンシア『ペルセクシオン』

 アンダルシア州主催のフラメンコ公演シリーズ『アンダルシア・フラメンコ』、セビージャ、セントラル劇場での最終日はホセ・バレンシア『ペルセクシオン』。

1976年に発表された、レブリハーノのアルバム『ペルセクシオン』は、詩人フェリクス・グランデと共にスペインにおけるヒターノのペルセクシオン、迫害の歴史を描いた渾身作。そレから50年ということで、レブリハーノの甥、アルバムのギタリストの一人、ペドロ・ペーニャの息子、ペドロ・マリア・ペーニャが企画、同じレブリーハのホセ・バレンシアを中心に、レラ・ソトも協力(初演では初演ではアナベル・バレンシア)、アルバム収録曲にバイレ(ナサレ・レジェス)も加えて舞台作品に。原盤ではフェリクスが担当していた語りはレブリハーノの妹でジャーナリストのテレ・ペーニャ。

全員揃っての「リブレス・コモ・エル・アイレ』、風のように自由に、輝く星のように自由に、と歌う始まりからグッとくる。この歌は、スペインのヒターノの民族歌に制定して欲しいくらい。フラメンコを愛する人ならきっと一緒に歌いたいはず。

続くブレリア、『サングレ、サングレ』もポピュラーな曲だからレラが歌うというのはちょっと意外だったけど、良かった。ティエント『ノ・レ・テンブラロン・ラス・マノ』はホセが。張りのある、よく通る声で歌い上げる。この作品を今の歌い手でするなら彼とペドロが思ったのも納得。後半のトナやシギリージャも圧巻。レブリハーノと違うのは歌い終わりが彼は上へと開けた感じで、レブリハーノは下へと閉まった感じということかもしれない。個人の感想ですが。

途中、入った踊りは正直なくても全然良かったけれど、ナサレは母フアナ・アマジャに顔も踊りも似ているのだけど、もう少し、トロンコ使えるともっといいのではと思ったり。

最後は観客も一緒に『リブレ・コモ・エル・アイレ』を合唱して終わり。



名作は、踊りのガデスやグラネーロの作品もそうだけど、若い世代に歌い、おどってもらって、どんどん引き継いでいって欲しいな、と思ったことでした。



2026年6月6日土曜日

クリスティーナ・ヘーレン財団『フラメンコ・エス・ビダ』

 クリスティーナ・ヘーレン財団フラメンコ芸術学校が今年で創立30周年を迎えるということで、クリスティーナがが学校創立前に企画構成し上演された作品『フラメンコ・エス・ビダ』を再演。といっても当時の出演者たちではなく、この30年間に学校で学びプロとなった歌い手、踊り手、ギタリストたちが出演し、構成はなぞるものの振り付けも新しくして、という趣向。


幕が開けるとフラグア、鍛冶屋のセットで、金床をハンマーで叩いてとるリズムで歌うマルティネーテを二人の歌い手が歌い、ダビ・バルガスも入って。

次の場面は居酒屋。カウンターの向こうにラウル・カンティサノ。ウエイトレスがいて、テーブルが二つ。ギターソロ、ランプのついたヘルメットを持ってやってきた男が歌うタランタ、タラントをウエイトレスがちょっと踊り、ソレア・ポル・ブレリアやセラーナなど。

舞台前面上手にでたラウルが立ってソロを弾き(その間に舞台転換)、下手に置かれた街灯の下のベンチで歌われたマラゲーニャがこの日一番良かったかも。ラウルの伴奏はもう少し音少ない方が好みだけど。マヌエル・デ・ヒネスだったそう。その後、ソレアの踊りがあって、最後は箱が詰まれた埠頭、港で、アレグリアスが始まる。そこで踊ったチョロが良かった。そこへ、南米からの船が着き、白づくめの衣装で葉巻を手にしたヘスス・コルバチョを見て思い出した。これ初演ではカリスト・サンチェスじゃなかったっけ?1994年のビエナルで、にやけた感じで登場したのを思い出す。ヘススの歌でルイサ・パリシオがバタ・デ・コーラにアバニコでグアヒーラ。バタ捌きの見事さ。体づかい。細部もいい。

チョロとルイサ。この二人と後の4人(カルメン・ヤング。ルシア・ラ・ブロンセ、アラセリ・ムニョス、ダビ・バルガス)の差は大きい。キャリアの差だけじゃない気がする。格の違い。この4人も、歌い手たちもみんななんでも歌えて踊り伴唱できるし、ギタリストもそう。プロである。でもプロの中でも、看板背負える人というか、名前が出る人というのは違うのでございます。財団からは多くのプロが巣立っていった。たくさんのアルティスタたちがスペインのタブラオなどで活躍している。その中には自分の名前で勝負できるアルティスタたちもいるけれど、そこまで上がっていくのはほんの一握りなのだな、と改めて感じたことでした。

作品の構成、小芝居あったり、とかはやっぱり30年前の作品だなあ、という感じ。みんな真面目に芝居してたのは偉い。歌は、初演のホセ・デ・ラ・トマサやカリスト・サンチェスだったら、違ったかな、もっと聴ける感じだったかな、とか思ってしまったのは、カンテソロ、マラゲーニャ以外はなんというか、ちゃんと歌っているんだけど、味がないというか、カンテソロで聴きたいほどの歌い手ではなかったというか。厳しい言い方だけど。リズム音程かたちが合っているからいい、ってもんじゃないでしょ、歌は。踊りもそう。オレな瞬間があるのはルイサとチョロだけ。フラメンコは難しいね。

アンコールで舞台に上がったクリスティーナが幸せそうだったのは本当に良かった。




2026年6月3日水曜日

第24回コルドバのコンクール優勝者たち/アンヘル・フローレス、クリスティーナ・ソレール

 昨年のコルドバのコンクールで優勝者の公演はセントラル劇場の小ホールで。

ギターのアンヘル・フローレス。1998年6月2日生まれというからちょうど誕生日で28歳。ギターは良く鳴っているし、テクニックあるし、オリジナルティのあるメロディとかも登場する。ただし、息ができないくらいに詰め込みすぎ。テクニックのための練習曲ですか?という感じ。アレグリアス、タランタ、ソレア、ファルーカ、ブレリアなど演奏。でも御ぜーんぶ詰め込みなので、結局、確かにそれぞれの曲のコンパス、調性で演奏しているんだけど、その曲らしい味わいとかが感じられず、全部同じに聞こえてしまう。こういう演奏聞くと、ダビ・デ・アラアルの、静寂すらも音楽に、フラメンコにしていく手腕がより高い評価をすべきものだということが改めて感じられたことでした。上手なギタリストだからコルドバ音楽院で学んだということで、パーカッションのハビエル・ラバダンが伴奏。コルドバのコンクールはソロだけでなく歌伴奏、舞踊伴奏も審査しているはずなんだけど、多分、舞踊伴奏をたくさんするともう少しこなれてくるんじゃないかな、と思ったり。でコンクールの審査員、ギタリストはクラシックのホセ・マリア・ガジャルドだったからっていうのもあるのかも。いや、他にも歌い手2人、踊り手2人もいたからその独断だったわけではないとは思うけど。

舞踊はクリスティーナ・ソレール。グラナダ生まれで現在30歳くらい。地元とマドリードの舞踊学院に学び、ファルキートやメルセデス・デ・コルドバ、ラファエラ・カラスコらの作品に出演。また各地のタブラオでも活躍している実力派。黒のバタ・デ・コーラ(キラキラついてない方がいいと思う)でのシギリージャ、タンゴ、そしてマントン技からのソレア。これも前半のギタリスト同様、忙しく詰め込むタイプで、間合いをとって曲のキャラクターらしい表現をするということは全くない。グラナダならタンゴとか、アイレたっぷりに踊りそうなものだけど、グラシアのグの字もない。味がない。あとスカートまくり過ぎで太ももが見えてしまうのもお下品。1回くらいたまたまとかならまだ理解できるけど、スカートもつたび、絶対太ももが出る。エナグア、アンダースカート履くとかするか、スカート持ち上げすぎないように気をつけるか、衣装のデザインでスカート持ち上がりにくくするか、とかしてほしい。誰もそいういうこと言わないのかなあ。お上手だけど、それ以外に伝わってくるものが何もないのもギタリストと同じ。若いうちはあれもこれも欲張ってしまうのもわかるけど、アルテを目指さないと、と思ったことでありました。唯一の救いは、フアン・カンパージョの伴奏ギターが素晴らしかったこと。あ、エセキエル・モントージャとジョナタン・レジェスの歌も良かったよ。




2026年5月31日日曜日

マルコ・フローレス『ベンゴ・ホンド』

 いやあ、楽しかった。

そうだよ、こういうフラメンコが見たかったんだよ。

1時間ちょっと、ずっと踊っていた印象。エンリケ・レマチェ、マヌエル・デ・ラ・ニナというヘレスの若手コンビが歌うトリージャ、アリエラという通常踊られない労働歌をシギリージャへ。

リズムを、歌を楽しむように踊るマルコ。フラメンコ愛がそのまま観ているこちらに伝わってくるようで、そしてその感覚は最後まで続いたのでありました。

小さなカスタネットみたいなものでリズムをとりつつ、スペイン舞踊基本の形をさらうようにしたかと思うと、ギターでのセビジャーナスで、椅子に座ったまま踊ったり、と、曲はセビジャーナスだけどお決まりの振り付けではなく自由に踊るのがかっこいい。ホセ・トマスが歌い出し、うまいのにびっくり。

帽子を使ったファルーカ、昔ながらのファルーカのパソも入れて再構築した感じ、カンティーニャも思わずオレが出てしまうようなディテールに溢れてた。最後は、詩人ロルカによるフラメンコ草創期の歌い手、フアン・ブレバやシルベリオ・フランコネティの描写をラップのように歌うのに合わせて踊り、閉幕。



舞台に飛び出してきた姪っ子ちゃんも舞台に上がってフィン・デ・フィエスタ。

14年ぶりという(!)マルコの舞台は、客席にいたマノロ・マリンやマヌエル・ベタンソス、アリシア・マルケス、ラモン・マルティネス、マルコ・バルガスらも、40年以上、舞踊の舞台を見続けている批評家の面々もみんな、ニコニコ、口角上がりっぱなしとなったのでありました。

あー、また観たい。ヘレスでもぜひやってください。


ロシオ・マルケス『イムノ・ベルティカル』


すごく久しぶりに観たロシオ・マルケス。観客席はいつものフラメンコファンじゃない感じの人が多く、ん?って感じ。カハソルでレラ・ソト公演があったからかも。結果、そっちに行けば良かった、と激しく後悔。

彼女の最新盤を舞台に上げたらしいのだけど、舞台装置使ったり、照明に凝ってみたり、ミュージカル調。プログラムにスタッフの名前載せていないけど、ネットで調べたら演出家とか関わっているみたい。CD聴いていないのだけど、作り声で囁くようにしたり叫んだり、と、全体的に芝居がかった表現で、フラメンコのメロディやリズムを使っていても、フラメンコには全く聴こえない。また舞台で女優のように動く訓練も足りない感じ。ギタリストともども、近しい人を亡くして、死を考え故人を悼むレクイエムとのことだけど、うーん、彼女の思いは私には伝わらない。伴奏のペドロ・ロハス・オガジャルはフラメンコも弾くけどフラメンコギタリストではない。エフェクターは彼が操作してたのかな?音響さん?

アンダルシア・フラメンコといっても、フラメンコ色薄いものが登場するのはあるあるなのだけど、うーん、個人的にはフラメンコへの敬意や愛がない感じがしていたたまれない気がして、途中で退席したいほどだったけど、満員でそれもできず、耳栓突っ込んでひたすら耐えたのでありました。でも好きな人は好きなようで、ほぼ全員スタンディングオーベーション。それを利用してさっさと帰ったのだけど、外国から来た私がいうのもなんだけどいわゆる「文化の盗用」感、感じてしまったのであります。気持ち悪い。でもそれが多くの人に支持されている、ということに混乱して、帰ってからも悶々としていたのですが、なぜかスペイン語で公演のことを書いているうちにだんだん落ち着いてきたのであります。

結局は単に好みの違いなのでしょう。

フラメンコを普通に歌うことに限界を感じ、色々挑戦しているのかもしれません。実際、それが功を奏し、フラメンコ以外の観客を獲得しているわけで。でも私が求めているフラメンコと彼女の方向性が合わないわけですね。フラメンコで物語や世界観などを語ろうとする作品は舞踊ではよくありますが、カンテが主役の作品はそれほど多くありません。パッと思い出すのはレブリハーノのヒターノの迫害を扱った『ペルセクシオン』や『ベン・イ・シゲメ』『ティエラ』でしょうか。彼はガルシア・マルケスの作品をモチーフにしたものもありますし、アンダルシアのアラブ支配時代ゆかりのアル・アンダルースとよばれる音楽との共演など、多彩な作品を残しています。また詩人の作品で言えばエンリケ・モレンテには『オメガ』などロルカの作品を歌ったCDがありますし、サン・フアン・デ・ラ・クルスを歌ったり、ピカソをテーマにしたアルバムがあったりします。詩人を歌うで言えばビセンテ・ソトのペッソアを歌ったアルバムや、マイテ・マルティンがマヌエル・アルカンタラを歌ったものなどもあります。でもどれも、歌としてちゃんとしている、というか、普通のカンテとして、たとえばリサイタルで一曲、伝統的な歌詞のものと混ぜて歌ったとしても違和感がないカンテ、なのだけど、彼女の語りのようだったり、の曲は多分、そうならないという感じ。なんか、純粋主義者みたいなこと言っているなと自分でも思うけれど、新しい試み、新しい歌詞、新しいメロディにトライすることがいやなのではなく、そこにフラメンコへの敬愛が感じられなかったのが嫌なんだと思う。フラメンコを普通に歌ってもカンシオンに聴こえてしまうのですよ。これってなんなんでしょうね。声質もあるのかなあ。

女性版ニーニョ・デ・エルチェ狙ったのかなあ、でも彼はちゃんとフラメンコに聞こえるんだよ。

プロモーションビデオがありました。やっぱ趣味じゃない。



2026年5月28日木曜日

ウーゴ・アギラールen トーレス・マカレーナ

いやあ、良かった。うん、とても良かった。

今年の2月、ヘレスのフェスティバルでスペイン国立バレエ団の兄ディエゴと素晴らしい公演を見せてくれたウーゴがソロで踊るというので、セントラル劇場ではコルドバのコンクール優勝者公演、カハソル劇場ではホセ・バレンシアが公演しているけれど、あえてやってきたペーニャ。客席にいつもの顔ぶれが少ないのは公演が重なっているせいかも。

最初はヘスス・ロドリゲスのギターソロ。グアヒーラというのは珍しい。


カンテ・ソロはリカルド・アンギータ。若いがすでにタブラオなどで活躍しているよう。マラゲーニャ一つ歌って後はアバンドラオ。流行りなのだろうけど、個人的にはマラゲーニャはマラゲーニャで聴きたい。



舞踊はソレア・ポル・ブレリア。


緩急の間合いがいい。開店の後の頭の処理とか、パトリシア・ゲレーロぽいかも。細かい足とかもあるのだけど足だけ追い込んでいくとかではなく、巧みな回転やマルカへなどとうまく組み合わせてる。エレガントで男性的。かっこいい。


休憩を挟んで二部のオープニングはヘスス・フローレスのアレグリアス/カンティーニャス。


そして踊りはタラント。楽屋から舞台へと歩いていく姿がすでにタラント。ドラマチックでさえある。インテルプレタール、演じる、という言葉があるが、すでに彼はタラントの中に入り込みドラマは、踊りは始まっている。芝居じみたことをする必要はないのだけど、曲の中に入り込み、曲の持つキャラクターを踊るというのは重要だと思うのですよ。それができてる。先週のノエリア・ルイスもそうだけど、こういうフラメンコを私は観たいのであります。



歌に足入れるの好きじゃないんだけどなあ、と思いつつ、でもこれならいい、って思うのはなぜでしょうね。それすら気にならないくらい、いいってことなんだろうな。細かいことが気になるってことはその踊りに魅了されてないってことでもあるわけで。



昔ながらの衣装も文句のつけようがなく、とにかく満喫させていただきました。


2003年バジャドリード生まれの23歳。アンダルシア舞踊団在籍。今後、どんな展開を見せていってくれるのか楽しみな若手であります。

フィン・デ・フィエスタにも若手たちが多数舞台に上がってます。フアン・トマス・デ・ラ・モリアもいるよ。うん、フラメンコ舞踊の未来は安泰。






2026年5月27日水曜日

ロシオ・ガリード『1405エコス・デル・ティエンポ』

暗闇の中で忙しくもがき続ける。それが彼女のフラメンコなのだろうか。自らの誕生日をタイトルにしたこの作品で見せたのが、詰め込むだけ詰め込んだ足中心の振りと恨みつらみのような怖いフラメンコだったのは悲しすぎる。

技術はあるし、2023年ラ・ウニオン優勝もだてじゃない。24年に。24年にラ・ウニオンで前年優勝者ガラみて、うまいなあ、足強いなあ、とびっくりしたのも嘘じゃない。あの時も踊っていたタラントとソレアを今回も。でもタラントは歌の部分がディエゴ・ビジェガスがハーモニカなどで歌うというのが新しいといえば新しい。またジャケットが赤から茶色に黒刺繍、きらきら付きになっていた。男装はいい。でもタラントにきらきらは必要ないって。

©︎ Remedios Malavárez/Fundación Cajasol



ダビ・カロギターソロのシギリージャ、と思いきや、ペペ・デ・プーラ登場でマルティネーテに。シギリージャ。黒い衣装で猛スピードで踊るシギリージャのどこにシギリージャの深み重みを感じろというのだ。

©︎ Remedios Malavárez/Fundación Cajasol



カンテソロのティエント/タンゴを挟み、最後はえんじ色のバタ・デ・コーラでのソレア。バタなのに、優雅さが全くない。手の動きに癖がある。なんというか、柔らかい円を描くような流れではなく、パッと手開いて場所を移動するようなデジタル感。よく見ると両手に指輪してるしブレスレットも。物語のあるもので指輪しているのを見たことがあるような気もするけど、普通のフラメンコ舞踊で指輪しているのに気がついたのは初めてかも。爪も付け爪なのか長いし。美しくない。


©︎ Remedios Malavárez/Fundación Cajasol

せっかくの一人舞台、それもセビージャでは多分初めてなのだから、もっと、色々な面を見せるべきだったのではないかと思うのでありますよ。暗い曲が得意なのだとしても、明るい曲も挟むことによってコントラストで暗さに深みが出て際立つということもあるのではないかとか考えてしまう。

ま、フラメンコ感は人それぞれだから彼女の暗く強く忙しく、ってフラメンコも好きな人はいるのかもですが、私はもっと多彩な魅力を見せるフラメンコが好きだなあ。